4.悪鬼、死すべし

「温羅様っ、お帰りなさいま……ひっ!?」

「──悪鬼、死すべし」

「キャアアアアアアアアッッ!!」

「──悪鬼、死すべし」


 美しい花柄の着物を着て、額に角を持った若い鬼女が出迎えた瞬間、桃太郎は躊躇なく斬り殺した。


「みんな逃げてエエエッ!」


 その光景を見た別の鬼女が叫ぶ。


「──悪鬼、死すべし」


 桃太郎は死んだ目で繰り返しながら、鬼ノ城の城内を歩き回り、目についた鬼女を尽く斬り殺していく。


「奥の間には絶対に入れてはなりませんっ! 奥の間にだけは!」

「ワアアアアアアアアッッ!!」


 頭の角に花輪を付けた鬼女が叫びながら槍でがむしゃらに向かってくるが、桃太郎は簡単にいなすと心臓を一突きして殺した。


「──悪鬼、死すべし」

「お命だけは! 私は備前の……ギエッ」

「──悪鬼、死すべし」

「帰ってください……! 帰って! アアアアッ!」

「──悪鬼、死すべし──悪鬼、死すべし──」

「ここから先は奥の間。あなたが人であるというのならば、これ以上の……ウッ」

「──悪鬼、死すべし──悪鬼、死すべし──悪鬼、死すべし──」


 桃太郎は鬼ヶ島と赤い太陽が描かれた見事な黄金の屏風を血まみれの二刀で斬り開けると、中に押し入った。


「お母さん……怖いよう……」

「助けて……お父様……どこ……」

「く、来るな! 来るなッ!」


 桃太郎が奥の間の中を見渡すと、母鬼が8人、そして子鬼が12人居た。

 母鬼の中には腹を膨らませている者も居た。


「──ここにいるので、全員か?」

「……ひっ」


 全身に黒い返り血を浴びて白い軽装鎧が黒く染まった桃太郎は、全く感情のこもっていない声で告げた。


「──なぁ。ここにいるので、鬼の子供は、全員か?」

「そ……そうです」


 視線を合わせない桃太郎の言葉に怯えた若い母鬼が子鬼を胸に抱きしめて震えながら答えた。


「──そうか。良かった──もう、殺さないで済む」


 桃太郎はそう言うと、赤黒く濁った濃桃色の瞳で母鬼を見下ろして桃源郷の刃を振り下ろした。

 次々と振るわれる桃太郎の狂刃によって白く清潔だった奥の間は瞬く間に鬼の血によって黒く染まった。

 しかし、それは桃太郎を安心させる色であった。


 ──こいつらは、人間ではない。かつては人間だったかもしれないが、今は赤い血の流れる人間ではない。

 ──私は一人も人間は殺していない。

 ──私は鬼退治をしているだけだ。


「──悪鬼、死すべし──悪鬼、死すべし──悪鬼、死すべし──」


 桃太郎は刀を振り下ろし、あるいは振り上げ、あるいは突き刺して、額に角を持ち、体から黒い血を噴き出す鬼の退治を行った。

 そして、目に付く限り、あらかたの殺戮が終わった桃太郎はポタポタと桃源郷と桃月の切っ先からしたたる黒い血を見ながら放心していた。

 今は黒く染まっているが、本来、美しくも不思議な銀桃色の刃をしたこの刀は、人を斬るための刀ではない。鬼を斬るための仏刀。

 人を斬ろうとすれば、それは錆びついたナマクラ刀のように刃が引っかかってしまって肉の中に滑らないのだ。

 しかし、鬼ノ城に入城してからの殺戮。一切引っかかることなくスルスルと斬れていった。

 それは紛れもなく、斬った相手が鬼であることを現しているのだが、桃太郎の心は闇の中に浸かっていた。


「……悪鬼……死すべし……」


 桃太郎が呆然と呟くと、視線の端、間仕切りの影から子鬼が這い出てきた。


「……かか……」


 それは、子鬼ではなく赤子鬼と呼べるほどの年頃の鬼であった。黄色い眼球と紫色の肌、そして額には赤い小さな角が二本生えている。


「……かか……とと……」


 桃太郎の足元まで赤子鬼は這いつくばって移動してきた。それに対して、桃太郎は桃源郷を逆手に持って構える。


「お侍さまぁ……この子だけ……この子の命だけは……どうか……」


 桃太郎が赤子鬼を刺し貫こうとしたその時、腹から黒い血を流した母鬼が覆いかぶさるように赤子鬼に倒れ込んだ。

 見るからに致命傷を受けながらも瀕死の母鬼は泣きながら赤子鬼を包み込んだ。


「この子は、いっとう幼くて……まだ物の善悪もつかんのです……」

「──鬼に善などあるものか」


 桃太郎は言うと、母鬼の背中を斬り付けた。


「ぎゃっ! ……に、逃げて……がんき……逃げなさい……」

「……かか……」

「──まだ喋れるのか、しぶといな」


 母鬼は赤子鬼を逃がそうとするが、赤子鬼は母鬼と桃太郎の顔を交互に見ながら、きょとんとして逃げようとしない。

 そもそも、どこにも逃げ場などないことは母鬼も承知していた。


「お願い……お願いよ……私の子なの……この子だけは……この子だけなの……」

「──私にこんな惨いことをさせるな」

「うっ……!」


 桃太郎は感情を含めずに言うと、命乞いする母鬼とその腕に抱かれた赤子鬼を桃源郷で同時に刺し貫いた。


「──俺に……こんな。惨いことを、させるな……」


 桃太郎は言いながら、桃源郷を親子から引き抜く。目を見開いて涙を零しながら絶命した母鬼、そしてその腕に抱かれた赤子鬼は体を丸めて沈黙した。


「──終わった」


 桃太郎はむせ返るような鬼の血の臭いが充満した部屋で呟くと、亡者のようなフラフラとした足取りで奥の間を後にした。


「……終わった……鬼退治……終わった──」


 桃太郎は鬼ノ城の大扉から広場に出て、我慢できずに涙を流す。そして、嗚咽を零しながら三獣の前に跪いた。


「ぐああぁ……帰ろう……ううう……みんな……ぐぅうう……村に、帰ろう……」


 桃太郎が涙を流すほどに、目の仄暗さが洗い流されていき、本来の濃桃色の瞳の色に戻りつつあった。

 泣きじゃくった桃太郎は三獣の亡骸を両腕で抱え持つと歩き出す、そして広場に入った際に固く閉じられた巨大な鬼門が丸ごと消えていることに気づいた。


「御師匠様が教えてくれた……城主を失くせば、鬼ノ城に掛かっている術が解けると……」


 桃太郎は消えた鬼門の間を潜り抜けて船が繋がれている海岸へと歩いて向かった。


「……っ……財宝……」


 海岸に錨で繋がれた木製の船に三獣の亡骸を乗せ終わったとき、桃太郎はハッと気づいて声に漏らした。


「……宝? ……宝なんて、どうでもいい……しかし……もう鬼ヶ島には来たくない」


 桃太郎は逡巡した。鬼ノ城の城内を殺し回ったときに、確かに宝物庫らしき存在を目撃していたのだ。

 宝物庫の分厚い扉は、鬼門と同じく鬼の術によって封じられていたらしく、城主である温羅を失った宝物庫の扉は完全に消えて財宝が通路から丸見えになっていた。

 発見したときには宝のことなど頭に入らない状態だったので通り過ぎていたが……。


「……もう鬼ヶ島には来ない……二度と……来たくない。船に積めるだけ……積まなければ……」


 桃太郎は言うと、財宝を取りに鬼ノ城にトボトボと引き返した。


「うう……ううう……」


 桃太郎は泣いていた。血の色をした赤い太陽が鬼ヶ島の不気味な虚空に浮かんでいた。

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