第2話 寝言
僕がなかなか戻って来ないので、ばあちゃんと両親が様子を見に来た。
「ロゼット様!」
ばあちゃんは叫ぶと、祈りをささげるようにひざまずく。父ちゃんと母ちゃんも、ばあちゃんの後でひざまずいた。
「本物のリッツ? うわぁ、おばあちゃんになったねぇ。後ろの二人はお子さんかな?」
「はい、娘のアレグアと婿養子のロレンツでございます」
見た目は僕と同じくらいの年齢にしか見えない魔法使いだが、人々の大変な尊敬を集めていることは、ばあちゃんと両親の態度でわかった。僕も慌てて床に膝を付く。
エルフは長寿で見かけでは年齢を計れない。
常識といえばそれまでだが、その常識を自分の目で確認できた人間はそう多くない。人間の寿命の方が先に尽きるからだ。
ウチのばあちゃんは、そう多くない人間の一人になった。
「ロゼット様は、五〇年前と何一つお変わりなく」
「変わってないのは見てくれだけだよ。中身はボロボロさ」
ロゼット様は、ばあちゃんの両手を引いて立たせた。
「それよりも、五〇年前の約束、まだ生きてる?」
「もちろんです。浪漫亭は、勇者様御一行をいつでも無料で歓迎致します。五〇年前に、私の父が約束した通りです」
「助かった! ボク、無一文で餓死寸前なんだよ」
「ささ、ロゼット様。こちらへどうぞ。五〇年前のあの席、ヘンデル様の落書きまで、あの日のままですよ」
ばあちゃんは、ロゼット様を窓際の一番広いテーブルに案内する。
「わぁ、ホントだ! この落書き、改めて見ると、ボクら四人の特徴をよく捉えていて、ヘンデルって芸術家だったんだね
「クスクス……ヘンデル様の優しさが伝わってくる絵です。何をお召し上がりになりますか?」
「五〇年前のあの日、ボクらが頼んだ料理を。もちろん、一人では食べ切れないから、リッツ達にも手伝ってほしいな」
「承知致しました。あの日の料理、今では当店の看板メニューなんですよ」
父ちゃんは意気込んで厨房へ向かい、母ちゃんは入り口に貼り紙をした。
『魔法使いロゼット様ご来店により、本日貸し切り』
だが、この貼り紙のせいで、路地は店内を覗き込もうとするヤジ馬で埋め尽くされる事になったので、早々と取り外された。
ロゼット様は、その小さな身体のどこに入るのかと思うほど良く食べ、良く飲んだ。
「ロゼット様、五〇年前はお飲みにならなかったですよね」
ばあちゃんは、空になった樽ジョッキを再び赤葡萄酒で満たし、ロゼット様の前に置いた。
「お酒を飲むようになったのは、ゼアートが死んだ時からだよ。アイツが飲めなくなったから、代わりに飲んであげることにしたんだ。ヘンデルが死んで、グリファムも死んで、どんどん酒の量が増えていった。今では、ボクの血液のほとんどが赤葡萄酒だと思う」
ロゼット様は、本当はそんなにお酒に強くないのだろう。エルフ特有の尖った耳の先端まで真っ赤だった。
「人間界で生きる年寄りのエルフに何人か会ったけど、みーんな気が狂ってた。何でだろうって不思議に思ってたけど、結局、愛する者との別れに対する耐性は、人間もエルフも変わらないんだよ。だから、長寿のエルフが短命な人間と暮らしていると、どんどん先立たれて悲しみの許容量を越えてしまうんだ」
ハーフエルフの寿命は二〇〇歳くらいだと言われている。人間が七〇歳くらいだから約三倍だ。エルフに至っては四〇〇歳くらい生きるという。
悲しみの許容量が人間と同じなら、確かに正気を保つのは難しいのかもしれない。
「だからお酒を飲むのさ。酔ってる時だけ、過去は永遠になる。ゼアートもグリファムもここにいて、ボクとお喋りしてくれるんだよ」
ばあちゃんは、穏やかな笑顔でロゼット様の話を聞いていた。
ばあちゃんは六五歳。じいちゃんに先立たれ、母ちゃんの兄にあたる叔父さんは、僕が生まれて間もない頃に船の事故で亡くなった。
もしかすると、生きるとは心を悲しみで満たしていくことで、人間としては長生きのばあちゃんだからこそ、悲しみの許容量ギリギリで生きているロゼット様を思いやることができるのかもしれない。
「ねえ、リッツ。リッツだけは先に逝ったりしないでね。ボクを一人にしないで……」
ロゼット様は、樽ジョッキの取っ手を握り締めたまま眠ってしまった。
「ねえ、ばあちゃん。ばあちゃんとロゼット様って、親友だったんだね」
「そうかい?」
「だって、親友でもない人に、ボクを一人にしないで、なんて言わないでしょ?」
「フフフ、どうだろうね。でも、お会いしたのは三回目よ。魔王討伐前と後、そして今日」
「たったそれだけ?」
「そう、たったそれだけ。だけど、出会いは回数や時間だけで計れるものではないの。たった一度の出会いが人生を変えることもあるし、毎日会っていても擦れ違うだけの人もいる」
僕は、ばあちゃんの言いたいことが何となくわかる気がした。
父ちゃんがばあちゃんに言った。
「ロゼット様には私のベッドで寝てもらいましょう。私は店の長椅子で十分ですから」
父ちゃんがロゼット様を抱え上げようとしたので、僕が止めた。
「父ちゃんは明日も仕事だし、僕のベッドで寝てもらうよ。父ちゃんには、今日店を閉めた分、頑張ってもらわないと」
「そうか、悪いな。それじゃあ頼むよ」
僕はロゼット様を抱え上げる。フワッと例のいい香りがした。
そして、驚くほどの軽さだった。
僕の気持ちが伝わったのか、ばあちゃんが言った。
「軽い?」
「うん、羽みたいだよ」
「不思議なものね。こんなに小さくて軽いロゼット様なのに、杖を一振りすれば、ラドリーフの町なんて跡形もなく吹き飛ぶわ。だけど、どんなに強い力を持っても、愛する者を失う悲しみには敵わないのね……」
僕のベッドに寝かせた時、ロゼット様は寝言を言った。
「……ゼアート、愛してる。ボクを抱いて……」
その目に涙が光っている。
僕は聞かなかったことにして、店に戻った。
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