第8話「第二話 学校の怪談話」07話:そして草木も眠る丑三つ時、私たちはその少女と出会う。
私と万平くんは、書道部にお礼をいって後にした。
「どう、思う?」
廊下を歩いているときだった。万平くんが尋ねてきた。
「去年もあっただけじゃなくて、一昨年もあったんだね」
「うん。毎年この時期になると、現れる落書き……」
万平くんは、私に向き直る。
「どう、思う?」
「うん。……やっぱり、幽霊の仕業だと思うけど」
「僕も、そう思う。
……そう言えば、史香さんは書道部の部室に入ったとき、なにか感じたって言ってたよね?」
万平くんは足を止める。つられて私も足を止めた。
「感じた。……なんて言うのかな? うーん、背中がぞくぞくってしたのよ」
「やっぱり。僕も同じように感じた。あれって、幽霊がよく出る場所ってことだと思う」
私は、顔がこわばるのを感じた。
「……やっぱり、そうだよね。……ねえ、万平くん。これからどうするの?」
「うーん。調査してみようかと思う」
「えーっ」
私には、嫌な予感がした。それで反射的に文句の台詞が出てしまったのだ。
「史香さん、どうしたの?」
「……ううん」
私は、返答に困った。……今さら、言えないよ。
「わ、わかったわ。で、どうすればいいの?」
私は、自分に言い聞かせた。万平くんといっしょだから、きっと、大丈夫。
「夜に落書きが書かれるってことだから、夜に、もう一度ここに来よう」
「ええっ。夜に!」
私はうろたえた。
私はもちろん幽霊なので、帰宅時間が拘束されている訳じゃないし、
誰にも姿が見えないのだから、誰にとがめられることもない。
困惑したのは別の理由だ。
「うん、だって夜じゃないと幽霊は現れないみたいだし」
「で、でも、夜は警備の装置があるから無理だよ。万平くんが見つかっちゃうよ」
私は食い下がる。
学校は夜になると警報システムが作動する。
もちろん不審者対策だ。だけど万平くんは涼しい顔だった。
「ところが、運がいいことに、今日から三日間はシステムは動作しません」
「な、なんで?」
「機械の入れ替え工事だって。今朝、ホームルームで知らせがあった。
システムが動作しない間は、警備員が巡回するんだって。
だから、警備員にさえ見つからなければ万事オッケーってこと」
「そ、そうなの?」
そう言えば、さっき、事務室の前を通ったときに工事をしていた。
あれは、きっとその工事なのだろう。
「そう言う訳だから、今夜、もう一度、学校に来るってことでいいよね?」
「……うん」
私は念を押されてしまった。でも、気持ちは正直なので戸惑いの声が出てしまっていた。
「ねえ、史香さん」
「はい」
万平くんが改まって尋ねてきた。
「史香さんは、なにかこだわりがあるのかな?
書道室にも行きたがらなかったし、夜の学校に来ることにも抵抗がありそうなんだけど」
私は、万平くんのその言葉に覚悟した。……やっぱり、言わなくちゃだめだ。
「あ、あのね。……実はね。……ちょっと恥ずかしいんだけどね」
「……」
万平くんは、真剣に私の言葉に耳を傾けている。
「わ、私。……幽霊が怖いのよ!」
「幽霊が、怖い?」
「そう。とっても怖いの。
……言ってることが変だと自分でもわかってる。私自身が幽霊なのに、幽霊がとっても怖いのよ」
「史香さん?」
「な、なに?」
「史香さんは、幽霊を見たことないのかな? もしかして」
「うん」
「でも、墓場で過ごしてるんでしょ?」
「うん」
答えて私は、うつむいた。
そうなのだ。私は未だかつて自分以外の幽霊と出会ったことがないのである。
「だって霊園ってお墓がいっぱいあるけど、みんな成仏してるんだもん。だから幽霊なんて私だけだよ」
「そっか。そう言えば僕もあの霊園で、史香さん以外の幽霊を見たことないな」
「でしょ?」
私は、私以外の幽霊と出会っていない。
街に出ても電車に乗っても、お寺や教会に行っても、全然出会ったことがないのだ。
「だ、だからね。正直に言うと、もう書道室にも夜中の学校にも来たくないの。……怖いから」
私は、思い詰めていたことを、はっきりと宣言した。
「うーん。じゃあ止める? 無理にとは、言わないからさ」
万平くんが、戸惑いながらそう答える。
私はその表情を見て、今までずっと疑問だったことを訊こうと決心した。
――なぜ、万平くんは……。
「ねえ、万平くんは、どうして私にこんなに関わるの?」
私は、問いかけた。
これは、今日に限ったことじゃない。万平くんは、いつもいつもこうだからだ。
「史香さん。このままじゃ悪霊扱いだってこと、わかるでしょ? それが僕には嫌なんだ」
「ありがと。……それはわかるけど」
「そう言うこと」
私は、なんだか万平くんにはぐらかされた気がした。
だけど、万平くんがすたすた歩き始めたので、この話はなんだか中断されてしまった。
私は、仕方なくついていく。
「ねえ、次はどこに行くの?」
「うーん。次は剣道部」
「えーっ? どうして剣道部?」
私には、万平くんの考えがわからない。
「大鷹が例の手紙を見ている。
永井さんから見せてもらったらしい。だから、もう一度訊いてみたいんだ」
「あ、そう言うことね」
私たちは剣道部がある道場へと向かう。
渡り廊下を通る。両側には大きな木々がうっそうと葉を広げていて、
そこから雨粒がしたたり落ちている。
そして地面には、大きな水たまりができていた。
やがて道場が近づいてきた。気迫のこもった声と竹刀が激しくぶつかる音が聞こえてくる。
「大鷹、いるかな?」
万平くんは、つぶやくと扉を開けた。
すると中から激しい熱気と裂帛の気合いが響いてくる。
私は中を見た。
道場はもちろん板張りで防具を着けた部員たちが、激しいぶつかり合いの稽古をしている。
ヤアーーっという叫び声と、踏み出す右足が床を叩く音。それが、道場の壁にこだまする。
「ちょっと、怖いな」
私の正直な感想だ。
あの中に飛び込んだら殺されるんじゃないか、と思うくらいの殺気がある。
そして、バシンッという打撃音。
それが、みんな面を付けているので誰が誰かわからない。
そのことが、いっそうの怖さを醸し出している。
「元々、武士の殺し合いが始まりだからね。格闘技はみんなそうだけど、近くで見ると迫力あるよ」
そう言って万平くんは道場の中へと入って行った。
そして隅の方で道着姿で素振りをしている下級生になにか話していた。
たぶん、大鷹くんを呼んでもらっているんだろう。
やがて下級生が奥へと向かい正座しているひとりの部員に声をかけるのが見えた。
そして面が外されて、その人が大鷹くんだとやっとわかった。
そして、大鷹くんが防具を着けたままで入り口まで来てくれた。
「相田。なんの用だ?」
頭に手ぬぐいを巻いて額に汗を浮かべた大鷹くんが白い歯を見せて笑顔で話しかけてきた。
瞬間、私の心はちくりと痛む。
すでに終わったと思っていた大鷹くんへの想いが、まだほんの少し残っているのを実感したのだ。
私は、自分に言い聞かす。
……大鷹くんとのことは終わったの。いい? 史香?
「うん。永井さんから例の手紙を見せてもらったんだろ? あの幽霊の手紙」
「ああ、あれか……。紅林さんの幽霊の仕業って言われているやつな。
俺は見たけど……。どうかな? あれ、紅林さんが犯人って訳じゃないと思うぜ」
私は、その大鷹くんの言葉に心底救われた。
みんながみんな、私が犯人だと思っていると考えていたからだ。
「どうして、そう思うんだ?」
「幽霊が書く、ってのが現実的じゃないし。
それに筆跡が紅林さんと違うんじゃないかな? その辺は俺よりも亜季の方が知ってると思う」
……亜季、か。私はすでに大鷹くんが亜季のことを呼び捨てにしていることに気がついた。
時は容赦なく流れているのを実感させられる。
「そうか。……で、その手紙は今どうなってるんだ? 捨てられちゃったのかな?」
万平くんが、大鷹くんに問いかける。
「いや。誰も気味悪がって捨てられないって。
呪われるって思い込んじゃって触ろうともしないから、亜季が持っていると思う」
「そっか。だとすると生徒会室か……」
「……相田。どうして手紙なんか気にするんだ?」
「ああ、ちょっと、訳ありでね」
万平くんは、腕組みして考え込んでいる。
亜季は生徒会委員だ。
だから、今なら生徒会室に行けば会えるのは間違いない。
たぶん万平くんが考え込んでいるのは、亜季に会って手紙のことを根掘り葉掘り尋ねたら、
逆にその理由を訊かれるのを、案じているのに違いない。
「でも、今日は亜季には一日中会えないと思うぞ。生徒会の会議が長引くってメールにあった」
「そ、そうか。わかった。ありがと」
万平くんは、お礼を言って大鷹くんと別れた。
「……こうなると、今日は手紙の件は打つ手なしだね」
「うん。……ねえ、亜季にメール出したら? 私、メアド知ってるよ」
「いや、いいよ。
忙しいだろうし、僕からメールが来たら驚くよ。誰に訊いたの? って話になっちゃうし」
「そうだね」
いっそ私の携帯電話からメールを出してみたいと思った。
でも、死者からメールが届くのは手紙以上に気味悪いだろうし、
第一、私のスマホは私の死後、叔母が解約してしまっている。
その後、私と万平くんは学校を後にした。
「今夜、学校に忍び込もうと思うけど、史香さんは、心の準備は大丈夫?」
「う、うん」
私は、すでに覚悟ができている。幽霊は怖いけれど万平くんといっしょなら大丈夫だ。
「時間は、いつ頃がいいのかな?」
「うーん。私みたいな幽霊なら年がら年中出没してるんだけど、その幽霊はどうなんだろうね?」
「……じゃあ、こうしよう。
昔から幽霊が出るのは、草木も眠る丑三つ時って言うから、午前二時にしよう」
「それ、あてになるの?」
「わからないよ。でも、ダメもとでいいじゃない」
そう言って、万平くんは笑顔を見せた。私は、その顔に安心した。
こうして万平くんは自宅へ。そして私は墓場へと向かった。
■
夜。午前二時。
私は墓場から抜け出して、それから都立大谷南高校へとたどり着いた。
人通りは誰もなく、ときおりヘッドライトを灯した自動車が私を追い抜いて行くだけだった。
雨はすっかりやんでいたけど空は星ひとつ見えないどんよりとした曇り空だった。
「お待たせ」
真っ暗闇の校門の前で万平くんが手を振っていた。
その姿は制服じゃなくて、Tシャツにジーンズだった。
それでもできるだけ夜に目立たぬようにするためか、上下ともに黒色だった。
「警備員がいる。今は一階を見回っているから、もう少し待とう」
校門の扉を乗り越えて校内に侵入した万平くんが言う。
私はと言えば、扉の柵を素通りするだけなので万平くんのような苦労はない。
「どうして、警備員さんがいる場所がわかるの?」
私は校舎を見て尋ねた。
「懐中電灯だよ。ほら、今光った」
言われて見ると、確かに一階の奥でライトが動いていた。
「おそらく、一階から二階、三階へと移動するはずだから、
二階へ上がったときが、侵入のチャンスだと思う」
私と万平くんは、警備員さんのライトを見ながら校舎の脇を進んで行く。
「万平くん、でも、どうやって校舎に入るの? 鍵がかかってるんじゃない?」
「うん。大丈夫。磯田にメールして窓の鍵、開けといてもらったから」
磯田くんは万平くんのクラスメートで書道部員の人だ。昨日の夕方会ったので、まだ私も憶えている。
そのとき、風が吹いた。
周りの黒々とそびえる木々の葉が、ざわざわと音を立てる。
……ひっ!
私は、怖かった。やっぱり、なんでここに来ちゃったんだろうと後悔してしまった。
でも、万平くんはちっとも怖がっていない。それがちょっと憎らしいけど、頼もしくもある。
「頼むから、開いてくれよ」
万平くんは、祈るような台詞をいいながら窓に手をかけた。すると、窓ガラスはがらりと開いた。
「書道準備室だな」
確かにそこは、書道部の準備室だった。
部室とドア一枚で隣接した、墨とか、硯とか、半紙とか、筆とかをしまう小部屋だ。
万平くんと私は、窓から中へ侵入した。
「真っ暗だね」
「史香さんは、よく見えるの?」
「ううん。万平くんと同じ。ぼんやりとしか見えないよ」
幽霊になっても視力は変わらない。ちなみに嗅覚も聴覚も、生きているときと同じようなものだ。
「とにかく、書道部室の方へ行かないと」
「そ、そうね」
私は返事をした。その言葉に万平くんは、書道室へと続く扉のノブに手をかける。
――そのときだった。
シャ、シャ、シャ、と、かすかな物音が聞こえてきたのだ。
……私は背筋が、ぞっとした。冷たい氷を押しつけられたように、背中に痙攣が走る。
「……ま、万平くぅん……」
私は涙声だった。
「うん。聞こえた。たぶん部室の中からだね」
万平くんは、怖くないのだろうか?
私と言えば恐怖で固まってしまっていた。なにかが絶対にこの先にいると確信したのだ。
「……たぶん、墨を硯ですっている音だろうね」
万平くんは、そうつぶやくとノブを握る手に力を込める。
「……ま、待って」
……心の準備が、できてないの! 私は叫び声をあげそうだった。
でも、万平くんは、私を見てひとつうなずくと、カチャリとドアを開けてしまったのだ。
……ひっ!
私は、思わず悲鳴をもらした。
部屋の中央の座卓に正座していて、身体が少し透けている少女の後ろ姿が見えたのだ。
少女は髪が長く、墨を硯でする度に肩と肩にかかる髪の毛が前後に揺れる。
脇目を触れず一心不乱に墨をすっているのだ。
「ま、間違いない。幽霊だね?」
「……う、うん」
万平くんの言葉に私はうなずいた。
「少し、様子を見てみよう」
「う、うん」
私は正直に言ってこのまま逃げ出したかった。
うわあっ、と叫んで、外へと飛び出したかった。
でも、歯を食いしばった。それは万平くんがいてくれるからだ。
やがて、幽霊の少女に変化が見えた。
墨をする手をとめると、筆を手にとって半紙に墨書を始めたのだ。
透けて見える手で、筆を走らせる。すっ、と。すっ、と。
そのときだった。
万平くんが口を開いたのだ。
「ねえ、なにを書いてるの?」
「……っ!」
……な、なに話しかけてるの!
私は、悲鳴をあげそうになった。気がつかれでもしたらどうするの? と思ったのだ。
すると、幽霊はゆっくりと振り向いたのだ。
「……あっ」
私は、思わず小さな声をあげた。
その幽霊は私が予想していた顔とちがって、まだ幼さが残るあどけない顔の美しい少女だったからだ。
……ちなみに私が想像していたのは、血まみれの顔か、般若のような形相だったのだけれど、
その少女の表情に悪意などまったくなかった。
ちょっとびっくりしたって感じのぽかんとした表情だったのだ。
そして、私は気がついた。
その少女が着ているのは、我が大谷南高校の夏の制服姿だったのだ。
「ねえ、君は、なにをしているの?」
万平くんが、やさしく話しかけた。
「……。……しゅ……じ」
か細い声で少女が答えた。
だけど、はっきりとした言葉にはなってない。
「君の名前は?」
万平くんが、続けて質問する。
すると少女は、すっと立ち上がり廊下の方へと歩き出し、
そのままドアをかちゃりと開けて姿を消してしまったのだ。
「行ってみよう」
万平くんが、私に声をかける。私はうなずくと歩き出した万平くんの後を追う。
「……やっぱり、あの子が書いてたんだね」
そう言って万平くんは座卓の上にあった半紙を持ち上げた。
私は万平くんの背中越しにその紙をのぞきこむ。
やっぱり文字になってない習字だった。
墨が濃い部分もあれば、かすれてしまっているところもある。
「これは僕が持っていよう。そうすれば明日、書道部員たちに見つからずにすむし」
「そうだね。……硯も戻した方がいいね」
「うん」
万平くんは習字の紙を四つ折りにしてポケットにしまい、墨や硯を準備室に戻した。
「……そう言えば、筆がないね?」
「ああ、言われてみれば、そうだね」
私と万平くんは、辺りを探してみたけれど筆だけは、どうしても見当たらなかった。
「しかし、……あの女の子は、どこに行っちゃったのかな?」
作業が終わったとき万平くんがそう言った。
「そう言えば、そうね」
私と万平くんはドアを開けて廊下に出た。
でもそのとき、巡回の警備員さんの懐中電灯の光が近づいてきたので捜索は中止となってしまった。
「まずは退散しよう」
「うん」
私と万平くんは書道準備室の窓から外へと出た。
そして窓を元通りに戻して校舎を去った。
先ほどまではどんよりと曇っていた空だけど雲の合間から少しだけ月が顔を出していた。
「明日は、晴れるのかな?」
校門を出たとき、私はつぶやいた。
「うん、どうだろう。晴れるといいね」
万平くんは、そう答えた。
私はなんだか満足していた。
幽霊の少女の正体は不明だけど、明日は私が悪霊扱いされることはないと思ったからだ。
――だけど、事件はまだ終わっていなかったのだ。
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