18.宝物庫

 鬼ノ城の宝物庫。城主である巌鬼しか開けない特殊な鬼術の掛かった重厚な造りの両扉を開くと、パッパッパッと燭台の炎が勝手に灯って内部を照らした。


「鬼ヶ島から奪われた財宝……一体どれだけ取り返せたのかしらね?」


 巌鬼の背後から宝物庫の内部を覗き込んだ鬼蝶が声を出すと、巌鬼は宝物庫を眺めたまま低い声で返した。


「一部ですらない……お前は元々、金銀財宝がどれだけあったか知らんだろう」


 巌鬼がそう言って、内部にかなりの広さを持った蔵のような造りの宝物庫の中に入っていく。

 大小の金塊と銀塊、各種の宝石、絹織物、茶器、鎧、兜、刀、掛け軸、黄金の仏像……価値の有りそうな物品が点々と置かれてはいるが、宝物庫の広さに対してはやはり殺風景に感じた。

 その中には、度重なる村への襲撃によって鬼人が新たに収奪してきた財宝も含まれていた。


「桃太郎に財宝を奪われる前の、豊かな宝物庫の状態に戻す。それも、現鬼ヶ島首領としての重要な役目だ」


 巌鬼が太い腕を組みながら言うと、満面の笑みを浮かべながら宝物庫を覗き込んだ役小角が声を掛けた。


「くかかかか。おぬしも元々どのような状態だったかなど知らんだろうが……桃太郎がやって来たのは、おぬしがまだ奥の間を這いずって居た頃なのだから」

「…………」


 そう言った役小角が黄金の錫杖を突きながら宝物庫の中に入ってくる。それを巌鬼が不愉快な感情を隠さずに横目で睨んだ。


「ふむ……まぁ、わしは物には執着せんから何とも言えんが……確かに鬼ヶ島の宝物庫がこのような有り様では示しがつかんか。くかかかかッ」


 役小角は笑いながら宝物庫に置かれた物品を見て回る。そして、名のある水墨画家の手による山水画が描かれた大きな掛け軸の前でピタリと立ち止まると、細い目を更に細めた。


「こりゃあ……なんとも見事な贋物。一銭の価値もないのう……くかかかかッ!」


 役小角が言うと、肩を怒らせた巌鬼がドシ、ドシと足音を立てて隣までやって来る。そして、右腕を伸ばして壁から掛け軸をむしり取ると一切の躊躇なく、両手で勢いよく2つに引き裂いた。


「──これで満足か?」


 巌鬼が引き裂かれた掛け軸を石畳に落として、ギロリと役小角を見下ろしながら言うと、役小角は何もなくなった壁を見つめながらおもむろに口を開いた。


「……すまんのう──わしの中の一言主が、うるさいのよ」

「……あ?」


 役小角の言葉を聞いて、聞き返した巌鬼。役小角は至近距離で巌鬼の顔を見上げると、にんまりとした不気味な笑みを浮かべながら。


「──わしの中の一言主がのう。ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てておるのだ……千年間、ずっとな」

「……ッ」


 細い目の奥に潜む漆黒の眼球で、巌鬼の黄色い眼球を見つめながら言う役小角。巌鬼は役小角から放たれる異様な雰囲気に臆している自分を感じていた。


「行者様、一言主とは……?」


 2人の会話を黙って聞いていた鬼蝶が役小角に対して尋ねた。役小角はちらりと鬼蝶を横目で見たあと、口を開いた。


「──神だ。葛城山の生意気な女神よ。わしを侮り、謀ったゆえに体内の社にて捕らえた」


 そう言った役小角は自身のへそのあたりを黄金の錫杖で示した。


「……神を体内の社に捕らえるとは、どういうことです?」


 鬼蝶が興味深げに尋ねると、役小角は巌鬼の前から歩き出した。そして、宝物庫の中を見て回りながら話し出す。


「──名を社神の術という。体内に荘厳な法力の社を練り上げ、その奥深くに神を封じ込める──神級の法術を、わしはやってのけたのだ」


 役小角が黄金の仏像を眺めながら言うと、鬼蝶は息を呑んだ。


「呪術と法術には、仙級より上の位はないと思っておりましたが……神級とは、初耳です……」

「くかかか……神級は文字通り神に用いるほどの術。道を極めた者が、一生に一度、使うか使わないかという極限領域の術なのだよ」


 驚く鬼蝶。役小角は、合掌する黄金の仏像に対して、左手で片合掌を返した。


「社神の術を成功させる為には、一言主がわしの体を乗っ取ろうと取り憑いたところを逆に引っ捕らえる必要がある……こう簡単に言ってはみたが、当然、そのまま乗っ取られて終わる可能性だってあれば……法力の社が一言主の神力に耐え切れずにわしの体が破裂する可能性も大いにあった」


 役小角は振り返って、黙って話を聞く鬼蝶と巌鬼の姿を細い目で見やった。


「しかし、当時のわしは齢100。老いぼれ切って、あとは死ぬのを待つだけの身……ならば、不老不死の賭けに打って出ようと思い至ったのよ」


 役小角は胸元まで伸びる白い髭を左手で撫で下ろすと、千年前の日ノ本を懐かしむように穏やかに目尻を下げた。


「それに、あの頃の日ノ本は陰陽道の最盛期……安倍晴明と蘆屋道満という2人の冴えた陰陽師が京におっての。わしの神捕らえの策に面白いと言って協力してくれたよ」

「……鬼蝶、その陰陽師の名、知っているか?」


 役小角の言葉を聞いた巌鬼は、鬼蝶の背中に向けて低い声を出して尋ねた。


「はい、知っています。2人とも非常に高名で、伝説的な陰陽師です」

「……ふゥむ」


 巌鬼は鬼蝶の返答に嘆息して返すと、役小角は鬼蝶の回答に満足げな笑みを浮かべて話を続けた。


「千年前のわしの力量では、神級の法術を単独で成功させることは不可能。2人の陰陽師の手助けあってこその社神の術……神捕らえの荒業じゃ」


 役小角は言うと、自身のへそのあたり、丹田に左手を押し当てた。


「一言主を体内に取り込んで、見事に不老不死を得たわしだったが、残念なことに容姿が若返ることはなかった。100歳で不老不死になれば、100歳のままで時が止まり、それ以上は老いぬ、というわけだ……くかかかかッ!」


 役小角はさも愉快そうに高笑いすると、巌鬼が口を開いた。


「そして──"千年善行"……というわけか」


 千年善行。巌鬼が放ったその言葉を耳にした役小角は深く息を吐くと、細く閉じられていた眼を少しだけ開眼した。


「そうじゃ──"千年善行"」


 役小角は千年間の善行の記憶を走馬灯のように脳内に走らせながら両手を拡げた。


「わしは、千年間に渡って日ノ本各地で善行を行った。とにかく、片っ端から人を助けた。助けて助けて、助けまくった……!」


 役小角のその漆黒の眼は、自分に頼りすがってくる大勢の人々の姿を回想した。


「右手で病を治し、左手で怪我を治し、錫杖を振るっては邪を清めた……一切の見返りも受け取らずに千年間それを行った。ただ……ただ、一つだけ、止め処なく押し寄せてきたものがある」


 役小角はそう言って、目を細めて傾聴する鬼蝶を、そして太い腕を組む巌鬼を見やった。


「──感謝だ。それはそれは感謝されたよ。わしの前にひざまずいて、両手で拝みながら、仏の再来のように丁重に扱われた……わしは一度たりとて名乗っておらんのに、行く先々で大勢の人々が待ち構えては、平伏しながら道を作った……! わしはァ。確かに……功徳が天高く積まれていく音を千年間聞き続けたのだよ……」


 役小角はそう言って、スッと目を閉じた。


「……そして、飽き果てた。人から感謝されるということに……尽くに飽き果てた。まあ、何でもそうだろうが……千年もやれば、完全なる飽きというものが訪れるものだ」


 役小角の言葉に、鬼蝶と厳鬼はちらりと目を見合わせる。そして鬼蝶が口を開いた。


「ゆえに次は……"千年悪行"でございますか?」

「……くかかかかかかッッ!!」


 鬼蝶が口にすると、役小角は一拍の沈黙の後、口をこれでも大きく開いて大笑いをした。


「そうだ! 初めに千年の善行を行い、次の千年には悪行を執り行う! これにて究極の陰陽の理が完成するのだッ!」


 役小角は我が意を得たりという面持ちで漆黒の両眼を開眼すると、黄金の錫杖を天高く掲げた。


「この三千世界は、陰と陽の妙絶なる均衡の元に成り立っておる! わしはわし一人で陽を日ノ本に振り撒き過ぎたのだ! これでは陰陽の均衡が崩れ去るッ!」


 役小角の大きく開かれた禍々しい漆黒の両眼を、今この瞬間に初めて目撃した鬼蝶と巌鬼は思わずゾッとしてしまう。


「均衡だ……! 肝心なのは、陰陽の均衡なのだよ……!」


 役小角は言いながら目を閉じると、黄金の錫杖を石畳にカンッと突いてから、鬼蝶と巌鬼に背を向けて、分厚い扉の前に歩いて行く。


「して、行者様? 悪行を千年行った後は、その次には何をなされるおつもりですか?」


 宝物庫を去っていこうとする役小角の背中に鬼蝶は疑問を投げか掛けた。


「……千年善行を行い、わしは尋常ならざる莫大な法力と呪力を得た……更に加えて千年悪行を行えばわしの体は、その存在は、一体どうなってしまうのか……」


 役小角は武者震いに体を震わせながら呟くように言うと、顔だけをグルっと後ろに回転させて、にんまりと不気味な笑顔を見せながら言った。


「──わしは、"万物神"にでも、なるのだろうな」


 その顔を見た鬼蝶と巌鬼は、禍々しいまでの畏怖を受けてその場から動けなくなる。役小角はグルンと首を元に戻すと高笑いしながら宝物庫を去っていった。


「陰陽の均衡を取るだ……? だらだらと偉そうなことを抜かしやがって。本当の目的は更なる力、ただそれだけだろうが」


 巌鬼が憎々しげに言うと、鬼蝶が巌鬼の前に移動して口を開いた。


「ですけど、巌鬼。行者様のその力に助けられているのは事実。気の済むまで泳がせておけばよいではありませんか」


 鬼蝶がなだめるようにいうと、巌鬼は息を大きく吐いてから破れ落ちた掛け軸に目線をやって言う。


「それは……わかっている。一言主とかいう癇癪持ちの女神が体内にいるのも恐らく、事実だろう。やつの力を利用しなければ、現世に地獄を作り出すことは出来ない……忌々しいジジイだ」


 巌鬼がそう言ってから、黒爪が伸びる鬼の足を一歩前に踏み出すと、眼前の鬼蝶が両腕をアゲハチョウのようにパッと大きく拡げた。


「どうせこの世は無意味。ならば、せめて楽しみましょうよ、厳鬼」

「…………」


 そう言って微笑みを浮かべる鬼蝶に対して、巌鬼は無言でドシ、ドシと歩き続け、太い腕で鬼蝶の体を押しのけた。


「……あら……本当に"思春鬼"なのかしら」


 よろけた鬼蝶は、肩を怒らせながら宝物庫から去っていく巌鬼の背中に向けて呟いた。

 そして、扉の前に立った巌鬼が宝物庫の中に一人立つ鬼蝶に向けて言う。


「この扉は俺しか動かせない。閉じ込められたくなければ、今すぐに出たほうがいいぞ」

「……っあ、待って」


 巌鬼の警告を聞いた鬼蝶は慌てたように宝物庫の扉から廊下に躍り出ると、巌鬼が分厚い扉をドオンという重い音と共に閉めた。


「それで、何でお前は柘榴石を盗み取った」

「……え」


 巌鬼が鬼蝶を見下ろしながら言うと、鬼蝶はぎくりとした顔で声を漏らした。


「左の袖に入れただろ。気づかれていないと思ったか?」

「……う……」


 鬼蝶は左の袖に右手を差し入れると、手のひらの上に収まる赤い柘榴石を取り出した。


「……欲し……かったから」

「鬼ヶ島の宝物庫から盗みをするのがどういう意味を持つか、わかっているな……?」


 鬼蝶の顔が一気に青ざめていく。鬼ヶ島は温羅巌鬼の島。その宝物庫から盗みを働いたことが露呈すれば、この場で巌鬼に首を握りつぶされても文句は言えない。


「…………」


 巌鬼がどのような憤怒の表情を浮かべているのか、恐ろしくて鬼蝶は顔を上げることが出来なかった。


「──持っていけ」


 小さく震える鬼蝶の肩を見下ろした巌鬼はぶっきらぼうにそうとだけ言うと、ドシ、ドシと廊下を歩き去っていく。


「……え」


 まさかの返答に驚いた鬼蝶は手に持った柘榴石を思わず落としそうになるが、胸にぎゅっと抱き入れて両手で握りしめた。


「巌ちゃん……! だから大好きなのよッッ!!」


 巌鬼の筋肉の張った巨大な背中に向けて満面の笑顔で叫んだ鬼蝶。巌鬼は振り返らず、呆れたような顔をしながら玉座の間へと歩いていった。

 見事な柘榴石を頂戴した鬼蝶は、気分良く鬼ノ城を闊歩しておつるがいる部屋の前に辿り着いた。


「ふふふ……さすがのおつるちゃんでも、これを自慢したら羨ましがるでしょうね」


 鬼蝶がいたずらっぽい笑みを浮かべながら左手で黒い引き戸に手を掛ける。


「ねえ、おつるちゃん。ちょっと、話があるわ」


 そう言って、柘榴石を握った右手を背中の後ろに回して引き戸を開けると……。


「……あら」


 鬼蝶は飛び込んできた部屋の中の様子を見て声に漏らす。


「……ふうん」


 寝台から降りて、部屋の硬く冷たい石畳の上に血溜まりを作って倒れ伏したおつる。

 小さな両手で小刀を握り、その切っ先を喉に突き刺していた。目は固く閉じられ、最後の瞬間までこの世界を拒絶していたのだと言外に伝えた。

 おつるの体は硬直し、赤い血は冷えて固まり始めていて、だいぶ前に命を断ったのだと一目見てわかった。


「それがあなたの選択なら、私はその選択を尊重するわ」


 鬼蝶は机の上に置かれた手付かずの柘榴の果実を左手に取ると、そのまま齧りついてぼたぼたと果肉と果汁を床に落とした。


「世界って……残酷だものね」


 そう言って、右手に握っていた柘榴石を代わりにコトン、と置く。


「……でも、一言言わせてもらえば……"もったいない"と思うわ……おつるちゃん」


 鬼蝶はそう言いながら、おつるの前に片膝をついてしゃがむと、おつるの左耳の上に付けられた赤いかんざしをスッと左手で引き抜いた。


「……私のように──鬼となって、残酷な世界を楽しめばいいだけなのにねェ」


 悪魔のような陰惨な微笑みを浮かべた鬼蝶は、おつるの赤いかんざしを自身の左耳の上にスッと差し入れると黄色い眼球を開眼して、真っ赤な"鬼"の文字を見せつけた。


「──さようなら、可哀相なおつるちゃん」


 鬼蝶は冷めた口調でそう言うと、燭台のロウソクをフッと吹き消した。鬼蝶は暗闇に包まれた部屋に倒れ伏したおつるを見ながら黒い戸をゆっくりと閉めた。

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