魔法使いと旅に出てみた

@neko-no-ana

第1話 初恋

 少し寂れた港町。そこが僕の生まれた町、ラドリーフだ。

 魚がさほど捕れる訳ではなく、貿易が盛んな訳でもない。

 それでも、王都から北上するには、この町の港を経由しないと、恐ろしく険しい山脈を何日もかけて越えるハメになる。

 なので、それなりに町はにぎわっていた。

 商人、冒険者、兵士、吟遊詩人、僧侶、その他もろもろ。

 そういった旅人を相手に町は成り立っている。

 小売店や食堂はもちろん、パブや賭博場、そして娼館までもだ。

 チンコに毛が生え揃ったばかりの僕ら悪ガキは、その娼館が何件か連なる雌鶏通りに興味津々だった。仲間と用もなくブラついては、飾り窓のお姉さん達から声をかけてもらって喜んでいた。

「ボクちゃん達ぃ。仕事に就いたら、最初の給金は全部アタイのとこに持ってくるのよ。ぜーんぶ教えてあげるから。ぜ、ん、ぶ」

 巨大な乳房を揺らしながらこう言われて、その気にならない童貞がこの世にいるものか。

 僕らは、好みのお姉さんを物色しては、仕事に就いて初給金をもらった時のことを夢に見るのだった。


 もちろん、僕にもお気に入りのお姉さんがいた。みんなからサマンサと呼ばれていた黒髪の美女だ。

 サマンサは、他の娼婦以上に抜群のスタイルだったのに、なぜが胸やお尻を強調する服は決して着なかった。昼間はいつもにこやかに、掃除をしたり、草花に水をやったりしている。

 通りがかりの僕らにも、決して下ネタでからかったり、童貞である事を見下したりはしなかった。

「学校をサボってはダメよ。教育は決して裏切らないから。宿題も忘れずにね」

 これをサマンサ以外の誰かに言われたら、反発して逆に勉強なんかしなかっただろう。ところが、サマンサだと頑張っちゃうんだよな、これが。

 悪ガキ仲間にも、サマンサのファンは結構いた。僕らは勝手に、彼女は娼婦ではなくて娼婦達の教育係に違いない、と推測していた。でないと、あの溢れ出る気品と知性の理由が付かない。

 だが、それではお金で童貞を捧げられる相手ではないという事になる。

 しばらく皆で悩んでいたのだが、問題はアッサリと解決した。

 解決してくれたのは、この町で一番大きな商会であるウエストフィールド商会のジュリアンさんだ。

「そりゃあ、アッチだって商売だし、金さえ払えばヤラしてくれるさ。童貞なら病気の心配もないし、ウェルカムだろ」

 ジュリアンさんは男のくせに長髪なのだが、それがまたカッコいい。

「でも、サマンサさんは娼婦じゃないでしょ?」

「マダムか? 確かにただの娼婦ではないわな」

「マダム? 既婚者なんですか?」

「いや。表向きはともかく、現実的にはこの町の経済を支えている一人だからな、みんな敬意を持ってそう呼ぶのさ。だけど、オマエら童貞が何人がかりで挑んでも、きっと殺されちまうぞ」

「殺される?」

「天国行きってことさ。マダムはあの館のオーナーでな、大事な商品である女のコ達を守っている。何たって、王都からわざわざこんな田舎まで遊びに来る輩なんて、ドが付く変態ばかりだからな」

「ド変態……」

「そう、特に聖人様や君主様に多いぞ。オマエらには刺激が強すぎて言えないような変態プレイをご希望なさる訳だ。そんなリクエストを、マダムは一人で受けて立つんだ。並の女のコじゃ、壊されてしまうからな」

「あんな清楚なサマンサさんが、一体どんな変態プレイを?」

「娼婦に清楚って……まあいい、自分で稼げるようになったら、直接教えてもらえ。でもな、マダムって、もう五〇を過ぎている筈だぞ。初体験はもっと若いコの方が良くないか?」

「えっ? ウチの母ちゃんより年上……」


 そんな愛すべきラドリーフの町で、僕の家は曽祖父の代から『浪漫亭』という食堂を営んでいる。

 メインストリートから一本入った目立たない路地にあるのだが、お陰様でそれなりに繁盛していた。

 それは、『魔王を討ち取った勇者一行が、討伐の前後に進路を変更してまで立ち寄った食堂』という看板文句があったからだろう。

 だいたい事実らしいが、進路を変更してまで、というのは怪しいと思っている。

 店の前の路地を進むと、やがてメインストリートに合流するし、実はこっちの方が近道なのだ。

 近道を教えられて進んでいたら、たまたまウチの店があったので腹ごしらえ……真実は、きっとそんなトコだろう。


 勇者ゼアートとその一行が魔王を討伐して半世紀、世界は劇的に変わったとばあちゃんは言ってた。

 それまで人々は、常に死と隣り合わせに生きていたらしい。夜を恐れ、森を恐れ、隣人すら恐れて生きていたという。

 だが討伐後、人々は夜を楽しみ、森を慈しみ、隣人を愛するようになる。

「これも全て、勇者様一行のおかげなんだよ。それまで人は、生きるのがやっとだった。家族が食われても、友が食われても、それを悲しむ余裕すら無かった。明日は我が身だったからね……」

 ばあちゃんの言葉には、経験してきた者のみが持つ重みがある。

「……だけど、魔王がいない今は違う。昔みたいに、命さえあればそれでいい、なんて人はもういない。みんな生きていることを楽しんで、それが人間らしい生き方ってものなのよ」

 ある日の客の途切れた昼下がり、僕はばあちゃんに聞いてみた。

「勇者様一行って、どんな人だったの?」

「勇者ゼアート様はね、それはハンサムだったわ。背はそんなに高くないけど、青い瞳がきれいで、目が合うと吸い込まれそうになるほどよ。戦士グリファム様は、まるで筋肉のオバケね。だけど優しくて、当時王都で流行っていた髪飾りを私にくれたの……」

 実はこの話、幼い頃から何十回と聞いている。母ちゃんに至っては、もう何百回も聞いているだろう。

 だけど、いずれ僕が継ぐ店のルーツに関わるハッピーエンドの物語だ。何回聞いても飽きない。

「……神官ヘンデル様は、真面目そうな方なのに昼間からお酒を飲んで、あんなに飲んだのに、そのあと歩いて隣町まで行ったらしいわ。そして、魔法使いの……」

 その時、コンコンと入口のドアを叩く音がした。

「はーい!」

 僕が応えても返事がないし、入ってくる気配もない。

 別に鍵をかけている訳ではないのだが、燃料節約の為に照明を落としているので店休日と思われたのか。

「……ロゼット様はハーフエルフでね、その時すでに一〇〇歳を超えていたけど、見た目は一五、六歳の少女の様だった。本当に華奢で、風が吹いたら飛ばされそうなのに、あの身体でどうやって魔王と戦ったのかしら……」

 父ちゃんも母ちゃんも楽しそうにばあちゃんの話を聞いている。

 僕が仕方なくドアを開けに行くと、そこには風が吹いたら飛ばされそうなくらい華奢な美少女が立っていた。

 人形と間違えるほど完璧な美しさ、イタズラ好きの子猫の様な表情、それなのに深い悲しみを湛えた瞳。

 多感な時期を迎えていた僕は、ひとめで恋に落ちた。

 突然訪れた初恋に呆然としている僕を、少女は強く抱きしめた。

「リッツ? リッツだよね! ああ、久しぶり、半世紀ぶり。なんだ、リッツもエルフの血が混じっていたの? 全然変わってないじゃない」

 果物のような甘酸っぱい香り、抱き締め返したら割れてしまいそうな薄い胸。

「ま……まって、リッツは僕のばあちゃんだよ」

 僕は慌てて説明する。活発だったばあちゃんは、若い頃は男のコに間違えられるほどだったというが、本当らしい。

「えっ、そうなの? そうだよね。それにしても、リッツの若い頃に似てるなぁ」

「あの、その、君ってまさか、魔法使いの……」

 僕のパニックをよそに、おばあちゃんは向こうで楽しそうに話を続けていた。

「……でもね、一番ケッサクなのは、そんなロゼット様は実は男だったということよ。ロゼット様が女装して囮になり、魔物を誘き寄せるのが勇者様達の常套作戦だったの」

 ロゼット様は男……その言葉が僕の頭の中をハンマーのように叩く。

 美少女は、目が眩まんばかりの笑顔を浮かべた。

「うん、ボクはロゼット。よろしくね」

 僕の初恋が、誕生と同時に消えた。

 いや、その時は確かにそう思ったんだ。

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