第15話 猿の駿府
天文18年(1548年) 三河国 名もなき街道
さらば磯野、また逢う日まで。
MIZUNO棒とボールを託したぞ。
なお泣きながら磯野は駿府へ旅立つ、わしらを見送ってくれた。
ちなみに駿府行きの同行者だが、尾張送りになった際の全員ではない。
何名かは加藤屋敷に残らざるを得なかったからである。
そう広忠(笑)の影響力が悲惨になったから。
織田側に付く人質として、彼らは残らざるをえないのだ。
ま、わしの身柄をとっとと追い出したい織田家。
それを引き取り本来の人質として利用し、三河へ食い込みたい今川家。
この綱引きの結果だろうとは予想する。
それにしては随分とブレブレな、わしへの対応だろう。
名目上の監視の武士だけよこして終わりだ。
「……竹千代様」
今我々は、てくてくと街道を歩いている。
天気はどんよりと鈍色に曇っている。
徒歩の旅(ん?)の同行者は数名だ。
有名どころは、天野又五郎と石川与七郎(=数正)、織田側の護衛with小猿。
「竹千代様!」
天野を無視していたら、強く主張された。
「なんだ、与七郎」
「ええと、どうして………あの針売りの同行を許したので?」
ちらりと天野が視線をやる。
そこにいるのは、猿顔の行商人の小僧。
だが、妙なほど愛嬌のある少年であった。
元服するかしないかの頃だろう。
どことなく温水●一っぽいツラだ。
「旅は道連れ、世は情けと言うではないか」
天野はそれで黙った。
一方天野の言葉が聞こえていたであろうに、彼は顔色一つ変えない。
むしろ逆に、
「竹千代様はええこと言う」
とニカっと笑った。
―――彼こそ、若き日の豊臣朝臣羽柴秀吉である。
今の彼は、粗末な衣類の行商である。
やはりお若い時から藤吉郎殿は人たらしよ。
コミュ力の鬼である。
と言うか、ここで面識得られるって助かる。
わしったら強運。
「古妙緑? そんな本やら言葉があるんで?」
慌てて数正がわしを引っ張る。
「竹千代様、気を付けてください! 偶に呆けたことを言うんですか!」
わしは数正の下腹に肘を入れつつ、藤吉郎殿に声をかける。
「ああ、言い間違いで手間かけた」
「そうでしたか、いやいやオレの無学さからかと」
下げずんだ目を、天野と数正は藤吉郎殿に向ける。
わしは、逆によく出来るなと思うだけだ。
この人、お前らの何倍も優秀やで?
生まれの素性も血縁も、ほぼ裸一貫で全てを勝ち取った男である。
まず間違いなく賢く狡く、そして勤勉である。
そこ、ノッブの業績をNTRしたとか言わない!
大阪発展の神様なんだからな。
まあ? でも? 今は侮っても許してやるよ。
「わしとてたいした身分ではないとも」
「竹千代様!!」
金切声を上げたのは誰だったか。
それ以上は不味いだろうと、わしは黙った。
が、わしは我が祖の出自に確信があった。
―――伊勢氏に従った有徳人が、松平郷と松平の名乗りを賜った。
祖父である清康は都人に吹き込まれたか、それとも歴史書からか?
どうでもいい。
だが、ろくでもないことに、名もなき家祖の箔付けとしては十分だ。
何時、我らの祖先は得河義秀の着想を得たのだろうか?
都の人間だろうな、でなければ祖父は三河統一程度で上洛なぞしまい。
それでも、そんな田舎だから大好きで憎んでるのだが。
「ははは、竹千代様は冗談がお上手で」
藤吉郎殿が笑う。
わしは、この顔を不思議と嫌いになれなかった。
実際、わしは小田原でこの御仁と連れ小便したときに確信した。
この御仁は、どの世でもどの地位でも成功するだろう、と。
人に好かれ、人が好きで、そして人の才と情を扱うのに長ける。
ふと、わしは思い出す。
わしは武田をとめていた。が、それだけだ。
単独では小田原は攻略できず、大阪を潰せなかった。
だが彼は違う。
小さな巨人である、この男は日ノ本の戦乱を終わらせた。
……けれども同時に思うのだ。
それは彼以外にも出来るのだろう、と。
わし、尊氏公、頼朝公。大内の彼、三好、三郎殿。
徳川の世を終わらせた何某も、そうだろう。
天下を動かしたことが天下人なら何人いたのやら。
「おや、このサルめの顔に何かついておりますかな?」
物思いにふけったからか、彼がおどけて見せた。
わしは、考えるのをやめ別のことを考える。
―――三郎殿、藤吉郎殿に思う所はあるが、殺しておくべきか?
殺した方が楽なのは違いない。
だが、今殺すのは得策とは言えまい、か。
ワシがクソガキなように、彼らも「うつけ」と「さる」なのだから。
また羽柴不在の中国事情とか嫌すぎる。
彼には毛利を叩いてほしいのでね。
「なんでもないぞ、しかし猿と卑下して馬鹿にするでない。猿は日吉神社の神使であると言うぞ」
藤吉郎殿はぽかんとした。
あれ、わしなんかやっちゃいましたかね?
やがて、藤吉郎殿は大きく笑った。
「イヤイヤ、竹千代様は学がある。もしかしてオレも神の子かもしれませんな?」
その時、まったくもって偶然であるが日が差した。
たまさか近くの村人が建てた道祖神か塚か、彼の背後にあった。
そして近くに何らかの水面があったのか、その光が反射した。
結果、藤吉郎殿の背景がリアルに輝いた。
わしは神々しい鳥獣戯画みたいだと思ってしまい必死で笑いを堪えた。
――――なお、まったくもって余分な話なのだが、わしはいつか藤吉郎殿が話していた最初の主人である松下を紹介しておいた。
予想通りと言うか、歴史通りと言うべきか。
如才ない藤吉郎殿は松下家中で重宝されているようだ。
なにせ、わしに礼を言いに来たしな。
その時、猿の駿府と、奇妙な言葉を思い出し、わしは混乱するのであった。
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