第五話 アリア
雨が降り始めた。
森の中。流れる川に次々と雨粒が波紋を作っていく。流れる水は血と泥で濁っている。水面に浮かぶ剣士の骸には、首はなかった。
黒髪の少女。彼女は剣を鞘に納めると、川の中の歩いて行く。そして、彼の首を拾い上げて切り口をじっと見つめた。
「怪我はない?」
森の中から人が出てきた。剣士の女性。
「また一撃ね。苦しみはしなかったはずよ。」
おめでとう。そこまで言うと、剣士の少女に睨みつけられた。
「冗談よ。ルカは誰もが認める慈悲深い剣士よ。」
剣士の女性はそう言うと、ルカが拾い上げた首を河原に置かせ、彼女が脱ぎ捨てていた外套を着せた。
「雨が降ってきたね。」
剣士の女性はアリア。ルカと同じで「剣士狩り」の剣士。ここ二年間で何回か組まされていた。アリアは大人の女性だ。肩まで伸ばした、美しく波打つ黒髪に、少し緑がかった黒い瞳。人を虜にするような艶のある笑顔。根っからの世話焼きで、ルカもその対象だ。
「森に逃げたやつは仕留めたわ。」
ルカは森から聞こえる悲鳴で知っていた。
アリアは、片刃の大剣を使い、防御する時間を与えないほどの連撃で相手を撃つ。手足と胴体、頭を見境なく。
ルカは、アリアの剣技を好きにはなれなかった。撃つほどに悲鳴が聞こえるのが嫌だった。
森の中から数人の男女達が現れ、剣士たちの骸を片付けに取り掛かった。平民の姿をした、至って普通の農民。収穫した野菜の束を担ぐように、剣士の骸を運び出し、小枝を拾い上げるように、落ちた剣や剥がれた甲冑を集めて去っていった。
そして、最後に男が残った。姿は平民だが、その背筋は鉄の棒でも入っているかのように真直ぐに伸び、目に感情というものを感じさせない。
「監察官」彼女らに任を与える存在。
彼女達は王政府の外局にある「監察庁」に所属している。主として国内治安組織への監査を行うが、本来の役目は、国と剣士達の威光と誇りを汚す剣士の行動を監視し、事を起こす前に未然に摘み取る役目を担っている。
「剣士の国」は、多くの国に剣士を送っている。弱い国には安く、強い国には富を削ぐほどに高額な契約金で。
今日、狩った剣士達は、国々との契約金の情報を得ようとしていた。
「ご苦労。」
それだけ言うと、監察官は森へと歩き出した。
「楽な仕事だね。自分たちは手を汚さずに。」
監察官はアリアの皮肉を無視して、森の中へ消えていった。彼らは剣士を狩る彼女らを、仲間とは思っていない。彼らにとって、ただの駒にしか過ぎない。倒れれば、次の駒を持ち出すだけ。そんな世界にあって、「剣士を狩る剣士」達はこの仕事を誇りに思っている。
誰かがやらければならない。称賛する者は居ない、日影の存在。仲間である剣士に手をかける存在であっても。
雨水が水面と木の葉を、柔らかに打つ音だけが残った。アリアの愚痴を他所に、ルカは空を見上げる。そして、頬の傷をゆっくりと撫でた。ルカはアリアに、大雨になるかもしれないと言った。
「ルカの雨の予報はよく当たる。」
アリアはすぐに街道に出て、少し先にある宿場町に行くことを提案した。ルカがうなずく前に、アリアは彼女の手を引いて森に入り、山道を進んだ。
二人は暗くなる前に宿場町までたどり着いた。雨は強くなっていきていた。この雨でほとんどの宿は満室で、何件も回って一部屋だけ確保した。
幸い、建屋は年期は入っているが、気の利く主人がいる宿で、部屋着とぬるいが水場に湯を準備してくれた。二人は湯で体を拭くと、部屋着に着替え、濡れた服を部屋に干した。
飯屋はあったが、人が多いので止めた。ルカが嫌がるからだ。二人は食事は携行食を取ることにした。小麦粉と木の実、少しの砂糖を混ぜて焼き固めたもので、ほんのり甘い。水なしでもなんとか食べることが出来るし、怪我や病気で体力の落ちているときには、お湯に溶かしてスープにして飲むようにできている。
この辺では、よく出回っているものだ。今度、忘れずに買い足しておかねば。
アリアは荷物の中の携行食の残りを思い出していた。仕事が終われば当面は休みとなるが、急な仕事が入る時もある。何事も準備は欠かさない。そう思いながら、隣の少女に目をやると、二個目に手をかけていた。アリアは携行食に伸びる掌をはたき落とした。
暗くなったので、アリアはランプを借りに行った。良心的な値段だったので、二つ借りた。二人は武具の手入れと携行品のチェックが終わると、することがなくなった。
雨が屋根を打つ音だけが響く。
アリアは体を伸ばしたり、瞑想をしたりして寝るまでの時間を潰した。ルカは部屋の隅で剣を抱いて座り込んで、壁にもたれかかった。ランプの周りに蛾が飛んでいるのを、ぼんやりと眺めていた。
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