第4話 旅立ち
次の日、ロゼット様は、野次馬や奇跡を期待する人々が再び店の前に集まってくる前に旅立とうと早起きした。
僕はというと、昨日の衝撃的な光景が脳裏から離れず、悶々と一夜を過ごした。
あのオヤジは「男は無理なんだ」と言っていたが、僕ならロゼット様だったら全然イケると思った。それでも、初体験が男というのは、かなり抵抗を感じてしまう。
そんなことを一晩中考えて、頭はボーッとしていた。
ロゼット様は、一宿一飯の恩義と、僕たち家族に奇跡を授けてくれた。
ばあちゃんから膝と腰の痛みを取り除き、母ちゃんの壊れたべっ甲の髪飾りを元通りにしてくれた。父ちゃんは、声をかければ自分でひっくり返る魔法の砂時計をもらった。
「で、孫よ。特に世話になったし、口止めのためにも、ボクにできる最大限の望みを叶えるよ。何がいい? 但し、お金が勝手に増える財布とか、女にモテるようになる魔法なんかは無理だからね。無から有は生み出せないんだ」
僕は答えた。
「では、ロゼット様の旅にご一緒させてください」
これには、両親もロゼット様も驚いた。
「ロゼット様の弟子になるつもりか? 無理だ。お前に魔力が無いことは、自分が一番知っているだろう」
まあ、父ちゃんが反対するのは当然だろう。
「わかってるよ。今さら魔法使いになりたい訳じゃないさ。ただ、ロゼット様のお世話をしながら、世界を見て歩けたらなって。そして、色んな地方の料理を覚えて、帰ってきたらウチの店のメニューにするんだ」
こう言えば、両親もばあちゃんも反対しないと思っていたが、予想通りだった。
「まあ、ロゼット様と一緒ということは、身の安全は保障されたようなものだが、肝心のロゼット様はどう思われるか……」
「そうだね。だけどロゼット様って、世間が思っているような神様じゃなくて、もっと寂しがり屋で危なっかしい方だと思うよ。僕が付いてお世話した方が絶対いいと思う」
昨日の酔い潰れた姿を見ている両親とばあちゃんは頷く。
ロゼット様は、酒を飲んだ時のように顔を真っ赤にして言った。
「まあ、ボクは構わないけど……」
こうして僕は、荷物をまとめて背負った。
「私が生きているうちに、必ず一度は帰ってきてね」
ばあちゃんの目に、涙が浮かんでいた。
「うん、約束する」
僕が言うと、ロゼット様もばあちゃんに言った。
「ボクも約束するよ。リッツには、もう一つ魔法をかけておくね」
ロゼット様が細い棒で頭上に円を描くと、ばあちゃんの上に金色の雪が降った。
金色の雪は、ばあちゃんに触れると同時に溶けて消えた。
「これでリッツとボクらは繋がったよ。リッツの心臓が異常に遅くなったり、逆に早くなったりしたら、ボクらに伝わるんだ。その時は多少の無理は覚悟で、転移魔法で戻ってくるから」
ばあちゃんは、涙を流して喜んだ。
父ちゃんと母ちゃんは、笑顔で僕を送り出してくれたのだった。
出発するにあたって、僕には会いたい人と会いたくない人が一人ずついたんだ。
会いたいのは、雌鶏通りのサマンサさん。僕の童貞を捧げようと思っていた人……。
この時間に雌鶏通りを通れば、たいてい草花に水をやるサマンサさんに会える。
僕は、ロゼット様にお願いして雌鶏通りに向かった。
「ねえ……こんなトコ歩いて、昨日の男がいたらマズイよ。爆裂魔法で自爆するしかなくなっちゃう……」
繰り返すが、このオドオドと僕の陰の隠れて歩くか弱い美少女もどきこそ、五〇年前に魔王を倒して人類を救った英雄の一人、最強の魔法使いことロゼット様である。
「大丈夫ですよ。港では仕事が始まっています。あの男、どう見ても湾岸労働者ですから、こんな時間にここにはいません」
「……ならいいけど……だけど、孫は童貞のくせに、何でこんな処に出入りしているのさ?」
通りを進んで行くと、娼館の庭では、やはりサマンサさんが草花に水をやっていた。
「サマンサさん」
「あら、こんな時間にどうしたのかしら。とっても美しいお嬢さんを連れて。だけど、ここはデートに相応しくないわよ」
「いえ、デートじゃなくて、こちらはロゼット様。ご存じと思いますが、最強の魔法使いで……」
僕が言い終わるのを待たず、サマンサさんは真顔で地面に膝を付いた。
「大変失礼致しました、ロゼット様。この町をご訪問中とは、噂で伺っておりましたが、まさかこんな汚らわしい所にお越し下さるとは……この上ない光栄でございます。よろしければ、中でお茶でも」
だが、ロゼット様は素っ気ない。
「いや、ボクは別に来たくなかったんだけど、孫がどうしてもって言うからさ」
僕は少しムッときた。礼を尽くす相手に、そんな言い方はないだろう。
「サマンサさん、ドレスが汚れますよ。どうか立ってください。ロゼット様に気遣いなんか無用ですから」
今度は、ロゼット様がカチンときたようだ。
「ええ? その言い方、ちょっとヒドくない? なんでボクには気遣いが無用なのさ」
僕は無視して言葉を続ける。
「実は、ロゼット様のお付きとして旅に出ることになりました。来年、学校を終えて働きだしたら、最初の給料でサマンサさんに童貞をもらって頂くつもりでしたが……残念です。でも、必ず帰ってくるので、それまでお元気で」
「まあ、この町を出て行くの? 寂しいわ。でも、逞しい男になって、戻って来たら私を指名してね。待ってるわ」
雌鶏通りから出た時、ロゼット様は機嫌が悪かった。
「ふーん、孫って、あんな乳牛みたいなオッパイの女が好きなんだ」
男なのに、なぜか巨乳に劣等感を持っているらしい。
面白いのでからかってみる。
「当然です。巨乳は男の夢ですから。ロゼット様は違うのですか?」
ロゼット様は僕の前に立ちはだかると、僕の胸をポカポカと叩いた。
「孫のウンコ垂れ! ボクは付き人になってくれなんて頼んでないからな!」
美しい顔が台無しの必死の形相で僕を叩くが、全く痛くない。本当にこれで魔王と戦ったのか?
「ごめんなさい、ロゼット様。謝りますから」
その時だった。
「アレ、浪漫亭んトコのせがれじゃねえか。カノジョと痴話喧嘩かぁ? なんじゃこりゃ、スゲェ美人じゃん!」
こんな時に限って会いたくない人に会う。ウエストフィールド商会のジュリアンさんだった。
相変わらず長髪がカッコイイ。僕の感が正しければ、ロゼット様はこんな野性的な男が好きな筈だ。
案の定、ロゼット様の頬がポッと赤くなる。
僕の胸の奥がイライラときた。
「カノジョじゃありません。こちらは有名な最強の魔法使いロゼット様。男! です」
男だと大きな声で強調したのに、ジュリアンさんはまるでレディに対するように片膝を付き、何とロゼット様の手の甲にうやうやしくキスをしたではないか。
「おお、ロゼット様。お目に掛かれて光栄です。噂通り、花よりダイヤモンドよりお美しい。私はジュリアン、この町の商人です。お見知りおきを」
「ジュリアンさん……見掛けはワイルドで、物腰はジェントルマン。ボクの好きなタイプだよ」
「それは嬉しいお言葉。見たところ旅支度をなさっているようですが、いかがでしょう、もう一日この町に滞在なさっては。私の家をご提供しますし、夕食は浪漫亭とは桁違いの高級レストランにご案内致しますよ」
なぜジュリアンさんに会いたくなかったか。それは、このモテ男が、女も男もイケる両刀使いだからだ。
昨日のオヤジは、美人でも男は無理だと言っていたが、この男は逆で、美しければ性別など関係無い節操無しなのだ。
こんな男の家に泊まれば、ロゼット様は確実にヤラれてしまう……というより、自分からジュリアンさんの寝室に忍び込むに違いない。
僕は必死でロゼット様とジュリアンさんの間に割って入った。
「残念ですが、ロゼット様は先を急ぐ旅の途中ですので」
そしてロゼット様の手を握ると、踵を返して強引に歩き出した。
「ちょっ……孫」
ロゼット様は驚いたようだが、僕に引かれるまま抵抗はしなかった。
後ろでジュリアンさんの声がした。
「せがれ! 旅から帰ってきたら俺んトコにも顔を出せよ! 一杯おごってやるぜ!」
振り返ると手を振っていたので、僕も振り返した。
敵わないなと思う。大人の余裕ってものなんだろう。
ジュリアンさんと比べたら、今の僕の態度なんて、まるでおもちゃを取られたくない子供だ。
ロゼット様がニヤニヤしながら言った。
「どうしたのさ、孫。もしかしたらヤキモチ?」
自分でも自分の気持ちが分からなかった。
ロゼット様が女だったら単純な片思いで、こんなモヤモヤした気持ちにはならずに済んだのに。
「そろそろ孫は勘弁してください。僕にはジェッツという名前がありますから」
僕はゴマカしたくて言ったが、ゴマカしたかったのはロゼット様ではなく、自分自身の心だったのかもしれない。
いつの間にか、故郷の町を見下ろす丘の上に来ていた。
ここから先、僕の行ったことのない道になる。
「さあ、旅が始まるよ」
ロゼット様は、そう言って歩き出した。
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