内藤昌豊
天正2年(1574年)5月、武田勝頼率いる武田軍は高天神城を包囲した
幾重にもわたって並ぶ武田の精兵を前に城兵は動揺を隠せない様子だ
城内で旗指物が右往左往するのを見て、武田勝頼は満足げな表情を見せている
また、その傍に控える重臣の
「勝頼様、準備万端。整いましてございます」
と各陣所からの報告を集計して伝えた
軍議などの密室では御屋形様と呼ばれている勝頼だが信玄が療養中であると主張しているため、戦場のように不特定多数の兵士が聞いている場では勝頼様と呼ばなくてはならない
昌豊の報告に勝頼は意気揚々として頷き、
「皆の者、攻撃開始じゃ!」
全軍に攻城の触れを出す
武田軍は矢玉の降り注ぐ中、命を惜しまず城門に迫る
城兵も必死に応戦するが、人手が足りず敵を防ぎきるには不十分であった
とはいえ、城兵にも希望はある
織田信長が救援に来てくれれば戦況を変えられるとの希望だ
城兵らはその希望を胸に郭を少しずつ失いながらも必死の応戦を見せる
かくして、攻防戦はひと月を越え、武田方は緊急の軍議を開く
「ううむ、織田軍の様子はどうだ」
勝頼は重臣の
「はい、それが三ツ
武田家の諜報を担う三ツ者からの報告を守友が伝えると、勝頼は目をつむり考える
(何故、織田は急いでこない。それもゆっくりとはどういうことだ)
本陣にしばしの沈黙が訪れるが、それを穴山信君が破る
「もしや、、織田軍は我々が長篠城を攻めると見越して山岳地帯での勝負を考えていたのではないでしょうか」
続けて信君が説く
「もし、そうだったのなら織田の計画は頓挫しました。しかし、引き上げてしまうと家康に会わせる顔がない。だから、このように落城するまでゆっくりと行軍しているのでしょう」
信君の読みには居並ぶ重臣からも感嘆の声が漏れ出る
勝頼は重臣らの反応も見て間違いないだろうと察し、
「城兵も援軍の姿が見えないことに不安を感じているはずだ。ここは総攻撃を仕掛けて一気に決着すべきと心得るが如何か」
と総攻撃実行の有無について意見を募る
すると、床几に腰掛けていた昌豊が勢いよく立ち上がり、
「大賛成にございます。その際はこの昌豊に先陣をお任せくだされ」
賛同の意と併せて先鋒隊に名乗り出た
他の重臣もこぞって賛同し、ここに議論は決す
その翌朝になって、武田軍は内藤昌豊隊を先鋒として総攻撃を敢行
「者ども、一人たりも生きて返すな!」
昌豊は味方を叱咤しながら自らも逃げ惑う城兵を斬り捨てる
高天神城は標高こそ高くないものの本来、堅固な城だ
しかし、今や城兵も希望を失いかけた中で浮足立ち、城主の
だが、勝頼は城兵らを皆殺しにするような男ではない
本丸以外を全て陥落させたところで使者を送り降伏を勧告
城主の信興を武田家家臣にすることや城兵の命を助けるとの寛大な条件を提示し、これには城方も喜んで承諾
6月18日、高天神城は開城し、信興は好待遇で召し抱えられて城兵の多くも武田方の高天神城兵として配属された
また、徳川方に戻りたいと志願していた副将の
この寛大な処分により武田方は高天神城に土地勘のある兵士を多数獲得したのである
そして、織田軍は落城の知らせを聞いて岐阜へと撤退し、未だ不安定な上方の平定に向かっていった
徳川の遠江国における重要な拠り所の一つであった高天神城の落城
これは徳川家に大きな圧力をかけて余りあるものなのであった―
※人物紹介
・内藤昌豊:昌秀とも。武田軍の副将格として評された
・三枝守友:昌貞とも。甲斐の名門三枝家に養子として入る
・又蔵:筆者の小説である「武田信玄の歩み」にも登場した
・小笠原信興:遠江小笠原氏。その後は武田に付き従う
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