穴山信君
武田信玄の死から半年ほどが経った天正元年(1573年)八月
奥三河の奥平氏離反との報は武田家の本拠地、
「失礼します、御屋形様!」
武田家重臣で東海地方の遠江国に領地を持つ
「信蕃、何かあったのか?」
上座にて胡坐をかいている武田勝頼が問いただすと信蕃は一呼吸おいてからその一報を告げた
「奥三河の、奥平貞能が徳川に寝返りました」
奥平家は武田家と比べればあまりにも小さな家だ
しかし、奥平の離反が意味するものはあまりにも大きい
武田信玄は自らの臨終に際し、死を三年隠すようにとの言葉を残した
それを受けて武田家を継いだ勝頼は信玄死去の事実を重臣にのみ伝え、外様を含むその他の配下には「信玄公療養中につき勝頼が職務を代行」と伝えられている
その信玄の死から僅か半年、離反者が出たということは身分の低い者たちにまで信玄死去の事実が広まってしまっているということを意味する
もちろん信玄が生きていると主張している以上は味方の誰もが死去の事実を公に口にはしない
よって重臣らは秘匿できていると考えていた
それだけにこの一報の衝撃は大きい
「ふむ、これはつまり・・・父上の死が末端の方にまで噂されているということだな?」
勝頼は顎髭に手を当てながら右側に目をやり、呟くように右隣の男に尋ねる
右隣の男・・・勝頼の叔父にあたる
信廉が否定しない時は大抵、間違いないということなのである
「信君、ここはどう行動すべきと心得るか」
勝頼が提案を求めたのは一門衆の
甲斐の山奥に生まれて東海地方の事情に暗い重臣が多い中で信君は甲斐でも駿河に近い地域で生まれて東海の事情に明るく、武田家における東海地方の責任者として重責を担っている
「まず、この奥三河から離反者が出たことについて、事前に察知や阻止ができず申し訳ない限りですが、ここは奥平の長篠を敢えて攻めず、遠江などに出兵し長篠城の戦意を削ぐべきかと存じまする」
信君は説く
奥平は覚悟の上、周りの豪族に先んじて離反し、今や対武田の闘志に燃えているから彼らを攻めれば大軍であっても手痛い損害を被るだろう、と
だが、離反者を敢えて攻めない信君の策には反対する者も多く、その筆頭が譜代筆頭の
昌景は戦場で無類の強さを誇る猛将だが、背が低いことを理由に若いころはあまり注目されず、悔しい経験をした
そんな彼は自ら積極的に表舞台に出ていくことでそれを克服し、今に至る
よって、軍議でもよく意見を述べる男だが、今回の彼は顔が険しい
「信君殿待たれよ、例え遠江に出兵し徳川領をいくらか攻め取ったとしても、長篠城を攻めなければ結局武田家は舐められて離反が相次ぐのではないか?」
昌景は信君の顔を覗き込むように問う
評議の場で活躍する信君を戦場で活躍する昌景はどうも気に入らないらしく、以前から不仲が噂される両者だ
そういった背景もあって評議の場は少しばかり凍り付く
ただ、この険悪な雰囲気を察した勝頼が手を二回ほど叩き、
「この件はもし仮に他の離反者が出たならば昌景の意見を採って奥平を叩く。今後半年、離反者が出なければ信君の意見を採り遠江に出陣する。そうまとめようではないか」
当主として裁定を下したことでこの件は解決した
とはいえ、この両者は以前から不仲ではあったが、評議という公の場で対立することは信玄存命時は無かっただけに、勝頼の統率の限界が窺えるのである―
※人物紹介
・依田信蕃:依田(芦田)信守の後継者。長篠合戦後の二俣城の戦いで活躍した
・武田信廉:信玄の父、武田信虎の三男。信玄の弟であり勝頼の叔父。画家としての才能もあったという
・穴山信君:一門衆筆頭。その父の穴山信友は信玄の姉と結婚し信君が産まれ、その信君もまた勝頼の姉と結婚した。武田家と血縁関係の深い家柄。出家名は
・山県昌景:武田家重臣であった
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