馬車を呼んで
馬車を手配して欲しいというティファニーに、庭師のバートは「今動いてくれる馬車なんてなかなかいないよ」と弱ったように、こう言った。
ティファニーがいくら程かかるのかと尋ねると、バートは気まずそうな顔で「最低でもこれくらいはいるんじゃないかな」と指を五本立てて見せる。
それがどれくらいを表しているのか、ティファニーには分からなかった。
だから彼女は屋敷中からかき集めた金貨と銀貨、銅貨をバートに見せた。
「これだけあれば足りるでしょう?」
金貨は僅か数枚、銀貨と銅貨は束になったものがある。庭師のバートから見れば大金であるが、貴族令嬢が所有するにはあまりに侘しい数だった。
「そりゃこれだけあれば行くのには十分だけど、宿代とか食事代とか、あと帰りのことも考えたら……そもそもどれくらい滞在するつもり? それに道中だって危ないからできれば護衛だって雇わないと」
「行くのには足りるのね。いいわ、さあ馬車を呼んで」
ティファニーがそう言い張ってしまえば、バートは惚れた弱みで(といっても相手は微妙に違うのだが……本人の知る由はない)馬車を手配するしかないのだった。
数日後、ノイシス邸の前にやって来たのは農業用の馬車であった。
二頭の馬に繋がれているのは作物を乗せるための荷台で、申し訳程度に藁が敷かれて、ボロいシーツが被せてある。
「これが限界だよ」とバートは亀みたいに首を竦めて言った。ティファニーより頭ふたつぶんは背が高いのに、情けないほどに小さく見える。
「ま、いいわ。数日の辛抱ね」
そう言いながらティファニーは荷台の上で手綱を握る壮年の男の元へ歩いてゆく。
胡乱な目つきの気難しそうな馭者は、いかにも取れるだけ金を取ってやろうという魂胆がその表情に浮かんでいた。
「迎えをありがとう。都までよろしくお願いするわ」
「お嬢さん、まずは先払いだ。ひとまずこれだけ頂こうか」
馭者はそう言って、五本の指を立てた。
土で汚れたその指が鼻先につきつけられて、ティファニーの茶色い瞳がぱちくりと瞬く。
「おい、話が違うぞ」とバートが焦ったように声をあげた。
「先払いも何も全額じゃないか」
「全額じゃあねェよ。向こうについたらこの倍もらう」
「なんだって!?」
「馬車代にプラスして、旅の道中使う道具の使用料や食事代、怪我した時の保険料諸々……安いくらいだぜ、ええ?」
「……パトリシア、あ、ティファニー……やっぱり諦めよう。最初からこんなんじゃあ……」
ガックシと項垂れるバートの声を背中に聞きながら、ティファニーは馭者の手首をがしりと掴んだ。そしてゆっくりそれを下ろし、囁く。
「そんな冷たいこと言わないで。都までタダで連れてってよぉ」
甘い声でとんでもないことを言うティファニーに、バートは「無茶言っちゃいけないよ」と慌てた。頼めばまだ料金を負けてくれるかもしれないが、馭者の男と同じくらい無茶を言うようじゃ、帰ってしまうかもしれない。
しかし……。
「分かった」
男はあっさりと了承したのである。
「ええ!?」
「お前さんを都まで連れていってやる、任せろ」
「や~んありがとうオジサマ、頼りになるぅ♡」
たまげるバートは無視して、ティファニーはウキウキで馬車へと乗り込んだ。
テキパキとティファニーの荷物を馬車に乗せ始める馭者に、バートは「えっ、だって、えっ、本当に無料で……!?」と尋ねる。
「当たり前だ。こんなに素敵なお嬢さんが喜んでくれるならな」
「……!!?」
いかつい顔の気難しそうな馭者には似合わない言葉にバートは目を白黒させるしかない。
そうこうしている内に荷物は全て積まれて、馭者の男は馬車に乗り込んだ。
「さァ、早く乗りなさいバート」
「ん」
バートが馬車に乗り込もうとするなり、馭者が指を五本立てた。
それを見たティファニーが「お金を取るの?」と信じられないものを見るように言う。
「当たり前だろがい。無料なのはお嬢さんだけ」
「…………」
……ティファニーの能力は、洗脳や催眠ではない。あくまで魅了なのである。
――つまり、馭者の男はティファニーに惚れているから彼女の乗車賃は無料にするのであって、なんの関係もないバートの料金までも帳消しにしてやる謂れなど無いのである。
「バート、あなたとはここで……」
「嫌だよ!! 君をまたひとりで都にやるなんて心配だ!!」
別れを告げようとするなりバートに縋りつかれ、ティファニーは唸った。見捨てる事など簡単だが、ティファニーは人間をするのは久しぶりなので、今の地上がどのような世情になっているかもほとんど分からない。パトリシアの残した手記は怨恨の色が強すぎて、とても客観的とはいえなかったからだ。
「おじさん、アタシに免じて半分に負けてくれないかしら」
「…………」
「ね、お願いよ……」
ティファニーは砂糖たっぷりの声で馭者に強請る。
すると馭者は渋々と「お嬢さんの頼みなら」と頷いたではないか。惚れた女の頼みに弱いタイプの男らしい。
「キャア! おじさんありがとう!! 心の広い男ってアタシ大好きよ!!」
「そうさ、おれは心が広い」
はしゃいで礼を言うティファニーをバートはただ唖然と見上げている。だってバートの知るパトリシアはそう簡単に異性に好きだなんて言うような女性ではなかったのだ。
「乗りなさいバート」
「う、うん……ありがとうパティ」
「ティファニー」
「……ティファニー」
名前を訂正され、バートは重苦しく彼女の新しい名前を呼ぶ。
――君は本当に別人になってしまったみたいだ。
そう言う勇気はなくて、バートは暫く黙って馬車に揺られていた。
悪魔令嬢は王国を崩壊させねばならない~地獄のハーレム築いちゃいました~ 光杜和紗 @worldescaper
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