22.鬼醒虫
鬼ノ城の裏庭にて、赤土を耕して作られた畑のような区画で役小角がしゃがみこんで何やら土いじりをしていた。
「ふむ……太く、立派で、中々に悪くない仕上がりだのう」
役小角が独りごちるように呟くと、その後ろ姿を見ていた鬼蝶が声を掛けた。
「行者様、何やらご機嫌でございますね」
鬼蝶が艷やかな声音で話しかけると、役小角は首を横に向けて白い眉を緩めて微笑んだ。鬼蝶も微笑み返すと役小角の後ろに移動する。
しゃがんだ役小角の肩越しに畑を見ていた鬼蝶が役小角の手元に視線を移すと、赤い芋虫らしき生物の尾を指先で摘んでいるのを見た。
「……凶暴そう、ですわね」
「鬼ヶ島の赤土に鬼薬を染み込ませて育てた虫じゃよ。わしは鬼醒虫と名付けた」
役小角は、指先でぐねぐねと暴れる赤く太い芋虫を眺めながらいつもの独特なしゃがれ声で言った。
鬼醒虫と呼ばれた赤い芋虫は、ぶんぶんと大きく体を振り回し、黒い口蓋をガチガチと開閉させて、役小角の手首に噛み付こうとしていた。
「かわいくは……ありませんわね」
鬼蝶がその様子を見ながら冷ややかに言うと、役小角は苦笑して鬼醒虫を土にぽいっと放り投げた。
鬼醒虫は赤土の上をバタバタとのたうち回ると、カラスの嘴のように硬そうな黒い口蓋をぐいぐいと強引に赤土に押し込んで潜り込んでいった。
「この虫を、飼っているのですか?」
鬼蝶が役小角に尋ねると、役小角はおもむろに立ち上がり、白装束の膝についた赤土を手で払った。そして、鬼蝶に向けて振り返り、満面の笑みを浮かべると口を開く。
「この虫はの──死者を蘇らせることが可能だ」
役小角の言葉に鬼蝶は赤い鬼の文字が浮かぶ黄色い目を見開いた。
「それは……一体どういうことでしょうか?」
鬼蝶の震える声を聞いた役小角は鬼醒虫が埋まる畑を見回しながら黄金の錫杖で赤土をトンっと突いた。
その瞬間、ぞわぞわと辺り一体の耕されている赤土が蠢き、次いで、鬼醒虫がぼこぼこと顔を出した。その数は百を下らない。
「鬼醒虫とは、鬼薬と人の死肉とで育て上げた虫……鬼醒虫が死者の体内に潜り込めば──鬼として蘇る」
役小角は黒い口蓋をガチガチと左右に開閉させながらぐねぐねと頭を動かす鬼醒虫を見ながら言うと、再びトンっと黄金の錫杖で突く。
すると、鬼醒虫たちは一斉に赤土の中へと潜り込んで行き、ただの赤い畑へと戻ってた。
「行者様……お願いがございます」
役小角に対して鬼蝶が震える声で懇願の言葉を述べた。
「──愛する信長様を蘇らせてくださいませ」
鬼蝶は鬼気迫る表情を浮かべながら、役小角の白髪を天辺で結った後頭部に向かって言う。
「本能寺にて、全身に火傷を負って死にかけていた私を八天鬼薬で救ってくださったように……どうか。どうか、信長様を」
鬼蝶の頼みに対して、役小角は目を細めて鬼ヶ島の赤い海を眺めると、口を開いた。
「信長公は、わしが来たときには既に切腹して絶命しておった……それ故、八天鬼薬によって鬼人とすることは叶わなかった。これは話したな?」
「……はい。八天鬼薬は生きた人間が飲まなければその効果を発揮しないと……八天鬼人にはなれぬと」
役小角の言葉に対して鬼蝶が頷いた後に答えると、役小角は鬼蝶に振り返って目を見て言った。
「鬼人ではない……八天鬼人だ。八天鬼人であることが何より重要なのだ。おぬしはあの低級の鬼人どもとは違うだろう?」
鬼蝶は裏庭に穿たれた大穴に目をやった。その大穴の中には村人から変貌した鬼人たちが出陣の時、襲撃の時を待っている。
彼らはもはや自我を持たず、ただ略奪と殺戮を行う傀儡となっていた。
「鬼蝶殿、おぬしのその目に浮かぶ"鬼"の字。それこそが八天鬼人である証。わしは信長公にこそ、その鬼の目を授けたかったのだ……しかし、それは叶わなかった。乱世に現れし第六天魔王……わしは随分と気に入っておったよ」
「それでも私は……再び信長様にお逢いしたいです……生きた信長様にお逢いしたい……例えそれが、自我を失くした鬼人であろうとも……行者様が信長様の御遺体を燃える本能寺から鬼ヶ島に運び出してくれたからこそ、それは可能なのです……!」
鬼蝶は掴みかからんばかりの勢いで役小角に肉薄する。
「どうか、鬼醒虫を信長様にお与えくださいませ……!」
そんな鬼蝶に対して、役小角は一切動じることなく穏やかな笑みを浮かべながら鬼蝶の肩に左手をぽんと置くと、口を開いた。
「鬼醒虫を与えられた死者は、鬼人として蘇るのではない──おぞましい鬼の虫として蘇るのじゃよ」
「……っ!?」
役小角の言葉に鬼蝶は絶望と驚愕が綯い交ぜになった表情を一瞬で浮かべた。
「鬼醒虫にとって死者の肉体はただの栄養、苗床に過ぎん……そこから這い出し、生まれいでて来るのは、みにくい鬼虫じゃ……信長公がなるべき姿ではない」
役小角は言うと、鬼蝶の肩から左手を離し、右手で黄金の錫杖を突いて畑を後にする。
「……鬼虫」
鬼蝶は放心したように呟くと、大量の鬼醒虫が潜り込んでいる赤土の畑を物憂げな眼差しで眺めるのであった。
役小角は鬼ノ城に向かって裏庭を立ち去りながら、笑みを浮かべて呟いた。
「温羅坊の気の迷いで命拾いした桃の娘よ……おぬしが見ている現世の地獄は、この虫で終いにしてやろうではないか、のう」
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