武田信廉

 年が明けて天正3年(1575年)4月


 武田領内はあの名将の法要をして粛々と時が過ぎていた


 2年前の4月12日、それは武田信玄が53年の生涯を終えた日であり、躑躅ヶ崎館などで執り行われた三回忌法要には甲斐、信濃、駿河などの有力者が集まり在りし日の姿に思いをはせる


 また、武田勝頼はこの三回忌を公にすることで信玄の死を内外に明かし、正式に武田家当主となった


 既にその事実は知れ渡っていたが、それは別にして勝頼にも新たなる覚悟が生まれる


 (私は父上の意志を継ぐ者として織田徳川と相対し、必ずや上洛を成し遂げます。どうか見守ってください・・・!)


 勝頼は後継者としてそう誓ったわけだが、実のところ彼は長男ではなく四男である

だが、長男の義信は信玄の駿河侵攻に猛反対し自害、次男は盲目で仏門入り、さらに三男は早世したため長男の死後に嫡男の座が巡ってきた次第だ


 しかし、当初勝頼は四男なため諏訪家に養子入りし諏訪四郎勝頼と名乗っていた

そのため家中では信濃国の諏訪家を継いだ諏訪の男であり甲斐武田の男ではないとの潜在意識を持つ者も多く、そんな武田家を一人で統率するには限度がある


 そこで勝頼が頼りにしているのが武田信廉という男だ


 彼は亡き信玄にとても似ており、ずんぐりとした体形で顎や口元に髭を蓄えている

それもそのはず、彼は信玄の弟なのである


 武田家の先々代で信玄の父である武田信虎の三男として生まれた信廉は勝頼の叔父にあたり無口で評議の場などでもあまり言葉を発しないが信玄に似て存在感があり、家臣が評議などで勝頼に対し失礼な態度をとると彼が睨みつける


 するとその家臣はその威圧感に圧倒されて黙り込んでしまうのだ


 また、信玄と風貌が似ていることから信玄亡き後は彼に睨まれると信玄から怒られているようでますます縮こまってしまう


 そんな信廉は情勢の判断力にも長けており、彼が頷けばおよそその通りに事が進んでいくし、首を振れば大体そのとおりには進まない


 信廉は勝頼を統率と情勢判断の両面で支える、いわば武田家の重要人物なのである


 これは三回忌法要を終えた後の評議でのこと


 勝頼は依田信蕃から長篠に対する報告を受けた


 「報告いたします。あの以前にお話ししました鳥居強右衛門の件ですが、実際に会って以降も我々と連絡を取り続けており、いつ我らが長篠に攻め込んでも呼応して反逆できるとのことでした」


 この報告を聞いた勝頼は「良き話だ」と頷き隣に座る信廉の方を振り向く


 しかし、信廉は首を横に振るので、勝頼はそれを見て信廉に尋ねる


 「何が上手く進まないと思われるか」


 すると信廉は言葉少なに話す


 「鳥居強右衛門という男は信頼ならないでしょう。彼を頼ると失敗します」


 ただ、武田家中は長篠を放っておくべきではないとの意見が大半を占めており、穴山信君からの内応者の報告による機運の高まりもあって、もう先延ばしできない雰囲気になっていた

 しかも勝頼としても父上に上洛を誓っただけに、そのような小さな城に固執する余裕もない


 とはいえ信廉の意見もむげにはできないため、こう評議をまとめる


 「確かに強右衛門は信頼できると明言はできない。だから、仮に城内で謀反騒ぎが起こらなかったとしても我々の力で落として見せようではないか」


 この結論に多くの重臣が頷く


 そして長篠城攻略へと話が進んでいくが、勝頼が中途半端な評決をしたがために、内部からの撹乱を提言した穴山信君やそれに異論を述べた武田信廉など、浮かぬ顔をしている重臣がいたのも確かなのである・・・

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