宵に沙げる柑子

 天は二物を与えず。なんて言ったりするが、そんな事は全くない。それは、この四光自由学園の二大美人と呼ばれる彼女等を見れば分かる事だろう。

 そもそも、天に住まう神々は人の生誕に関与していないのだが。むしろ、彼等は人々をこれ以上産まれるなとまで思っているが。それを知る人類は、いるとしてもほんの少数しかいないだろう。

 二以上を与えられたこの柏木沙宵も、かつては大多数側の人間であった。そう、あの大神とかいう奴と契約するまでは。

「結局、どうすればいいのかなぁ。この契約」

 頼まれたら断れない性格も相まって、いとも簡単に契約する流れに持ち込まれた。

 足元の三匹のチワワが「どうしたんですがご主人?」と言いたげに彼女を見上げる。

 この犬は、沙宵の家で飼われているチワワである。色が濃い順に、コタロー、ジロー、サブローだ。

 朝の日課、学校に行く前にこうして三匹と散歩をするのだ。しかしながら、三匹も犬を連れて歩いていると、

「っ……!」

 このように、跳ね返されたような反応を見せる者にも出くわす。

 今の青年も、洋紅色の瞳に三匹の犬の姿が映った瞬間に表情を一変させ、素早く後退した後に別の道に曲がった。

 一見穏やかそうな長身の青年が犬を怖がるというのは、沙宵にとって意外にも思えたが、なんら可笑しい話ではないだろう。

 犬が苦手な人がいる事は承知の上、仕方のないことだと解っている。それでも、これ見よがしに怖がるような反応を見せられてしまうと、少々悲しくなる。

「怖いワンちゃんじゃないのにね……」

 沙宵の呟きに、ジローは「くぅん?」と声を漏らして首を傾げる。

 そうしていると、同じ道から誰かの話し声が聞こえ始めた。

「それでさそれでさー。舞明の奴がね、先生に指名されてね、居眠りしてたせいで答えられないでやんの!」

「ははっ、舞明ちゃんらしいね」

 前から歩いてくるのは、同じ制服の色違いを身にまとった少女と、短い茶髪の長身の青年。

(あれ、あの男の人、さっきの……)

 過った既視感に思わず足を止める。そうすると、目の前まで来た少女が沙宵に、正確に言えばその足元にいる三匹のチワワに気が付いた。

 彼女は足を止め、目にも止まらぬ速さで十歩程後ろに下がる。これまた、既視感のある反応だ。

「あぁ、ごめんねお嬢さん。悪気がある訳じゃないんだ」

「あ、いえいえ。大丈夫です、気にしないでください」

 この青年は犬が大丈夫なようだ。こうしてしっかりと見ても、やはり先程の彼に似ているように思えるが。

「そっか。君が、沙宵ちゃんか」

 そして青年は、人当たりのいい笑みを浮かべてこう言った。

「え。なんで、わたしの……?」

「ボク、記憶力だけは良いからね」

 細められたその瞳は、洋紅色だった。

「まぁまだ先かもしれないけど。『主』をよろしく頼むよ、沙宵ちゃん」

 青年はそれだけ告げると、後ろで落ち着かない様子の少女の所に戻り、二人で来た道を引き返した。

「……?」

 不思議体験宛らの出来事に、沙宵は困惑する他なかった。

「今の子も、君と同じ光の子っキュね」

「わっ!」

 突如降って来た声に、驚きの一声を上げる。

「そんな驚くとは思ってなかったっキュよ」

 この白猫は、マキャーだ。見慣れたとは言え違和感のあるこの現実離れした生物、何度見ても夢なのではないかと疑う。

 頭の処理が追いつき、理解する。

「あ、ということは、大神様が言ってた『他の契約』かな? じゃあ、きちんとあいさつした方がよかったかな……」

「それは無理っキュねぇ。君、今犬の散歩中じゃないか」

 マキャーが目にしたのは、道端で立ち止まった沙宵に「どうしたんですか? 散歩しないんですか?」と言いたげな視線を向けている三匹のチワワだ。

「犬、苦手なんだ。ちょっと残念」

 これでは、友達になれても家に誘う事は出来なさそうだと、少しだけしょぼんとする沙宵。

「こればかりは仕方ないっキュね。そんな事より沙宵、あんまりのんびりしてたら、学校に遅れるんじゃないのかい?」

「あ、そうだ! 急がなきゃだね。コタロー、ジロー、サブロー、行こうか」

 沙宵の呼び掛けに、三匹は返事をするようにワンと一つ吠えた。

「あぁそうだ沙宵! 君達の夏休み期間、集中訓練を行うっキュ。詳細は今日の夕刻までに送るから、しっかり確認するように!」

 歩き始めた時、そんな報告が聞こえた。

「あ、はぁい」

 なんだかよく分からない報告だったが、詳細待ちだろう。とは言え、文字列でなんとなく察せるが。


 散歩を終え、犬を家に連れて帰ると同時に、玄関に置いていた鞄を手に学校へ向かう。何時も通りの朝のルーティンだ。

「あ、姉さん。行ってらっしゃい」

「うん、行ってきます」

 上の弟の見送りに返事をして、履いたローファーのつま先を床でトントンと叩く。

 さて行こうとした時、リビングの方から下の弟の声が飛んで来た。

「ねーちゃん! 弁当忘れてるー!」

「あっ、ほんとだ! ちょっと持ってきてー!」

 声を上げれば、弟は面倒くさがりながらも可愛らしい布で包まれたそれを持ってきた。

「全く、忘れてんじゃねーぞ」

「あはは、ごめんねぇ。じゃあ、お姉ちゃん行ってくるから。二人も、遅刻しないように出るんだよ」

 姉らしい一言をかけてから、再度準備を済まされている事を確認して出発する。

 晴れているし、今日も良い日になりそうだ。

 そんな事を考えながら、いつもの道を歩きだす。

「葵ちゃん……!?」

 そう長くはない通学路の途中、またもや現れた、急に声を掛けてくる人。

 しかし、自分は沙宵だ。葵ではない。きっと気のせいだろうと思いつつも、気になって振り返ると、背後には同い年くらいであろう男の子が目を丸くして立っていた。

 少し跳ねた柔らかい茶髪に、真っ赤な瞳。絵にかいたような元気で無邪気な少年の姿だ。

「やっぱ葵ちゃんだ! ははっ、久しぶりだなぁ~。俺の事覚えてる? 俺だよ俺、あ、オレオレ詐欺じゃねぇぞ!」

 相手はどう考えても人違いを起こしているが、まるで小犬のような笑みに不思議と警戒心が緩んでしまう。

 しかし、人違いは訂正した方がいいだろう。

「あの、ごめんね? わたし、葵じゃないよ」

「え、うっそだぁ。もしかしてこの前の事まだ怒ってる? 仕方ないじゃあん、お金なかったんだもん! 今度またこづかいもらった時に買ってあげるからさ、機嫌直してくれよ~!」

 必死に機嫌を取ろうとする様子は、いたずらをした後のサブローと重なる所があった。思わず笑みが零れそうになるが、そんな場合ではない。

 沙宵はどうしたものかと悩む。本当に、ただの人違いなのに。しかも彼の言った事からは、その葵とか言う女は、あまりいい性格をしているように思えなかった。

「あの、だから、わたしは葵じゃなくて……」

 もう一度訂正を試みる。

 そんな時、沙宵の背中に走った悪寒。それは、不意に刺さった誰かからの殺意だった。

 背後から振り下ろされた刀。生存本能からか咄嗟に交わせた沙宵だが、驚きのあまり言葉を失っていた。

「こんな所で生きてやがったか、葵っ!」

 小犬のような少年とよく似た彼が、怒りを越えた殺意を持って叫ぶ。

 いくら沙宵でも、この状況には危機感を覚える他なかった。よりによって人違いでこんな事に巻き込まれるのは不本意だ。

「ちょ、待って待って! 本当に違うの、わたしは沙宵! その葵って人じゃないの」

 必死に訂正すると、兄弟揃って動きを止める。

「あれ、確かに。葵ちゃんとは、ちょっと違う? 人違いだったのかぁ……」

「よく見たら、確かに違うな……悪かった、人違いだ」

 二人してまじまじと沙宵の顔を見詰め、納得したご様子。沙宵もホッと一安心、

「いや待て。沙宵って、ヘルツ様が言ってたぞ」

「あぁ! 確かに! 兄貴よく覚えてたな、ヘルツ様が言ってた嬢ちゃんだ!」

 とは行かなそうだ。

 彼等が口にした、ヘルツという名前。契約した時に聞いた、「大神様の息子」の名前だったような気がする。その時沙宵は、ようやっと彼等の胸の赤銅色の宝石の存在に気が付く。

 黒みを帯びた深い赤色。契約時に貰った、澄み渡る空の色をした宝石の色違い……これが示すのは、所有者が「悪魔」であるという事であり、そして今の状況で言えば、彼等が「闇の子」である証拠だ。

 これは不味い。命がというのも勿論、遅刻しそうなという意味でも。

「待って、とりあえず、学校終わってからでいい? このままじゃ遅刻しちゃう!」

 一か八かの訴えだったが、意外通じるようだ。兄弟の兄の方が、渋々と頷く。

「そっか、お前等高校生か。仕方ない、行ってこい」

「えぇー、いいのかぁ兄貴? ここでやっとかなくて」

「遅刻したら内心に響くからな。進路にも関わって来る」

「あぁ、それもそーだなぁ。じゃあ嬢ちゃん、また放課後にな! 楽しみにしてるぜ~」

 良かった、かどうかは些か不明だが。一先ずこの場は凌げた。

 沙宵は、急いで学校に向かった。

 クラスでは既にほとんどの生徒が登校してきていて、それは友の澄麗もそうだ。

 澄麗は、沙宵を横目に読んでいた本を閉じる。

「沙宵。今日は、遅かったね」

「うん、まぁ色々あってね」

 沙宵は微苦笑を浮かべ、自身の席についた。

 まさか、言えるわけがない。今さっき起こった事を説明するには、「神様と契約した」とかいう中二病宛らの前説をしないといけないのだ。そんな事、澄麗に言えるわけがない。そこそこ長い付き合いである澄麗とは、隠し事と言うべき隠し事をしてこなかったが、こればかりはそうするしかないだろう。説明した所で、熱があるのかと心配させるだけだ。

 今日は、一人で帰った方がよさそうだ。澄麗を巻き込むわけにはいかない。そう決めた沙宵は、入って来た担任のおはようございますを聞き流し、どう言い訳をしたものかと考えた。

 しかし、言い訳は一向に思いつかず、そのまま放課後になる。

「沙宵。帰ろ」

「あ、うん!」

 結局、いつも通り澄麗と帰路に着く流れになってしまった。

(どうしよう……あの感じだと、放課後になったら襲ってきそうなんだよな。せめて、澄麗をどこかに逃がして……)

 沙宵はあからさまに悩んでいた。心を読む能力がなくとも見て分かる思考している様子に、澄麗は当然気が付いていたが、何も言わずに隣を歩いている。

 そんなどこか気まずい空気の中、

「お、学校終わったん? 沙宵ちゃんっ」

 今朝、沙宵を「葵」と勘違いして声を掛けてきた少年が目の前に現れ、まるで人懐っこい小犬のように笑いかけてくる。

「そのようだな。今からなら、問題ないな?」

 続いて、その兄である彼も姿を現し、向こうはやる気満々だ。

「ま、待ってちょっと待って! 澄麗、ちょっと悪いんだけど、先帰ってて――」

 最悪、戦うのは善処しよう。しかし、何の関係もない友人を巻き込みたくはない。

 慌ててそう言いながら、澄麗に視線を流す。するとどうだ、彼女は物凄く、嫌そうな顔を兄弟に向けていた。

 彼女の表情変化は一見分かりにくいが、長い付き合いの作用には伝わる。これは、買いたかった本が売り切れていた時と同じ、不機嫌なオーラがビシビシ感じる。

 少し遅れてマキャーが飛んできて、あちゃーと言った風に苦笑う。

「あぁ、訓練連れて行こうとした矢先にこれかぁ……澄麗、沙宵、戦えるっキュか?」

 ごく自然に澄麗にも語り掛けるマキャー。その様子から、沙宵はある程度の事を察した。

「えっ。てことは、澄麗も契約して……?」

「キュー」

 こくりと頷いたマキャーは、そのままジトっとした目を澄麗に向ける。

「まぁ、澄麗は『面倒』とか言って訓練に参加してこないんキュけどね」

「沙宵を、一人で戦わせる訳にはいかない。だけど、体、あまり動かしたくない」

 澄麗の返答に、マキャーは溜息をついて頭を押さえる。

「実戦が最初って、絶対良くないのになぁ……まぁ、いいっキュ。二人共、一先ず宝石を呼ぶっキュ。人の子が生身で戦ったら死ぬっキュよ」

 マキャーが少々投げやりになっているような気がするが、今は指示に従う事にした。

「わ、分かった。えっと、来てくれるかな?」

 宝石を呼ぶ、一見訳分からない行動だが、それは確かに言葉に応じてやって来る。

 沙宵の手元にふわっと現れた宝石。それを確認してから、澄麗も控えめな声で呼びかける。

「来て」

 澄麗の簡素な一言にも、宝石は応えてくれた。

「うん、良い感じ。じゃあ、そこに光の力を籠めてみて。出来るっキュかね?」

 頭の中でイメージを思い浮かべ、宙に浮く宝石を手に包む。

 手の内から光が溢れ、その身を包み込んだ。そうして光が止んだ時にいたのは、それぞれ橙と紫を基調にした姿に変身をした彼女等だ。

「おぉ、これがレナが言ってた光の子の天使状態か! ははっ。どっちも可愛いぜ、嬢ちゃん。そういう服、俺はケッコー好きだぜ? せっかくカワイー姿になってくれたんだから、カッコイイところみせないとな!」

「やめとけマタール。女は見た目が良ければいい程性根が悪い。それに、カッコいい所を見せた所で、どうせ殺す相手だ」

 秘めた威嚇のような言葉と共に、闇で生成した刀を手に取る。

「俺はレチャーだ。そうだな、直接お前に私怨がある訳じゃないが。ま、恨むなら葵に似た顔に産まれた事を恨め」

「ははっ。兄貴ったら、かんっぜんに私情挟んでんなぁ。んま、てなわけで俺はマタール! 対戦よろしくな!」

 彼も兄を真似るように、勢いよく剣を握りしめた。そして間髪入れずに、彼等は息を合わせて嗾ける。

 サヨイとスミレは、襲い掛かって来た二つの刃から咄嗟に身をかわした。体が勝手に動いたとも言える突発的な動きに、本人達も驚いたような表情を浮かべていた。

 天使としての素質が、彼女等の持ち合わせていない戦闘技能を補っている。これもその動きの内の一つだ。

 しかし、マキャーは難色を示していた。

「剣術かぁ……。分が悪いな。まだまともに訓練付けられてないのに……」

 闇の子は、それぞれ愉快そうに武器を構えている。それは己を所有する主の為でもあるが、悪魔として芽生えた戦闘欲求でもあろう。

「二人共、良いっキュか? これは実践訓練っキュ。本当は段取り踏んで行きたかったけど、訓練を拒否したのは君達なんだから、受け入れるんだね」

「一先ずは体の赴くままに動け、余計な事は考えないこと。良いかい、今の君達に出来るのはそこまでだ。精々、死なないように」

 マキャーの言葉の後、突如として目の前のレチャーの姿が消える。

「っ……!」

 サヨイは感じた殺意に身を翻らし、背後に自身の光を集めた弾を放つ。その軌道の先には、レチャーがまさに今襲い掛かって来ている所だった。

 彼は持っていた刀を一旦投げ捨て、飛んで来た光を蹴り飛ばす。そうして横に剃れた光弾は植木に衝突し一本の細い木を倒壊させた。

「キュー……殺意が高いっキュね。今のカウンター、当たったら死んでたっキュよ」

「そ、そうだね……勝てる気がしないんだけど……」

 一歩身を引けば、すかさず追撃が飛んでくる。

 どうやら、レチャーはスミレに興味はないようだ。投げおいた刀を引き寄せ手にすると、鬼のような形相で斬りかかって来る。

 サヨイの光は咄嗟に武器を生成し、それを受け止める。しかし、金属がぶつかり合う際特有のあの音は響かない。何故なら、

「おい待て、杵って……」

「あははっ、嬢ちゃん面白いなぁ! フツー剣とか出るもんだろっ」

 サヨイの光で生成された武器は、餅つきの時に使う餅をつく方――杵なのだ。

 しかし、何もサヨイは杵を出そうと思った訳ではない。「防がなければ」と思った途端に、体が勝手に行動を起こし、これが出て来ただけだ。

 本人すら呆気にとられ、その間抜けな顔に拍子抜けしたようにレチャーの殺意が緩んだ。

 静観していたスミレが静かに術を嗾ける。飛んだ無数の光弾は、兄以上に気が抜けているマタールに向かった。

 笑っていた彼は、静かに飛んでくるそれらに気が付き、「んぁ?」と腑抜けた声を漏らす。

 光が彼の身に食らいつかんとした刹那、一つの影が飛びつくように彼の正面に立ち、全ての光を兄が受け止めた。

「兄貴!」

「何、問題ない。少し痛いくらいだった」

 諸に喰らった光。彼の服から覗く肌からは軽い火傷のような痕が出来ていたが、それは一瞬の内に何事もなかったように消え去る。

「それくらいなら俺が受けても大丈夫だった!」

 齧りつくように兄の身を引き、訴えかける。

「そうじゃなかった場合はどうする、仮に死ぬほどの威力だったらどうするんだ!?」

 荒げた声にあるのは、怒りではない。どこか必死に問いかける兄に、弟は叫ぶように返した。

「それだったとしたらそれを食らった兄貴が死ぬだろ!?」

 仲間割れ、ではないだろう。その喧嘩の中にあるモノは、お互いに対する「心配」だと言う事は、心が読める者でなくとも何となく分かる。

 二人は一通り意見をぶつけ合うと、ふぅを息を吐く。

「まぁいい。気を取り直してやるぞ、マタール」

「そうだな!」

 笑顔をレチャーに向け、出された手を思いっきり掴む。その時場に伝わったのは、肌に走る闇の感覚。兄弟から発せられている力が、沸々と湧きあがっているようだ。

「キュー……本気で仕留めるつもりっキュね、この子達」

 マキャーは難色を示すように声を漏らし、未熟な光の子二人を見やる。

 流石の彼女等も「分かった」のだろう。サヨイはまごつき、スミレも表情にこそ出ていないがその内心平穏ではない。

 仕方ないだろう、彼女等にある「素質」も万能ではない。訓練もロクに出来ていない彼女等に、殺し合いの為の戦闘をさせようと言う事自体酷だ。

 そうこうしているうちに、兄弟の力が共有されたようだ。浮かび上がった闇が成した形は先程とは逆であり、レチャーが剣を、マタールが刀を手にしていた。

「行くぞ」

「おうよ!」

 息の合った二つの攻撃、お互い片割れの次の次までの行動を解っているかのように、合間なく相手を「殺そう」と刃を向ける。

 しかし、彼女等もタダでは殺されない。命を狩り取られないように、内なる素質が必死に鼓動する。サヨイの杵は見た目に反してかなり頑丈で、刃に打たれても傷一つ付かない。そしてスミレは冷静に相手の動きを読み、それに答える。

 交わる光と闇の攻防を、マキャーはそのマスコットのような見た目で真剣な表情を浮かべ観察する。

「悪くは、ないんだけどねぇ……」

 どこか悩まし気に声を上げるマキャー。その次の瞬間、二人の光の子が闇に押される。

 どうやら、ダメだったようだ。まぁ以外でも何でもない、彼女等は産まれたての子天使同様なのだ。

 疲弊した様子で、倒れ込むように地に尻を付けたサヨイ。スミレも息を切らし、膝に手を突いていた。

「ははっ、やった! なぁ兄貴、やっぱ光の子の闇って違うのか?」

「さぁな。ヘルツ様が言うに、違うらしいけどな。ま、狩ってみれば分かるだろ」

 レチャーは、その刃の先をサヨイの胸元に向ける。そこには、澄み渡る空のような天色の宝石が飾られたペンダントがある。

「ま、人の子にしてはよくやった方か」

 そっと目を瞑り、マキャーがそう口にした、その時、

「なぁに偉そうに言ってんのよ!!」

 半場怒りと呆れを含んだ声が、もはや結末が決まっていた場を掻きまわした。

「宝石、来なさいっ!」

 即座に飛んで来た同じ宝石を手に握り、その姿を変えた少女――マイミだ。

 時を遡る事、数分前。舞明がいつも通り帰宅しようと優雷のお花摘みが終わるのを待っていた時だ。

 何となく感じた嫌な予感。最初は気のせいだと思ってやり過ごしたのだが、戻って来た優雷が不意にこう口にした。

「お、やってんねぇ」

 どこか愉快そうに口角を上げた優雷に首を傾げると、それに気付いた彼女は平然と告げる。

「闇の子だよ。どうやら、うち等のお仲間はピンチのようだ」

 優雷の言う事の意味は、直ぐに理解できた。

「どう? ここは一つカッコよく、助け船といくかい?」

 彼女の問いかけに、舞明は一も二もなく頷き、

「当たり前よ!」

 と、返答した。

 そうして駆け付けた助け舟、マイミ。青いグラデーションのかかったツインテールを風になびかせ、そこに仁王立つ。

「マキャー! 見てなさい、その地味にムカつく態度改めさせてやるわ!」

 先程聞こえた彼の言葉が余程気にくわなかったようだ。威嚇する小犬のように言い放つ彼女に、マキャーは小さな笑みを端に浮かべる。

「それは楽しみだ。じゃあ一先ず、その子達をどうにかしてみな、マイミ」

「言われなくとも」

 睨みつけるように兄弟を見据え、牽制する。

「なるほど、まぁよくあるパターンだな。じゃあ、改めてお前に名乗っておこうか。俺はレチャーで、こっちは俺の弟のマタールだ」

「おう、俺マタールだぜ! 嬢ちゃん、よろしくな」

 つんけんしている方と、人懐っこい方。マイミの中でそう処理された兄弟は、新たな獲物に対してかなり好戦的だ。

「えっと、君もわたし達と同じ、光の子……?」

 サヨイが声を掛ける。

 何となく頭の片隅に覚えがある同じ学校の同級生が、今同じ光の子として、同じ敵に立ち向かおうとしている。

「うん。これが終わった後にしよ顔合わせ会でも、どっかの大神が『仲間が誰かはお楽しみだ』なんて事言うから、誰と一緒にやっていけばいいかすら分ってないのよ」

「それは、私達も同じ」

 小さく答えたスレミに、マイミはふっと小さく笑う。まぁ、思っていた通りだと。

「やっぱり? ま、後で四人でファミレスでも行こっか。勿論、この二人に帰ってもらってからだけど!」

 強く握った手を開くと、そこに光が浮かぶ。

 光は勢いよく回りながら分身し、辺り一帯に広がる。

「行きなさい!」

 出された合図と共に、猪突猛進に相手に突っ込む光。見境のない光は外れようが構わずに真っ直ぐ飛び付き、破裂していく。

 一個一個は弱く、軽く闇に当てられるだけ散ってしまう。しかしお構いなしだ、数うちゃ当たると言わんばかりに生成される光は、相手に余裕を与えない。

「ずっと俺のターン! ってね。自棄だけど確実、頭悪い戦法が案外いっちゃん効果的だったりね」

 知らぬ間にそこにいた優雷に、マキャーは驚く素振りもなく言葉を帰す。

「ま、今の段階だったらこれが最善策だね。まともに戦ったら勝てない。スミレとサヨイが負けた原因は、真っ向に受けて立とうとしたから……っキュよ」

「ははっ、安心しなマキャー。しょっちゅう語尾忘れてるんだから、誤魔化さなくとも今更だぜ」

 ケラケラ笑い、真顔で術を操るマイミを目に映す。いつになく真剣そうなのは、恐らくムカついているからなのだろう。

 人の子にしては……そんな上から目線のコメントに対して、見返してやると意気込んで。

「馬鹿にされてムカつかない人間はそうそういないからねぇ。煽られて底意地出せるのは、マイミの良い所よな。ま、そういう所が頭悪いんだろうけど」

「キュー。扱いやすくて助かるっキュ」

「アンタ等さっきから聞こえてるわよ!」

 そうツッコみながらも術は続く。小刻みではあるが、力はそれなりに消耗しているはずだ。それでもこうして牙を剥けるのだから立派なモノ。正しくそれは底意地なのだろう。

 しかし、彼女がそうして意識を逸らした事により、術にちょっとした隙が生じた。レチャーはそれをすかさず突き、マイミの横腹を蹴る。

「っい! ちょっと、女子蹴るのは男としてどうかと思うですけど!」

 勢いで突き飛ばされたマイミ。痛みが体を突き抜けるが、それでも尚声を上げる余裕はあるようだ。

「生憎、女は嫌いだ」

 返ってきたのは、吐き捨てるように返された答え。

「ごめんなぁ嬢ちゃん。女の子を傷つけたくはないんだけどよ、これもヘルツ様の為だからさ」

 悪いけど、殺されてくれ――マタールは人懐っこい笑みでそう告げた。

 その言葉で、マイミの中で一つ確信できた事があった。彼等は、「人」ではない。

 歯を食いしばった。何故だか分からない、分からないが、やり場のない怒りを感じた。

「あんね――」

 手を横で握りしめ、口を開いた。

「レチャー、マタール。お楽しみの所わるいけど、今日はそこで終了」

 彼女の言葉に被さるように、穏やかな男の声がその場に割って入る。

 声のした方向を見れば、そこにはすらりとした長身の青年がいる。どこか見覚えのある洋紅色の瞳が穏やかに細められ、そこにいる兄弟を静止する。

「お、ラキ! どうしたんだ? 夕飯の時間はまだだったよな?」

 マタールは溢れさせていた力を引っ込め、問いかける。その様子は仲のいい友人とバッタリであったかのように友好的なモノだ。

 最中、マキャーの横目に映った優雷は、目を微かに見開いたまま声を呑んでいる。その反応は、年相応の女の子そのもので。感じる心に、マキャーは静かに目を瞑る。

「うん。夕飯の時間はまだだよ。ただ、カーチャルが拗ねているんだ。『出かけるならぼくも誘ってほしかった』って。口にしていた訳じゃないけどね」

 ラキと呼ばれた青年は、微苦笑を浮かべながら二人に帰るよう促す。

「狩りの途中なんだけどなぁ。んま、いっかぁ。いつもよりはいっぱい狩れたもんな!」

「まぁ、そうだな……カーチャルが本格的に臍を曲げる前に帰るか」

 兄弟は呆気なくそう決めると、一瞬にして姿を消す。

 そしてその場に残ったのは、今一状況を読めていないサヨイとスミレ、薄っすらと何かを察するマイミとマキャー、そして――

「ラキ、くん……?」

 きょとんと問いかける、優雷だ。

「うん。久しぶりだね、優雷」

 ニコリと浮かべた優しい笑み。そこからは確かな愛情を感じるが、それとは別に不思議な何かがあった。

「ごめんね、何も言わずに出て行っちゃって。ユウ、すっごく怒ってただろ? そっちに戻れる目途は立っているからさ、それまで何とかユウを宥めておいてくれるかい?」

 ラキは笑っている。その要求に優雷もコロコロと笑い、軽く首を傾げる。

「保証は出来ないよ? ユウくん、あれからずっとホラー特番取り貯めしてるし」

 彼女の告げた事に、ラキは少々わざとらしく肩を竦めた。

「おっと、それは随分ご立腹のようだね。帰る前に手土産持ってった方が良いなこりゃ……優雷、さり気なく食べたい物でも訊いておいてよ」

「いいよ!」

 無邪気に笑って返答した優雷に、ラキは微笑みを浮かべる。

「うん、ありがとう。あと一か月くらいかな。それまでもう少し、待っててね。優雷」

 ぽんと軽く彼女の頭に手を置くと、彼も姿を消して行ってしまった。

 彼がどこかへ消えた後、それでも彼女は嬉しそうにニコニコと笑っている。

 サヨイは、ラキと呼ばれた彼に多少の見覚えがあった。確か、今朝犬に怯えていた人だ。その次に出会った優雷と一緒にいた、あの青年とどこか雰囲気の似ている彼。あぁして間近で見るとハッキリ分かった。彼等は、優雷と同じ洋紅色の瞳をしている。

「優雷。今の人って、確か」

 マイミが問いかける。彼女には、サヨイ以上に覚えがあったのだ。

「ん、あぁラキくん? マイミもあった事あるっしょ。うちの心だよ」

「心……」

 スミレは、彼女の言う事の意味が今一理解出来ず、同じ言葉を口の中で小さく反復させる。

 心というのは、実態はないモノのはずだ。しかし先程の青年は、確かに人間の形をしている。

「あぁそうだ。そこの二人は、あれよな。大神様が選んだ光の子か。どうも、うちは優雷。フルネームは創火花優雷、君達と同じく光の子。ま、よろしく頼むよ、べっぴんさん」

 ニコリと浮かべられた笑み。

 創火花優雷。スミレも、その名は知っている。自分とサヨイが学校で二大美人とか言う俗的な名称で知れ渡っているように、彼女の名もまた多くの人の言葉から耳にする。

 男女分け隔てなく話に混じり、皆の話題に上手い事入り込んで笑う。教師に対しても愛想のいい生徒。それでこそ、陽キャと呼ぶに相応しい人物だと、皆は言う。

(だけど。違う)

 スミレは、心の中でぽつりと呟く。

 壁だ。決して、誰も近寄らないように隔てられた、一枚の壁――

「ん。どうしたんだい?」

「いいや」

 短い返事を一言返すと、埃を払って立ち上がる。

 変身していた三人が制服姿に戻る。まだ暮れる気配のない夏の空の下、それぞれ色違いの制服を纏った少女が四人。

「ほんじゃあ、これからヨロシクって事で……コンビにで買い食いでもするわよ!」

 舞明がどこか弾んだテンションで威勢よく声を上げると、続けて沙宵が「うん!」と返事する。遅れて優雷も「いいんじゃない?」と答え、澄麗は無言でこくりと頷く。

 四人は光の子。心の大神により選ばれた、特別な人の子だ。

「見込みは、あるんだけどねぇ」

 マキャーは、宛ら青春を絵にしたような彼女らの背を目に呟く。

「ま、期待は出来るかな」

 光の子。言わば、最後の希望。発芽途中の種が育つかどうかは、まだ分からない。


 ソーダ味の氷を口の中で砕けば、夏の鬱陶しい蒸し暑さも多少は紛れる。舞明は友達と取るに足らない話をしながら、空を目に映していた。

 夏らしい雲が浮かぶ空。そこには天使であろう者と悪魔であろう者が仲良さげに話しながら飛んでいたが、最早驚きはしない。

「なんか、不思議な感じ。わたし、つい最近までこんな魔法少女みたいな事やるなんて思ってなかったから」

 小さいカップに入ったバニラアイスを備え付けのスプーンですくい、沙宵は小さく笑った。

 突如として知らない場所に呼び出され、契約を持ちかけられた時の驚きと言ったら。しかし、このままでは世界が終わると聞いて、黙っていられなかった。煽られて上手い事契約まで持って行かれた舞明と違い、彼女は良心から光の子へとなったのだ。勿論、完全に快諾だったかと言えばそうではないが。

「ははっ、魔法少女ねぇ。ま、どっちかってと天使少女だね。力を開放する事によって天使と同じ状態になる、だからね」

「あー、言えてるそれ」

 優雷の例えに、舞明はケラケラと笑いながら賛同する。

「どちらにせよ、不思議な体験をしていることには変わりないんだよね」

 天使少女だろうが魔法少女だろうが、人ならざる力を使え、それを武器に敵と戦うという部分は一緒だ。

「ま、そーいう事になるわな。優雷にとっては不思議でもなんでもないんでしょうけどねぇ」

 ちらりと横目に移された優雷。その時優雷は、揶揄るように口角を上げた。

「美人さんよ。うちに関わるなら、覚えておきな。人間の異常はうちの『普通』。だけど、怖がらなくてもいい。化け物は化け物でも、人は食わないタイプだからさ。うちはね」

 何やら意味深に感じたその言葉。しかし優雷は、ゾッとするほどまで緩やかに、目を細めていた。

「こーら。ほぼ初対面の子怖がらせるんじゃないのー」

 アイスの棒をゴミ箱に投げ捨て、呆れたように舞明が言う。

「あははっ、悪い悪い」

 戯れる二人のその様子がまさに仲のいい親友のようであった事は、確かな事実だろう。



 夏休み直前、住宅街の近くにある小学校では既に休み前の給食期間が終わっており、昼過ぎの今は多くの児童が帰宅する時間だ。

 騒がしく通学路を渡る児童の中、反対方向に歩く一人の少年がいる。その容姿は横切った四・五年生の男児と同じくらいに見え、青いランドセルを背負ったその男児は、見覚えのない同年代の子が誰か内心首を捻っていた。

 少年が立ち止まる。青いランドセルが横目に映らなくなり、児童の波が引いた。

「ぼくは……」

 少年は、体の横で握った拳をわなわなと震わせる。周りに人の姿はなく、彼のどこか悔しそうな表情を目にする者はいない。

「ぼくは……っ、成人男性だってのっ!」

 叫びにも似た控えめな訴えは、誰に言う訳でもない愚痴である。

 そんな彼の胸元を飾るリボンの中心で、赤銅色の宝石が太陽光を反射しキラリと輝いた。

 依然、主は身長が伸びないと嘆く自分にこう言った。

「まぁ仕方ないだろ。俺と契約した時点でお前等の老化は止まってる。そういうモンだ」

 そう、悪魔は所謂不老不死なのだ。

 しかし、違う。そうではない。その時彼は、精一杯の抵抗としてこう叫んだ。

「老化以前に、成長すら終わってないんですけど! ぼくは!」

 身長百四十八センチ。そう、五十にも満たしていない。男子の成長期は遅いとは言うが、高校生にもなって依然とこの身長のままなのは「男の子は成長期が遅いからねぇ」レベルではない。そもそもこの体が成長する事があるのかと疑うレベルだ。

 こんなんだから、女の子にもフラれる。人としては好きだけど男として見られないとかいうそんな理由で。しかしまぁ、親友の彼女を見れば、寧ろフラれて良かったかもとも思えるのだが。

(兄弟揃ってクソ女引っかかったもんなぁ)

 自分は彼等と血が繋がっていないが、いつも一緒にいるせいで自分も兄弟の内の一人のような認識をされていたモノだ。だからきっと、あの子も実際付き合ったらロクな女ではなかったのだろう。そう思う事で、気を宥めている。

 そんな事を思い返していると、いつも一緒にいる彼等の事も連想される。たまにはいいんじゃないかと一人で散歩に出たが、今一楽しくない。

「あー。やっぱ二人も連れてくるんだった」

 一人立ち止まってぼやくと、不意にどこからか誰かの「闇」を感じ取った。

「暇だし、狩りでもするかぁ……」

 その時、彼の周りの空気が変わる。力として纏われる闇の力、そこにいるのは人の目に映らぬ悪魔と同じだ。

 次の瞬間には、彼は敷地の境目を示す塀の上に座っていた。隠されていた窓の向こう、赤い瞳に映ったのは夫婦であろう男女の姿。彼等の関係は、この闇の気配が応えだろう。

 赤銅色の宝石に吸い込まれていく闇は、黒い靄のような形をしている。彼は、幼く見えるその顔にそぐわず、つまらなそうにそれを眺める。

 顕著に刺さるのは、不信感と嫌悪。決していい空気ではない。

「やっぱ、他の所にしよ」

 どこか暗い声で呟き、少年は立ち上がる。

 どこか別の場所で、どうせならもっと清々しい闇を狩りたい所だ。例えばそう、純粋な怒りから来る殺意とか。

「葵へのレチャーのアレが理想だよなぁ……」

 ここまで来ると個人的な好みの話なのだが。

 葵。その顔を思い浮かべると、レチャー程では無いが確かに自分の中にも怒りが湧く。まぁ、もう過ぎた事だからどうだっていいのだが。

「どうせあいつも死んでるしねぇ」

 あははと小さく笑ったそんな時、視界の横に薄茶色の髪が靡く。釣られるように視線を向ければ、歩いていたのは、可愛らしい美少女だった。


 沙宵からして、それはただ帰宅の途中だった。夏休み前最後の学校帰り、友人の澄麗と道で別れ、いつも通りの通学路の一人で歩く区間を通っていた、それだけだ。

 しかし、そのいつも通りは突然崩される。突然肩を掴まれ振り向けば、驚きと真剣さを交えた表情を浮かべた少年が、赤い目を丸くしてこちらを見ていたのだ。

「そっくり……」

 人違いで殺されそうになったのは昨日の今日の事だ。だからこそ、漏らされた声にどこか不穏なモノを感じたのは、仕方ないだろう。

「わぁ、こんな偶然あるんだねぇ。はは。レチャーと一緒じゃなくてよかった」

 少年のような可愛らしい笑みだった。しかし、呑気に「可愛い男の子だなぁ」とは思っていられない。

「あ、あなたは、闇の子だよね……?」

「うん、そうらしいね。ぼくはカーチャル」

「それにしても、本当にそっくりだ。もしかして遠めの親戚? ははっ、光の子じゃなかったとしても殺そうと思ってたかも」

 どうしてこうも連日で殺意を向けられなければならないのだろうか。沙宵は勘弁してくれと思いながらも、落ち着いてこう言ってみる。

「一先ず、わたしは沙宵だよ」

「うん。分かってるよ。だけどさ、どっちにしろ君、光の子じゃん? ヘルツ様から言われてるんだよね、殺せるなら殺せって。その方が良い闇が取れるんだってさ」

「そ、そうだよねぇ」

 分っていた。これで引き下がってくれる訳がないのだ。

 しかし、沙宵とてまだ死にたくはない。こうなれば、生きる方法は一つ。

「来てくれる?」

 呼べばどこからか天色の宝石が飛んでくる。そっと手で包み込み、光を籠めると、天使と同じ状態になる。

「お、いいね。そう言うの。意外と好戦的」

「だって、このままじゃ殺されちゃうじゃん」

「それもそっか。それにしても……」

 カーチャルは、なにやらサヨイを……正確に言えば、彼女の服装を意味ありげな目で見ていた。更に正確に言ってしまうと、変身衣装の胸部の白地に記された、柏の文字を。

「それ、どこで買った?」

 まじまじと見たその直ぐに、視線を上げて尋ねてくる。

「え、わたしがデザインした衣装だから、売ってはないけど……」

 そう、この衣装をデザインしたのは、正真正銘サヨイだ。あの大神とやらにどうせならお前が好きなように決めていいぞと言われ、そう言った事が好きなサヨイは迷う事無く衣装デザインを引き受けたのだ。

 自分では、中々可愛く出来たと思っている。今まで考えたデザインの中で最高レベル。特にそう、この胸の一文字がこだわりポイントだ。

「あー。うん、君は葵とは全く違う系統の女子だ」

「う、うん?」

「だって、葵は流行に敏感だったし、本性はともかくセンスは良かった」

 真顔でそう言う彼は、嫌な女の事を思いだしてか少し苦い表情を浮かべる。

「ん……?」

 何やら、暗にバカにされたような気がするが。そんな時は深く考えないが吉だ。ともかく、葵という子と違うという事を理解してくれたのなら何よりだろう。そう思う事にして、サヨイは手のひらに光を集める。

「じゃあ、行くよ」

「うん。やろうか」

 先制を取ったのはカーチャルだった。飛んで来た闇は、見えない刃のようにサヨイの身を切り裂こうと襲い掛かる。サヨイは一先ずはそれらを防ぎ、様子を窺う。

 目には見えないが、確かに感じる闇の力。このバリアを解いてしまうと、一度体のあちこちに切り傷が出来てしまいそうだ。出来ればそれは避けたい。

 こちらが仕掛けるタイミングをうかがっていると、カーチャルはつまらなそうに言う。

「何もして来ないの? 延々防がれるだけじゃ面白くないよ」

 不満げな彼は思う通りにいかなかった子どものようで、サヨイの脳内には下の弟が過った。

「ごめんね。だけどわたし、」

「戦うの得意じゃない、って?」

 口にされる前に、先を読む。

「そんなの、ぼくの知ったこっちゃない」

 サヨイの背に落ちていた木の影が膨れ上がり闇になる。アスファルトの地面から芽生えた闇はサヨイの四肢を取り、身動きを封じた。

 取られた腕を動かそうと力を入れるが、それは本当にちょっとした抵抗にしかならなかった。

「つまんないの。そっちに戦う意思がないなら、ただ殺すだけになるじゃん。まぁ、それだけでも闇は狩れるから、いいっちゃいいけど」

 如何にも残念そうに口にして、膨れ上がった闇を手のひらに集める。

 その時、サヨイの目には確かに映った。黒く悍ましい闇が、鋭い刃のような、将又杭のような姿になっている。

 彼ら闇の子の言う「殺す」は脅しでも冗談でもない。サヨイは知っている。今相手から感じる殺意は、特別な欲ではないのだ。

「じゃ、君の闇もらっちゃうね」

 カーチャルが指先を動かし、闇がサヨイの心臓を貫かんとした時、

「っ――」

 痛みを覚悟して目をつむったサヨイが感じたのは、痛覚ではなかった。大きな光を感じ目を開けると、視界に写ったのは左程大きくない白いモフモフ……マキャーだ。

 マキャーの姿を捉えた瞬間、奪われていた体の自由が戻ってくる。きっと、マキャーが助けてくれたのだ。

「マキャー……! 助けにきてくれたの?」

「サヨイ、君も天使なら、まずは戦闘を楽しむんだ。攻撃を臆するな、戦闘を放棄すれば、始まるのは一方的な殺戮になるだろ」

 マキャーは質問には答えてくれなった。代わりにアドバイスらしきものを一つ言うと、サヨイの横に身を引く。

「君だって死にたくはないだろ? だったら戦うんだよ」

「そ、そう言われても……」

 サヨイは戸惑った。戦う事を楽しめと言われても、そもそも争い事が得意ではないのだ。下手したらどちらかが死ぬような戦闘なんて尚更。

 そんな彼女の事を、心の天使であるマキャーが分からないわけがない。

「まぁ、人の子にそこまで期待はしてないっキュ。精々死なないように気を付けるんキュよ」

 それだけ言うと、マキャーは少し離れた所で二人を眺める。

 ここに舞明がいれば「アンタ何様よ!」とキレて半場ヤケクソに動き出しただろう。しかし、生憎サヨイは彼女と同じようにはできない。

「ねぇその気になってくれた?」

 カーチャルはサヨイの消極さのせいで若干飽きていたが、マキャーが来たことにより少し期待したように尋ねてくる。

 やはり彼を見ていると、もう少し幼かった頃の弟を思い出す。

「わ、分った。少しだけ、がんばってみるよ」

 一人の姉としての習慣が、彼女にそんな答えを出させた。

「おっ、ほんと? じゃあ……」

「前言撤回は、なしだからね」

 カーチャルの浮かべた笑みは、無邪気な子どもだった。しかし、そこから感じた純粋な闇は、確かに彼が「人の子」でなくなっている事を示している。

 サヨイは体に宿る光を集め、器にした両手に集める。浮かんだ光は花のように開き、強風にあおられた花びらかのごとく飛び交い、相手の身を襲う。

 カーチャルは不規則な風にのせられる彼女の光を除け、宙に放った闇に引き寄せる。彼はそれをそのまま相手に嗾けようとしたが、それより先に球の中の二つの力が相殺された。

 爆散と共に生じた波動は、微かに場の空気を揺らがし、マキャーは溢れた二つの力の余韻に目を細める。

「ふむ……力は心を表すだね」

「それ、大神様も言ってたけど、心の世界のことわざなん?」

 呟いたマキャーの真横から、にゅっと現れた気配、優雷がやけに愉快そうに笑いながら尋ねてきた。マキャーはそれに驚く事無く、彼女の問いに答える。

「ことわざと言うか、教訓っキュね。光も闇も力の元は心っキュから、本人の性格がよく現れるんっキュよ」

「なるほどねぇ。ま、だったらサヨイは攻撃には向かないって訳だ」

 横目で戦う彼等を見やる。サヨイもカーチャルも、優雷のご登場には気付いていないようだ。

 光と闇は互いを散らしあう。よくある光景だ。優雷はほんの少しだけ口角を上げる。

「介入、しちゃおっかな」

「ん?」

 マキャーが聞き返すが、優雷はそれに答える前に手を振りかざす。するとどうだ、衝突していた彼等の間を割り込むように、地面からゾンビのようなモノが湧いて出て来たではないか。

 突如こんにちはしたグロい姿のそれに、二人の悲鳴が同時に響く。

「な、なになに?! カーチャルくんなにしたの!?」

「いやこれぼくじゃない! 呼んだのぼくじゃない! ちょ、レチャー! レチャー助けて! なんか出た!」

 正にてんわやんわ。どちらもゾンビからかなり距離を取り、それぞれ声を上げる。

 これで近所の人が不審に思って駆け寄ってこないのが不思議な所。それもそのはず、今の彼等を普通の人間が認知する事は出来ない。

 しかしこの状況、逆に言えば「仲間」に察知されやすくなっている。

「今の声ってサヨイ!? 大丈夫!?」

「カーチャル! 何があった!?」

 どこからかすっ飛んで来たのは、舞明とレチャーだ。彼等はそこにいるゾンビを目に、何となく状況を察する。

「なにこれ気色悪い!」

 舞明が声を上げる。レチャーもこれをモザイク無しで直視するのは堪えたのか、軽くえずいた。

 何せそれは、正しく生きる死体だ。目に悪いのも当然だろう。

 一通り反応を愉しんだ優雷は、指を鳴らしゾンビを消し去る。

 しかし、依然と彼等は優雷の事を目視出来ないようだ。

「な、なんだったのよ今の……」

 舞明はそうぼやき、視線を地面から上げる。その先にいた闇の子二人は、彼女からして知っている男と知らない男の子だ。

 つい先日戦ったばかりの闇の子だ、流石の舞明も覚えている。

「レチャー、って事は。そこの男子も闇の子?」

 舞明が問いかける。言っている事は間違いでは無いが、どうもその内の「男子」が癪に障ったようだ。カーチャルは子どもらしい顔を顰め、舞明を睨む。

「おい、ぼくは絶対おまえより年上だからな」

 すごんでも全くもって怖くも威圧感もないのは、彼が童顔だから仕方ないだろう。

「え……?」

「あぁクッソムカつく! おまえだってまっったく高校生には見えねぇからな!! 精々中学生レベルだよその胸はぁ!」

 怒り心頭に叫んだカーチャルが指さしたのは、舞明のそれはもうなだらかな、とってもまっすぐな肉の無い胸部。

 ちなみに、これは彼女のコンプレックスだ。

「は、はぁ!? む、胸の大きさは関係ないでしょ! てか、見た目イジリはよくないのよ!? セクハラって知ってますぅ?!」

「だったらおめぇが先だろうがボケッ! 誰が小学生だ、良いかぼくは今二十三歳だ! この体だって十七歳の時の状態ですぅ!」

 子どもだと思われたのが余程嫌だったのだろう。舞明もカーチャルも揃って幼児体系だ、そんな二人が口喧嘩をしている様子は、本当に小学生の言い争いに見えてしまう。

「今のはどっちもどっちだ」

 が、レチャーはその事には触れずにカーチャルの方を掴んで一旦距離を取らせる。

「カーチャル、狩りをするなら先に俺等も呼んでくれって。待ってろ、今マタールを置いて来ちゃってるんだ。今呼んでくるから」

「あっ、レチャー! ぼく一人でもだいじょ、って、もういないし……心配性なんだから……」

 カーチャルは一つ息を吐き、「そういう事だから」と二人の少女を横目に言う。

「悪いけど、レチャーとマタールが来るまで待ってて。あいつのブラコン、なぜだかぼくにも発動するからさ」

 呆れを含んだような薄笑いだったが、そこから嬉しそうな心が伝わって来るのを、心の天使と同じ状態になっているサヨイは見逃さなかった。

 そうこう言っている間に、レチャーは弟を連れて再びそこに駆けてくる。マタールは何が何だか分かって無さそうな様子だったが、光の子の姿を目に何となく察しがついたようだ。

「お、あん時の嬢ちゃんたちじゃねぇか! 昨日ぶりだなぁ~。てことは、狩りか兄貴?!」

「あぁ。そういう事だ」

 無邪気にはしゃぐようなマタールは、返答を聞くや否や早速と言わんばかりに闇を剣に変え、舞明に切りかかる。

「ちょ――! アタシまだ変身してないんですけど! 変身待つのは常識でしょ!」

 咄嗟に避けたお陰で刃を食らうことはなかったが、しかしこれはどうも危なかった。今の状態の彼女は、そこらにいる女子高生と同じなのだから。

 舞明が主張すると、意外にもレチャーもそれに賛同してくれた。

「そうだぞマタール。無力な相手への不意打ちは礼節に反するって、ローブァイト様も言ってたろ?」

「そーだな! ……って、あれ。兄貴この前嬢ちゃんに不意打ちしてなかったっけ?」

「それはそれ、これはこれだ」

 思い当たる節はあるようだが、同じにはしないようだ。その隙に舞明は宝石を呼びだし、自身の光を解放する。

「仕方ない。サヨイ、二回戦開始よ!」

「う、うん!」

 ツインテールを風になびかせ、マイミが声高らかに言うと、サヨイも大きく頷く。

「それで……そこの偽猫耳娘! アンタも見てるだけじゃなくて応援しなさい!」

 マイミが叫ぶと同時に、今まで優雷に気が付く気配のなかった彼等もその気配を感じ取れたそうだ。

 一斉に視線が集まる中、優雷はへらっと笑う。

「っと、バレたか。気配は消してたんだけどね、最高記録更新じゃん。じゃあ……」

「フレー! フレー! マ・イ・ミっ!」

「その応援じゃないっ! 『応戦』するのよ、お・う・せ・ん!」

 優雷のよくやるボケにはいつも通り盛大にツッコみを入れる。

「はいはい。わかりましたよー」

 そこで彼女もようやっと宝石を呼び出し、光を呼び起こす。こうして、戦いは平等に三対三だ。

 全員の準備が終わると、早速レチャーとマタールの兄弟が飛び上がり、それぞれの刃を嗾けてくる。その間を縫うように、カーチャルの見えない闇の刃が飛び、光の子を斬らんと襲い掛かった。

 サヨイはそれらの攻撃を自身に引き寄せ、咄嗟に張ったバリアで防ぐ。その間にマイミがひょいと飛び上がりマタールの背に一発の蹴りを食らわせたが、その時レチャーに足首を掴まれ、地面に投げ飛ばされる。痛みに貫かれるような感覚になるが、怯んでいる暇はない。間もなくカーチャルが嗾けてくるのを察知し、横に転がって避けた。

 そうして、それからのマイミの反撃はカーチャルに向いた。カーチャルがマイミと掴み合うと、サヨイの花びらのような形をした光がレチャーに向かい、彼はそれを引き出した闇で相殺した。

「ひゅう。やるぅ」

「兄貴~、カーチャル~! カッコいいぞー!」

 達観するように声援を上げるユウライとマタール。そんな彼等に「お前も戦え」といった声を上げたのは、マイミとカーチャル同時の事だった。

 一方で、弟の応援に煽られるようにレチャーはサヨイに刀を突き付け、サヨイは咄嗟にバリアを貼る。

 見えない光の壁越しに見える彼の眼は、とても冷たく見える。正しく、好ましく思っていない相手に向ける目……それ以上に、酷く恨んでいる相手に対してのモノだ。

 何となくそれを見たくなくって、サヨイは目を瞑る。それぞれの力がぶつかり合う感覚が、心臓を揺るがす。それは大太鼓の演奏を聞いた時と同じような感覚で、どこか胸の奥がくすぐったいようなそんな感じがする。

 そんな時だった。不意に、脳裏に一つの光景が浮かんだ。

 清潔な白に統一された室内……恐らく、病室だろう。

 たった今、一つの命が途絶える音が響いた。その音を耳に、制服を着た一人の少年がその赤い目を見開く。

 その後ろには、サヨイからしても何だか自分に似ているような、女子高生の姿がある。彼女は何も言わず、視線を少年達から逸らしていた。少年は命を無くした弟の手を取ったまま、彼女に問いかける。

『葵……雅斗の事を何だと思っていた……?』

 葵と呼ばれた少女は、言葉を詰まらせ一歩後ずさった。

『アイツは、お前の事が大好きだった。お前が自分を都合よく使っている事に気付いていても、一生懸命向き合えば、いつかお前が分かってくれるって思って、頑張っていたんだぞ……』

『それをお前は、何だと思っていたんだ? ただ都合のいい男だったんだろ。雅斗の気持ちを、何とも思ってなかったんだろ!? どうして雅斗が、お前なんかの為にっ!』

 少年は心の全てを怒りに満たし、少女の胸倉を掴みかかる。

 それでも、少女は何も言わなかった。

 罪悪感。サヨイが彼女から感じられたのは、これに尽きた。

『れ、玲斗! 落ち着いて! こんな所で喧嘩したら、雅斗がかわいそうだよ!』

 同じ制服を着た子どものように小さな少年が、慌てて二人の間に入り声を上げる。

『そう、だな……すまない、奏』

 少年は掴んでいた手を離し、俯く。

 泣いていたのだ。ただひたすらに大事だった弟を想って、声を上げる事もなく泣いていた。


「レチャー、ストップ!」

 その時、カーチャルの幼さの残る声が慌てて静止を告げた。その言葉でレチャーが我に返って前を見ると、密かに息を呑んだ。今まさに殺そうとした相手、サヨイが静かに涙を流していたのだ。

 死への恐怖ではない。光によって作り出された護壁は、ヒビこそ入っているがまだ壊れる気配がない。もう少しこちから力を出せば壊れもしそうだが、それまで彼女にも打つ手が沢山あるだろう。

「お、おい。サヨイ、どうしたってんだよ」

 攻撃を取りやめ、恐る恐ると尋ねてくる。

「レチャー……ごめんね。わたしは、『葵』じゃないから、謝っても、意味はないけど……」

 彼女の謝罪の言葉に、裏も表もなかった。

 サヨイも、家族が大好きだから。感じた心に痛い程同調したのだ。

「な……や、ちがっ……俺は別に、お前を謝らせたかった訳じゃ、なくて……」

 たじろいだ彼は、助けを求めるようにカーチャルを見やる。しかしカーチャルも、泣いた女の子を前にどうすればいいか何て分からない。

 場が固まる。皆が皆、今どういった行動を起こすのが正解か分からずにいた。

 こう言った時、場を茶化して空気を元に戻すユウライは、今回に限って何も言わずに様子を見ている。

「なるほど」

 ぽつりとマキャーの一言が聞こえる。

 そうしてマキャーは手の平に小さな光を浮かべ、軽く宙に放った。天に向かって飛んで行ったのを確認すると、そのままサヨイの傍に寄る。

「サヨイ。君は、僕達が思っている以上に、才能があるかもしれないっキュね」

「え……?」

「闇の子。申し訳ないっキュが、今日の所は一旦終わりにしてほしい。闇はそれなりに狩れただろ?」

 サヨイの疑問の声には答えず、マキャーは闇の子達に話を向ける。

「まぁ、ある程度は狩れたけど……」

 カーチャルは胸元に飾られた赤銅色の宝石に指先を触る。マキャーの言う通り闇はそれなりに狩れている。

 勿体ないが、これ程狩れているなら良いかと。それに、彼女が泣いたおかげで殺意が失せてしまった。これでは狩りも上手く行かない。

「分かった。じゃあ、ぼく達はもう帰るよ」

「ごめんね、サヨイ。君は、やっぱり葵とは別の人間だ」

 一言そう告げると、カーチャルはレチャーとマタールに帰ろうと声を掛け、三人で一緒に姿を消した。

 彼等を見送ると、マキャーは依然と涙を止められないサヨイを横目に口を開く。

「闇も光も、元を辿れば人の心。心を作り出すのは、記憶だ」

「力からその記憶を感じ取れる。それは心の天使が持つ能力で、感受性とも言うんだ。これは天使によって得意不得意があってね。子天使だと出来ない子も多いんだ。誰でも訓練すれば出来るようになれる分野ではあるけど、今、子天使同様の君がそれを出来た」

「これは、誇っていい事だ」

 マキャーは目を細める。それは、彼女達が今まで見た事のない笑みだった。


 天界・心の世界の中心に佇む神の住まう城。その執務室の一つでは、神の更に上位に立つ「大神様」が、受け取った一つの伝達を確認していた。

「ほう。やっぱり沙宵は、感受性があったか」

「それが、例の契約者ですか? お父様」

 声を漏らすと、同じ部屋のソファーに座っていた、母親譲りな金髪の息子が尋ねてくる。

「あぁ、そうだ。微少だが仮にも光を持つ者が人の子として産まれ、そして平穏無事……か、どうかは微妙だが。ここまで立派に生きている時点で中々に興味深い。ヘルツと対峙してどうなるか、気にならないか? ライツ」

「確かに、あまり聞かない話ですし、気にならない訳ではないですが。しかし、それでも彼女等は人の子……このままやらせたら、兄様に殺されてしまうのではないでしょうか?」

 心配そうに尋ねてくる彼が目を向けた先には、あの人間嫌いの父が珍しく契りを交わした「人の子」が映しだされている。

「ま、普通にやったらそうなるだろうな」

 父なる大神は平然として答え自身の席から立ちあがると、息子の隣に腰を下ろした。

「しかしだな、ライツ。人類に存在価値があるってんなら、ヘルツの説得くらい成してくれないとだろ?」

 笑みを浮かべながら、告げている事は冷酷に感じる。しかし、これも彼なりの優しさだと、ライツは理解していた。

「ははっ。手厳しいですね、お父様は」

「嫌いな奴に優しくする奴がどこにいる?」

「せめてアイツ等も、天使として生まれてくれたらよかったんだけどなぁ……」

 大神の切実なぼやきに、ライツは柔らかい微笑みと共に「そうですね」と答えた。

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