第18話 表裏一体

 「にゃあ~~」



 不意に鳴き声が聞こえた。

 それと同時に伽藍洞で、空虚な心の隙間に、スルッと何かが入り込んだ気がする。・・・・・・気のせい、だろうか?

 ふと気付く。いつの間にか足元に猫がいた。

 黒くて、可愛い。尻尾がフリフリと動いていて、思わず視線が釣られる。

 あれ?

 あなた、昔どこかで会わなかった?

 最近も、どこかで会った気がする。



 「コハクは優しいね。・・・アナタ、名前は?」



 猫と同様、いつの間にかボクの間合いに入り込んでいた黒髪の少女が猫の後ろで立ち止まり、いきなり名前を聞いてきた。・・・見覚えがある顔だ。

 以前、いきなり家に押し掛けてきた凄腕の魔女だと思い至るのに、時間はかからなかった。・・・・・・そうだ、この猫は彼女に抱きかかえられていた気がする。どうりで見覚えが・・・・・・・・・。いや、それ以前にもある気がする。


 幼い時分に。どこかで。・・・・・・どこで?

 あれは・・・川辺の近く?

 屋敷の近くに川辺なんてあったかな?・・・・・・いや、村の近く?どこの?

 お腹が空いていた・・・気がする。とても。それこそもう死んでしまうんじゃないかってくらいに。

 その時に、誰かが・・・いや、何かが恵んでくれた?

 何かを食べて、お腹いっぱいになった記憶がある。けれど、それはとてもぼんやりとした記憶で、はっきりと思い出せない。

 でも・・・・・・一時的とはいえ、とても幸せな時間だった・・・・・・気がする。とても大事な、かけがえのない思い出だったはず。大げさかもしれないけれど、それで救われたとさえ感じたほどの。

 なぜ、今まで忘れていたんだろう?なんか少し・・・いや、すごく悔しいかも。



 「・・・ねえ、聞いているの?アナタの名前は?」



 遠い過去、十年くらい前に意識が飛んでいたところを呼び戻される。そうだ、今は自分の名前を聞かれていたんだっけ。

 なまえ。ナマエ。・・・ボクの、名前は。



 「・・・・・・クラリス」



 そう、ボクの名前はクラリスだ。

 メアリー・ベイリーに手ほどきを受けた魔力持ちの奴隷で、空っぽの魔女。それがボクという人間だ。それ以外は何もない。・・・あったけど、もうなくなってしまった。



 「そう、クラリスね。ワタシはアンジュよ。・・・コハクが、アナタに生きる目的を与えてくれるらしいわよ」



 「・・・コハク?」



 足元で佇むこの猫の名前・・・なのだろう。

 こちらを見上げる綺麗な瞳と目が合う。

 何故だろう。この猫を見ていると既視感がある。・・・屋敷で見た?町中で見た?それともそれ以外のどこかで?

 ねえ、君はボクを知っているの?

 いや、今はそれよりも大事なことがある。それをまずは確認しないと。このモヤモヤとした想いは後回しでいい。とにかく今は。



 「・・・・・・キミが、ボクに生きる理由を与えてくれるの?」



 聖神教会の使徒でもなく、どこぞの傭兵でもなく、見ず知らずの農夫でもない。むしろ声を掛けてくれたのは人間ですらない。けど、間違いなく君なんだ。

 絶望し、心が壊れる一歩手前のボクに声を掛けてくれたのは。



 「にゃあにゃあ」



 しゃがんで、コハクと呼ばれた猫に手を伸ばせば、指先を舐めてくれた。

 ただ、それだけ。それだけなのに・・・何故か、救われた気がした。

 冷静な自分が心のどこかで呆れている。我ながらなんて単純なことで救われているんだと。

 でも。だからこそ。心の奥底にまで染み渡る。これに抗う術を、ボクは知らない。少なくとも、今は知りたくもない。



 「・・・っ!」



 不意に涙が溢れだし、止まらない。なんで?

 この数年、一度も泣いたことなんてなかったのに。

 ボクは戸惑いながらも、涙を流し続ける。止めようなんて気にもならない。

 もう、感情はぐちゃぐちゃで。何も考えはまとまらない。

 ただ・・・一つだけ確かなことは、ボクは生きる理由を得た。それだけは、わかった。

 それだけで、今は充分だった。



◇◆◇◆◇◆



 白髪の魔女であり、同時に一人の少女が静かに泣いている。

 コハクは身近に寄り添い、慰めている。・・・・・・人間は傷心時が一番、弱っている。程度の差はあれど、その時に親身に寄り添い、優しくすれば、毒のように染み渡るだろう。依存させるには確実な手段。簡易的な一種の洗脳。

 コハクの狙いは明白。戦力の強化。

 きたる教皇との戦いに向けて、手駒が欲しいのだ。少しでも良質で、優秀な駒が。


 きっとワタシだけでは足りないから。

 それはわかる。納得もできる・・・のだが、あくどいわねこの猫は。極悪だわ。

 きっと前世とやらはとんでもない人たらしだったに違いない。そう確信できる。



 「・・・・・・けれど、覚悟はできているのかしら?」



 心の中で抑えきれない想いが、言葉となって思わず零れ落ちる。

 その娘、中々に重そうよ?

 それこそ、コハクが死んだら後追い自殺しそうなくらいに。そして、そういう人物は相手にも同じくらいの想いの重さを求める。果たしてコハクはその想いに応えられるのかしら?

 もし、応えられない時は・・・ちょっとした修羅場になりそうね。でも、それはそれで面白そうだからいいかも。

 その時ばかりは、少し距離を空けて見守るとしよう。・・・ヒステリックに泣き叫ぶクラリスを、なんとか宥めすかすコハクが目に浮かぶわ。



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