第14話 「第三話 さよなら、史香」13話:そして洋館の亡霊と忘れられない体験の件。

 


 僕たちはしばらくタクシーに揺られて、ようやく永井家の別荘に到着した。

 そこは高台にあるながめがよい立地で、麓の街からかなり離れていた。




「こ、これは……」




 僕は唖然とした。

 白亜の館とは、まさにこのことだろうと思ったのだ。




 永井さんの別荘は白い壁の二階建ての洋館だった。

 中央にある両開きの大きな扉から中に入ると、そこは天井が高く広いロビーになっていた。




 そしてソファのある応接セットがロビー左右にそれぞれ置かれている。

 更に見上げると、直径二メートルはありそうな重厚で巨大なシャンデリアがぶら下がっていた。




「すげーな……」




 大鷹が口をあんぐり開けて驚いていた。

 それは僕もまったく同じで、

 まるでヨーロッパの貴族屋敷にでも迷い込んだような錯覚を起こしたくらいだ。




 中央正面にある横幅が広い階段には毛足が長いフカフカな赤絨毯が敷かれており、

 そこを上り詰めると二階の通路へとつながっている。




「永井さん。この洋館は文化財かなにかなの?」




 僕は尋ねた。

 どう見ても明治時代あたりの文明開化の建築物に思えるからだ。




「違うわ。ここはそんなに古くはないの。

 確か昭和初期の頃の銀行家のお屋敷だったって話だったわ」




 聞けば当時財をなした財界の大物が、この土地にこの屋敷を作ったらしい。




「……使用人みたいな人がいるのか? 

 普段は使ってないんだろ? ずいぶん、きれいになってるな」




 大鷹が永井さんに尋ねた。

 確かに屋敷の中は隅々まで清掃が行き届いていた。




 もし使用人がいるとしたら大勢雇われているだろう。

 でも辺りには僕たち三人以外の姿は見えない。




「清掃業者の人に頼んでいるのよ。定期的に来てお掃除してくれてるの」




「そうなんだ」




「ええ。だからここにいるのは私たち三人だけ。

 料理も自分たちで作らなくちゃならないわ」




「ええっ! 俺たちで作るのか? 材料なんて持ってきてないぜ」




 大鷹が言う通りだった。




 別荘に泊まるとは聞いていたけれど、持ってきている食べ物はお菓子くらいだ。

 買い出しに行くにも麓の街までかなりの距離がある。

 そうとわかっていれば、途中のスーパーで買い物をして来るべきだったと僕は考えた。




「それは大丈夫よ。食材は厨房の冷蔵庫に用意されているから。

 お肉とか、お魚、野菜など一通りそろってるわ」




「なんだ。脅かすなよ」




 大鷹が心底安心したような顔になる。




「でもね、お酒はありません。あと煙草もダメ。

 お互い未成年なんですから、守るべきルールは守りましょう」




 そう言った永井さんの表情は、いつもの生徒会委員だった。




「「はーい」」




 遠足気分の僕と大鷹は、ちょっとふざけて返事をした。




「まずは、屋敷の中を案内するわ」




 僕と大鷹は荷物をソファに置くと、永井さんの案内でまずは一階から見学することになった。




 一階は主に応接室、書斎、食堂、厨房、浴室、遊戯室からなっていた。

 各部屋の作りは重厚で、歴史の重みを嫌でも感じさせる。




 そして適度の間隔で価値がありそうな調度品も数々置かれていた。

 もし棚に載ってる絵皿ひとつでも壊したら、とんでもない金額になるに違いない。




「一階は、ざっとこんな感じよ。で、泊まる部屋は二階になるの」




 そう言って永井さんは僕と大鷹を中央ロビーまで連れて行く。

 二階に上がるには、そこの大きな階段を使う必要があるからだ。




「この階段も金がかかってそうだよな?」




 手すりをつかんだ大鷹が僕に話しかけてきた。

 そこにはとても細かい手彫りの象嵌が施されている。




「だろうね。たぶん、ひとつひとつが腕の良い職人の手作りなんだと思う」




 そして僕たち三人は、一歩一歩、赤絨毯の階段を登り始める。

 靴がすっぽり埋まるほどの毛足の長い絨毯だった。




 ――そのときだった。




 背筋が、ぞぞっとする感覚があったのだ。なにか……、いる。




「ま、待って!」




 僕は、先頭の永井さんの袖をつかんだ。そして後方の大鷹にも先に進ませないようにする。




「な、なんなんだ?」




 大鷹が怪訝そうな顔で僕に尋ねてきた。

 永井さんもぽかんとした表情だけど、顔には疑問が張り付いている。




「な、なにかしら?」




 僕は、ふたりの顔をゆっくりと見回した。




「なにかいるんだ」




「な、なにかってなんだ? 俺たち以外に人がいるのか?」




「いや、違う」




 ……間違いない。

 僕の経験から、これは間違いなく……。




「幽霊だ」




「えっ……!」

 先頭に位置していた永井さんが、階段を数段駆け下りて大鷹の背後へと飛び退いた。

 その表情は、すっかりおびえている。




「……ほ、本当なのかしら?」




「うん」




 僕はうなずいた。




「……ま、まあ、相田が言うんだから、いるんだろう」




 大鷹が険しい顔で僕を見る。




 僕は階段の先を見上げる。

 階段を登り切ると、手すりに細かい彫刻が施された通路が両側、

 つまり屋敷のロビーを見下ろすように広がっている。その右側に気配が濃厚に漂っているのだ。




「か、かなり古い屋敷だもんな。出ても、おかしくはないな」




 大鷹が、つぶやくように言う。




「や、やめて。……私、何度もここに来てたけど、そんな話は一度もなかったわ」




 青ざめた顔の永井さんが、懇願するように僕を見る。




「仕方ない。大鷹と永井さんはここで待ってて。僕が確かめてくる」




 古い洋館に現れた幽霊。

 それは僕だって、とっても怖いのだ。




 でも僕は覚悟を決めた。

 今ここで、幽霊を視認できて渡り合えるのは僕しかいないのだ。

 僕は一歩一歩慎重に階段を登り切る。そして右の通路へと曲がり気配の方角へと突き進む。




 ――そのときだった。




 そこに後ろ姿を見せた小柄な少女の幽霊が見えたのだ。

 髪は肩までのショートヘア。ボーイッシュな印象を受ける活発そうな雰囲気だ。

 ……そして着ている服は……。




「……へ? も、もしかして……」




 僕に張り詰めていた緊張が一気に弛緩した。




「ふ、史香さん?」




 僕が尋ねると少女の幽霊は、くるりとこちらに振り返る。




「……わかっちゃった? 隠れたつもりだったのに」




 僕は一気に駆け寄った。

 そこには史香さんのまぶしい笑顔があったからだ。

 別れてからたった二日しか経ってないのに、僕には懐かしささえ感じられる。




「驚いたよ。幽霊の気配がしたから僕ひとりで調べに来たんだ」




「私も、びっくりした。

 ……まさか本当に万平くんが、来てくれるなんて思わなかったもん」




「僕ひとりで来た訳じゃないんだ」




「わかってる。あそこにいるのは、亜季と大鷹くんでしょ?」




 そう言って、史香さんは階段の途中で待っているふたりを指さした。




「おーい。幽霊は史香さんだった」




 僕は両手でメガホンを作ってそう叫んだ。




 すると、ええーっ、と叫び声が聞こえて、大鷹と永井さんが走ってきた。




「ふ、史香がいるのっ……!?」




 永井さんが僕の肩を揺さぶる。

 感動と興奮が混ざったようで、叫びながらも涙を浮かべている。




「うん。僕の目の前にいるよ。今、史香さんも泣いている」




 僕は永井さんと大鷹に、そう説明した。




「とうとう会えたな。でも姿が見えないのが残念だ」




 大鷹がそういうのはもっともだった。

 ここに位牌さえあれば、大鷹にも永井さんにも史香さんの明るい笑顔を見せることができるからだ。




「昨日、霊園に行ったんだ。そしたら史香さんの墓がなくなっていた。

 そして叔父さんの家にも行ってみた。そうしたら、すでに引っ越しした後だったんだ」




「そうなの。叔父さんが急な転勤になっちゃったんだって。私も全然知らなくて。

 ……気がついたら知らない場所にいたのよ。


 それで街中歩き回って、やっと生まれた土地だってことに気がついたの。

 これは昨日気がついたんだけど」




 史香さんは一気にそこまでしゃべる。




「気がついたら、ってどういうこと? いきなりT市に一瞬でワープしちゃったの?」




「ううん。目が覚めたら、ってこと」




 幽霊も寝るようだと僕は、初めて知った。

 てっきり一晩中起きているのかと思っていたのだ。




 僕が妙なことに感心していると、大鷹と永井さんが、せっついてくる。




「なあ、なにを話してんだ?」




「史香は、なにを言ってるのかしら?」




 僕は今のやりとりを大鷹と永井さんに通訳した。

 史香さんの姿と声は、ふたりには認識できていないからだ。




「やっぱり位牌がないと、東京までは来られないの?」




 僕は疑問に思っていたことを口にする。

 史香さんは電車に乗ることはできるのだ。

 その気になれば新幹線だって無賃乗車できると考えたからだ。




「うん。位牌からは、そんなに離れることはできなかった。

 せいぜい隣町くらいまでしか行くことができないの」




 やっぱり史香さんは位牌に拘束されている。

 叔父さんたちが肌身離さず位牌を持ち続けているので、

 位牌を叔父さんたちの手から入手することはできなかったと史香さんは言う。




「せめて位牌さえ手にすれば、私だけ東京に戻ることも可能だと思うんだけどね」




 ……やっぱり位牌は必要だ。僕はそのとき確信した。




「どうしてこの別荘で待ってたんだ?」




 大鷹が史香さんに質問する。




「そうよ。私もそれを不思議に思っていたわ」




 永井さんも同様に思っていたようだ。




「この屋敷には中学生のとき亜季に連れて来てもらったから、

 ここに来れば、なんとかなると思ったの。

 万平くんが亜季を説得して助けに来てくれると思ったから」




 僕はそれを通訳した。すると永井さんは納得顔になる。




「そう言えば史香をここに連れて来たことがあったわね。

 ……懐かしいわ。中学二年の時だったわね」




 聞けば当時、仲がよかったクラスメート女子たち数人でここに泊まったことがあるという。




「今度の冬休みには知美や千佳、梓も、ここに来る約束をしたの。

 だから史香もいっしょに泊まって、女子だけのお話をしましょうよ」




 永井さんがうれしそうに女子会開催の話をする。




「……でも位牌があって万平くんがそれを持ってくれることが条件になるよ。

 万平くんがいたらガールズトークにはならないじゃない」




 史香さんが笑いながらそう話す。




「そのときは、僕は黒子に徹します」




 僕が冗談を言うと、史香さんも永井さんも、そして大鷹も爆笑した。

 その後、僕たち四人はロビーのソファに座っていろいろな話をした。

 つもる話はいっぱいあったからだ。




 そして僕たち四人は、その後、食事を作ったり、

 それを食べたりして夏休みのリゾート気分を満喫した。

 もちろん幽霊の姿のままで実体化していない史香さんは、

 手伝いも食べることもできないので、おしゃべり専門だったけど……。




 そして夜。

 まだ早い時間だったけれど、楽しいおしゃべりは解散になり、

 それぞれ割り当てられた部屋へと行くことになった。




 僕と大鷹は隣の部屋。永井さんは向かいの通路側の部屋を選んだ。




「永井さんと同じ部屋にしなかったのか?」




 僕は大鷹にそう尋ねた。

「……お前は、なにを考えてるんだ。相手は生徒会委員なんだぞ」




 大鷹が真面目そうにそう答えた。でも僕が頬を軽くパンチすると爆笑する。




「亜季は、とにかくお堅いんだ。まだキスさえさせてもらってないんだぜ」




「永井さんらしい、って言えば、らしいね」




 そう言って、僕たちは互いの部屋のドアを開けた。




 部屋の中は、もちろんベッドがある洋室で、ベッド脇にサイドテーブルが置かれていて、

 そこに洋風の古風なデザインの卓上電気スタンドがあった。

 窓を開くとそれは絶景で、街の明かりが遠く一望できた。




 僕は、荷物をクローゼットに収めベッドに横になろうとした。




 そのときだった。

 史香さんが入ってきたのだ。もちろんドアは開けずにすり抜けての登場だった。




「ごめんね。形だけは、ノックしたつもりだったんだけど。触れないから音がしなくて」




「別にいいよ」




 そして僕は向かい合わせになっているソファに腰を下ろした。

 すると史香さんも同じく腰掛けた。




「本当に来てくれたんだよね。まだ夢みたい」




 そんな言葉を史香さんは口にした。




「永井さんに、すっかりお世話になっちゃったよ。

 こんなに甘えていいのかな? なんて、思っちゃうな。やっぱり」




「うーん。いいんじゃない。亜季は大鷹くんがいるんだし……」




「でも、部屋は別々だってよ」




 僕がそう言うと史香さんはクスクスと笑う。




「真に受けたの? 万平くん」




「へ?」




 僕は口をぽかんと開けた。




「どういうこと?」




「あの、ふたりのどっちかが、どっちかの部屋に行ってるわよ。今頃……」




「そ、そうなの?」




 僕は驚いた。

 そんな素振りを大鷹も永井さんも見せなかったからだ。




「でも、さっき、大鷹は、まだキスもさせてもらえないって言ってたよ」




 ……キス。

 僕は自分で言ってしまったその単語に反応してしまった。思わず赤くなってしまったのだ。




「……もう。万平くんって野暮なのね」




 そう言った史香さんだったけれど、なぜか下を向いてしまった。




「ど、どうしたの?」




「……ううん。なんでもない。なーんでもないよ」




 史香さんは、そう言って急に僕を見た。その瞳には僕が映っている。




「ええっ……」




 僕は、どぎまぎしてしまった。

 目の前には、ほんのり頬を染めた史香さんの顔がある。

 そして、ゆっくりと閉じられるまぶた……。




「……い、いいの?」




 僕は、そんなことを尋ねてしまった。




 ああ、いや、こういうときに男は……。ど、どうすんだ?




 そんなくだらない自問自答を、僕は瞬時に繰り返してしまっていた。




「……なーんてね」




 いきなり、史香さんのまぶたが、ぱっちり開かれた。

 そしてクスクスと笑い出す。




「ちょっと、チャンスって思った?」




「……へ?」




「キス」




「……う」




 僕は顔を背けてしまった。胸がどきどきして息が苦しい。




「冗談よ。冗談。

 ……だいいち、私たちキスできないじゃん。……触れないんだから」




 そう史香さんはつぶやいた。




「そ、そうだね」




 そう言えばそうだった。

 今の史香さんは姿が見えて会話ができるだけなのだ。

 冷静になってみればわかることなのに、十秒前の僕はそんなことも忘れてしまっていたのだ。




「ね、ねえ。そう言えば、位牌は今、どこにあるの? 新しい叔父さんの家?」




 ようやく落ち着いた僕は、目下最大の問題をようやく口にできた。

 今、大事なのは、そのありかだ。



 ……キスはその後だって十分だ。……い、いや、それがなくちゃできやしない。




「位牌は、お寺にあるの。浄明寺じょうみょうじって言うお寺なんだけど。

 私の骨を埋葬するときにいっしょに持って行って、そのまま預かってもらっているの」




 位牌は、やっぱり、お寺にあるのだ。

 お骨をお寺に持っていくのだから、位牌だけを自宅に残していく道理はない。




「そのお寺は、どこにあるの?」




 僕は史香さんに尋ねた。




「うん。街の中心にあるの。近くにお店がいっぱいあるから、観光客もいっぱい来るのよ」




「門前町があるんだ?」




「うん、そうなの。

 ……駅からは遠いからタクシーじゃなくちゃ行けないよ。でも大きくて、とっても古いの。

 だから、この街で浄明寺を知らない人はいないから、すぐにわかるよ」




「じゃあ、行くのは簡単なんだね?」




「うん。……さてと」




 そう言って史香さんは立ち上がった。




「帰ろうかな」




「えっ、どこに?」




 僕は、あわてて質問した。

 まだまだ話したいことが、あるからだ。




「お寺。私には墓場が、お似合いだから……」




 そう言って史香さんはドアへと向かう。

「じゃあ、また明日。位牌は明日、本家に届くみたいだから。そこで……」




「ちょ、ちょっと待って」




 僕は、勢いよく立ち上がる。

 そして史香さんを捕まえる。……いや、捕まえようとした手は、するりとすり抜ける。




「待ってよ。史香さん」




「なあに?」




 僕が引き留めるので、史香さんは立ち止まった。




「……もっと話をしようよ。夜はまだ長いしさ」




 僕は、こんな台詞を口走っていた。

 もちろん言ったことはでまかせではない。

 とにかく史香さんをこのまま帰しちゃいけないと思ったのだ。




「話? いいよ」




 史香さんは、そう言うと元の席に座ってくれた。




「どんな話をするの? 

 知っての通り、私は時間にも規則にもしばられないから、その気なら徹夜でもかまわないよ」




「以前に、僕が提案したことを憶えている?」




「提案? なんだっけ」




「うん。位牌のダミーを作ること。

 確か何万円もするし、作るのに時間がかかるから無理だって話してたよね?」




 史香さんは、ふと考え顔になる。




「思い出した。確かに言ったね。

 ダミーを作ってすり替えれば、大丈夫って話だよね?」




「そう。……あのときは史香さんの家が近くだったから、あわてなくてもいいと思っていた。

 でも今は違う。


 だから僕はダミーを作ろうと思う。アルバイトとかしてさ。お金が貯まるまで、

 ちょっと待ってもらうけど、必ず作ってみせるよ。

 そして位牌をすり替えて本物を東京に持ち帰りたい。……いや、絶対に、そうしたいんだ」




 史香さんは僕の話を静かに聞いていてくれた。そして口を開く。




「……ま、万平くんは、どうして、私に関わるの? 

 どうして、私にそこまでしてくれるの?」




「そ、それは……。僕が……、史香さんを好きだから」




 迷わず僕は宣言していた。

 いつから僕は、こんな勇気を手にしていたんだろう。




 いなくなって、初めてわかった史香さんの僕にとっての存在。

 それはとても大きなもので、もう史香さんなしに僕の毎日は、

 考えられなくなっているのに気がついていたのだ。




 だから告白した。絶対に史香さんを失いたくなかった。




「す、好き……? わ、私のこと……好きに……なってくれ……たの……?」




 史香さんは驚いた顔のまま固まっていた。




「うん。だいぶ前からずっと思っていた。

 僕は史香さんが好きなんだ。なんでも話せるし、いっしょにいて楽しいし」




 僕は脳天まで血が上っているのがわかっていた。

 呼吸も荒く、血圧も相当上がっているに違いない。




「……で、でも、私、幽霊なんだよ。死んじゃってるんだよ。

 生き返ることは絶対に、絶対に、ないんだよ……」




「それでもいい」




「学校には戻れないし卒業だってできない。

 ううん。それだけじゃない。結婚だってできないし赤ちゃんだって産めないんだよ。

 しあわせな家庭なんて、絶対に実現しないんだよ」




 史香さんは、一気にまくしたてる。




「それでもいい。それでもいいんだっ!」




 僕は負けじと叫び返す。




「近くに、いつもいてくれればいいんだ。そして、いろいろ話ができればいいんだ」




 史香さんは、そんな僕を無言で見つめていた。

 やがて、ゆっくりと口を開く。




「……私も万平くんが好き。とっても好き」




 史香さんが、さらりとそう答えた。

 僕は自分の耳を疑ってしまった。




 女子にとって街を歩くモブに過ぎない僕。

 人畜無害だけど毒にも薬にもならなくて、

 女の子からすれば話題にすらされることのないただのクラスメート。




 そんな僕に史香さんは、くれたのだ。




「……えっ! なんだって?」




 僕は馬鹿だから、思わず尋ね返してしまった。




「もう。……だから私も万平くんが大好き。いちばん好きなのっ!」




 史香さんは力を込めてそう叫んだ。




「あ、……ごめん。僕でいいのかな? 本当なのかな?」




「私は万平くんの、そういう勘違いなところも好き。

 本当はとってもやさしくて頼りになるのに、自分に全然自信がなくて、ほめられると戸惑っちゃう万平くんが気が好きなの……」




 史香さんは強いと思う。




 史香さんにとって僕は単なる通訳だとばかり思っていた。

 それなのに、こんなにも力強く僕に対して宣言してくれるのだ。

 もごもご口ごもってしまう僕とは全然大違いだ。




「ね、万平くん。やっぱりキスしてよ。キス」




 そう言って史香さんは少し見上げて僕を見て、ゆっくりと目を閉じる。




 僕はと言えば……、頭がかーっとなってしまうし、鼓動で胸が張り裂けそうだし、

 手も足もがたがた震えてしまっているしで大変だった。




「……う、うん」




 からからに乾いた口でようやくそれだけ返事をすると、

 僕は、ゆっくり史香さんの唇に口を合わせる。




 ……触感はない。

 でも僕には、史香さんのやわらかい唇が感じられた気がする。




 その体温、その気持ち……。

 そういう僕に対する愛情みたいなものが触れることもできないのに、

 なぜかはっきり感じられたのだ。




「……ふ、史香」




 僕は思わず呼び捨てにしていた。




「なあに?」




 そんな僕を許してくれて史香は返事をしてくれる。




「位牌。なんとかしようね。絶対に手に入れてみせるから」




「うん」




 僕と史香は、ゆっくりと離れた。そして互いに見つめ合う。




「……あ、思い出した。映画観に行こうね?」




「……あ、ごめん。チケット破り捨てちゃった」




「ええっ! どうしてっ!」




「だって、……もう会えないと思っちゃったから……」




「もう。とっても楽しみにしてたのに」




 史香はちょっとすねた。でも、その顔は笑顔だ。




「ごめん。なんとかするから」




「約束だよ」




 そう言って、史香は右手の小指を差し出してきた。

 僕は、あわてて小指をからませる。




 素通りしてしまう、指と指。

 だけど、約束はできた。




「……私、やっぱり、お墓に帰るね」




「ど、どうして? ずっと、ここにいなよ」




「ううん。

 ……今夜のことが、もったいないから。

 ずっと憶えていたいから。

 ひとりになってじっくり思い出したいから……」




 そう言って、史香は手を振ってドアをすり抜けて行ってしまった。




 ひとり残された僕だけど、不思議とさみしさを感じなかった。

 そして、ほんの少し前の史香とのやりとりを思い出して、

 胸が熱くなり、身もだえを起こしてしまう。




「なんて、すごい夜だったんだろう」




 そんなひとり言をつぶやいて、僕はベッドに横になる。




 今夜は眠れそうにない。興奮で全身がまだ熱っぽいからだ。

 だけど、僕は、いつしかまどろみ始め、やがて深い眠りへと落ちていったのだった。


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