13.桃太郎退治
村の中央広場、夜空を煌々と照らし出す炎をまとったやぐらを背にした桃太郎が、温羅巌鬼が対峙していた。
「……小夜は……桃姫は……」
切断された右肩を抑えながら、桃太郎が絶望に目を眩ませながら言うと、巌鬼は裏門の方向に視線を送った。
「捕らえたか……鬼蝶」
裏門からは4人の鬼人を引き連れた鬼蝶が、笑みを浮かべながらやぐらに向かってしなやかに歩いてくる。鬼蝶の左腕は疲れ果てた表情をした桃姫の首に回されていた。
「……桃姫ッッ!!」
巌鬼の言葉を聞いて、同じ方向を見た桃太郎は、ボロボロになった着物を着て、今までに見たことのない暗い表情を浮かべる桃姫の姿を見て叫んだ。
「……父……上……」
桃太郎の言葉が耳に届いて、目に微かな光を取り戻した桃姫は、仁王立ちする巌鬼の前にひざまずく桃太郎の姿を見て絶句した。
「待たせたわね、巌鬼……でも、ちゃんと約束通り、殺さずに連れてきたわよ」
「……うっ……」
鬼蝶が燃え盛るやぐらの前までやってきてそう言うと、左腕で拘束した桃姫の首にグッと力を込めた。
「ああ……よくやった。ここに連れてくるまでの間、殺したくてしょうがなかっただろうにな」
「ふふふ……私のことなら何でもお見通しね、巌ちゃん」
巌鬼の言葉に鬼蝶が嬉しそうに言って返すと、巌鬼は鬼蝶をギロリと睨みつけた。
「怖い顔しないで……まったく」
鬼蝶が言うと、巌鬼はその後方にいる鬼人の肩に担ぎ上げられている少女を見た。
「何だ……そいつは」
手足をだらり伸ばして、力なく肩に担がれた少女を見ながら巌鬼が言うと、鬼蝶はちらりとおつるを見やってから言った。
「ああ。私の戦利品」
あっけらかんと鬼蝶が言うと、巌鬼は一瞬で興味を失ったかのように桃太郎に向き直った。
「桃太郎……父と娘の感動の再開だぞ──どうした、喜べよ?」
巌鬼が言うと、桃太郎は巌鬼を睨みつけて叫んだ。
「妻はどこだ……小夜をどこにやった……!」
桃太郎の叫びを聞いて、巌鬼は横目で鬼蝶の方を見た。
鬼蝶は左腕で桃姫を拘束しながら、右手を胸の前に出した。
その右手は、細身の刃のように鋭く長い黒爪が五本伸びた異様な鬼の手だった。
「ああ……これのことでしょうか?」
鬼蝶は黒爪の間に引っかかった血濡れた黒髪を見ながら言う。
その言葉を聞きながら、至近距離でその髪の毛と血を見た桃姫の脳裏に小夜との日々、愛する母親との思い出が一瞬で駆け巡った。
そして、桃姫の脳が現在と過去の状況の落差に対して拒絶反応を引き起こし、桃姫の神経を切断させた。
「……あっ」
と桃姫は小さく声に漏らすと目をぐるんと上に向けて全身を脱力させて気絶した。
「おっと……?」
鬼蝶は全体重を預けて左腕に寄りかかってきた桃姫をグッと抱き直した。
「あら……この娘、気を失っちゃいましたね」
鬼蝶が白目を向いた桃姫の顔を見下ろしながら言うと、巌鬼は桃太郎に視線を戻した。
「なァ、桃太郎よ……なぜ、お前の娘をここに連れてきたかわかるな?」
巌鬼は、小夜が死んだことがわかって放心状態の桃太郎に低い声で言う。
「お前が俺に地獄を見せたように──俺もお前に地獄を見せてから殺すためだ」
巌鬼はそう言うと、目を閉じて20年前のあの日を回想した。
「お前は忘れていた。20年前に鬼ヶ島で自分がやったことを……お前は忘れ、妻と娘と暮らし、戦うことを忘れ、刀すら抜けなくなっていた、お前は──」
「──忘れたことなどない」
巌鬼は桃太郎の言葉に黄色い眼球を見開いた、そしてひざまずいている桃太郎をギロリと見下ろす。
「忘れようとしても……忘れられるはずがない……私は一日たりとて……あの鬼ヶ島の惨劇を忘れたことはなかった……」
桃太郎は苦悶の表情を浮かべ、切断された右肩を抑える左手の指にグググ……と、力を込めた。
「毎晩、同じ鬼ヶ島の悪夢を見て……夜中にうなされながら目が覚める。私はなんてことをしてしまったんだと……私がしたことは正しかったのかと自分を責める」
グググググ……と、切断面の赤い肉の中に桃太郎の血管が浮いた左手の指が押し込まれていく。
「……しかし、そうしていると寝息が聴こえてくるんだ……穏やかな寝息が……私は、桃姫と小夜の安らかな寝顔を見て……何とか……心を落ち着ける……」
桃太郎は、目を閉じ、一筋の涙を流した。
「そうやって……今日まで、何とか……何とか、生き延びてきた……」
桃太郎は巌鬼に向かって頭を下げるように顔を伏せた。そして、流れた涙を自分の血溜まりの中に落とす。
その桃太郎の姿を巌鬼は見下ろしながら、一層低い声で桃太郎に告げた。
「……ならば、どちらを残すか選べ」
「……っ」
「お前の命を残すか、娘の命を残すか──今、どちらかを選べ」
巌鬼が桃太郎に問うと、後方に立つ鬼蝶が面白いとばかりに眼を細めた。
「……ぐ……うう」
巌鬼が提示した選択に対して、桃太郎は顔を伏せたまま、歯噛みして嗚咽を漏らした。
「ん……これは、意外だな……即断できんのか。この期に及んで、自分の命が惜しくなったのか、桃太郎」
巌鬼が桃太郎の後頭部に向かって言うと、桃太郎は左手を右肩の切断面から抜き取って、真っ赤に血濡れたその手を地面につけた。
「娘は……桃姫は、まだ、幼い……この世の、悪意から……遠ざける……親が、必要だ……」
桃太郎は巌鬼に対して、震える声で話しだした。
「親がいなければ……一人残された娘は……この世で……地獄を、見ることになる……桃姫に地獄を見せたくないんだ……」
桃太郎は顔を上げると、巌鬼の後ろに立つ鬼蝶、その左腕が抱え持った気絶して脱力する娘の姿を見た。
「親がいなければ子は地獄を見る、か──そのような言葉、よくお前が俺に対して言えたものだなッッ!!」
「うっ……! ううう……!」
桃太郎に対して、巌鬼が黄色い眼球に縦に入った赤い瞳孔をグッと横に拡げながら激しく咆哮した。
すると、桃太郎は体を震わせて大粒の涙をこぼし出し、顔を地面の血溜まりに押し付けて激しい嗚咽を漏らした。
「頼む……! 私を許してくれ……殺さないでくれ……! これ以上私から、家族を奪わないでくれ……!」
そして、巌鬼に対して、土下座の形で泣き叫びながら懇願を始めた。
「許してくれ……許してくれ……! 頼む……! ……頼むッッ!!」
「……情けない。これがあの英雄、桃太郎なの……?」
仁王立ちする巌鬼に対して、土下座をして懇願する桃太郎の姿を見た鬼蝶が呆れたように冷たい声を発した。
そんな桃太郎の様子、自分が作り出した血溜まりに顔を押し付けて全力で許しを求めるその様子。
「──ふゥむ」
温羅巌鬼はようやく満足したように微笑むと、低くはあるが、優しい声音で桃太郎に言った。
「桃太郎……もういい。面を上げろ」
「うう……」
巌鬼が告げると、桃太郎はゆっくりと自分の血に染まった赤い顔を上げた。
「──許す」
「……え……?」
巌鬼は穏やかにそう言うと、太い右手を伸ばして桃太郎の左腕を掴んだ。そして上に引き上げて、桃太郎を立ち上がらせる。
「本当、に……?」
桃太郎はよろよろと立ち上がりながら、巌鬼と視線を合わせた。
「──ああ。許す」
巌鬼は満足げな微笑みを見せて繰り返した。
「──桃太郎、許す──」
「……っ……」
巌鬼の言葉を聞き、その巌鬼の穏やかな顔を見て、血に赤く染まった桃太郎は、満面の笑みを浮かべた。
笑顔の桃太郎、笑顔の温羅巌鬼、2つの笑顔が燃え盛るやぐらの前で交差する。
──助かった……。
桃太郎が心の底からそう思った瞬間……。
「──わけがあるまいッッ!!」
「──ッッ!! ガ……ッ! はッ……!」
黄色い眼球を剥き出しにして咆哮した巌鬼は、右腕で掴んだ桃太郎の腕を更に高く持ち上げて、桃太郎の体を中に浮かす。
そして間髪入れずに、黒い鬼の爪が伸びた太い左腕を全力で叩き込んで桃太郎の左胸をドゴッと刺し貫いた。
「──地獄に落ちろ、桃太郎」
桃太郎の背中から飛び出した心臓は、呪詛を呟いた巌鬼の手に握られながらドクッドクッと鼓動を繰り返した。
「……も……も……」
桃太郎は、急速に光が失われていく視界の中で巌鬼の向こう側、鬼蝶の左腕に抱かれる気絶した桃姫の姿を見て、血を吐き出しながら息を絞り出すように声に出した。
「……フンぬッッ!!」
次の瞬間、憤怒の形相を浮かべた温羅厳鬼の手によって桃太郎の心臓がグシャアッッ!! と握り潰される。
巌鬼の左手の指の隙間から桃太郎の心臓の残骸がボタボタとこぼれ落ち、その落下する肉質的な音と生暖かい感触を味わった巌鬼は満足気に深い呼吸をした。
「──俺の勝ちだァ」
20年間、この日のためだけに生きてきた巌鬼が、生まれて初めての本当の勝利を実感して、心の底からの笑みを浮かべながら声に漏らす。
そして、巌鬼の太い左腕に左胸を貫かれた状態の桃太郎は全身の力が抜けて脱力し、濃桃色の瞳の光を完全に失っていた。
だが、その光を失った瞳は、未だに桃姫の姿を微かに反射していた。心臓を失った全身の細胞が次々と機能停止していくと同時に一筋の涙を目から流し……。
──鬼退治の英雄、桃太郎は絶命した。
巌鬼が桃太郎の亡骸から左腕を引き抜いて血溜まりの中に落とすと、パチパチパチ……と小さな拍手の音が聞こえた。
「巌鬼……遂にやりましたね──桃太郎退治、格好良かったわよ」
鬼蝶が笑みを浮かべながらパチパチと両手のひらを叩き合わせて祝福すると、巌鬼は深く息を吐きながら崩折れる桃太郎の亡骸を見下ろし、呟いた。
「──桃太郎退治か」
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