第9話「第二話 学校の怪談話」08話:そして少女の正体が判明していく。


 

 翌日のことだった。

 その日は、朝こそ晴れ間が見えたけど、昼過ぎからは梅雨空になってしまった。

 

 

 

 私は、いつも通り墓場で空を見上げていた。

 そして数時間前の夜中の出来事を考えていた。あの女の子は大谷南高校の制服を着ていた。

 

 

 

 だとすると、間違いなくウチの学校の生徒な訳でなんで幽霊になっちゃったんだろう? 

 と、ぼんやり思っていたのだ。

 

 

 

 そんなとき傘を差した万平くんが、今日も訪ねてきてくれたのだ。

 時間は夕方。やっぱり学校帰りだった。

 

 

 

「今日は懸案が、ふたつあるんだ」




 万平くんは、そう話を切り出した。

 

 

 

「ふたつ?」




「うん。ひとつは夜に出会った幽霊の女子のこと。

そしてもうひとつは……、今日も、史香さんの仕業と思われちゃう手紙が見つかったこと」




「えーっ。またあ?」




 私は、げんなりした。

 夜の書道部での後始末をきっちりしたので、もう、私が犯人扱いされるとは思っていなかったからだ。

 

 

 

「うん。で、今日は永井さんを訪ねようと思ってるんだ」




「亜季を? どうして?」




「うん。まずは、幽霊の女子の正体を調べたい。

 幸い永井さんは生徒会委員だから、写真付きの名簿を見せてもらえると思うんだ」

 

 

 

「名簿? 名簿を見てどうするの?」




「僕は思うんだけど、最近、死んじゃった女子は史香さんだけでしょ? 

 だから、あの幽霊は数年前に死んだ人じゃないのかな?」

 

 

 

「あ、……そう言えばそうか」




 うっかりしていた。

 私が知る限り大谷南高校で死んでしまったのは私だけだし、あの習字の落書きは二年前。

 

 

 

 もしかしたら、それ以前から起こっている事件だったのを忘れていたのだ。

 そうだとすると、過去の生徒ということになる。

 

 

 

「うん。そういうこと。

 ……それにね、今朝、見つかった史香さんの仕業とされる手紙も永井さんが保管してるんだ」

 

 

 

「なるほどね。わかった」




 私は万平くんと霊園の丘を降った。

 今日も万平くんは傘を差しだしてくれたので、私はありがたく相合い傘のお供をさせてもらった。

 そして学校へと向かったのである。

 

 

 

 その途中。

 

 

 

「あ、位牌、いるかな?」




 私は万平くんに尋ねた。

 

 

 

「そうだね。もしかしたら必要になるかもしれないね。きっと、たぶん……」




「わかった。ちょっと、待ってて」




 私は自宅へと向かった。そして玄関ドアをすり抜けると自分の部屋へと登っていった。

 すると位牌はちゃんと机の上にあった。

 

 

 

 でも、クローゼットの扉が半開きになっていたので、のぞいてみると衣類のかなりがなくなっていた。

 見ると足下に段ボール箱が置かれていた。

 きっとこの中に整理されているに違いない。

 

 

 

 ……気にしても、しょうがないや。

 

 

 

 私は位牌を持って外へと向かった。

 

 

 

「お待たせ」




 私が、外で待たせていた万平くんにお礼を言うと、どういたしまして、と返事が返ってくる。 

 そして私たちは、他人から見ることができない奇妙な相合い傘で再び学校へと目指したのだ。

 

 

 

 学校は、今日も部活で熱心だった。

 降っているのが小雨だということで運動部のほとんどはグランドで活動していた。

 また文化部系は当然室内なので、熱心に部活をしているに違いない。

 

 

 

 私と万平くんは、今日も昇降口から校舎に入ったけど、

 今日は一階じゃなくて階段を使って三階まで登った。

 そこに生徒会室があるからだ。

 

 

 

 三階は主に三年生の教室が多い。

 受験に備えて教室で補習授業を行っている生徒たちの姿も目立つ。

 その様子を横目で見ながら私たちは、廊下を奥へと進む。

 

 

 

 そして、目的の生徒会室に着いた。

 万平くんは、ひとつ咳払いすると、おもむろにドアを開ける。

 

 

 がらりと開いた扉の前の万平くんに、生徒会委員たちの視線が集まる。

 みんなまじめな服装と態度から、ちょっとしたインテリ集団に見える。

 

 

 

 そして、今はどうやら休憩中のようだった。

 

 

 

「あのー。二年三組の永井亜季さん、いらっしゃいますか?」




 万平くんが、一同を見回して声を出す。

 すると、はい、と返事があって事務作業をしていた亜季が立ち上がるのが見えた。

 

 

 

「あれ? 四組の相田くん? どうしたの?」




「うん。ちょっと、永井さんに用があるんだ」




「ええ、いいわ」




 亜季は、呼ばれるままに廊下に出てきた。

 そのとき私は思った。

 

 

 

 私は昨日、大鷹くんと会ったとき胸が締め付けられるような感覚を一瞬覚えたのだけど、

 万平くんは亜季と会っても平気なんだろうか? 

 

 

 

 見ると万平くんは、そのことはなんでもなかったかのように、

 ふつうの笑顔で亜季を迎え入れた。




 万平くんは実は肝の据わった人物なんじゃないかと、

 昨夜の幽霊少女の件を合わせて私は思い始めていた。

 

 

 

「今日もあったって言う手紙の件で、ちょっと、話がしたいんだけど、時間、大丈夫かな?」




「あ、あの手紙ね。

 ……史香の仕業って言われてるものでしょ? 

 まったく、変な噂話する人が多くて困ってるのよ」

 

 

 

 私は、亜季のその発言がうれしかった。

 ここにも私が犯人じゃないことを信じてくれる人がいたのだ。

 

 

 

「永井さん。訳あって、ちょっと込み入った話になるんだけど、どっか場所ないかな?」




 万平くんが、亜季に相談した。すると亜季はちょっと考え顔になったけど、すぐに返事をする。

 

 

 

「そうね。そこの会議準備室はどうかしら? そこなら人が来ないわ」




 そう言って亜季は、近くの部屋を指さした。

 そこは会議準備室という立派な名前がついているけど、実はただの空き部屋である。

 その昔、生徒数が多かったときには教室として利用していたと聞く。

 

 

 

 亜季は、万平くんを案内して会議準備室に入った。そして机を挟んで差し向かいに腰掛けた。

 

 

 

「ねえ、手紙の話って、なあに?」




「うん。まず、その話の前に書道室の幽霊話のことは知ってる?」




「ええ、もちろん。でも今日は書道部に幽霊は出なかったって話ね。

 ……その幽霊も史香って噂になってるわ」

 

 

 

「うん。そのことなんだけど、昨晩……、っていうか、

 今日の午前二時に僕はその幽霊を確かめたんだ」




「……待って」




 亜季は、そう言って驚き顔になった。

 おそらく頭の回転がいい亜季のことだから、なぜ夜中に学校に忍び込めたのか、と、

 なぜ万平くんがそれを行う必要があったのかを疑問に思ったに違いない。

 

 

 

 すると案の定、亜季はそのことを突いてきた。

 

 

 

「相田くん。確かめたってことは、つまり、学校に夜中に侵入したってことよね?」




「うん。そうなるね」




 万平くんは、うなずく。

 

 

 

「それって、……あ、そうね。

 昨日から警備システムは工事中だから、できたってことよね? 

 

 でも、それって事の次第によっては、

 私は生徒会委員だから職員室にその件を報告しなくちゃならないわよ。わかってるのよね?」

 

 

 

「うん、そうなるね」




「そこまでしたってことは、よっぽどの事情があるってことだと思うわ。

 訳を聞かせてくれるかしら?」




 亜季は別にとがめようとしている訳じゃない。

 あくまで万平くんの事情ってものに興味を示したようだ。

 

 

 

「僕は、史香さんの疑いを晴らしたい。だから、夜中の学校に忍び込んだんだ」




「……ど、どうして? 史香を?」




「うん。それで確かめた。

 僕が見たのは別の女子生徒だった。それで永井さんに、その生徒を捜すのを手伝って欲しいんだ」

 

 

 

「……」




 亜季は、しばらく万平くんの顔をじっと見ていた。

 緊迫した場面だった。だけど私は亜季が相変わらず美人だな、なんて場違いなことも思ってもいた。

 

 

 

「……た、確かめたって幽霊のことよね? なぜ史香とは違う女の子って、わかったのかしら?」




 そう、亜季は重々しく万平くんに尋ねた。

 

 

 

「……うん。ここからが肝心なことなんだ。笑わないで聞いてくれるかな?」




「……いいわ。笑わない」




 亜季は大きく息を吸った。万平くんが大事なことを言おうとしているのが、わかったからだ。

 

 

 

「僕はね……。幽霊が見えるんだ」




「……ほ、本当なのかしら?」




 亜季は、宣言通り笑ったりはしなかった。

 だけど十分に疑いの視線を万平くんに向けていた。

 

 

 

「実は、ここにいるのは僕と永井さんだけじゃない。

 ……史香さんも、いるんだ」

 

 

 

「えっ!」

「ええええっっーーーーーー!!」




 私と亜季は、同時に叫んだ。

 ちなみに長く叫んだのは私の方だ。もちろん私の叫びは亜季には聞こえていない。

 

 

 

「相田くん。嘘じゃないのよね?」




「うん。……永井さんも一度、見てるでしょ? 史香さんを……」




 亜季は、ちょっと考え顔になると、やがて耳まで真っ赤になった。

 元が白い肌なので、その赤さは半端じゃない。

 

 

 

「……み、見たわ。……と、言うことは、あのとき相田くんもいたってこと?」




 亜季が言いたいのは大鷹くんに告白した場面のことに間違いない。

 

 

 

「うん。いた」




「……じゃあ、あれって幻じゃないのね? 本当に、本当に、本当に、史香がいるのね?」




「うん。いる」




 万平くんは、私を見た。私は思わずうなずいた。

 

 

 

「で、でも、私には見えないわ。……史香、いるのね?」




 私は亜季の手の甲を握った。亜季の小さくて柔らかい触感がある。

 

 

 

「……えっ!」




 亜季は、驚きの声をあげる。

 

 

 

「史香さん。位牌を」




 言われて気がついた。

 私は万平くんに位牌を手渡した。すると亜季の目がまんまるに見開かれた。

 その瞳には私の姿が映っている。

 

 

 

「ふ、史香っ…………!」




 亜季が、大きな声で叫んだ。

 かと思うと顔を両手を覆ってしまった。泣き出してしまったのだ。

 

 

 

「……亜季」




 私は、わんわん泣く亜季の両肩に手を添えた。

 

 

 

「私は、ここにいるよ」




「……うん」




 亜季は、泣きじゃくりながらもうなずいた。

 

 

 

 私はと言えば、ついもらい泣きをしてしまい、鼻をすする始末だ。

 

 

 

「……あ、あのー。史香さん? 感動の再会も大事だろうけどね」




 万平くんが話しかけてきた。それで私はようやく自分を取り戻した。

 

 

 

「あのね、亜季。

 私は万平くんが位牌を持ってくれると、こうして姿を見せることができるの……」




「……ふ、史香。私、ごめんね。史香の気持ち知ってたのに……。ごめんね」




 亜季は、私の話を聞いてない。

 と、言うよりも私に対する贖罪の気持ちの方が強いようだ。それはもちろん大鷹くんの件である。

 

 

 

「亜季。その件は全然、大丈夫だから……。

 私、死んじゃってるし、私、大鷹くんとの仲を応援してるし……」

 

 

 




「……本当に、ごめんね」




 亜季は謝罪を繰り返していた。そのことが、よほど悔いとなっていたんだろう。

 

 

 

「亜季。ホントに私、大丈夫だから。……それよりも幽霊の話だよ」




「そうね。……わかったわ」




 目を真っ赤にしたまま、ようやく亜季は顔を上げた。

 

 

 

「その幽霊が、誰かってことを知りたいのよね?」




「そう」




 私は答える。見ると万平くんも深くうなずいている。

 

 

 

「史香以外に最近死んじゃった女子はいないから、

 そうなると昔、この学校の生徒だったってことかしら?」

 

 

 

 さすがに亜季の頭は回転がよかった。私はうなずく。

 

 

 

「……卒業アルバムはどうかしら?

 ……そうね、ここ何年のかなら生徒会室にあるから、持ってくるわ。それに例の手紙も持ってくるわね」

 

 

 

 そう言って亜季は、会議準備室から抜け出した。

 

 

 

「……万平くん。亜季に私の姿、見せちゃってよかったのかな?」




「仕方ないよ。

 そうじゃないと話を信じてもらえないし、永井さんなら秘密にしてくれると思ったし」




「そうだね。うん、亜季なら大丈夫よ。私が太鼓判を押してあげるわ」




 そうなのだ。私と亜季は肝胆相照らす仲なのだ。

 そんな亜季が軽はずみで私のことを言い触らすはずがない。

 

 

 

「……そう言えば、永井さんは卒業アルバムを持って来るって言ってたな」




「うん、そう言ってたけど?」




「死んじゃったんだけど、写真、載ってるのかな?」




「そう言えば、そうだよね。

 ……でも、きっと丸枠かなんかで集合写真の隅に載ってるんじゃないのかな?」




 私もそのことは感じていた。

 だけど、集合写真の枠外に理由があった生徒の写真が載っているのはよく見かける。

 

 

「そうだね。……僕はてっきり丸枠は不良生徒で撮影日に休んだヤツだけかと思ってた」




「もう。ふざけないでよね」




 確かに、万平くんの言いたいこともわかる。

 だけど、卒業アルバムは思い出なのだ。途中で死んだ生徒だって載せてもらう権利はある。

 ……と、思いたい。私だって載りたいのだ。

 

 

 

「お待たせしたわね」




 亜季が戻ってきた。

 その手には十冊程度の卒業アルバムが乗せられている。

 そうとう重いようで途中から万平くんが手伝っていた。

 

 

 

「ここ十年ほどの分を持ってきたわ。それ以前となると、職員室にしかないのよ」




 亜季は、そう言った。

 

 

 

「ありがとう。だけど僕はそんなに古い生徒だと思わないから、たぶん、この中に載ってると思う」




 万平くんは、そう言う。そして私もそう思った。

 

 

 

「そして、これが例の手紙。見てくれる?」




 亜季が、手紙の束を差し出した。

 女特有の書体で『この学校の生徒を呪ってやる』『二年生全員を祟ってやる』などと、

 過激な文章が連なっている。

 

 

 

「……これ、絶対に私じゃないよ! だいいち、筆跡が違うもん!」




 私は断言した。

 確かに文末に私の名前が書いてあるけど、私の字とは、まったく似ていない。

 

 

 

「これって確かに女の字のように見えるけど、

 もしかしたら男が女の字体を真似て書いたのかもしれない」



 

 万平くんが突然そう言った。

 

 

 

「男の字なの? これ?」




 私は猛然と尋ねた。私はてっきり犯人は女とばかり思っていたからだ。

 

 

 

「男が、ふざけて女の字を真似すると、こういう丸文字になるんだ」




 万平くんが言うには、男同士で架空のラブレターを送るいたずらが一時はやったらしい。

 そのときの字体が、こんな風だったというのだ。

 

 

 

「でも仮に犯人が男の人だとしても、突き止めるのは難しいわ」




 亜季が腕組みしていった。確かに亜季の言う通りだ。

 

 

 

「せめて、もう少し情報があればな……。

 手っ取り早くだとすると、犯行現場を押さえるしか手立てはないよ」




 万平くんが、そう言う。おっしゃる通りである。

 

 

 

 そして私たちは、いろいろ話したが、

 この手紙についてはもう少し情報収集する必要があるということで一致した。

 議題は、これだけじゃないからだ。

 

 

 

「卒業アルバムの方を、見てみようよ」




 私は万平くんたちに提案した。

 それは、探し始めてから一時間くらい経過した頃だと思う。

 亜季は生徒会室に戻ったので、私と万平くんで手分けして探していたのだ。

 

 

 

「……いた。この人に間違いないと思う」




 万平くんが、そう断言した。

 見ると、確かに私の記憶とも一致する。

 

 

 

「……秋沢あきざわ純子じゅんこさんか……。五年前の三年一組の生徒だったんだ」



 

 秋沢さんは、当時の三年一組の集合写真の隅の丸枠におさまっていた。

 細面で髪が長く、今日の夜中の二時に見た少女に間違いない。

 

 

 

「……住所は暁町。割と近くだな」




 万平くんは、アルバムの後ろの方で住所を調べてそう言う。

 

 

  

「住所わかるの? 個人情報なのに載ってるの?」




 私は疑問に思ってそう尋ねる。

 まさか住所が卒業アルバムに掲載されているとは思わなかったからだ。

 

 

 

「うん。載ってた。

 ……たぶん五年前は個人情報漏洩云々は、それほど問題視されなかったんだろうね」




「そうだったんだ。でも住所調べて、どうするの?」




 私は、万平くんに尋ねる。

 

 

 

「うん。……行ってみようと思う」




「えっ! 秋沢さん家に?」




「そう。行けば、秋沢さんの幽霊に会えるかもしれないし、位牌とかもあるだろうし」




 私は躊躇した。

 同じ高校の縁があったとしても私たちはクラスメートでもなんでもない。

 万平くんが言いたいことはわかるけど、果たして入れてもらえるだろうか?

 

 

 

「う、うん。万平くんが行きたいのなら、私はいいけど……」




「そう。じゃあ、さっそく行こう。善は急げだ」




 そう言うと万平くんは卒業アルバムを片付けて生徒会室に持って行った。

 対応は亜季がしてくれた。そして事の詳細は万平くんが伝えてくれた。

 

 

 

 そして私と万平くんは秋沢さんの家に向かうことになったのである。

 

 

 

 ■ ■

 

 

 

 バスに乗る距離でもないので、私と万平くんは徒歩で秋沢さんの家に向かった。

 場所はもちろん校外なので、私の姿を見せても問題がないことから、

 位牌は万平くんの通学鞄におさまっている。

 

 

 

「ここだね」




 スマホで地図を見ながら到着したのは閑静な住宅街の一角だった。

 表札に『秋沢』とあるから間違いない。

 

 

 

 ちなみに、私の服は相も変わらず冬の制服だったのでブレザーを片手に持っている。

 

 

 

「はーい」




 と、返事があり、インターフォンから女性の声が聞こえてきた。

 

 

 

「あの。僕たちは、大谷南高校の生徒なんですけど秋沢純子さんを拝ませてもらえませんか?」




 万平くんが、来訪の理由を告げるとドアが開いてエプロン姿の初老の女性が顔を見せた。

 年格好から秋沢さんの母親に間違いない。

 

 

 

「あら? 大谷南高校の生徒さんってことは、純子の後輩なのかしら?」




 秋沢さんのお母さんが、そう尋ねる。

 

 

 

「はい。秋沢先輩は書道部でしたよね。それで拝ませてもらいたいと思ったのです」




「まあ、それは、それは」




 秋沢さんのお母さんは相好を崩して家の中に案内してくれた。

 

 

 

「……秋沢さんが、書道部ってのは、どうしてわかったの?」




「だって、書道部にしか出ない幽霊が書道部とは無関係とは思えないじゃん」




 私が小声で尋ねると、万平くんも小さな声で返答する。

 確かに万平くんの言う通りだ。

 

 

 

 私たちは仏間に通された。そこには黒檀でできた大きく立派な仏壇があって、

 秋沢さんの母親がりんをチーンと鳴らす。

 

 

 

「純子……。後輩の人たちが、わざわざ拝みに来てくれたのよ。よかったわね」




 私たちは、めいめいにお線香に火を付けてりんを鳴らした。

 

 

 

「……もう、五年になるのよ。

 もともと純子は身体が弱かったから、お医者さんから卒業できないかもしれない、って言われてたのよね」

 

 

 

 秋沢さんのお母さんが、しんみりと言う。

 

 

 

「ご病気だったんですか?」




 私は尋ねた。すると、秋沢さんのお母さんは深くうなずく。

 

 

 

「心臓がね。生まれつき弱かったの。

 だから運動は全然できなくて体育は全部お休み。それでも部活はしたいっていうから……」

 

 

 

「書道部に入部したんですか?」




 万平くんが秋沢さんのお母さんの言葉を受け取った。

 

 

 

「そうなの。

 ……でもね、最後は筆もしっかり持てなくなっていたのよ。

 だから、しっかりとした字が書けなくなっていたの……。

 

 もう落書きみたいなものしか書けないの。

 ……それでも純子は、まだ都大会に出展する作品を書きたいって無理して部活をしていたの。

 満足がいく作品を書きたかったのね……」

 

 

 

 そう言って秋沢さんのお母さんは、仏壇の引き出しから四つ折りにされた習字を見せてくれた。

 それを見た瞬間、私は息を飲んだ。

 

 

 

 おそらく万平くんもそうに違いない。

 そこには書道部の部室で見た習字と同じものがあった。

 墨がべったりだったり、かすれていたりして、字になっていない習字……。

 

 

 

「これが、純子の最後の作品なの。……まるで子供の落書きでしょ?」




 私は、そこで納得した。

 あの落書きみたいな習字は、最晩年の秋沢純子さんの作品なのに間違いない。

 彼女は命が尽きるまで、書道に精進したかったのだろう。

 

 

 

「あの、位牌を見てもいいですか?」




 万平くんが、お母さんに尋ねた。するとお母さんは仏壇の中に手を入れて位牌をひとつ渡してくれた。

 

 

 

「……この戒名って、なんて読むの?」




 私は、小声で万平くんに尋ねた。

 

 

 

釈幸純しゃくこうじゅん。ちなみに秋沢さんは浄土真宗だから、戒名じゃなくて法名だよ」




「あら、お若いのに、お詳しいのね」




 秋沢さんのお母さんは万平くんを驚きの顔で見ていた。

 

 

 

 万平くんが言うには、浄土真宗では死んでから付けてもらう名前を戒名と呼ばず、法名と言うことと、

 法名には必ずといっていいほど『釈』の文字が入るというのだ。

 

 

 

 訊けば万平くん家が浄土真宗で、おじいちゃんの法名にも『釈』の字が入っているという。

 ちなみに私の家は浄土宗だけど、この際どうでもいい。

 

 

 

「命日は、ちょうど今日なんですね」




 万平くんが、位牌を裏返してそう言った。

 見ると、確かに亡くなったのは今日の日付になっていた。

 

 

 

「そうなのよ。こんな日に、ちょうど後輩の方が来てくれるなんて純子は本当に幸せね」




 秋沢さんのお母さんは、本当にうれしそうだった。

 

 

 

 考えてみれば、釈幸純しゃくこうじゅんさんが亡くなって五年も経っているのだ。

 家族の中では、すでに吹っ切れているのかもしれない。

 

 

 

 ちなみに私が純子さんと呼ばないのは、

 すでに死者である私には法名である釈幸純さんの方がしっくりくるからだ。

 

 

 

「……ねえ、気がついた?」




 秋沢さんのお母さんが席を離れたときだった。

 万平くんが、仏壇の前の経机の下の陰の部分を指さした。

 

 

 

「ふ、筆じゃないの!」




 私は、小さくだが叫んでしまった。

 それは夜中の書道室で釈幸純さんが持っていた書道用の筆だと思われた。

 

 

 

「これで、つじつまがあったよ。この筆は、きっと秋沢さんの魂のアイテムなんだ。

 史香さんは、秋沢さんが書道室から出て行ったときのことを憶えてる?」

 

 

 

「へっ? なんのこと?」




「秋沢さんは書道室のドアを開けて出て行ったんだ。

 すり抜けたんじゃない。ちゃんとドアのノブをつかんで開けたんだ。

 ……それに、筆を持てなきゃ習字はできないよね?」

 

 

 

 言われて気がついた。

 確かに釈幸純さんは筆を持っていたし、ドアを開けて出て行ったはずだ。

 

 

 

「……これ、持って行こう」




 万平くんが経机の下にそっと手を伸ばした。

 

 

 

「大丈夫? ばれちゃうんじゃない?」




「たぶん大丈夫。家族にとって大事なものなら机の下に転がして置くわけがない。

 ちゃんと大事にしまっているはずだ。

 だからきっと、これは秋沢さんが持ち歩いているんだと思う」




 言われてみれば、そんな気がした。

 

 

 

「確かに、そうかもね」




 そして私と万平くんは、お礼をいって秋沢家を去った。

 

 

 

 そして、学校へと戻る道の途中の公園の中だった。

 

 

 

「……私に気がついてくれたのね」




 振り向くと釈幸純さんが立っていた。

 長い髪を持つ大谷南高校の夏の制服姿だ。

 やっぱり釈幸純さんの魂のアイテムは書道の筆で、それを万平くんが持つことで実体化したのだ。

 

 

 

 私は不思議な気分だった。

 目の前にいる女の人が幽霊だとわかっているのに、ちっとも怖くなかったのだ。

 それはたぶん、もうこの幽霊の正体が悪い存在じゃないってわかっているからだろう。

 

 

 

「秋沢純子さんですね?」




 万平くんが尋ねた。だけど、彼女はきょとんとしている。

 

 

 

「あ、あきざわ……? じゅんこ……?」




「しゃ、釈幸純しゃくこうじゅんさんですね?」




 改めて私が尋ね直した。

 すると、ぱっと笑顔になる。その顔はきれいだったけれど、どことなく弱々しく感じた。

 やっぱり生前病弱だったからだろうか?

 

 

 

「はい。釈幸純です。

 ……そう言えば……以前は秋沢純子って名前だったわ。懐かしい。……あなたたちは?」

 

 

 

光誉こうよ妙香信女みょうこうしんにょです」




 私は、あえて戒名で答えた。その方が釈幸純さんもしっくりくると思ったからだ。

 

 

 

「相田万平です。僕たちは、あなたの後輩にあたります」




「そう。光誉妙香信女さんと相田さん。私の後輩……」




 釈幸純さんは、どんより曇った空をまぶしそうに見上げた。

 

 

 

「……昼間に出るなんて久しぶりだから、空って明るいのね。

 ……私は、死んでからどれくらい経つのかしら?」

 

 

 

「もう、五年経つそうです」




 万平くんが、そう答えた。

 

 

 

「そう。……じゃあ、私は五年ぶりに誰かと会話したのね。

 本当に久しぶり……。相田さん、光誉妙香信女さん、本当にありがとう」

 

 

 

 そう言って、釈幸純さんは優雅に頭を下げた。

 

 

 

「……光誉妙香信女さんってことは、あなたも幽霊ってことね?」




「はい。私は死んでから二ヶ月しか経ってません。だから、幽霊としても後輩になります」




 私は、質問されたので、そう答えた。

 

 

 

「いいわね。相田さんていう理解者がいて。……私は、ずっと、ひとりぼっちだったから」




 そう言って、釈幸純さんは顔を曇らせた。

 

 

 

 私にはわかる。

 誰にも姿も声も気がついてもらえない毎日。

 

 

 

 たった二ヶ月でも、私は気が狂いそうなくらいの寂しさを覚えたのだ。

 釈幸純さんは、さぞかしつらかったに違いない。

 

 

 

「大谷南高校の書道部で、習字をしていたのはどうしてですか?」




 万平くんが、釈幸純さんにそう尋ねた。

 

 

 

「……ときどきね、書きたくなるの。それが、私の心残りだから」




 釈幸純さんの言う、ときどきというのは、毎年のこの時期なのだろう。

 幽霊になって長い時を過ごしていた釈幸純さんにとって、

 ときどきとは一年ぶりのことを指すのだと私は理解した。 

 

 

 

「それなのに、成仏できなかったんですね。どうしてでしょうか?」




 私は、釈幸純さんに質問した。

 

 

 

「成仏できないのは、習字に納得できないから……」




 釈幸純さんは、そう答えた。

 私は思う。確かに子供の落書きみたいな習字なら完成度に絶対に満足できないに違いない。

 

 

 

「……私ね、成仏したいの。もう、つらいから……」




 そういう彼女は、心底この世と別れを告げたそうだった。

 

 

 

「釈幸純さん、お手伝いできることはありますよ。

 僕が持っている、あなたの筆を燃やせば成仏できます」

 

 

 

 釈幸純さんは、驚いた顔になった。

 

 

 

「……そうなんですか? なら、お願いしようかしら?」




「ま、万平くん、ちょっと待って!」




 私は、万平くんを押しとどめた。

 

 

 

「それは、あんまりだと思う。

 釈幸純さんは満足できる習字をするのが心残りだったんだから、

 それをお手伝いした方がずっといいと思うんだけど。……ねえ、そうしてよ。お願いだから」

 

 

 

 私は万平くんに懸命に訴えた。

 五年も誰とも話せなかった釈幸純さんを成仏させるのに、

 そんな手っ取り早い方法だとかわいそうだと思ったのだ。

 

 

 

「そうだね。確かに、史香さんの考え方の方が正しいと思う。

 ……わかった。僕たちは釈幸純さんに満足できる習字をしてもらおうよ」

 

 

 

 万平くんは、あっさり折れてくれた。

 私は、そんな万平くんに改めて好意を持った。やっぱり万平くんは話せばわかる人なのだ。

 

 

 

「……そう。じゃあ、私の習字を手伝ってくれるの。……うれしいわ。本当にうれしい」




 そう言って、釈幸純さんはうつむいた。

 顔を両手で覆っている。……たぶん、うれしくて涙が止まらないのだ。

 その気持ちは同じ幽霊の私には痛いほどわかった。

 

 

 

 それから私たちは時刻を相談した。

 釈幸純さんが言うには、やっぱり草木も眠る丑三つ時である午前二時過ぎがいいらしい。

 そのときがいちばん身体に力が入るというのだ。

 

 

 

 私にはわかる。

 釈幸純さんは五年もの間、誰とも話せない幽霊だったのだ。

 それで幽霊としてのエネルギーが切れかかっているに違いない。

 

 

 

 それは、もともと病弱だった生前の身体とも関係しているのかもしれない。

 だから習字をしても文字がかすれてしまうのだ。きっと、それは間違ってはいない……。

 

 

 そして私たちは彼女の思いを遂げる作戦を今夜決行することになったのである。


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