第四話 彼女の仕事

その日の夕刻。従卒がネリアの私室にルカを案内してきた。


「ルカ。来てくれてありがとう。同じ国の者として君の事を歓迎するよ。」


ネリアは従卒にルカを自分の大事な客と言い、上級仕官食堂の会食の準備するようにと指示すると下がらせた。

個室に上級仕官食堂。専用の馬。従卒。国とこの領地の契約にしては、破格の待遇だ。


「食事を準備ができるまで、ゆっくりしていてくれ。私の私室だ。遠慮はいらんよ。」


ネリアは長旅の埃を落とせと、湯も勧めたがルカは首を横にふった。剣士の国は荒野にあるが、温泉は豊富に沸いていた。剣士達にとって、”湯を張る”という感覚はない。そこら中に沸いているからだ。他国の人々にとって、お湯に浸かること貴重な水と燃料を消費する贅沢な行いだった。ましてや温泉に毎日浸かることなどありえない。


「そう緊張するなよ。」


ネリアはそう言いうと、旅の荷物を預かりお茶を入れて勧めた。新鮮で、柔らかな緑の香りが部屋中に広がる。白湯ではない、新鮮な茶葉のお茶。ルカは少し口を付けると、「美味しい」と呟いた。これも、庶民にとっては贅沢品だった。


ルカがお茶を楽しんでいる間、ネリアはルカをじっくりと観察ししていた。

細身の体は、自分より一回り小さい。黒髪に白い肌。肉体が、どのくらい鍛えられているのかは服を脱がしてみないと分からない。肌が焼けていないのは、国で派遣されるのを待ちながら訓練していない証拠。だから、剣士として働いていない。黒髪は珍しくない。後は頬の傷だった。一直線の傷。それなりに深かったように見えるが、手当をした跡はない。ネリアは、訓練で出来た傷だと、それ以上、勘繰ることはしなかった。


容貌から得られる情報は少ない。ネリアはルカの剣を見せてくれないかと言った。概ね、剣を見れば、どんな剣術を使うのかが分かる。相手を警戒するなら、剣は渡さない。しかし、ルカはお茶のおかわりをもらうと、「どうぞ」と言って自ら剣を差し出した。ネリアはルカが警戒していないのか、それとも、自分の剣技を知られても構わない。そんな余裕があるのかと考えを巡らせた。


ルカの剣。それは薄く、わずかに湾曲している片刃刀だ。精密さと速さを求めた剣術使いが好む剣。極めれば、一対一では無敵と言われるが、複数人を相手に、戦場で振るうには適していない。剣士の大半は、甲冑もろとも相手を切り裂く大剣を帯びている。ネリアもその一人だ。

しかし、彼女は刀身を見つめながら、その身が鏡の様である事が気になった。幾人も斬り、その度に研いできた。だから薄く、鏡の様になっているのではないか。


まさかな。こんな小娘が何人も斬ったとは思えん。


ルカは相変わらず、お茶を楽しんでいる。ネリアは剣を鞘に納めると、礼を言って剣を返した。ルカは「うん」とだけ言うと、彼女にカップを差し出して、お茶のおかわりを要求した。そんなルカを見て、ネリアは自分の考えがすべて杞憂だと思った。



従卒が食事の準備が整ったと伝えに来た。


「仲間との出会いを祝して用意させたよ。よく食べてよく飲んでくれ。」


香草の効い肉料理に、魚の焼き物。薫り高いスープ。旬の果物を砂糖に漬けたもの。どれも上流階級の食卓に並ぶものだった。


ネリアは食事をしながらルカと話した。年は17歳でネリアより6歳も年下だった。生まれはネリアの住んでいた町からは遠く、小さな田舎町だった。両親はおらず孤児院で育ち、今は官職について給金を得ていること。祖国から1か月歩いて旅をして、ここにたどり着いたこと。そんな話がとぎれとぎれだが続いた。どちらかと言えばネリアが聞いて、それにルカが答えるばかりだった。


話すことも尽き、沈黙が流れる。ルカは料理を半分も口運ばず、ご馳走様と言った。そんなルカを見て、ネリアは、口に合わなかったかと尋ねた。ルカは目を伏せて暫く沈黙したあと、こう言った。


「美味しい物を少し食べ、運動したら湯に浸かって、ゆっくり休む」


ネリアは贅沢だね、と返した。ネリアも食事を止め、酒をグラスに注ぎ一気に喉に流し込んだ。ルカにも酒をすすめたが、彼女は首を横に振った。

ネリアは空になったグラスを見つめている。縁に金をあつらえ、濁りなく透き通るそれは、蝋燭の灯りにかざすと、美しくきらめく。ネリアは溜息をつくと、聞かなけらばならないことをルカに尋ねた。


「官職とはなんだ。どうして、ここに来た。」


ネリアの問いに、ルカはただ一言「処分」とだけ答えた。彼女はそれを聞くと鼻で笑った。ルカに、誰の差し金かと聞いたが答えない。

ネリアは、持っていたグラスをいきなり、床にたたきつけた。そして、声を荒げて話し始めた。自分の生い立ちと、ここまでの苦労。国の体制批判。顔を上気させ。


堰を切ったように語られるネリアの話を、ルカは黙って聞いていた。そして最後にネリアは言った。私がお前を斬ったならどうなると。ルカはただ、自由になれると言った。

ネリアは大声で笑い始めた。それならお前を斬って自由になってやる。そして自由に生きてやる。そう高らかに叫んだ。従卒を呼びつけた。現れた従卒に練兵場を開けるように指示をすると、従卒は困惑の表情を浮かべたが、ネリアの「急げ」という言葉で、はじかれたように練兵場へ走った。


「ちょっとした運動さ。準備しな。」


ルカは頷くと剣を取り、ネリアの後に続いた。



ネリアは従卒に、誰も入れるなと指示をすると、練兵場の思い扉が音を立てて閉まった。後には二人と静寂が残る。二人は中央に歩み出てると互いに距離をとり構えをとった。ネリアは大剣を正中に構え息を整えるが、ルカは剣を抜く事無く半身になる。全ての力を地に落とすかのように佇んむと、ゆっくりと目を閉じ、柄に手を添えると腰をわずかに落とした。


構えるルカをみて、ネリアは鼻で笑う。彼女の頬の傷が、ほんのり赤みがかっている。それが、彼女にルカが緊張していると思わせた。


「人を斬ったことは?」


ネリアの問いにルカは答えない。彼女は気にせずに切先をルカに向けて構えた。ネリアの鍛えられた剣術は、ルカとの間合いを物ともせずに、一瞬で彼女の頭を叩き割る。しかし、ネリアの高まる殺気を感じないのか、ルカは微動だにしない。


”使い手のつもりか。なめやがって。”

”使い手なら、闇夜でも一瞬で相手の首を落とす。それは、剣の極みに立つ者の話だ。小娘ができることではない。”


互いの距離は縮まっていった。ネリアは音もなく、ルカににじり寄る。もはや、常人なら、剣を抜くことさえ叶わず斬られるまでに間合いを詰める。それでもルカは動かない。

ネリアは気味の悪さを感じた。目を閉じ呼吸の乱れもない。目の前のルカが、周りに溶け込み、消えていく感覚さえ覚える。


”私を狩りに来た。それなりの腕のはずだが”

”もしや、この娘は囮か”


ほんの少しの心の揺れ。彼女が剣に宿した力が揺らいだ瞬間、ルカの一閃がネリアの喉笛を襲った。

ネリアの手から抜け落ちた剣が床に落ち、教場に乾いた音を響かせた。彼女は両手で喉を抑えながら、膝から崩れ落ち、その場に座り込んだ。


”見えなかった”


傷口を押さえた手の隙間から、血がしたたり落ちてゆく。ネリアは止まらない体の震えの中、全身を覆い始める”終わり”を感じていた。


ルカは振りぬいた剣を切り返すと、跪くネリアのネリアの首を落とした。ネリアの首は胴から離れ、床に転がっていった。彼女の眼は見開かれ、視線の先のルカを見つめていた。


「ごめんなさい。」


ルカはそういうと、ネリアの瞼をそっと閉じてやった。




程なく練兵場に男が入ってきた。簡素だが仕立てのいい黒い服を着た初老の男。肌は浅黒く眉間の皺が深い。ルカは、無駄に苦しませてしまったと、男に言った。男はその言葉に何も返さず、ネリアの骸を一瞥すると、数人の男たちが現れて彼女だった物を運び出した。


「向こうも終わった。先方とも話はついた。我々はすぐに引き上げる。お前はどうする。」


ルカは宿で休んで、明日の朝に発つと男に言った。男は何も言わずに教場を後にした。血は拭き取られ、痕跡すら残っていない練兵場。見上げると、天窓にいつの間にかに月が現れ、その灯りが差し込もうとしている。


ルカはネリアが倒れた場所に、月の灯りが落ちるのを待たずに練兵場を後にした。

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