貨幣経済にとっての時空
ゆる哲学ラジオの#68「アインシュタインの功績は「家事労働の発見」に似ている」を見た。
そこではアインシュタインが時空という物理現象の場としてのみ認識されてきた時空こそ、物理学の本懐であることを発見した、と位置付けた。
その関連において、マルクス主義フェミニズムが、家事労働が透明化されてきた、そして今なお掬い上げられていない状況について紹介していた。
この話を聞いて私の胸には、ある事実が頭を過ぎった。
それは損害賠償の金額算定である。具体例を挙げよう。
同じ大学に通う男子学生、女子学生が車に撥ねられて亡くなったとき、それぞれのご遺族はいったいどれほどの金額を損害賠償を通じて得られるだろうか?
そこに差は生じるのだろうか?
逸失利益とは、その人が生きていれば稼げたであろう金額を意味する。
慰謝料とはまた別物であることに注意されたい。
換言すれば、両者の成績は概ね同じであると仮定されたとき、また、大企業の御曹司、ご令嬢等の特殊な条件を帯びていないと仮定したとき、遺族が受け取ることのできる逸失利益は同じになるだろうかという問いだ。
残念ながら女子学生のご遺族は、男子学生のご遺族ほどの逸失利益を受け取れないことが多いはずである。
まだ就職していない者の場合には、参考となる数値が存在する。
稼ぎの平均は、男性平均、全体平均、女性平均の順に高い。男女で平均余命に違いがあるとはいえ、亡くなった者が女性の場合、同条件の男性のほうが逸失利益が大きくなる。
これは民法の領域であり、裁判上も学説上も議論されている話題ではある。
敢えて底意地の悪い表現をするならば、加害者にとって女を死なせた方が安くつくという状況にも見える。
これは民法の本意でも目的でもないことは申し上げておくが、そのようにも見えてしまうこと、また、残された遺族にとってはより切実にそのように感じられてしまいがちであることは否定できない。
民法の想定するところは、急遽として発生してしまった加害者と被害者という関係を元の赤の他人に戻す作用として、どれほどの金額を払わせるのが妥当かという論理で機能するし、これは理性的には妥当せざるを得ない。
そのことは死なずに済んだ場合を考えれば明らかである。
月給20万円のサラリーマンを1月入院させたことで、稼げなくなった分の給料は、加害者が払うべきだろう。であれば20万円を支払うべきことになる。
一方、月給が100万円だった場合はどうだろうか?当然100万円と言うことになる。
今回のケースで重要なのは、まだ働いていないから指標を社会の労働状況に求めるほかないこと。そして、社会においては男性の方が仕事をしている都合、給与平均に男女差が出てしまうことになる。
実務の上では、男性が亡くなったとき、男性平均を用いる。女性が亡くなったとき、全体平均を用いるのが通例であるようだ。
ここで、男女差が生じる。
しかし、マルクス主義フェミニズムの指摘を理解する上で、自身もフェミニストである必要は欠片もない。
陳腐なテレビ番組で「ニホンスゴイ」系のものがあり、そのなかで電車の正確性を取り上げられることも多いのだが、いったい誰が運転士の弁当を作り、遅刻しないように起こし、ネクタイを締めていただろうか。
もちろん、独身の者もあるだろう。
しかし、転勤族の夫についていき、1日のほとんど家を空け、「風呂、飯、寝る」の3つさえ言えればまた翌日仕事に行ける状態までに回復させたのは誰か?という視点は常に持たねばならないだろう。
単身赴任、転居を伴う配転命令の違法性についての議論が起こり始めているが、いわゆる「内助の功」は果たして夫だけが享受していたのであろうか。
これらの企業は従業員たる夫のみならず、妻の労働力をも買っていた。
(なお、ILOは、労働は商品じゃないと言っているので、一応補足しておくと、価格決定メカニズムが通常の商品と同様なので、この意味で買うと言っている。)
ここで見つめるべきは、やはり貨幣的測定の公準が家事労働に及ばないことに尽きる。家事労働の金銭的評価は極めて煩雑で難しい。レストランのメニューには値段が書いてあるが、家事には値札が付けられないからである。
かつて、妻の料理が家で待っていることによって、脱商業化された健康的な食事が待っていた。
(旨いものは脂肪と糖でできているというCMが頭を過ぎるが、これに加えて塩も重要なファクターだ。
美味しい、また食べたいと渇望するだけの料理を作るためのコツは存外簡単で、砂糖、塩、油脂の量に躊躇しないことである。
例えば、ケーキのレシピにある砂糖の重さを実際に計ってみるのが一番だ。
愕然とするはずだ。あの一口にこれだけの砂糖が詰まっていたのかと。)
概して、美味しいものは体によくない。心には良いものであるだけ残念だ。
この健康的な食事は、健康保険料を格安にしてくれたのではなかっただろうか。心疾患を低下させては来なかっただろうか。子どもの心身の発達を支えてきたのではなかったか。
現在の貨幣経済や経済学では、この重大な効用を測定できないという事実は忘れられるべきではないだろう。
今回は食事のみを例示としたが、これらの効用はマクロにも顕著な影響を与えるほどの威力を持っているはずであるが、それが潜在化したままの指標が裁判で使われているという認識は持っておくべきだと思う。
では、逸失利益の算定においてどうすべきかという結論になるなるが、家庭内で発生している価値を金銭的に計量することは難しい。
よって、金銭的に評価されている労働も男女の共同の成果物と言うことで、女性にも男子平均を使ってしまうのが、暫時の目安として妥当するのではないだろうか。
不完全な指標であると正面から認めた上で、用い方を変更するのが良いのではないだろうか。
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