11.襲撃
「これより! 日ノ本一の大英雄! 桃太郎様による鬼ヶ島成敗! 20周年記念のお祭りを開始いたします!」
「──わあああああっっ!!」
やぐらに上がった村長が、村の中央に集まった村人たちに向けて大きな声で宣言すると一斉に歓声が上がった。
「大英雄桃太郎様は! 日ノ本の各地に出没し! 人々に災いをもたらした鬼どもの根城! 鬼ヶ島に対して勇猛果敢に三獣と共に挑み! 見事に鬼退治を果たしました!」
「──うおおおおおおおおっっ!!」
「そして、この村が他の村に比べて豊かになったのは! 大英雄桃太郎様が鬼ヶ島から財宝を持ち帰ってきてくれたおかげです! このことを決して忘れてはなりません!」
「──そうだあああああああっっ!!」
「それでは皆様! 拍手喝采でお出迎えください! 我らが村の大英雄! 桃太郎様の登場です!」
「──桃太郎おおおおおおおおっっ!!」
──ドン! ドドン! ドン! ドドン! ドンドンドン!
やぐらの上に置かれた巨大な和太鼓が盛大に叩き鳴らされると、やぐらの中にある梯子を登って桃太郎が姿を現した。
鬼ヶ島の際に身につけていた白い軽装鎧を身につけ額に金の額当てを巻いた桃太郎は、照れ笑いを浮かべながら村人たちに手を振った。
「それでは皆様! 御一緒に! せーっの!」
「──よぉっっ! 日ノ本一ぃっっ!!」
村長の掛け声に合わせて村人たちが一斉に両手を突き上げて叫んだその時だった。
「──グラアアアアアアアアアアッッ!!」
大きな松明に照らされる中央のやぐらに向かって一体の大鬼が、恐ろしい獣のような咆哮を上げながら走ってくる。
桃太郎は咄嗟に振り返って声の主を見ると、村の外れ、山の方角から現れた温羅巌鬼と目を合わせた。
「──鬼……ッッ!?」
桃太郎が目を見開いて口に出すと、巌鬼は地面にしゃがみ込んで、いびつにねじ曲がった額の赤い二本角を見せつけるようにしてから大きく跳躍した。
「──死ネエエエエエエエエエイッッ!!」
黒く鋭い鬼の爪が生え揃った太い両手を拡げながら、やぐらに向かって飛びかかって来た巌鬼。
縦に赤い線が入った黄色い眼球を見開き、口を大きく開けて牙を剥き出して、その狙いは明らかに桃太郎だった。
「──くっ!」
桃太郎は咄嗟に、呆然としている村長と太鼓を叩いていた青い法被の男を両脇に抱えると、やぐらから飛び降りた。
ドゴォォォオオオオオンッ! という途轍も無い衝撃音と共に粉砕されたやぐらは、飛び散った瓦礫を周囲の村人たちに容赦なく降り注がせた。
「……ぐう……!」
やぐらから飛び降りて地面に倒れ伏した桃太郎。崩壊しながら倒れ込んできたやぐらの残骸に伸し掛かられるが、膂力を使って何とか起き上がると、倒れたままの村長と太鼓の男の無事を確認しようとした。
しかし次の瞬間、再びあの地響きのような恐ろしい咆哮が聞こえ、桃太郎は夜空を見上げた。
「──グルァアアアアアアアッッ!!」
両手を拡げてこちらに向かって落下してくる毒々しい黒紫色の肌をした温羅巌鬼。桃太郎は手を伸ばして村長と太鼓の男を掴んで救い出そうとしたが、全く間に合いそうになかった。
「……くそッ!」
桃太郎は止むを得ず、自身の体だけを後方に跳ね上げて、巌鬼の落下地点から距離を取った。村長と太鼓の男がよろよろと起き上がろうとしているのが見えた。その瞬間……。
ドォォオオンッ! と、またしても轟音が響き渡り、あたりに濃い砂煙が舞った。
「……何だ……何だ……何が、起きて……」
桃太郎が突然の事態に気を動転させながら言うと、砂煙の中から両手を拡げた黒い影が迫ってきた。
「──グラァァァアアアアアアアッッ!!」
その咆哮が耳に届く前に桃太郎は、左手の白鞘に手を掛けて桃源郷を引き抜こうとした……が抜けなかった。
「……っ、抜けない……!?」
桃太郎が目を見開いて愕然とした直後、桃太郎の顔面目掛けて鬼の手の平がぶつかってきた。
「ぐゥウウううッ!」
桃太郎は顔面を鬼の手で掴まれたまま、全力疾走する温羅巌鬼によって家屋に背中から叩きつけられる。
「がっはアアアアアッッ!!」
桃太郎は血を吐き出しながらうめき声を上げた。砕けた木造家屋、その中に突入した温羅巌鬼は狭い居間の中で桃太郎の耳元に話しかけた。
「──俺が……誰だか、わかるか?」
「……が……ああ……があ」
桃太郎は顔面を万力のような怪力で掴まれ続けたまま、両手で巌鬼の腕を掴む。そして、口から血を流してうめいた。
「──俺が、誰だかわかるかよォ……!? なァッッ!?」
巌鬼は桃太郎の頭を上半身をひねって振りかぶると、全力で村の中央のやぐらに向かって放り投げた。
やぐらに向かって桃太郎の体は蹴鞠のように転がる。崩壊したやぐらは、近くの松明が倒れた影響で引火し、夜風に煽られながら段々と大きな炎を燃え上がらせていた。
「桃太郎……俺はお前のことを、よく知っている」
巌鬼は、穴が空いた家屋の壁を怪力で崩しながら這い出てくる。
憤怒の形相を浮かべながら、一歩一歩、ドシ、ドシ、と黒い爪が生えた鬼の太い足で地面を踏みしめながら、桃太郎に迫ってきた。
「──なァ……これを見れば思い出せるか……?」
口から血を流した桃太郎は、後ずさりしながら距離を取ろうとするが、やぐらから発せられる炎の熱でこれ以上下がるのは危険だった。
巌鬼は黒毛牛の毛皮で作られた羽織の衿に手を入れるとグッと脱いでみせた。
「……っ……!」
桃太郎が息を呑む。巌鬼の筋肉の張った屈強な左胸、そこには刀による大きな刺し傷の跡があった。
「──20年前に、殺したよな、この俺を」
「……嘘だ……」
「──温羅の息子、巌鬼をッッ!! 20年前にお前は一度殺したよなァッッ!!」
巌鬼がこれでもかと裂けんばかりに顎を大きく開けて、鬼の黄色い両眼をガッと力強く見開きながら、恐ろしい形相で爆音のような咆哮をする。
「ひっ……! い、いい……!」
桃太郎は顔を引きつらせた。恐ろしい。人生で感じたことのない、あり得ないほどの恐ろしいという感情が押し寄せていた。
それでも桃太郎は、右手を左腰の白鞘に這わせて、何とか20年前の愛刀、桃源郷を引き抜こうとした。
「何で……抜けない……何で……」
しかし、まるで鞘と刃が一体化してしまったかのようにガチガチに固まってしまって抜くことが適わなかった。
「桃太郎、その刀を抜いたのはいつだ……?」
巌鬼が震える桃太郎を見下ろしながら言うと、桃太郎は鬼ヶ島成敗10周年記念の時にやぐらの上で高々と掲げたのを思い出した。
それ以来、一度も鞘から抜いた記憶がない……。
「刀は手入れをしなければ腐る……そんなことすら、この20年の間に忘れていたのか?」
巌鬼は言いながら一歩、また一歩と桃太郎に近づいてきた。
「随分と……平和な暮らしをしていたようだなァ……鬼を退治したからか?」
「う……う……うう……!」
桃太郎は桃源郷の白鞘から右手を下げ、桃月の白鞘に触れた。そして柄を掴むと、頼むと祈りながら鞘から引き抜く。
「……ふん、そちらは抜けたようだな」
桃太郎は、銀桃色の刃を持つ、脇差し桃月の切っ先を突き出しながら巌鬼を見上げる。
「……知っているぞ。その脇差しで、俺の親父を殺したのだろう……?」
巌鬼は憎々しげに言う。桃太郎は何とか腰に力を込めて立ち上がろうとするが、心が恐怖に支配されていた。
「……桃太郎の英雄譚は、鬼ヶ島にも届いている……どうやって俺の仲間を殺したのか、全部、知っている」
巌鬼はそう言うと、左胸を無防備に前に曝け出した。
「ほら、刺せよ。あと一回そいつで心臓を突き刺せば、俺は死ぬぞ……? どうした、英雄」
「……そうか……」
巌鬼が小馬鹿にするような低い声を出すと、桃太郎は口から漏らすように声を発した。
「……あの時の……奥の間の……母鬼と、赤児の鬼の……そうか……」
桃太郎は濃桃色の瞳を薄暗く染めながら呟く。その言葉を聞いた巌鬼が、口元を歪めて笑みを浮かべた。
「ようやく思い出したか。俺はお前のことを一日たりとて忘れたことがなかったというのになァ……?」
巌鬼がそう言ってまた一歩近づいた。対する桃太郎は、桃月を持った手を力なくだらりと落とした。
「まさか、これほどの腑抜けになっていたとはな──残念だ、桃太郎」
巌鬼が桃太郎の眼前まで来て見下ろすと、背中に背負った黒い大太刀の柄に手を掛けた。
「桃太郎……俺の勝ちだ──」
そう言って、巌鬼が両手で柄を握った大太刀を背中から持ち上げた瞬間だった……。
「ヤエエエエエエエエエエッッ!!」
裂帛の声を上げた桃太郎は、濃桃色の瞳に光を取り戻し、右手に握った桃月を、飛び上がるように立ち上がった勢いで温羅巌鬼の曝け出された左胸目掛けて突き出した。
そして、ドンッ! という爆音に似た音があたりに響く。
「──……っ」
桃太郎の右肩は消えていた。
「──20年、俺は、お前を殺すことだけを、考えて生きた」
巌鬼の剛力で振り下ろされた黒い大太刀は、桃太郎の右肩を丸ごと吹き飛ばしていた。
「……ぐぅぅううウウッっ!!」
遅れてやってきた桃太郎の右肩に走る激痛、そして噴き出す大量の血液。桃太郎は目をひん剥き、砕けんばかりに歯を喰いしばって左手で右肩の切断面を抑えた。
「痛いか? 桃太郎。苦しいか? 桃太郎……でもなァ、本当の地獄ってのは、そんなもんじゃあないはずだよなァ」
巌鬼は低い言いながら、桃太郎の鮮血を浴びた黒い大太刀を持ち上げて背中に背負った。
「本当の地獄ってのは……自分以外の苦しみを見ることにあるんだ──俺は20年前に、お前からそれを教わったんだよ」
「……ぐ……う……ぐぐッ……」
巌鬼に対して跪いた状態の桃太郎は自分の激痛に耐えることで精一杯だった。巌鬼はそれでは全く満足していなかった。
「なァ……桃太郎。まさか今、この村でお前だけが鬼に襲われていると、そう思っているんじゃあないのか……?」
「……ッッ!?」
「図星か……とんだクズ野郎だなァ」
驚愕の表情で巌鬼を見上げた桃太郎に向かって、侮蔑の言葉を浴びせかけた巌鬼。
確かに桃太郎は、巌鬼に襲われた当初こそ他の村人のことを考えて行動していたが、それ以降においては自分だけのことを考えて対処してきた。
鬼に襲われているのは自分だけではない。つまり、鬼は奥の間で生き残った巌鬼だけではない。それは、完全に桃太郎の思考の範疇外にあるものであった。
「……っ、みん、な……っ」
そして、ここに来て桃太郎はようやく自分以外の村人に対して、目と耳の注意をやることを始めたのであった。
「キャアアアアアッッ!!」
「ワァッッ! アアッッ!!」
「助けてッ! 助けてッ、アガッッ!!」
「桃太郎様っ! どちらですか! 鬼が──ギャッ」
地獄絵図。槍と刀で足軽のように武装した鬼人が村人を追いかけ回し、家屋に火を付けて回り、命乞いを一切聞き入れずに殺害していく。
「ずっとこうだったぞ……? ようやく、何が起きているか、気づいたのか」
巌鬼は桃太郎の衿に手を伸ばすとグッと掴み上げて眼前まで近づけた。
「今日、お前の村は消える──お前と、お前の妻と──娘と共にッ!」
「……ッッ……小夜──桃姫ッッ!!」
桃太郎は真っ赤な血を吐き出しながら天に向かって愛する妻と最愛の娘の名を絶叫した。
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