男.
君の一番好きなものはなんだっけ。
ふと疑問に思った俺が聞くと、君は「お酒だよ」と答えた。
どんなお酒かと聞くと、世界で一番度数の高いお酒だと。調べて出てくる名前はたった一つ。
スピリタス。
ポーランド産のウォッカで、蒸留回数七十回と聞いたこともない単語があった。
よくもまあこんなものが飲めるなと、俺には達観することしかできない。
過去に一度だけ、君に勧められて飲んだことがあるが、あれは飲み物ではなくただのアルコールだ。喉が焼け焦げて、胸が暑苦しくて、胃が鉛のように重くなる。息が上手く出来なくて、瞼がシャッターの様に下がってきて、涙が自然と溢れ出てきた。ただただ、苦しくて。君の前だというのに、かっこいい姿を見せたいなんてことは考える余裕も無かった。
「この感覚どこかで」と過去の記憶を辿ってみたら、意外とすぐにみつかった。ああ、この感覚は、追うだけの恋だと。
話しかけても話しかけても、手応えがない。一挙一動に振り回されて、次第に奈落へ落ちていく。
決して相手が振り返ることなんてないのに、嫌いになれない。
諦めきれない、諦めたくない。
微かな希望を馬鹿の様に信じて、勝手に期待して、勝手に失望している。
勇気を出して告白なんて出来る訳が無かった。
玉砕どころか、中途半端に空気が入った風船。
口は空いているのに力尽きず、もがいて、周りに迷惑だけをかけ、挙句の果てには地面にべちゃりと音を立てて、ずるずるずるずると生死を彷徨う。
もどかしさと苦しさ。
そして、俺のその相手はいつだって君だった。
法律を無視して、高校生の頃からお酒をよく飲んでいたと言う君は、合法で俺と飲んだ時は毎回朝まで起きていた。それが毎週のように続くから、本当にお酒が好きなんだと心から思っていた。お酒が好きなのは凄く伝わっていたし、それと同時に酒豪なのも。
俺には到底、飲み友達みたいに朝まで一緒に飲み明かすなんてことはできないだろう。
でも、俺のことが好きなのかはイマイチ伝わらないでいたんだ。お酒が好きなのは嫌な程伝わるのに、一緒に飲んでいる俺自身は好きなのか伝わらない。
俺が不器用なのか、はたまた君が不器用なのか。理由がわからなくて、頭が痛くなって、よくセブンスターを吸っていた。
酒を飲みながら煙草を吸ったら、酔いが回るのが早かった。不安な気持ちで覆われたくなくて、早く眠りたくて、酔いを出来るだけ早く回そうと必死になっていた。
吐いた煙を見て、俺もふらふらと空気に溶け込んで消えてしまえればいいのにとよく思っては、辞めた。
君を抱きしめれなくなるから。
君と別れた後も、君を思い出してはセブンスターを吸った。
毎日のようにセブンスターを吸ってわかった。
君はまるでセブンスターのようだ。
少し食べただけなのに俺はすぐ君にクラクラしてしまう。いつの間にか、君のせいか、耐性がついてセブンスターを何本も吸っていると、ベランダで君がセブンスターを数口吸っていたのを思い出した。君がセブンスターを吸っている。その事実に俺は不安がっていた。セブンスターの煙になって、ふわふわとどこかへ消えてしまいそうな君を、俺は黙って見ていることしかできなかった。
あの時の俺は上手く笑えていただろうか。
君をショッピングモールで見つけた時は、臭いセリフだけど運命だと思った。
君が煙になって消えていなくて、俺の前に現れてくれて良かったと、心からそう思えた。
それでも、君に触れたら、煙になってバラけてしまう気がして抱きしめるのを躊躇った。
そんな俺を君が綺麗な目で見つめていた。
だから、我慢なんて言葉は頭から飛んで行った。
体が言うことを聞かずに思わず抱きしめてしまった。
力いっぱいに。
君の気持ちも考えずに。
どうかこんなにも醜い俺を許してくれ。
君との久しぶりの再会が嬉しくて堪らなくて、歯止めが効かなくなって、何度も何度も唇を重ねてしまった。
本能に抗おうとする訳でもなく、理性を繋ぎ止めようともせずに。
君が俺のそばに居ることを証明したかったから。他の誰でもなく自分自身に。
君は急な変化に疲れたのか、驚き疲れたのか、
体力の限界だったのか。寝てしまったけれど、俺はその時は隣で眠ることができないでいた。
眠るなんて勿体ないことできるはずがない。
ずっと、君の顔を見つめていると、瞼がピクリと少しだけ動いた。
綺麗な白い肌を身に纏う君に朝日が降り注ぐのは、見ていて、それはとても美しかった。
本来は赤黒く内出血した痛々しいだけのはずの痣も、ついさっきまで俺に抱かれていたという事実を彷彿とさせてくれる可愛い小さな薔薇のマークだ。
君によく似合って、朝の清々しい空気にも溶け込んで、君の一部になっている。
君の一部が俺になったみたいで、繋がれたみたいで、言いようのない喜びに密かに浸っていた。
少し悪戯してやろうと、眠っているフリをした。案の定目を覚ましてぼーっとしている君に声をかけると、掠れた声がぽつぽつと聞こえただけだった。
ああ、君は昔からそうだったね。
可愛い声は、夜だけにしか聞くことはできない。残念だが、一日頑張った後のご褒美とでも考えれば良いだろう。
水を持ってきて君に手渡すと、雛鳥のようにコクコクと、口や喉が動くのがとても可愛らしかった。
世の中にはキュートアグレッションというものがあるらしいが、今世界の中で一番この現象を強く引き起こしているのは、君を見つめている俺で間違いないだろう。
こんなにも素敵な日々が、また戻ってくるのかもしれないなと考えた時は、セブンスターの煙でいっぱいの胸は高鳴っていたよ。
君に愛を囁いて、仄かに赤くなった頬に唇を当てる。
そうすれば、俺の期待通り。
君からのキスがやってくる。
君に触れている時間は、他の何よりも、幸せに満ち満ちていた。
君ともう一度やり直したい。そう伝えたら、君はなんて言葉を俺にかけるのだろうか。不安で仕方がなかったよ。
シャワーを浴びている君には到底聞こえるはずの無い声で放った言葉達。
それは、いつになったら直接君に言えるのか、独りで考えていたんだ。
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