5.桃太郎

 むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがくらしておりました。

 おじいさんはやまへしばかりに、おばあさんはかわへせんたくにいきました。


「はあ、参っちゃうね。はあ、参っちゃうよ……」


 おばあさんはぐちばかりいいながら、せんたくおけをえっちらおっちらかわまではこびました。


「こんな歳になってまで、はあ、こんっな重労働しなくちゃ、ならないなんてねえ……」


 おばあさんはせんたくおけをかわぞいのくさのうえにおくと、あおぞらにむかってこしをおさえながらのびをしました。


「村で子供がいないのはあたしたち夫婦だけ、はあ、なんでこんなことに、なっちまったのかねえ……」


 おばあさんはあたたかなひざしをおくりつづけるおてんとうさまにむかっていいました。


「ええ! 一体、あたしと爺さんが何をしたって! ……はあ……言うのかねえ……はあ……」


 おばあさんはそういうとしゃがみこんでひしゃくをつかみ、いつものようにせんたくおけにかわのみずをいれることにしました。


「腹減ったなあ……腹減ったあ……なんでもええから、腹いっぱい食いて……え?」


 おばあさんがひしゃくでみずをすくっているとかわかみからおおきなぶったいがながれてきました。


「え……? あれ……は……え? ももいろ、の……桃かいッッ!?」


 おばあさんはひしゃくをほうりなげてすっくとたちあがるとおおごえをあげました。


「桃が! でっけえ桃が……! あ、ああ。どうすべか、どうすべかな、これはァッ!」


 おばあさんはうおうさおうしますが、このままではももはとおりすぎてしまいます。

 おばあさんはいをけっしてかわのなかにあしをいれました。


「いぎっ! あ、ああ……冷てえ……で、でも、桃なんて、滅多に喰えたもんじゃあねえッ!」


 おばあさんはめをかっぴろげると、いっぽまたいっぽ、ずいずいとかわにあしをふみいれていきました。


「あんなでっけえ桃……! ああ、喰いてえ……! 喰いてえよおッ!」


 おばあさんはこちらにむかってながれてくるももをみながらわめきますが、かわのながれがはやすぎておもうようにまえにすすめません。

 それでもなんとかもういっぽだけまえにあしをふみだしたそのしゅんかんでした。


「お、おわっ! おわぁぁあっ!」


 そのいっぽぶんから、かわぞこはふかくなっていました。

 おばあさんのあしはかわのながれにまけてからだごとながされてしまいました。


「ああ、駄目だッ! こりゃあ駄目だッ! 爺さあん、お爺さあんッ! 助けてくんろォッッ!!」


 かわもにうかびながらながされていくおばあさんは、さいだいげんのおおごえをだして、ひっしのぎょうそうでたすけをもとめます。

 ですが、おじいさんのいるやまのおくまでとどくわけもなく、すいりゅうにおしながされるおばあさんはもはやなすすべがありませんでした。

 そのときでした。


「──お助けいたしましょう──やれ」


 おじいさんとはちがうしわがれた老人の声がお婆さんの耳に届き、棍棒のような太い腕がお婆さんの腕を掴んで軽々と川面から引き上げました。


「えっ……」


 驚いたお婆さんが声を上げて振り返ると、後ろに立って居たのはお婆さんの背丈の三倍程もある白頭巾で顔を隠した筋骨隆々な大男でした。


「おぬしは拾ってこい──いけ」


 しわがれた声がもう一度発せられると、白頭巾の大男がもう一人現れて、ざぶざぶと川に入り、流れていく大きな桃をむんずと片手で掴み上げました。

 そして、大きな歩幅で川から出ると、桃を洗濯桶の隣まで運んで無造作にドンと置きます。


「……あらぁ」


 お婆さんは自分がずぶ濡れなのも忘れて、呆気に取られながらその光景を見ていました。


「大事はないですかね、お婆さん?」


 二人の大男に注意が行っていたお婆さんに対して、黄金の錫杖を持った修験僧の白装束を着た老人が話しかけました。

 骨ばって痩せたその老人は、白く長い髭を蓄え、同じく白い髪を頭の天辺で結っていました。


「は、はいぃぃ……あのぉ、た、助かりました。どこのどなたかは存じ上げませぬが、助かりましたぁ……」


 困惑しながらも、何度も頭を下げ両手を合わせて感謝するお婆さんに謎の修験僧は笑顔で頷いて応えました。


「いえいえ、無事が第一。して、その桃はお婆さんが最初に見つけた桃。どうぞ、家に持ち帰って、召し上がるとよろしい」


 老人が嫌味の一切こもっていない満面の笑みでそう言うと、お婆さんは喜びに目を輝かせました。


「そんな、そげな……! ありがたやぁ……! ありたがやぁ……!」

「くかかかかか……!」


 再び拝み出したお婆さんに老人は朗らかな笑い声を上げると、錫杖の上部に並んだ金輪の音をチリンと鳴らして合図を送りました。

 すると、大男二人は返事をするでもなく、老人の左右に立ち並びました。


「くかかか……よく晴れているから、服はすぐに乾きましょう──では、これにて」


 老人は変わらぬ笑みを浮かべながら、錫杖を握っていない左手で片合掌をして軽く頭を下げると、お婆さんに別れを告げました。

 そして、二人の大男を引き連れて、その場を立ち去ろうとします。


「あっ、ちょ、ちょいとお待ちを……!」


 全身びしょ濡れのお婆さんが去っていく白装束の背中に向かって手を伸ばして声を掛けると老人はぴたりと立ち止まりました。


「──何かな?」


 背中を向けたまま答える老人にお婆さんは言いました。


「あっ、あの……やっぱり、あ……助けてもらった上に桃を丸ごと頂くのは……だから……半分、おわけしましょう……かねえ?」

「くかかかか……! いや、結構、結構」


 老人はちらりと顔だけ横に向けて言うと、その白く長い眉毛を寄せて笑みを浮かべて答えました。


「その気持ちだけで結構。たんと頂くとよろしい。きっと、美味なはず──それでは、わしはこれにて」


 老人は再び片合掌をしてそう言うと、朗らかに笑いながらお婆さんの前から去っていきました。


「はあ~、あんなに立派な御人が備前には居たんだねぇ……」


 お婆さんは感嘆の声を漏らすと草の上に置かれた大きな桃に目をやりました。

 熟れ切っているのであろう芳醇な香りがこれでもかと周囲に漂い、お婆さんの鼻孔をくすぐります。

 お婆さんはうっとりとした顔で丸々とした見事な桃をしばらくの間見つめ続けました。

 いつの間にか濡れていた服は乾き、朝は憎たらしいとすら思っていたお天道様に感謝の気持ちが芽生えました。


「ほんに、ありがたいねぇ……」


 思わず、太陽に向けて感謝の合掌を笑顔になったお婆さんはしました。

 すると、遠くの方から聞き覚えのある村の住人の音痴な歌声が耳に届きました。


「あっ! 他のもんに見つかる前に早く持って帰ろうねえッ……!」


 穏やかな顔つきをしていたお婆さんは急に不安になり、血相を変えると辺りを見渡しながら言いました。

 そして、そそくさと洗濯桶の中身を捨てて、代わりに大きな桃を乗せると、そそくさと他の住人に鉢合わせしないように気をつけながら家路を急ぎました。

 それから数時間後、夕方になって山から帰宅したお爺さんにお婆さんは大きな桃を見せながら日中に起きた出来事の説明をしました。


「なんとまあ、そげなことが」


 話を聞いたお爺さんは目を丸くすると、わらぶき屋根の狭い家の中央に置かれた洗濯桶の上で、強烈な芳香を放つ大きな桃をじっと見つめます。


「はあ……ありがたやだなあ……それはあ」

「なんまんだぶ……なんまんだ……」


 と言いながら、二人並んで正座してしばらくのあいだ立派な桃を拝み倒しました。

 そしていよいよ二人とも空腹の限界になり、ところどころ錆びて切れ味の悪くなった太い包丁をお婆さんが炊事場から持ってくると、桃にその包丁を押し当て、二人で桃を食べまし──。

 ──なんと、わったもものなかからたまのようにかわいらしいおとこのこのあかんぼうがとびだしてきたではありませんか。

 おじいさんとおばあさんはこれにはびっくりぎょうてん。

 ふたりはわかいころにおとこのこをはやりやまいでなくしていたため、これはほとけさまのいきなはからいなのだとかんがえてそだてることをきめました。

 そして、不思議な桃を食べて精力が──そして、ふしぎなもものなかからうまれたので、おじいさんとおばあさんはあかんぼうのなをももたろうとめいめいしました。

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