第12話 「第三話 さよなら、史香」11話:そして僕は史香さんを求める旅に出た。
その夜。
僕は、大鷹の家の中にいた。大鷹の部屋で差し向かいに座っていたのだ。
大鷹の部屋は和室で、机も座卓という純和風な作りだ。
部屋には、スポーツ用品店からもらったと思える剣道の写真のカレンダーと、予備の竹刀。
後は、教科書と参考書、そして漫画が少々。見ると漫画も剣道物だった。
「なんだ? いったい、用ってのは?」
大鷹が、僕に尋ねてきた。
「うん。いっしょに、行ってもらいたい場所がある」
「いいぜ。別に、お前と行くならかまわない」
「……いや、大鷹と僕の二人じゃなくて、永井さんもいっしょだ。これは、永井さんからの提案なんだ」
「三人でか? 亜季もいっしょって、どういうことなんだ?」
「……史香さんを捜す旅だ。それも近所じゃない」
「遠いのか? どこなんだ」
「T市だ。岩手県なんだ」
「岩手か。遠いな」
僕が、こうして要件を切り出すと大鷹は腕組みして考え込んでいた。
「日帰りだったら、合宿はなんとかなる。
でもな、泊まりだと顧問や先輩が納得してくれるかどうか、わからないぜ?」
剣道部の大会は近いのだ。大鷹が悩むのも無理はない。
「お前自身はどうなんだ? 行ってくれるつもりは、あるのか?」
僕は、大鷹に問いただす。
「俺は、行ってみたいぜ。
……なによりお前の頼みではあるし、紅林さんには恩もある。
第一、亜季の親友だ。それに稽古も大事だけど、たまには息抜きしたいって本音もある」
「だったら、なんとかならないか? それが永井さんの条件なんだ」
「亜季も、賢いよな。
直接、俺に言ったら断るのがわかっているから相田に頼むなんてさ」
そう言って、大鷹は苦笑する。
「じゃあ、なんとかしてくれ。頼む」
僕は、大鷹に両手を合わせた。
せっかくつかんだ史香さんへの切符を逃したくはない。
「そうか。……でもお前自身は、どうなんだ?」
「僕自身?」
「ああ、そのT市に行けば紅林さんと会えるのは間違いないのか?」
「……それはわからない。でも、このまま、ただ待っててもなにも変わらない」
「そうか。……お前は、紅林さんをどう思ってんだ?」
「どうって?」
「気持ちだ。紅林さんに対する気持ちだ」
「好きだ。離れたくない」
僕は、はっきりと宣言した。
すると大鷹は、茶化したりおどけてみせることもなく腕組みをして目を閉じた。
その姿はまるで瞑想しているような感じに見えた。
「……わかった。ダメもとで、明日、顧問に頼んでみる」
そう大鷹は言ってくれた。僕は感謝を込めて大鷹の右手を握った。
「やめてくれ。まだ行けると決まった訳じゃ、ないんだぜ」
そう言って、大鷹は苦笑した。
そして僕は、その夜、自宅に戻ると永井さんに電話した。
永井さんは、大鷹の希望としては行きたいことを知ると舞い上がってしまったので、
回答は明日までわからないから、と僕は念を押しておいたのだ。
翌日。
僕は、なにか良いことをすれば願いが叶うかも、と思い、
早々と夏休みの宿題に取りかかっていた。
日差しはうだるように暑く、外には出たくないのも本音だったのだけれど……。
そして吉報は午後に届いた。
大鷹から電話があったのだ。
『……ったく。大変だったんだぜ。顧問と先輩全員の前で土下座したよ』
「ホントかよ。……それは、すまなかった」
『ああ、まあ、それは別にいいんだ。
でも理由も一切訊かずに顧問が行ってこいって、言ってくれたんだぜ。まったく、珍しい』
「あの、ゴリラが?」
『ああ、そうなんだ』
僕は剣道部の顧問の顔を思い浮かべた。
その顧問教師は、生徒たちにはゴリラとあだ名されている四角い顔のマッチョな体育教師で、
校則とか風紀違反とかには、めちゃくちゃ厳しい。
だから、僕たちの評判はすこぶる悪い。
でも、このときばかりはゴリラに心から感謝したのであった。
でも僕にはわかっていた。
申し出たのが大鷹なので、ゴリラも特例を出してくれたのに違いない。
ゴリラは大鷹の日頃の言動や服装、稽古の取り組み、
そして剣道の成績から許してくれたのだと思う。
熱血漢なだけに情にはもろい、と大鷹から聞いていたこともあるのだ。
「じゃあ、明日の朝に待ち合わせよう。時間は後でメールする」
『わかった。亜季には、お前から言っておいてくれ』
背後からは、竹刀の音が響いている。
大鷹は稽古の真っ最中に電話してきてくれたのだ。
僕は、すぐさま永井さんに電話した。
「大鷹が、行けることになったんだ」
『ええっ! 本当に。相田くん、ありがとう』
永井さんは、感激していた。
「いや、お礼をいうのは僕だから。行けるのは永井さんのお陰なんだから」
『ううん。大鷹くんを誘ってくれたのは相田くん。だから、これで貸し借りはなしよ』
こうして僕たちは、T市に行けることとなったのだ。
翌朝。駅前で僕たちは合流した。
僕が到着したときには、
すでに大鷹も永井さんも来ていたのだけど和気藹々とした雰囲気じゃなかった。
なんだが葬式にでも出かけるような重々しい顔つきで待っていたのだ。
「おはよう。なんだ、僕がいちばん最後だったんだね」
僕は努めて明るい口調で声をかけた。
それは、今回の外出がいちおう旅行であることから、
ややもすると重くなりがちな空気を少しでも緩和しようと思ったからだ。
史香さんに、まだ会えないって訳じゃない。
それなのに言い出しっぺの僕が暗い気分でいたら二人に申し訳ないと思ったのだ。
すると大鷹も永井さんも初めて笑顔を見せてくれた。
それは、おそらくたぶん僕の気持ちを読み取ってくれたからだと思う。
僕はと言えば、Tシャツにジーンズの平凡な夏服姿なのに、
永井さんは夏向きの帽子とワンピース姿で早くもリゾート気分だった。
それが似合っていて、とてもかわいらしい。
そして大鷹は……。
「大鷹。なんだ、そのジャージ姿は? 今日も、いつもの格好なのか?」
僕は大鷹に尋ねた。すると永井さんも僕に同意らしく、ため息をついている。
「ほら、相田くんにも言われたじゃない? やっぱり大鷹くんの服のセンスっておかしいのよ」
大鷹は、なぜ、自分が、そうまで言われなくちゃならないのかわからないようで、
自分のスポーツウェア姿を不思議そうに見下ろしている。
「そんなに変か? 動きやすいし汗かいても、すぐ乾くんだぜ」
大鷹は根っからのスポーツ野郎なのだ。
聞けば、服はいつもスポーツ用品店でそろえるらしい。
「旅行に行くときくらいは、別の店で買えよ」
僕は、手頃な値段でそれなりの服が買える大手量販店の名前をいくつかあげた。
この駅前にも店があり、僕はその看板を指さした。
「わかった。次は言われた通りにするぜ」
多少不満なようだけど、大鷹は僕と永井さんの意見を取り入れた。
そして、僕たちは在来線に乗って東京駅に向かった。
電車はそれほど混んでいなかったけれど、
並んで座れるほどは空いていなかったので、僕たちはつり革につかまっていた。
そして、会話はなかなか進まなかった。
あと何駅だね? とか、あとどれくらいかかるね、とか、そんな話しか、できなかった。
それは、電車の中の他人の目があるのも確かだけど、
やっぱり、今回の旅行は気の重い旅であることを僕たちに自覚させていた。
つり革に掴まる横並びで互いの顔が見えないので、
どうしても個人個人が思惑の殻に閉じこもってしまうのだろう。
そして、とうとう新幹線乗り場へと到着した。
僕はせっかくの特急なのだから、
せめて明るく振る舞おうとしてわざとはしゃいで見せた。
「東北新幹線は、初めてなんだ」
僕は大鷹と永井さんにそう話した。
すると、ふたりも同じで東海道新幹線しか乗ったことがないと言う。
僕は、大鷹と永井さんが僕に合わせてくれているのが良くわかった。
「あれ? 永井さんは、じゃあどうやってT市の別荘に行ってるの?」
「うん。私の家は、いつも車で行くから」
僕が質問すると永井さんはそう答えた。
そう言えば、永井さんの家にはドイツ製の立派な高級車が駐まっていた。
家族で行くのなら、そっちの方が快適なのかもしれない。
やがて僕たちは、新幹線『はやぶさ』に乗り込んだ。
そこから三時間ちょっとの長旅だ。僕たちが乗った車両は驚いたことにグリーン車だった。
そのせいか、夏休み期間なのに空いていた。これはありがたい。
「本当に永井さんには、つくづく感謝です」
僕は、深々とお辞儀をした。これは冗談ではなくて本当の気持ちだ。
「相田くん。それは言わない約束よ。お互い様なんだから」
そう言って永井さんは窓際の席に着く。
そして大鷹が永井さんの隣、僕は永井さんの正面だった。
「弁当、食おうぜ。弁当」
新幹線が走り出した直後に大鷹は駅で買った駅弁を広げ始めた。
まだ昼前である。
「もう、食べるの?」
永井さんが尋ねると、大鷹は、もちろんと胸を張る。
「俺は食いたいときに食うんだ。そのお陰でこの体格なんだ」
それは確かにそうかもしれない。
大鷹は僕と比べると十センチ近くも大柄で肩幅が広く、胸板も厚い。
僕と永井さんは互いに笑い合った。
僕は、会話が切れないように努力していた。
そして、それは大鷹も永井さんも同様だった。
「僕は親には今回の旅行は、誰と行くのか本当のことは言ってないんだ」
「誰と行くってことに、したのかしら?」
永井さんが尋ねてきた。
「うん。大鷹と永井
「じゃあ、私は、男の子ってことなのかしら?」
永井さんは、たのしそうな笑顔を見せた。
「うん。ごめんね」
「いいわ。だって、本当のことは言えないでしょ?」
永井さんは、別に気にしていないようだった。
「へえ、永井亜季と永井アキラじゃ一文字違いだな。よく考えついたな」
大鷹が大したことじゃないのに感心してくれる。
「俺は正直に言ったぜ。相田と亜季と出かけると言ったら、親父は全然平気だった」
「マジかよ?」
僕は驚いて尋ねる。女子同伴で、よくも許してくれたものだ。
「ああ、親父は俺と相田と亜季が三角関係だと早とちりで思い込んでいるようだ。
だから相田には負けるんじゃねえ、って言ってた」
にわかには信じがたい話だ。
でも本人が堂々と宣言したのだから間違いないのだろう。
「じゃあ、私も言うけど、今回は前にも話した通り、知美や千佳、梓と行くことになってるの。
みんな話を合わせてくれるけど、お土産と、
冬休みには、みんなを今回の別荘に連れて行くことが条件になっちゃった」
永井さんは口を押さえて上品に笑った。
「でもね。……両親にそのこと話したら。
……本当だったら、そこに史香もいた訳じゃない。五人で行けたらよかった。
……史香。会いたいな」
永井さんは急にしんみりとなった。
確かに本当だったら永井さんたちは史香さんも含めて仲良し五人組だったのだから、
今回がセンチメンタルジャーニーになってしまうのは仕方がないのだろう。
そして、それは僕も同じだからだ。
「行けば、会えるんだろう? ……ん、待てよ。でも、俺にはわからないことがある」
「なんだ? わからないことって?」
僕は大鷹に尋ねた。
すると大鷹は、考え、考え、意見を述べた。
「東京にいたときは紅林さんは位牌が自宅にあっても、霊園にも学校にも行くことができた。
だけど……、どうしてこの新幹線の中にはいないんだ?」
「そう、それは私も思ったわ。
私たちは仕方ないとしても、
相田くんには史香の姿がこの新幹線の中で見えてもよさそうじゃない?」
永井さんが僕を見た。
そして、大鷹も同様に僕に視線を向けてくる。
「うん。……これは僕の推測なんだけど、史香さんは位牌に束縛されている。
どうしてかと言えば位牌に魂が宿っているからなんだ。
……そして、以前にある実験をしたんだ」
「どんな実験なのかしら?」
「うん。それは僕が位牌を持って、
史香さんがどれくらい離れたら実体化できないかを試したものだった」
「うーん。つまり有効範囲みたいなものか?」
大鷹のその言葉に僕はうなずいた。
「そう。それは位牌に縛られている史香さんが、どこまで離れたら物に触れるかの実験だ。
物に触れるときは史香さんの姿は他人にも認識できる。
ただ条件があって、僕が位牌を持っているって言う場合だけだ。
史香さんが位牌を持っているときは、
物には触れられても僕以外の人からは姿はいっさい見られない。
……そして、僕が位牌を持って他人が史香さんの姿を見られるのは、
だいたい半径十メートルくらいだった」
「半径十メートルって、けっこう狭いわね。それ以上離れると、どうなるのかしら?」
「うん。そうすると僕以外の人からは、姿も、声も、いっさい認識できない。
……以前、体育館の裏での出来事を憶えてるよね?」
「……それって、俺が亜季に告白したときか?
あのとき、いきなり紅林さんの姿が消えちまったはずだ」
大鷹の顔は赤かった。そして永井さんは耳たぶまで真っ赤になっていた。
そのときのシーンを思い出したらしい。
「うん、それだ。
……あのときは僕が位牌を持ったまま、猛ダッシュで十メートル以上離れたんだ。
だから、大鷹と永井さんには史香さんの姿と声がわからなくなったんだ」
「待って……。
だとすると、今は史香の位牌は何百キロも離れたT市にあるから、
さすがの相田くんにも姿が見えないってことになるのかしら?」
「うん。……僕はそう思ってる」
「そうね。……でも、そうだとすると史香は今現在、位牌を持っていないってことよね?
自宅が引っ越ししても東京に居残っていればいいだけの話だもの。
ただいつまでも、相田くんのそばにいれば大丈夫だったはずだわ」
「うん。……とにかく位牌は史香さんの手にはない。
おそらく叔父さんたちが、持っているんだと思う」
「なるほど。わかったわ。
だから史香が東京の霊園にいない、そしてこの新幹線にもいないってことね?」
「たぶん史香さんはここにはいないと思う。いれば僕には見えるはずだから。
……だからこれは推測なんだけど、
史香さんは位牌から何百キロも離れた場所には行けないんじゃないかな?」
「待って。
……じゃあひょっとして史香は位牌に引っ張られる感じで、
T市に連れて行かれたってことね?
位牌といっしょに連行されてしまった感じ?」
「うん。そんなイメージでいいと思う。
居場所が位牌との距離と関係ないなら、位牌が引っ越し荷物として運ばれても、
いつもの霊園にそのままいたはずだからね」
「理解したわ。……じゃあやっぱり兎にも角にも位牌の確保が第一ね」
さすがに学業優秀の永井さんは頭の回転がいいと思った。
僕が言いたいことがすっかりわかってるのだ。
「……まあ、俺には、なんとなくしかわからないけど、なんとかなるんだろ?
なんたって相田は幽霊が見えるんだし、
紅林さんの本家ってやつもT市にあるんだろうしな」
「うん。お墓を改葬したってことは、
史香さんのお骨をT市の本家に持って行ったって考えるのがふつうだろ?
だから位牌もいっしょに……」
……っ!
僕はそこまで言って無言になった。嫌な予感がしたからだ。
「どうした? 相田」
「う、うん。……いや、僕の思い違いだ。たぶん間違いなく位牌はT市にある」
「とにかく着いたら、おじいちゃんに訊くわ。
檀家さんの住所は、みんな調べればわかるって話してたもの」
僕たちは手がかりは十分に持っていた。とにかく今は到着を待つだけだ。
そう言えば……。僕は自分でも不思議に思っていたことがあった。
それは永井さんとなんの隔たりもなく会話ができ始めていることだ。
考えたら以前の僕だったら真っ赤になって、しどろもどろの会話しかできなかった。
……史香さんのお陰だな。
そう思った。
僕は史香さんと仲良くなって、
そしていろんな話をすることで女の子に対する免疫ができたのに違いない。
……そう言えば史香さんも変わった。
幽霊になったばかりの頃の史香さんは、
生前の活発さからは考えられないほどに弱気になっていた。
だから以前はなにかにつけて僕に相談することが多かったのだけど、
自分で決断するようになっていた。
僕たちは、互いに成長したんだな。
そんなことを、大鷹や永井さんと何気ない会話をしながら考えていた。
……史香さんに会いたい。
本気で、そう思っていた。そして僕は自分の記憶の中の旅へと向かったのであった。
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