水曜日。
午前5時。
嫌な予感がする。
下腹部に鈍い痛みを感じ、のそのそと、ゾウくらい重たい足取りでトイレへ向かう。
はい!今月もやって参りました血祭りわっしょい!!
脳内で声高らかな実況が流れる。
手早く体制を整えて寝床に戻ろうとすると夫が起きていた。
「早いね。顔色悪いけど大丈夫?」
「大丈夫じゃない。お月様が降りてきた」
「ああ…。何かできることあったら言って」
「うん。ありがとう。何かあったら言う。とりあえずもう1回寝る」
夫の返答を待たずに寝室へ行き布団に潜った。
つい先ほどの自分のとげとげしい声がこだまする。
ただでさえ可愛げなんて持ち合わせていないのにどうする。
おまけに今すぐ謝罪することすらできない。
ひたすら自分を責めることしかできなかった。
***
午前11時。
妻からメッセージだ。
『ごめん、調子悪いから今日晩ごはん作れなくていい?』
続いてもう1件。
『私仕事おわったら実家寄って食べてこようと思って』
表情も声色も分かるから、やっぱり会って話すのが1番いいね。
そう言っていた彼女が、話せる距離にいるのに、わざわざ文字で伝えてきたのだから相当調子が悪いのだろう。
甘えたがりなくせに甘えるのが下手くそな典型的な長女気質。
前に甘えている自分に違和感を覚えて気持ち悪くなると話していた。
夫としてはたくさん頼ってほしいものだが、彼女が自分で精神衛生を保てるのならそれでいいと思っている。
『うん。わかったよ。お義母さんとお義父さんによろしく伝えておいて』
すぐに既読がついた。
『ごめんね、ありがとう』
ここで謝罪だけでなく、感謝もセットにして伝えられるところが彼女の素敵なところのひとつだ。
***
午後7時。
今日は何も上手くいかない。
負のオーラが出てしまっていたみたいで上司には心配されるし、普段なら切り替えられるであろう思考が止まらない。
下腹部も腰もずきずきと痛んでいる。共鳴しているのか心までずきずき痛むのだからもうどうしようもない。
夫に終業の連絡をし、母に今から向かう旨を伝えた。
「ただいま…」
今にも消え去ってしまいそうなくらいか細い声はきっと誰にも届かない。
リビングに続く扉を開けると、懐かしい実家の色と匂いがあった。
「おかえり」
キッチンに立つ母と目が合った。思わず目が潤む。
「ただいま。ごめんね急に」
「ママは大丈夫だけど、悠介さんは大丈夫なの?」
「うん。ママとパパによろしく伝えておいてって」
「そう」
母はそれ以上何も言わず料理に戻った。
トントントン
父と猫が下りてきた。
「おう」
「うん」
猫は3日も離れていると3年ぶりのように感じるらしい。
そろりそろりと警戒心丸出しで近づいてきて私の足元を嗅いでいる。
「ごはんできたよー」
母の号令で食卓につく。
我が家は両親と3つ下の弟と私、そして猫、4人と1匹家族だ。
弟の渚はまだ学校らしい。ほんの少し前に帰ってきたはずなのに、こうしているのは随分久しぶりのように感じる。
夕食は肉飯もどきと呼ばれる丼とほうれん草のおひたし、なめこのおみそ汁だった。私の大好きななめこのおみそ汁。
母は昔から私が落ち込んでいると、そっと何も言わず作ってくれるのだ。
今度は堪えられなくて涙が流れた。
***
午後9時。
職場の同僚とオンラインゲームをしていたが、早々に飽きてしまった。
1人には慣れているし、ある程度は妻とは関係のないコミュニティでの繋がりも大事だと思っているが、やっぱり少し物足りない。
明日は一緒に何かできるといいなと考えていたら玄関の方で音がした。
「おかえり」
「ただいま」
今朝よりは顔色が良くなっている。よかった。
話題や聞きたいことはあるが、こういうときは喋り出すのを待った方がいい。
言いたくないことは言いたくない、きちんとNOと言える人なのは分かっているが、それでも調子がよくない彼女にかかる負担は少しでも減らしておきたい。
何か言おうとしているのだろう。口を開けては閉じ、また開けては閉じを繰り返している。その様子が餌を待つ魚に見えた。随分と可愛らしい魚だなと少し和んだ。
***
午後10時20分。
「今日、ごめんね」
「大丈夫だよ。何も困ってない」
「そっか」
「うん。調子悪いのにちゃんと言葉で教えてくれてありがとう」
「ううん。私もありがとう」
「今日もおつかれ様」
「全然だよ。今日だめだめだったし」
「結衣は人一倍頑張り屋だから自分で肯定できないだけで、十分、十分すぎるくらい頑張ってるんだよ。だからおつかれ様、で合ってる」
「…うん。ごめんね、ありがとう」
「どういたしまして。この前買ったハーゲンダッツ、まだ食べてないんじゃない?ご褒美に食べない?」
「悠介もおつかれ様だから一緒に食べるなら食べる」
「うん。食べよう」
***
「今日は本当にありがとう」
「どういたしまして。そうやってきちんとお礼が言える結衣だからなんにも苦じゃないよ。俺こそありがとう」
「なんてできた人間なんだ君は」
「あなたも負けていませんよ?」
***
あなたとともに生きられて幸せです。
これからもよろしくね、素敵な旦那さま。
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