16.鬼人

 この世とあの世の狭間にある鬼ヶ島。その鬼ヶ島の中枢にある鬼ノ城。その鬼ノ城の更に中枢にある玉座の間。

 漆黒の玉座に腰を掛けて、両腕を組みながら固く目を閉じた現鬼ヶ島首領、温羅巌鬼の姿がそこにはあった。


「ぐ……ウウ……うゥむ……」


 桃太郎への復讐を見事に達成し、鬼ヶ島に堂々の帰還を果たした巌鬼は、しかし、襲い来る過去の悪夢に苛まれて唸っていた。


「──かか……かか……」


 悪夢の中の奥の間で、幼い巌鬼が死に絶えた母鬼の亡骸を揺さぶった。

 桃太郎は既に立ち去り、鬼の黒い血が屏風や寝具や着物など、辺り一面に飛び散っていた。


「まんま……まんま……」


 桃太郎が惨殺した母鬼や子鬼の大量の亡骸の中で、孤独に空腹に耐える幼い巌鬼は母鬼に食事を要求し続けた。

 巌鬼は父である温羅の特性を受け継ぎ、命が2つあったために桃太郎による虐殺を生き残ったが、空腹が続けばその残った命すらも失うこととなる。


「かか……まんま……」


 惨状は奥の間だけではない、鬼ノ城の城内、いたるところに桃太郎に惨殺された鬼女の亡骸が転がっていた。誰も片付け供養するものなどおらず、惨たらしくも、そのまま放置されていた。

 そんな地獄絵図を露呈した鬼ノ城にて、白装束を身にまとい満面の笑みを浮かべた白髪の老人が、黄金の錫杖をチリン、チリンと突きながら奥の間を目指して歩いていた。


「まんま……かか……あグアぁ──」


 小さくも鋭い鬼の牙が生えた口を大きく開けた幼い巌鬼は、飢えに耐えきれず母鬼の柔らかそうな青肌の首目掛けてかぶりつこうとした。


「──まてい、温羅坊」


 しゃがれた老人の声が奥の間に響き、巌鬼の大きく開けられた口には黄金の錫杖の先端が強引に突っ込まれる。


「──母鬼を喰らえば、餓鬼畜生に成り下がるぞ」

「──あが、あがが」


 老人はそう言って、錫杖の先端を巌鬼の口から抜き取ると、満面の笑みを見せながら告げた。


「わしに付いてこい──馳走を用意した」


 巌鬼は呆然とした顔で老人の顔を見上げると、颯爽とひるがえって白装束を揺らしながら奥の間を出ていく老人の背中を無意識に初めて2本足で立ち上がって追いかけた。


「──ほれ、好きだけ喰らうがよろしい」


 巌鬼を鬼ノ城の外に連れ出した老人は、広場の中央に置かれた横たわる一頭の大きな黒毛牛を錫杖で示した。


「──そいつはまだ生きとるが、わしの呪術で気絶させておる。鬼というのは、生きた血肉が好物だからのう」


 老人の言葉はまだ理解できなかったが、とても魅力的なことを言っているとわかった巌鬼は、短い2本足で必死に歩き、黒毛牛のでっぷりとした腹にかぶりついた。

 噛みつき、引きちぎり、咀嚼する。幼い巌鬼の黄色い眼球が見開かれ、縦に入った赤い瞳孔が横に拡がる。そして、再び喰らいつき、噛みついて、引きちぎり、咀嚼する。


「──くかかかかッ、気に入ったようで何より。大きく育てよ、温羅坊」


 老人が笑いながら言うと、口を赤く染めた巌鬼がもぐもぐと牛肉を咀嚼しながら老人の方を振り返った。幼い巌鬼のその表情には感謝と共に困惑の意思も込められていた。


「──ん……? わしは一体誰なのかと、そう思うとるのか? くかかかか──わしの名は、役小角。おぬしの味方だ」


 それが巌鬼の記憶の中にある、役小角との最初の出会いだった。それから10年後、成長した巌鬼が鬼ノ城を歩いていると、役小角に声を掛けられた。


「──おお、巌鬼。ちょいとこちらに来い。おぬしに紹介したい者がおる」

「…………」


 巌鬼が役小角の後について広場に出ると、そこには育ちの良さそうな女が一人立っていた。

 女の額の左側には赤い鬼の角が生えており、ただの女ではないと巌鬼はすぐに理解した。


「私の名は鬼蝶……行者様からお話は伺っております。鬼ヶ島首領、温羅巌鬼……これからよろしくね」


 妖艶な微笑みを浮かべながら名乗った鬼女は、黒い爪の伸びた右手を巌鬼に向けて差し出した。


「…………」


 巌鬼はその手を見ながらしばし黙っていると、役小角が笑みを浮かべながら声を出した。


「──温羅坊、鬼蝶殿の手を握り返してやらんか」


 巌鬼は役小角の言葉を聞いて、眉根を寄せたあと、鬼蝶の顔をちらりと見た。そして、その微笑みからすぐさま目を逸らすと、ぶっきらぼうに左手を前に突き出す。


「ふふふ……」


 鬼蝶は笑いながら、無骨な鬼の手を掴み、巌鬼と握手を交わした。


「──鬼蝶殿には、温羅坊の教育係をしていただく。鬼ヶ島を率いる首領には、高い教養が必要不可欠だからのう……くかかかかッ!」


 役小角は目を細めて大声で高らかに笑うと、巌鬼はちらりと鬼蝶の顔を見た──。


「う……うゥぐ……?」


 巌鬼が鬼ノ城の玉座にて過去の記憶から意識を戻して目を開くと、目の前には鬼蝶が立っていた。


「鬼蝶……なんだ?」


 過去の記憶の中とは異なる筋肉の張った巨大な肉体を持った巌鬼が困惑しながら低い声で言う。


「巌鬼、今なら裏庭で面白いものが見れるわよ」

「裏庭……? 役小角の爺さんが何をやっている……」

「……ふふふ、一緒に見に行きましょう?」


 鬼蝶は夢の中で見たものと同じ微笑みを巌鬼に向けて浮かべると、しなやかに振り返って玉座の間を立ち去っていく。


「うゥむ……何だというのだ……」


 巌鬼は寝ぼけた頭を鬼の大きな手で抑えながら呟くと、燭台の灯りが照らす玉座から立ち上がってドシ、ドシと音を立てながら鬼蝶の背中を追った。


「ほれ、前鬼、後鬼……はよう客人に飯を降ろしてやらんか」

「……ウグォアア」


 役小角は、荒涼とした赤土が広がる鬼ノ城の裏庭にて、緑色の梵字が書かれた白布を顔に貼った前鬼と赤い梵字が書かれた白布を顔に貼った後鬼と共に居た。

 裏庭には大穴が穿たれており、役小角は大穴の底を覗き込みながら、黄金の錫杖を振るって前鬼と後鬼に指示を出す。


「……グオァァア」


 地獄から響くような低いうめき声を吐き出しながら、前鬼と後鬼が縄で縛られた笹の葉に包んだ大量の赤飯を協力しながら大穴の底に向かって降ろしていく。

 大穴の底では、50人ばかりの村人が右往左往しながら顔を上げて赤飯が降りてくるのを見た。


「客人衆、飯の時間じゃあ……! 仲良く分けて喰うのだぞぉ……!」


 役小角が大穴に向かって声を出すと、反響した役小角の声が村人たちの耳にうるさく響いた。


「鬼ヶ島のくいもんだ……どうせ、酷い臭いで、喰えたもんじゃないっぺ……!」


 そう言った村人の1人が笹の葉に歩み寄って、縛った紐を注意深く開封すると、山のように盛られた中身の赤飯をむき出しにする。

 赤い小豆と一緒に炊かれた赤い米、ほわほわと舞い上がる湯気と共に甘い香りが大穴の底に充満して、今すぐに喰らいつきたい気持ちを抑えて笹の葉を開封した村人が叫ぶ。


「こ、こげなもん! 喰うわけねかっぺよ! おらたちが知らねぇとでも思ったか! 鬼ヶ島の飯を喰えば鬼になる! 知ってんだぁ、おいらたちはぁ!」

「そうだ、そうだ! 鬼のくいもん、人間様が喰うわけなかんべぇ!」


 役小角に向かって叫ぶ村の男性、それに呼応して他の村人たちも怒声を上げて頷きあった。


「くかかかかッ! 別に無理して喰わんでもよいのだぞ……? 喰わねば死ぬだけだからのう……くかかかかッ!」


 役小角がさも愉快そうに笑っていると、鬼ノ城から鬼蝶と巌鬼が連れたって現れる。


「何をしているかと思えば……」


 巌鬼が呆れたように言うと、鬼蝶はこちらに気づいた役小角に声を掛けた。


「ふふふ……どうですか行者様? もう始まりました?」

「いんや、見世物はこれからじゃ。良いところに来たの、鬼蝶殿」


 鬼蝶は役小角の隣に並んで立つと大穴の底を覗いた、そこには飢えと戦いながら赤飯を前にした村人たちがいた。


「耐えているようですね。前回の村人はすぐに喰べていましたが」

「なぁに、すぐに折れるよ」


 鬼蝶と役小角は蟻の巣でも観察するような会話を大穴の上でしていた。


「おっとお……おらぁ……」

「だめだぁ……! 鬼の喰い物、一度でも喰っちまったら……どうなるかわかんねえ……!」


 大穴の底の隅で腹を両手で抑えた少年が父親に対してすがりつくように声を出すと、父親は声を荒らげて息子の行動を制した。


「で……でもよぉ……おらぁ、腹すかして待ってた祭りで、なんも喰えんかったから……おらぁ、ほんとに腹が減って……! 死んじまうよお……!」


 少年が悲痛な顔で叫んだその時、笹の葉の大皿の上の赤飯に手を突っ込んで掴み取って口に運んだ男を少年は見た。


「あぐっ! んめっ! んめぇぞこりゃあ! だ……大丈夫だっ! 喰える! 喰えるぞこりゃあ……!」


 あっ……とその場にいる赤飯をむさぼり喰う男以外の村人たち全員が声を上げると、次の瞬間、村人たちは、一斉に赤飯に飛びかかった。


「う……うめっ! 米だ! ちゃんとした米だ! うめえ!」


 赤飯の安全を確認した飢えた村人たちは我先にと赤飯に手を伸ばして口の中にがむしゃらに突っ込んでいく。


「おっとお……おら……もう喰う! 喰うだ……!」


 少年も赤飯の前まで歩いてくると、山ほどあったのに、どんどん減っていく赤飯を見ながら言った。


「待てぇ! 喰うなぁ!」

「喰うッ! あぐっ──!」

「──おい……! う……うう……! おらだって……おらだって喰いてえんだよぉ……!」


 手にした赤飯を美味そうに喰う息子の顔を見ながら、父親は正座して、自分の両膝を両拳で叩きながら涙を流した。


「おっとお……ほら……ング、早く喰わねと……! おっとおの分が無くなっちまうよ……!?」


 少年はそう言って、左手に握りしめた赤飯を父親の前に突き出した。


「そうだな……そうだ……喰わねと……喰わねとな……」


 父親がそう呟いて、息子が差し出す赤飯に手を伸ばした、その時であった……。


「うッ……うッぐ……ぐっ! ぐアあ……ががアが!」

「……ッ!? どした!? どしたぁ、おめぇッ!?」


 突然苦しみ出した息子は、父親に向けて差し出していた左手で自分の喉を抑えた。喉にべったりと赤飯が付着し、息子の顔面は段々と青黒く染まっていった。


「──くかかかかかァァッッ!! 遂に始まりおったぞ! 人が鬼に転じる様は、いつ見ても愉快だのうッッ!!」


 嬉々とした嬌声を上げた役小角。それに対して大穴の底にいる父親が見上げながら叫んだ。


「何したァッ! おめえッ! おらのせがれに、何喰わしたあぁッ!」

「何って──ちょいと鬼の血を混ぜ込んで米を炊いただけだが……?」


 役小角の言葉を聞いて、愕然とした顔をした父親。


「ばかもん。呆けた面でこっちを見上げとる場合か──ほれ、せがれがおぬしを見ておるぞ」

「……え」


 父親が顔を息子の方に向ける。眼前には、2本の赤い角を額から伸ばし、赤眼を光らせる青黒い肌の鬼がいた。


「ああ……っ!? ああッ! おめえ! どした!? あああ!?」

「……おどあ、アア、ぐががガああアアああッッ!!」


 長く伸びた上下の牙をむき出しにして、父親に襲いかかる息子。


「ガアアアァァァァアアアアッッ!!」

「ふん。よかったのう。これで、おぬしのせがれは空腹に苦しまずに済む。父親としての務めを立派に果たせたのう──くかかかかッ!」


 息子にむさぼり喰われる父親の断末魔の声を聞きながら役小角は笑う。そして、隣に立っていた鬼蝶が気づいたことを口にした。


「あら……赤飯を喰べたのに、鬼人に転じてない者がおりますね……?」


 鬼蝶は大穴の底を興味深そうに目を細めて眺めながら、苦しんだ末に絶命する者と鬼に転じる者との二者に分かれていることを発見したのだ。


「おお、そこに気づくとは。やはり目聡いのう、鬼蝶殿は……うむ、その通り。鬼に転ずる確率は半々。陽が出れば、もがき苦しみながら死に絶え、陰が出れば、鬼人として新たな生を得る」

「なるほど……陰と陽のどちらが出るかは、その者が持つ生来の性質なのでしょうか?」


 役小角の説明に、鬼蝶は納得の声を上げながら分析した。


「難しいところだのう。陰として生まれてきた者が人生の過程で陽に転じることもあれば、その逆もまた然り……肝心なのは陰と陽の均衡じゃ。故に確率は半々となる」


 役小角は言いながら、黄金の錫杖で大穴の底を示した。


「しかし、死に絶えることも決して無駄ではない。鬼になった者たちによってその亡骸がむさぼり喰われ、そやつの血肉と成り変わって生き返る。それがこの世の道理、円環の理の為せる妙……」

「……すみません、私にはまだ到達し得ない領域です……千年生きる行者様の御言葉、ただただ敬服致します」


 役小角の言葉に鬼蝶が申し訳無さそうに答えた。役小角は錫杖を大穴から戻して地面を突くと、チリンと金輪を高く鳴らした。


「つまるところ、鬼も人も、その本質はまったく変わらんということよ──くかかかかッ!」


 役小角は高笑いしながら前鬼と後鬼を引き連れて大穴を立ち去っていく。すると、鬼ノ城の前に仁王立ちする太い腕を組んだ巌鬼がギロリと役小角を見て低い声を上げた。


「……新たな鬼人が完成したようだな……鬼の贋物だが、桃太郎退治では思いの外に役立った……もっと作れ」


 役小角は満面の笑みを浮かべながら巌鬼の隣で立ち止まると、細い目で巌鬼を見やりながら言った。


「……おぬしに言われずとも、鬼人の大軍勢を築き上げるのが目下の課題じゃ。何より鬼ヶ島の戦力は枯渇しとるからのう」


 役小角が言うと、スッと目を閉じて神妙な声を出した。


「──のう温羅坊、覚えておるか?」

「……何をだ」


 巌鬼が役小角の顔を見下ろしながら言うと、役小角は巌鬼の顔を見上げて言った。


「──腹をすかせた幼いおぬしは、母鬼の肉を喰らおうとしていた……もう少しで、あれになろうとしておったのだぞ?」

「なッ」


 役小角の言葉に黄色い眼球をカッと見開いた巌鬼。


「──一生わしに感謝せいよ温羅坊ッッ!! くかかかかッッ!!」

「誰が感謝などするかよ……外道僧がッ!」


 役小角に対して巌鬼が激昂すると役小角は目を丸めた。


「ぬお……外道の鬼にそう言われるとは、こりゃあ傑作ッ! かかかかかッ!」


 役小角は満面の笑みで笑いながら2体の大鬼を引き連れて鬼ノ城の中へと入っていった。


「あの……ジジイ……」


 巌鬼が息を荒くしながら役小角を見送ると、鬼蝶が隣にやってきて声を掛けた。


「でも、桃太郎を退治したあとの大目的を達成するためには、行者様の力が絶対に必要……そうよね、巌鬼?」

「……わかっている……」


 巌鬼は鬼蝶を見ずにそう答えると、肩を怒らせながら鬼ノ城の中に入っていった。


「ふふふ……ああ、そういえば」


 鬼蝶はハッと思い出して、裏庭に立っている柘榴の木に向かって歩き出した。

 鬼ヶ島を覆い尽くす赤紫色の空の下、異様な雰囲気を漂わせた一本の柘榴の木が立っている。

 鬼ヶ島特有の赤土と、この場所からも見える赤い海から吹き付ける潮風に当たって育った木は、見るも無惨な邪悪な形状をしていた。


「うーん……これにしましょうか」


 鬼蝶はその木の下に行くと、しなだれかかった枝に実った大きな柘榴の果実を手に取って、馥郁とした香りを嗅ぎながら言った。

 熟しきった果皮は盛大に外側に向けて破裂しており、中身の美しも凄惨な果肉を見せつける柘榴の果実を見て、鬼蝶は思わず笑みをこぼす。


「ふふふ……これならきっと、気にいてくれるわね」


 日ノ本の物より一回り大きい鬼ヶ島の柘榴の果実を黒爪でちぎり取って、胸に抱きながら鬼蝶は鬼ノ城に戻った。

 そして、城内の燭台が照らし出す長い廊下を歩き、とある部屋の前まで来ると鬼蝶は声を上げた。


「……入るわよ、おつるちゃん」


 横開きの黒い扉をガラガラと開けて中に入った鬼蝶は、黒岩を削って作られた部屋の、一段高く作られた寝台の上に敷かれた布団の上に座るおつるの姿を見た。

 膝を抱きかかえてしゃがみ込んだおつるの眼は真っ黒に染まり、ただゴツゴツとした壁の一点だけを黙って見つめていた。


「良い部屋でしょう……? この鬼ノ城には牢屋もあるんだけど、あなたには特別にこの部屋を使わせてあげる」


 鬼蝶がそう言って微笑むと、燭台の灯りに照らされる机の上に柘榴と小刀を置いた。


「おつるちゃん、この柘榴をお喰べなさい」


 鬼蝶は言うと、おつるを見下ろしながら左腕の袖から黒い煙管をスッと取り出した。


「私あなたのこと気に入っちゃったから……鬼女にして、私直属の部下にしてあげる……これは初めてのことで、とても光栄なことなんだからね? ……ふゥ……」


 慣れた手付きで煙管に着火して一服すると、白い煙をおつるの顔に向けて吹き掛けた。


「今はまだちんちくりんだけど……ふゥ……成長したら、かなり美しくなりそうな予感はしてるのよね」


 濃厚な煙が顔面を覆っても、おつるは表情一つ変えなかった。それを見た鬼蝶は、煙管を口から離して思案しながら言った。


「ねえ、おつるちゃん。あなた、何か欲しい物はないの? お菓子でも着物でも宝石でも、鬼ヶ島なら、欲しい物は何でも手に入るわよ……?」

「…………」


 無言を貫くおつるに嫌気が差した鬼蝶は、煙管を逆さにして、先端にある火皿に詰まった刻み煙草を黒い石畳の床の上に落とす。


「柘榴、ちゃんと残さず喰べなさいね……私が大事に育てた鬼ヶ島の柘榴なんだから」


 扉から去り際、鬼蝶が横目でそう言うと黒い扉を後ろ手で閉めた。鬼蝶が居なくなった部屋で、おつるはゆっくりと首を動かし、机の上の柘榴と小刀を見た。

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