第10話 「第二話 学校の怪談話」【第二話 最終話】 09話:そして”命”は成仏する。
午前二時。
私と万平くんは再び校門の前で集合した。
今夜も万平くんは書道部の磯田くんにメールを出して、書道準備室の窓の鍵を開けてもらっていた。
「
「うん。来るよ。だって、彼女はあんなに成仏したがっているんだから」
私は校門の扉をすり抜けながら万平くんに尋ねた。
万平くんは扉を乗り越える途中で、柵の上でそう答えた。
今夜も警備システムは停止中で、校舎内を警備員さんの懐中電灯の光が動き回っている。
私と万平くんは校舎の裏に回り書道準備室の窓を、そっと開けた。
「……待ってたわ」
私と万平くんが準備室のドアを開けて書道室に入ると、すでに釈幸純さんは現れていた。
「……硯に墨をすっておいたの。後は書くだけ」
見ると紙もすでに準備ができていた。
彼女は正座して座卓に着くと、筆に墨をたっぷりとつけた。
「……不思議ね。これも相田さんのお陰かしら。
今日の私は身体にとても力が入るの。これなら心置きなく習字ができそう」
釈幸純さんの魂のアイテムである筆は、今は万平くんの手にはない。
でも、霊能力が強い万平くんが近くにいることで釈幸純さんにパワーが備わったようだ。
それは彼女自身の台詞でもわかる。
やがて釈幸純さんは筆を、すっと紙に落とした。
そしてなめらかに滑るように描いていく。
――その瞬間、周りの空気が凝固した。
私と万平くんと釈幸純さんの間には見えない壁があって、
断絶されていると思うくらい研ぎ澄まされた世界が形成されていた。
触れると、指が裂けてしまいそうな緊迫感。
書道とは、やっぱり真剣勝負だったのだ。
病弱で、生前はいっさいの運動ができなかった釈幸純さん。
その彼女が、今、激しく美しく書と格闘しているのだ。
……やがて、釈幸純さんは墨書を終えた。
その時間はわずか数秒。
でも、彼女の生き様そのものが、その時間に凝縮されているように私には思えた。
「……終わったわ。ありがとう」
一息ついた釈幸純さんがポツリとつぶやいた。
その言葉は思い通りの書を書けたことへのことなのか、
それともさまよっていたこの世との関わりについてのことなのか、私にはわからない。
――だけど、彼女は成仏した。
私がハッとした瞬間、釈幸純さんの身体がすき通り始め、
煙とも光とも形容しがたいフワフワとした形になったと思ったとき、
彼女の存在は、ふっと天へと昇っていった。
「……ね、ねえ、成仏したんだよね?」
万平くんに私は尋ねた。声はかすれて目から涙が止まらなくなっていた。
「成仏できたんだと思う」
万平くんは、そう答えた。
彼も成仏の瞬間は初めて見たとつぶやいた。
私と万平くんは、釈幸純さんが残した墨書を見つめていた。
「すごい迫力ね。なんか圧倒されそう……」
「そうだね。僕もそう思う」
そこには、ただ――命――と描かれていた。
紙の左下には、生前の名前である秋沢純子と小さく書かれてある。
「命。……どういう、意味なんだろうね?」
万平くんが、私に尋ねてきた。
「……釈幸純さんの願い、なのかな?」
私は、なんとなくそんな気がした。
卒業するまで命が持たないとお医者さんに言われていた彼女。
そんな彼女が、せいいっぱい生きた証であり、まだ生き続けたかった願いが込められているような、
そんな気がしたのだ。
私は、しばらく動けなかった。
私は、彼女の生き様を見た。
私は、最後の瞬間も見守った。
彼女が残した『命』という言葉。
それは、私がすでになくしたものだ。
だけど、そんな私にも『命』という言葉に込められた重さがわかる。
……いや、一度なくしたからこそわかるのだと思う。
そんなことを、しみじみとかみしめながら感慨にふけっていた。
そんな私に気をつかってくれたのか、
万平くんは、硯や、墨、文鎮などを準備室にひとりで片付けてくれていた。
「……筆はどうしようかな?」
万平くんが、私を見てつぶやいた。
「もう、その筆には、なんの力もないのよね。……もう、釈幸純さんの魂が入ってないから」
「うん。そうだね。……そうだ、今度、秋沢さん家に持って行ってみるよ」
万平くんの考えに私は同意した。
彼女にとってなんの意味も持たなくなったアイテムだけど、
釈幸純さんの遺族には大切な思い出となるかもしれないからだ。
こうして私たちの懸案事項のひとつは、無事に終了したのだった。
「……もうひとつの懸案事項は、どうする?」
書道準備室の窓を閉じて校舎の外に降り立ったとき、万平くんが尋ねてきた。
「私が、犯人を突き止める。そして、止めさせる」
私は、断言した。
もちろん、私の名前を勝手に語る偽手紙の件だ。
このときの私は、今までの私ではなかった。
それは、自分の最後を自分で締めくくった釈幸純さんに感化されたからだと思う。
とにかく、私には勇気があった。
それにもう学校には、私以外の幽霊はいないのだ。
怖くなんかない。
「史香さん。ひとりで大丈夫?」
万平くんは心配してくれた。
その気持ちはとてもうれしかった。だけど、これは私の戦いなのだ。
「うん、平気よ。……位牌を服の下に隠して、朝まで教室で待ち伏せるから」
私は作戦を説明した。
私は位牌さえ持っていれば、その姿を誰にも見せずに物に触れることができるのだ。
そして、位牌は服の中に隠してしまえば、誰からも位牌は見えない。
だから客観的に見て、私以上の探偵はこの世に存在しない。
どうしてかといえば、ただ犯行現場で堂々と待ち伏せすればすむ話なのだ。
「わかった。じゃあ朝になったら、また」
私の決意を知った万平くんは、すべてを私に預けてくれた。
私は、手を振って去っていく万平くんを、見えなくなるまで見送った。
「……よし」
私は、私を叱咤する。
そして準備室の窓を開けると校舎の中へと入っていった。
そして、階段を使って二階まで上がる。
途中、懐中電灯を持った警備員さんとすれ違ったけど、
もちろん、私の姿など見える訳がない。そして到着した二年三組。
私は、真っ暗な教室のかつての私の席に腰を下ろした。
時刻は午前三時を回っていた。
やっぱり、犯人は幽霊じゃない。私は確信した。
――変化があったのは、朝だった。
結果から言えば、犯人は簡単に見つかった。
まだ、誰もいない午前七時の教室に、辺りをうかがいながら入ってきた男子生徒がそうだった。
彼の名前は、大下くん。
以前、亜季に接近しようとして、大勢の前で私に大恥をかかされた相手だ。
彼はポケットから取り出した手紙を私の机に広げた。
……私がここに座っていることなんて、まったく気がつかずにだ。
その手紙を見た瞬間、彼の犯行意図が見えた。
文面には『二年三組の
思うに、彼は亜季と大鷹くんがいい仲になっているのをどこかで見て横恋慕していたのだろう。
そして恥をかかした相手であり、すでに死者となっている私を利用したのだ。
私は大下くんが去ったあと、その手紙を細かく裂いてゴミ箱に捨てた。
シュレッダーを使ったくらいに細切れなので、もう読まれることはない。
そのあとすぐに四組に乗り込んで、
ひとり座っていた大下くんのカバンを勝手に開けるとノートを取り上げた。
そしてシャーペンで、さっさと脅し文句を書き込んだ。
すると、大下くんは、目をまん丸にしたまま口をぽかんと開けていた。
当たり前だ。私の姿など見えないからだ。ペンが勝手に書いていると思ったに違いない。
数日後のことである。
「やり過ぎだよ。大下のやつ、もう三日も学校休んでる」
私がどんより空の霊園墓地でぼんやりしていると、万平くんが訪ねて来てくれたのだ。
「ふん。いい気味よ。自分でまいた種よ」
そりゃ私だって、ちょっと残酷だったと思う。
だけど、彼は許し難い罪を犯したのだ。それくらいの罰は受けて当然なのだ。
「……ま、お陰で学校の幽霊話は、ほとんど聞かなくなったけどね。
ちなみにそのノートにはなんて書いたのかな?」
「知りたい?」
私はちょっといたずらっぽく笑った。
「……
「署名は?」
「もちろん」
私は、うなずいた。
ただひとつ失敗だったのは署名には紅林史香ではなくて、
やっぱり幽霊には戒名の方がしっくりするせいなのか……。
「そうそう。今日は、ひとついい話があるんだ」
「いい話?」
「うん。書道部の磯田から聞いたんだけど、
釈……、秋沢さんの作品が、とんでもない出来映えらしいんだ。
顧問の先生が大興奮してしまって都大会レベルじゃなくて、
全国大会でも確実に入賞できるくらいの作品らしいんだってさ」
「そんなにすごいの」
私は『命』と描いた釈幸純さんを、思い出していた。
「ただ……、残念なのが、在校生の作品じゃないから出品できないらしい」
万平くんは、そうつぶやいた。
「そう。そうだよね。でも、釈幸純さんの願いは賞を取ることじゃないと思う」
「うん。成仏することが、目標だったんだからね」
それから私と万平くんは、風に吹かれるまましばらく黙っていた。
「……明日は晴れるかもね」
私は、西の空に少しだけ広がった夕焼けを見てそう言った。
万平くんは、静かにうなずいていた。
その日は、それでお終いになった。
だけど、それから大事件が起きた。
私は、そのことで万平くんの前から、姿を消すことになってしまったのだ。
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