ハンマーヘッドシャーク宣教師
春雷
第1話
ノックの音がした。
正確に言えば、6回ドアがノックされたのち、チャイムが鳴った。
ふいに目が覚めてしまい、キッチンで水を飲んでいた私は、ケータイで時刻を確認した。朝の4時。誰かが訪問するには早すぎる時間帯だ。一体誰だろう。
疑問を胸に抱えながら、私はドアを開けた。
そこには、ハンマーヘッドシャークがいた。
どっからどう見ても、ハンマーヘッドシャークだった。ハンマーヘッドシャークがスーツを着て、そこに立っていた。二足歩行のハンマーヘッドシャークだ。生でハンマーヘッドシャークを見るのは初めてだったし、直立しているハンマーヘッドシャークを見るのも初めてだった。
私は寝ぼけているのだろうか。
ベタに頬をつねると痛い。おそらく夢ではない。ならば目の前に広がっているのは、夢みたいな現実だ。
ハンマーヘッドシャークが、朝の4時に、一体何の用があるというのだ。
「私は」と、ハンマーヘッドシャークは言った。「宣教師です」
ハンマーヘッドシャーク宣教師かよ。何だ、ハンマーヘッドシャーク宣教師って?
「グラタンぺろぺろ教の教えを広めておりまして」
何だ、グラタンぺろぺろ教って。変な宣教師が、変な教えを広めに来た。頭が痛くなってきた。頭がおかしくなりそうだ。もうすでになっているのか?
「グラぺろ教というのはご存知の通り」
ご存知じゃねえよ。略すなよ。
「熱々のグラタンをぺろぺろすることにより、人間としてより高次元の存在になろうという教えです」
熱々のグラタンを舐めて、人間の何が高められるんだよ。もっといい修行法が他で確立されているだろ。それをやった方がいいよ。
「初級者はもちろん、グラコロから始めていただきます」
何がもちろんなんだよ。
私は耐えきれず、ついに口を開いた。
「あの、私、そういうのは間に合っているので、他回ってもらえませんか。ほら、今、早朝だし、私、二度寝したいので」
うーんと考え込む、ハンマーヘッドシャーク宣教師。しばらくして、
「ならお布施だけでも、もらえませんか?」
何でだよ。
「お金が欲しいので」
正直すぎる。
「実はですね、私、このグラぺろ教の開祖なのですよ」
そうだろうな。こんな教えが大昔からあってたまるか。
「この教えを広めたいのは、はっきり言って、金を稼ぎたいからなのです。もちろん、お金が欲しいのには理由があります。
あれは4年前、冬のビーチで一人、ウノをしていた時です」
どこで何をしてんだよ。友達いねえだろこいつ、絶対。
「ウノって言ってない、と私が叫んだ時です。ハンマーヘッドシャークが海から飛び出してきたのです。私は慌てました。しかし、時すでに遅し。私はハンマーヘッドシャークに左腕を噛まれたのです。
そして、私はハンマーヘッドシャークになりました」
ハンマーヘッドシャークって、そんなゾンビみたいな繁殖方法なの?
「私は知り合いなどに頼み、この身体を元に戻してくれる人を探しました。しかし、どこにもいなかった。色んなところで探しました。向かいのホーム、路地裏の窓、そんなとこにいるはずもないのに」
そんな訳のわからない話で、名曲を引用すんな。
「そして3年前、ついに見つけたのです。出会ったのです。ベトナムの奥地で、ハンマーヘッドシャーク専門の解呪師に。
私は涙を流して喜びました。これで元に戻れる。婚活を再開できる、と。
しかし、そこで要求されたのは法外な金額。私にはとても払いきれない金額。
私は絶望しました」
ああ、そう。
「ですが、やはり諦めきれなかった。元の姿には戻りたい。そこで思いついたのは、教えを広めてお金をもらうという方法でした」
「いや、働けよ」私は言った。
「この姿で雇ってくれる会社なんてありません」
「そうかなあ」
「ってか働きたくない」
「おい、そっちじゃねえか本音は」
「とにかく元に戻りたいのです。お金ください」
「いや、うーん、その話が本当だとしたら悲劇的ではあるけど。・・・やっぱ馬鹿馬鹿しいな」
「いや悲劇でしょ、完全に」
「どうせ元に戻っても婚活うまくいかないと思うよ?」
「何てこと言うんですか!」ハンマーヘッドシャーク宣教師は叫ぶ。うるさい。
「わかった」私は提案する。「じゃあ、金払うから、今すぐここを去ってくれ。そして2度とここには来るな」
「わかりました」宣教師は言う。「では、払ってください」
「3千円でいいか?」
「すく、少な・・・」とそいつは言う。何だと。「もうちょっと多めにいただけると・・・」
「警察呼ぶよ?」
「3千円! ありがとうございます!」
ハンマーヘッドシャーク宣教師は、ぺこりと頭を下げて、私に小冊子を手渡す。
「何だよこれ」
「グラぺろ教の教えをわかりやすく描いた漫画です。私の手作りです」
いらねえ・・・。
「では、ありがとうございました!」
そう言って、やつは去っていった。何なんだよ、朝っぱらから。
私は家の中に戻る。もらった漫画をペラペラ、流し読みして、ゴミ箱に捨てた。まったく意味のない内容だ。これを読んだところで、人生観は1ミリたりとも変わらない。むしろイライラしてくる分だけ損する本だ。損しか生まない本というのもある種、貴重な存在だと言えるかもしれない。どうでもいいことだが。
ああ、それにしても何故か腹が減ってきた。腹が立って、腹が減ったのか。
今日はコメダ珈琲にでも行って、グラコロでも食べようかな。
ハンマーヘッドシャーク宣教師 春雷 @syunrai3333
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