長篠城兵 稲助

 武田来る!武田来る!


 その一報に長篠城内は戦支度をする者たちで大騒ぎとなった


 長篠城兵500人の中でも鉄砲の名手として名高い稲助いねすけという鉄砲足軽は城下の草原で自らの火縄銃の動作を確かめていた


 ぱぁぁああんん!


 彼の放った銃弾は一直線に的へ向かっていき、その真ん中を射抜く


 「よし」


 彼が射抜くのは的だけではない

その恵まれた体格に鍛えられた筋肉ががっちり付いて、おまけに顔も整っているため、これまで数多くの村の娘たちのハートも射抜いてきた


 今回戦が近いということになり、射抜かれた娘たちが無事を願って城門にまで駆けつけている


 「よ~、皆お揃いでどうした」


 稲助が射撃の確認から帰ってくると城門のところで娘たちから声をかけられて、


 「安心しな、俺の鉄砲を前に生きられる奴はいねーからよ」


 と豪語し、娘たちを湧かせていた


 

 こうして戦支度が着々と進む長篠城だが、本来なら援兵が来る手筈となっているのにも関わらず、一向に援兵が来ない


 城主の奥平貞昌が浜松に使者を出して確認すると重臣の大久保忠世おおくぼただよから返答があり、


 「武田軍がどこに襲来するのか読めていないから、掛川城(現在の掛川市)や吉田城(現在の豊橋市)など重要な城に援兵を送っている。悪いが長篠城に送る余裕がない」


 とハッキリ言われてしまった


 だが、腹を決めている貞昌は困惑するどころか意気揚々に、


 「面白い。500の城兵で万を超える敵から守り抜けば俺たちは勝利の立役者になれるぞ!」


 と戦支度をする者たちの前で鼓舞し、城兵の戦意はますます高まった


 

 一方の武田軍はというと、15000の大軍を集めて甲斐を出陣


 越後の上杉謙信に対する抑えとして北信濃の高坂昌信こうさかまさのぶ隊8000を残して意気揚々と行軍する


 武田軍は甲斐から信濃に入ると諏訪、伊那を抜けて青崩峠より遠江に入ると二俣城まで南下していく


 こういった情報は服部半蔵はっとりはんぞう率いる忍び衆から浜松城の家康や三河岡崎城の石川数正いしかわかずまさなどに逐一報告され、もちろん戦場候補の一つである長篠城にも報告されていた


 奥平貞昌の指示で城兵は既に持ち場に着き、いつ襲来しても戦える態勢を整えている

 それは鉄砲足軽の稲助も例外ではなく、唯一河川などの障害物がない城の北側に配置されており、城の弱点とも言えるところを任されていた


 「さて、敵はいつくるかな」


 と敵の襲来を今か今かと待ち望み、時には櫓に上って周囲の様子を確かめていた


 すると夜も近くなった頃、稲助が櫓に上っていると仲間の大七郎がやってきて櫓の壁に腰掛け、不安を吐露する


 「お前はいいなぁ、意気揚々で。俺なんか不安でしょうがねぇよ」


 この言葉を聞いて稲助は櫓を降りると大七郎の隣に腰掛けて言う


 「ま、城主の貞昌様が意気揚々と鼓舞してくれている。それなのに暗い顔してたら失礼ってもんだろ?」


 これに大七郎は「え」と言葉を漏らす

稲助は大七郎の肩に手をやって続ける


 「俺だって不安はある。だって明日死ぬかもしれねぇんだぞ。でもな、主君のあの腹を決めた顔を見たら頑張るしかねぇよ」


 仲間の本心を聞いた大七郎はそれに呼応し、


 「そうだな。俺も城主に命捧げる覚悟で頑張るわ」


 と返して持ち場に帰っていく


 長篠城兵はそれぞれ不安なども持ちながらも城主のもとに一致団結、来る大敵に挑む覚悟なのであった―



 ※人物紹介


 ・大久保忠世:徳川家重臣。徳川鉄砲隊の主軸を担った

 ・高坂昌信:武田家重臣。元は信玄の近習であったが才能を認められて北信濃一帯を任せられるまでになった。退却戦が上手かったとされ、ついた渾名は逃げ弾正

 ・服部半蔵:諱を正成。なお、服部家は代々が半蔵という名であり、正成はその二代目である。初代の保長は忍びの出であるが、正成は既に立派な槍の使い手であった。ただ、忍びを指揮することはあったという。

 ・石川数正:徳川家の重鎮だが後に豊臣秀吉に寝返る

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