19.手紙

 裏山の峠道が木々の隙間から差し込んだ陽光によって明るくなっていき、小鳥たちが新しい朝を迎えたことに喜びながらさえずり始める。

 三獣の祠の前に生えた木の幹に身を寄せ合って一晩を過ごした桃姫と雉猿狗。

 桃姫が眠りにつく前に小さな体を後ろから抱きしめる形となった雉猿狗は、目だけは閉じながら、一睡もせずに、一晩中桃姫の体を熱を持った両手で撫でて温め続けていた。


「ん、んん……?」


 桃姫が眩しさによって目を開けると、後ろから雉猿狗に抱きしめられた状態であることに改めて気づいた。


「……雉猿狗の体……温かい」


 桃姫が白い吐息を吐き出しながら言うと、雉猿狗は桃姫の桃色の髪の毛を手櫛で優しく撫でながら言った。


「あはは……私は、桃姫様の御身体に一晩中触れていられて、幸せでした」


 雉猿狗が言うと、桃姫は眉根を寄せて口を開いた。


「雉猿狗……寝てないの?」


 桃姫の率直な疑問を受け止めた雉猿狗は、目の前に建つ三獣の祠を見つめながら言う。


「──私は三獣の化身。汚れることもなければ、寝る必要もありません」


 雉猿狗の言葉を聞き、桃姫は再び白い吐息をはぁーと空中に吐いた。


「……気持ち悪い、ですか? 雉猿狗のことが、怖くなりましたか?」


 雉猿狗はおずおずと胸に抱いた桃姫に尋ねると、桃姫は前を向いた状態のまま答えた。


「んーん……便利だなーと、思っただけ」


 桃姫のまさかの回答に雉猿狗は思わず目を丸くすると、胸に抱いた桃姫に回した両手にぎゅっと力を込めた。


「便利ですか……そうですね……ははは……確かに便利です」


 雉猿狗はそう言って認めると、桃姫の桃色の頭の上に自分の頭を乗っけた。そして、二人黙って三獣の祠、そしてその下で胸の上で両手を組んで横たわる桃太郎の姿を見た。

 しばらくその状態のまま静かな時間を過ごすと、雉猿狗が桃姫の頭から自分の頭を浮かせてから、おもむろに口を開いた。


「桃姫様……私が御館様をこの場所に運んだときに……実は背中に鍬を背負って来たんです」

「……うん」


 雉猿狗の言葉に桃姫が静かに頷いて返した。


「それで……三獣の祠の後ろに墓穴を掘ったんです……私が、一番最初に掘った墓穴です」

「…………」


 雉猿狗は言うと、桃姫は目を閉じた。この温かく、静かで、穏やかな時間が終わる時が来たのだと直感で感じ取ったからだ。


「桃姫様……御館様に、お別れをしましょうか」

「うん……」


 雉猿狗の提案を目を閉じながら受け入れた桃姫。雉猿狗は、両手を離して桃姫の拘束を解くと、桃姫は目を開き、ゆっくりと雉猿狗の体から離れて立ち上がった。

 雉猿狗という熱源から離れた影響で桃姫の全身に一気に寒気が走ったが、それでも歩き出して、桃姫は桃太郎の顔の前まで移動した。


「──父上、ありがとう……さようなら」


 地面に両膝をついてしゃがんだ桃姫が安らかな顔で眠る桃太郎にそう告げる。


「──御館様、御疲れ様でした……さようなら」


 片膝をついてしゃがんだ雉猿狗も桃太郎に別れの言葉を告げる。そして2人で両手を差し出して桃太郎の体を担ぎ上げると、三獣の祠の裏に掘られた墓穴へと運んだ。

 そして静かにゆっくりと墓穴の中に降ろすと、周囲に盛られた土を手で掬って、2人で桃太郎の体の上にかけていった。


「……父上」


 呟いた桃姫の両手から土が落とされると、桃太郎の顔は覆い隠され、桃太郎の姿は完全に見えなくなった。

 そのあとも、雉猿狗と桃姫の2人で鍬で地面を掘り返した際に生まれた土を残さず使って埋めていくと、桃太郎の体の分だけ盛り上がった土の山が出来上がった。


「…………」

「…………」


 桃姫と雉猿狗は、どちらからともなく両手を合わせて目を閉じて合掌をすると、三獣の祠の裏にて、桃太郎の埋葬を終えた。


「雉猿狗……母上の体は……」


 峠道に戻った桃姫が呟くように言うと、雉猿狗は心苦しそうな顔つきで静かに首を横に振った。


「探したのですが、何処にも……」

「……そう」


 申し訳無さそうにそう言うと、桃姫は息を吐くように応えた。


「桃姫様……その御着物なのですが」


 雉猿狗がおずおずと口にすると、桃姫は1日でだいぶ汚れてしまった薄桃色の着物を見下ろした。


「ああ……これ、どこから拾ってきて私に着せたの?」


 桃姫が言うと、雉猿狗は顔を伏せながら言う。


「……その御着物は、桃姫様の御自宅の、ちゃぶ台の下に、しまわれていました」

「……え?」


 桃姫が声を漏らすと、雉猿狗は青白い着物の懐に右手を差し入れた。


「……桃姫様の御召し物がないかと探していたら、偶然に見つけてしまったのです……これと共に」


 そう言って、雉猿狗は一通の手紙を懐から取り出した。


「私は、読んでいません……丁寧に折り畳まれたその御着物の上に、置かれていました」


 桃姫は、雉猿狗から差し出された手紙を受け取ると、四つ折りになったその紙を開いて中を見た。


 ──桃姫、お誕生日おめでとう。

 ──もう、10歳になったんだね。

 ──桃姫がお腹にいたとき、私はまだ20歳で、本当に自分に子供が育てられるのかと不安になりました。

 ──でも、生まれてきてくれた桃姫の愛らしいお顔を見たときに、母上の不安はすぐさま消え去りました。

 ──そして父上とともに、桃姫のことを何よりの宝物として大切にしようと桃姫のお顔を見ながら話し合いました。

 ──すくすくと成長していく桃姫はとても優しくて、でもこだわりの強い、かっこいい女の子に育ちましたね。

 ──どうかそのまま、かっこいい女の子として、つよく、たくましく、でも、誰よりも優しい女の子でいてくださいね。

 ──桃姫が何歳になっても、どれだけかっこよくなっても、桃姫は母上と父上の大切な宝物です。母上より。


 ──桃姫、10歳のお誕生日おめでとう。

 ──着物、びっくりしたかい?

 ──この着物は、母上と一緒に生地から選んで作ったんだ。

 ──母上はもっとかっこいいのがいいんじゃないかって言ったんだけど、私はこれがいいと思ったんだ。

 ──どうかな? 気に入ってくれたら嬉しい。

 ──桃姫はこの前、剣術を教えてほしいと私に言ったね。

 ──どうだろうか。私は鬼退治以来、何も斬ったことがないからね。

 ──でも、桃姫ががんばろうという気持ちがあるなら、父上も協力したい。

 ──これから一緒に、一から剣術の訓練をしよう。一緒に強くなろう。楽しみにしています。父上より。


「──うう……うッ……ううッ!」


 桃姫は大粒の涙を流しながら手紙を読み終えると、ゆっくりと四つ折りに戻した。


「……桃姫様……」


 心配そうに桃姫の泣き顔を見た雉猿狗が声を出す。


「雉猿狗……ありがとう……この手紙、この着物……うううッ……」


 桃姫は薄桃色の着物の袖で顔を拭うと、懐の奥深くに手紙を差し入れた。


「桃姫様、もう村に帰るのはやめにしましょう」


 雉猿狗は凛とした眼差しで告げると、三獣の祠の前に置かれた桃源郷と桃月の白鞘を両手で掴み、拾い上げた。


「私たちは、先に進まなければなりません。もう、過去に引き返すのはやめにしましょう」


 雉猿狗は桃源郷の白鞘に付いた下げ緒を自身の腰帯に巻き付けてキツく締める。そして、桃源郷より小振りな脇差しの桃月の白鞘を桃姫に手渡した。


「私たちは生きなければなりません、強くならなければなりません」


 濃翠色の瞳に力を込めてそう言った雉猿狗に向けて桃姫は小さな手を伸ばし、そして桃月の白鞘を握った。

 今度は死ぬためではなく、生き延びるために、桃月を握りしめたのであった。


「……強くなる」


 桃姫は呟くと、見様見真似で桃月の白鞘の下げ緒を両親から誕生日祝いに贈られた桃色の着物の腰帯に巻き付けてギュッと締め上げた。


「桃姫様。この山を越えると、播磨に辿り着きます。更に先を行けば、いずれ堺に到着します」

「……堺?」


 雉猿狗の言葉に桃姫は初めて聞いた地名を繰り返した。


「はい。港湾都市堺。日ノ本一栄えている港町で賑やかな場所だと天界にて知り得ました。それだけ人が多い場所ならば、鬼も迂闊には襲ってこれないはずです。しばらくはそこで暮らし、力を蓄えましょう」


 雉猿狗は凛とした眼差しと声音で言うと、桃姫に向けて右手を伸ばした。


「全ては敵討ちのため──参りましょう、鬼退治の旅路へ」


 桃姫は太陽に照らされて光り輝く雉猿狗に目を細めながら、小さな左手を伸ばして、その手を掴んだ。


「──行こう、雉猿狗」


 固く手を結んだ2人は三獣の祠の前から歩き出し、まだ踏み入れたことのない未知の土地へと旅立った。

 太陽は2人の姿を明るく照らし出し、そして、2人が挑む艱難辛苦の道に対して、無限大の光の粒子を天から降り注ぐのであった。

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