第10話 貴族の性分
奴隷として買われたクラリスだが、メアリーからは雑な扱いはされていない。むしろ奴隷にしては分不相応な待遇だ。
礼儀作法から始まり、魔法を含めた様々な知識に触れさせ、多様な価値観をクラリスに身につけさせている。寵愛と言っても過言ではない扱いだが、それを面白く感じない者も存在する。特にベイリー家に仕える使用人からは忌避されているほどだ。直接的に何かを仕掛ける者はメアリーの手前、さすがにいなかったがクラリスに向けられる視線は冷淡なものが多かった。
だが、クラリスは邪険に扱われる環境には慣れているので、特に感情が揺れ動くことはなかった。それよりも日々の学んだ知識で頭はいっぱいで、些事にリソースを割く余分などないのが実情である。・・・それが余計に周囲から不気味がられる要因でもあるのだが。
そんな周囲の空気感を、メアリーも肌で感じ取っていた。同時に、これを放置しておく危険性も理解していた。
「アンタはもうちょっと、周囲に愛嬌を振りまいた方がいいね」
メアリーの唐突な忠告に、クラリスはきょとんとしていた。
「・・・・・・あいきょう、ですか?」
心底、理解できないとばかりにオウム返しする幼女。
「大抵の魔力持ちは一般人に感じ取れない。だが、アンタほどの魔力量だと漏れ出ている量も半端ない。その結果、人間の防衛本能を無意識に刺激してるんだよ。アンタ、すぐ近くで見ず知らずの他人が刃物を持っていたらどう思う?」
「・・・こわいです」
「それと一緒さ。もちろん、アンタは刃物を常に持ち歩いているわけじゃない。だが、魔力を持たない一般人にとってはあまり大差ないのさ。常に刃物を突き付けられているように感じる。・・・アンタにその気がなくてもね」
メアリーの指摘で思い当たる節がある。クラリスの育ての親だ。元々、良い感情を抱いていなかったのに、クラリスから漏れ出していた魔力が本能的な恐怖を刺激した。だから過剰ともいえるくらいに反応した結果が虐待に繋がった。・・・だからといってあの陰険婆さんを擁護する気にはならないけど。
「アンタからしてみれば身勝手な話さ。一方的に恐れ、排除しようとしてくるなんてね。だが、それがこの世界で魔力持ちが生きるハンデみたいなもんさ。力には責任が生じる。望もうと望むまいと、ね」
「メアリーさまも・・・しゅういから、こわがられていたんですか?」
少なくとも、クラリスの視点ではメアリーは誰からにも慕われているように見えるらしい。同じ魔力持ちなのに。そもそもの立場や身分が違うから、比べるのもおこがましいが、クラリスにとってはあまり実感のないものだ。即座に理解しろと言う方が無茶な話である。
「さて、アンタほどの魔力量は持ち合わせていないから何とも言えないが・・・周囲には、話が通じる化け物くらいには認識されているかな」
なんてことはないと言わんばかりの態度だが、それって実の子供にも潜在的に恐れられているってことだよな?
そう考えると、今は亡きメアリーの旦那はよほど豪胆な人物だったんだろう。そうでなければ魔力持ちと結婚する気にもならないはずだ。
「どちらがマシかって話さ。アンタは近所に問答無用で襲ってくる魔物と共存共栄できる魔物がいたら、どちらを選ぶ?」
「なかよくできそうな方です」
「だろう?だからアンタは話が通じる化け物だと周囲にアピールする必要がある。周りがそのうち勝手に理解するなんて思わない方がいい。期待するだけ無駄さ。理解してもらうには、こちらから歩み寄らなければいけない。自分の意思を伝える為に口があり、言葉がある。何事も人間関係の始まりは会話だよ」
「・・・・・・むずかしいです」
「難しく考え過ぎだよ。始まりは挨拶からでもいい。待つんじゃなく、こちらから率先してだよ。最初は無視する奴もいるだろうさ。だが、一度でへこたれちゃ駄目だよ。何度でも会うたびに挨拶しな」
「へんじがなくてもですか?」
「なくてもだ。挨拶を返してくれる人間には丁寧に接する。返してくれない人間にはより丁寧にだ」
「・・・じしんがありません」
「まあ、実践するのは難しいもんさ。私自身も完璧に出来ているかと問われれば・・・怪しいね、うん。けど、意識するのは大事。それだけで大分、周囲の見る目は変わるもんだよ」
「・・・・・・がんばります」
「魔力操作もかなりスムーズに出来てきている。これなら漏れ出ていた魔力圧も和らぐ。一般人の防衛本能も刺激せずに済むね。あとは愛嬌だよ。笑顔の一つも向けてやればいちころさ。アンタ、顔の造形も悪くないしね。・・・・・・十年後には傾国の美少女になれるか?」
「けいこく?」
幼女相手に何を言ってんだ、この婆さん。
「いや、何でもないよ。・・・・・・・・・変な男に引っかからないように、その方面の教育もいずれ必要か」
後半部分の呟きを聞き取れたのは、きっとオイラだけだろう。・・・メアリーならクラリスを託しても問題なさそうだな。そろそろオイラもご主人の生まれ変わり探索の旅を再開するか。・・・同時に、復讐相手も探さないと。寿命で死ぬなんて許さない。オイラが直々に手を下してやる。
◇◆◇◆◇◆
こうして影猫はクラリスの元から離れた。誰にも気付かれることなく。ひっそりと。・・・今から語るのは五年後の後日譚。クラリスが十歳になった頃の話である。
幼女から少女へと成長したクラリスは、変わらずメアリーの元で過ごしていた。身分は奴隷だが、少なくともベイリー家の関係者でクラリスを虐げる者は一人もいなかった。
幼い時とは違い、纏う雰囲気は柔らかく、物腰も丁寧。何より振りまく愛嬌に誰もが嫌な思いをしない。メアリーの教えを実践し、周囲から愛されるキャラへと変貌していた。
そんな愛らしくも、ある意味で逞しく成長したクラリスを、メアリーは頼もしそうに見つめていた。
そんなある日の夜。クラリスはメアリーに私室へ招かれた。
本来、貴族の私室に奴隷が招かれるなどあり得ない事だが、もはやメアリーのクラリスに対する寵愛ぶりは全盛期であり、誰も文句は言わなかったし、言えなかった。
これが五年前であれば公然と周囲から反対されていただろうが、それが許されるくらいにクラリスは自身の地位を確立していた。・・・あくまでメアリー存命中のベイリー家内部限定だが。
「私はね、ずっと対等な相手が欲しかったんだよ」
豪傑にして豪快な女傑は、クラリスをソファの横に座らせて、独り静かに語りだす。
子供相手に何を語るかと思えば、孤独を癒すための相手が欲しかっただけ。・・・いや、年をとったからこそ、気兼ねなく話せる相手が欲しかったのだろう。それが例え金で買った奴隷でも。
クラリスはただ静かに耳を傾ける。きっとメアリーは相槌を求めてはいない。必要最低限の反応があれば、気持ちよく語り続ける。今までの経験上、そうだった。かと言って別にクラリスは嫌々、付き合っているわけではなかった。単純に、メアリーの話す内容が面白いからだ。
「私の周りにはそんな奴が一人もいなかった。貴族にも、平民にも友と呼べる存在はこの年になって終(つい)ぞ出来なかった。家族とも・・・良い関係性を築けずじまい。才能に溢れているのも意外に大変なもんさ。なんせ周りが理解してくれない。必然、孤立していく」
「・・・・・・」
クラリスは、ジッとメアリーの横顔を見つめる。未だに見た目は若いままだが、メアリーは既に五十後半。この世界、この時代においてはいつ死んでもおかしくない年齢だった。本人も、それを感覚的に悟っていた。だから自身の人生を振り返り、語り聞かせている。まるで自分の人生の軌跡を後世に残すように。
「魔力持ちとはいえ私だって人間だ。孤独はひどく堪える。だが、周りは私を感情すら超越した超人と勘違いしている。・・・旦那が生きていたらと、何度思ったことか。私を残してさっさとくたばりやがって。あの世で会ったらまずは一発ぶん殴る。じゃないと腹の虫が治まらない。」
故人に悪態をつくが、その目は優し気で、ここにはいない誰かを鮮明に思い浮かべていた。
「旦那様は、どんな方だったんですか?」
今や実の息子ですら聞けないことを、クラリスはさり気なく聞いた。その答えは淀みなく返ってきた。
「アンタみたいな子供にはまだわからんかもしれんが、そりゃあいい男だったよ。私が唯一、惚れた相手なんだから当然だね。・・・あの頃は豊かでもなければ、さして貧しくもなかった。ただ満たされた日々を過ごしていたよ。けど、旦那はあっさりと病気で死んだ。殺しても死にそうにない男だったのに、あっけないもんだったよ。人間っていうのはこんなに儚いもんかと思ったくらいさ」
「泣いたんですか?」
クラリスの失礼な問いかけに、メアリーがじろりと視線を向ける。きっとベイリー家の関係者がこの場にいれば肝を冷やしただろう。
「私が泣くのは想像できないのかい?」
「・・・正直に言えば、できません」
「正直すぎるガキだね、アンタは。まあ、そこがアンタの良い所でもある。ただし相手は選びなよ」
「はい、気を付けます」
「物分かりが良いのもアンタの美点だ。・・・どこまで話したか。そうそう、生憎と泣いている暇すらなかった。旦那が死んでバタバタしている時に、どさくさに紛れてカーソルのクソボケがちょっかいをかけてきてね。こちらとしてはむしゃくしゃしていたタイミングだったから、ストレス発散代わりにボコボコにしてやったわ」
ベイリー家の領民たちの間では結構な名場面扱いだったが、実際の本人の心情は勢い任せだったらしい。
それをメアリー本人が然も大したことないとばかりにうそぶくが、横で聞いていたクラリスは違うだろうなと感じていた。
きっと死んでも構わなかったのだろう、メアリーは。死兵と化すくらい、自暴自棄になっていた。だからこそ異常な戦果を挙げられた。そして生き延びた。生き延びてしまった。後のことなど考えていなかったのに。周囲にはオルゲンの再来と持ち上げられ、英雄ともてはやされた。
「爵位も別に望んでいなかった。男爵のままでも不満はなかったよ。けどね、周りが放っておいてはくれなかった。・・・・・・あれよあれよという間に伯爵様だ。私はベイリー家が存続すればそれで良かったんだけどねえ」
世間一般では野心溢れる女傑のイメージだが、実際のメアリーは年相応に疲れ切った老婆だった。
そしてそんな老婆が本音を語れる相手は家族ではなく、奴隷だけ。そう考えるとメアリーが幸せなのか微妙である。
金や権力はある。けれど心が満たされることはあるのだろうか。
当主でもないのに、当主以上の名声があるので、実の息子ですら萎縮している。家臣の大半も現当主トーマスの意向より、隠居しているメアリーを重視している。とてもじゃないが健全な状態とは言えないのが、ベイリー家の実情だ。
「私が死んだ後のベイリー家の将来を考えると憂鬱だよ。カーソルのクソボケが頭痛の種だ。私が死んだら間違いなくちょっかいをかけてくるに違いない。世代交代しているのに、今の当主も下種野郎だ。必ず仕掛けてくる。・・・トーマスにそれを退ける力があるのか。・・・確信が持てない。もしかしたら旦那が死んだ時以上の混乱が家中で生じるかもしれないと考えると、おちおち死んでもいられない。難儀なもんだよ」
「・・・カーソル家を、滅ぼせないんですか?」
「あいつら、ゴブリンのようにしぶといからね。・・・それに一応、カーソル家は隣国に所属している。うちの国王も国境の小競り合いは黙認しても、一つの家を潰す程の攻勢は認めないだろう。それこそ国と国との全面戦争に突入するからね。攻め入る大義名分がないと厳しい」
それは実質、ほぼ不可能という意味だった。女傑は自由に見えて、色々な柵(しがらみ)に縛られていると自嘲した。
「最大の好機は最初の攻勢だったね。あの時は後のことなんて考えてなかったから、徹底的に蹂躙した。おかげであの後、国王に怒られるは隣国との全面戦争かとぴりつくは大変だった。・・・・・・今の私に、そんな気概は残っちゃいない。十年、いや十五年前だったらあったかもしれないが・・・あの頃は世の中全体が荒んでいたからねぇ」
十五年前。大陸中で魔女狩りが横行していた暗黒期。知識として知ってはいるが、クラリスが生まれる前の話。なので「何があったんですか?」とクラリスは率直に聞いた。
「・・・陰惨な昔話さ。アンタがまだ生まれる前、迷信が流行ったのさ。魔女こそがあらゆる悪事、凶事の元凶っていう迷信が。今では子供でさえ信じない戯言だが・・・昔は皆が狂っていた。見えも触れもしない神様よりも、そこに確かに存在する形ある何かに責任を求めた。その矛先が、魔女だった」
不愉快と言わんばかりに、メアリーの眉間にしわが寄った。
「大雑把な括りで言えば、魔力持ちである私だって魔女に該当した時代だ。けど、一応は貴族だったからね。熱狂していた聖神教会や民衆もさすがに尻込みした。それくらい貴族というのはおっかない存在なんだよ。まあ、そのおかげで私は助かったわけなんだが」
メアリーの言葉通り、聖神教会や民衆は弱い立場の魔女だけを狙い撃ちにした。何の後ろ盾もない孤立した魔女だけを。
「・・・多くの魔女が死んだ。何も悪いことをしていないのに。むしろ慕われていた者さえいた。・・・・・・きっと後悔している人もいるだろうね。あの時、なぜ自分は魔女を告発したのだろう。なぜ聖神教会を妄信したのだろうって」
人々の心に暗い影を落とす人類の過ちの歴史。それがたかだが十五年前の話。クラリスには現実味がなかった。
「うちの領内でも・・・聖神教会の暴走によって、何人もの魔女が生きたまま火あぶりにされた。国王経由で抗議したが、黙殺されたよ。あの時の聖神教会は各国の王でも抑えきれない権勢を誇っていたからね。・・・・・・私の末息子は裁判官でね。本人には聞いたことないが、罪のない魔女を有罪にしたはずさ」
「それは・・・」
さすがにクラリスも続く言葉が出ない。
「長々と語ってきたが・・・私は貴族。アンタは奴隷。天と地ほどの身分差がある。だが、魔法の才能という点ではその逆だ。もはやアンタは私を超えた。たった五年で。まだ齢十歳のアンタは、まだまだ成長する。その気になれば今この瞬間、アンタは自由になれる。私を殺して他国に逃げれば誰も追えない。・・・ベイリー家から多少は刺客が送られるだろうが、アンタなら片手間で撃退できるはずさ」
「そんな恩知らずなことはしません!」
クラリスの反論する強めの語気に、メアリーは内心で笑う。想定以上に高潔で潔癖な人間に育ったなと。
時間と金をかけて教育してきた甲斐があった。これならば今から口にする頼み事も快く受け入れるに違いない。その為の投資だった。今、それが花開く。
「アンタならそんな事はしないと、私も思ってる。だからこそお願いがある。取引と言い換えてもいい」
「取引、ですか?そんなことしなくても、命令していただければ・・・」
「いや、アンタに強制はしたくない。これは私の我儘だ。それもアンタには割に合わない内容だ。だが頼む!」
奴隷相手に頭を下げるメアリー。こんなことは買い取られてから一度もなかった。この五年間、幾度か弱気なところは見たことあったが、懇願されるなんて初めての経験。クラリスは狼狽えることしかできない。
「と、とにかく内容を聞かせてください。よほどの内容じゃなければ喜んで引き受けますから」
それだけの恩義は、眼前の老婆から受けている。
「ああ、確かにまだ内容を伝えてなかったね。こちらとしてもそう無茶苦茶なお願いはしないよ。・・・私が死んだあと、一度だけでいい。ベイリー家が危ない状況に陥ったら手を貸しておくれ」
「・・・・・・それだけですか?」
クラリスは思わず肩透かしをくらった気分だ。もっと無理難題を言われるかと思えばその程度なのかと。
「ああ、それだけだ。引き受けてくれるかい?」
「・・・わかりました。でも、一度といわず二度でも三度でも助けますよ?」
だからこそクラリスは安請け合いしてしまう。
「いや、そう容易に手を貸しちゃいけない。それじゃあ真の意味で独り立ちができなくなる。一度で充分すぎるくらいさ。本来なら、そこで終わる運命だったんだから」
口ではそう言いつつも、メアリーは確信した。この先、クラリスはベイリー家をよほどの事がない限り見捨てないと。これなら自分が死んでも恩を忘れまいと。
メアリーの予想では、自分の死後もある程度のことは許容してクラリスはベイリー家の奴隷として仕えてくれるだろう。だが、自分の死後もクラリスの厚遇が維持されるとは思えない。おそらく、現当主トーマスは冷遇する。
魔力を持たないゆえに、クラリスの価値を知らないから。そうなればどうなるか。いつかは愛想をつかして出奔する。既にメアリーから受けた恩義は返したと言い残して。そんな未来が容易に想像できてしまう。
将来、今以上に強力な魔法使いとなったクラリスなら、それこそ悠々と去っていくだろう。止める術などない。魔法契約で縛っても、きっと力尽くで強行突破する。ならば、ある程度の距離をとれば良い。
メアリーは既に遺言書を残している。遺産分配に関する詳細な物だ。その一つに、クラリスに関する事柄もある。自身の死後、速やかに奴隷身分から解放するという内容だ。これこそメアリーの生涯最後の策謀だ。
おそらく、周囲は騒然とするだろう。金貨二百枚の奴隷を、いや今やそれ以上の価値がある奴隷を惜しげもなく解放するなんてと。だが、それでは目先しか見えていない。貴族たるもの、もっと先を見据えなければ。それこそ十年、二十年先を。
奴隷身分から解放されて、クラリスはどうするか。まずメアリーと交わした約束を履行しようとベイリー家の領内かその近くに居を構えるに違いない。そして見守るはずだ。来るべき危機に備えて。
クラリスほどの魔法使いの行動範囲をある程度、制約できる。それはどんな大金を払っても不可能な偉業だ。
そして律儀なクラリスは、きっとベイリー家が危機に直面するたびに力を貸してくれるはず。金銭面でも、武力面でもそれとなく。それこそ何十年先もずっと。おそらくはクラリス自身が死ぬまで。そういう風に、メアリーは育てた。この呪縛はそうそう解けない。その自信がある。
(情で訴えかけた甲斐がある。すまないが、アンタはこの先もベイリー家の為に利用させてもらうよクラリス)
魔法による契約で縛るわけでもなく、あくまでクラリスの善意で交わされた約束。これが今後、クラリスの人生を縛る呪いとなる。
◇◆◇◆◇◆
母であるメアリーが奴隷の少女を買い取って早五年が経った。当初はどういうつもりだと訝し気に思ったものだが、どうやら魔力持ちの奴隷らしいと後で知った。魔力持ちの心情は魔力持ちにしかわからない。そう冷めた目で見ていたものだが・・・日々を追うごとに二人の仲は親密さを増していった。
一年が経った頃には既にクラリスは名目だけの奴隷だった。実質、実の娘と言わんばかりに可愛がられているのは周知の事実。
あの母が誑かされたかと疑ったが、まったくそんな事はなく女傑ぶりは健在。公私はきっちり分けていた。
ただ、クラリスといる時は実に楽しそうに笑っている。今、この瞬間も屋敷の二階にある自室の眼下に広がる中庭で、二人は傍目から見れば実の親子のように接している。
実の息子である自分以上に愛されている奴隷を、ベイリー家当主であるトーマスは自室の窓から苦々し気に見下ろしていた。
「兄上」
内心、背後から唐突に声を掛けられびっくりしたがそれをおくびにも出さないまま、トーマスは振り返る。
「帰っていたのか」
トーマスの視線の先には久しぶりに帰郷したらしい末弟のレンドがいた。いつ入室してきたのか気付かないほど、自分は集中していたらしい。
「ええ、つい先ほど。・・・どうしたのですか、ノックにも気付かないほど考え事をしていたようですが」
窓に向かって当主が物思いにふけっていた事がどうにも気になるらしい。トーマスは大したことではないとばかりに右手を左右に振る。
「いや、大したことではない。・・・ただ、母上の真意を測りかねていた」
「ああ、あの魔力持ちの奴隷のことですか?魔法に関しては母上自ら鍛えていると聞きましたが・・・・そんなに有望な人材なんですか?」
「母上曰く、千年に一人の逸材らしいが・・・魔力を持たぬ我々にはピンとこない話だ」
トーマスはさすがに千年に一人は大袈裟だろうと思っている。
「確かに。・・・使用人から聞いた話ですが、あの奴隷を買い取ってから母上は上機嫌な日が多いそうですね。以前はもっと険しい表情ばかり浮かべていましたから」
「・・・・・・そうだな」
トーマスは肯定しながら、母のあんなに楽しそうな姿を見るのは何年ぶりだろうかと思い出そうとするが・・・思い出せない。それくらい珍しいことだった。
母であるメアリーは常に厳しい態度である。それは家臣だけではなく、家族にも。それ以上に自分に厳しい。
だからこそ、母のあんな柔らかい表情を実の息子であるトーマスですら数えるくらいしか見たことがない。その貴重な一回を今さっき、目の当たりにした。
「私も先ほど二人のやり取りを遠目で見ましたが・・・あれはまるで師匠と弟子と言うよりむしろ・・・・・・」
「母と子か?・・・言っておいてなんだが、あまり他人には聞かれるなよ。いくら有望で可愛がっているとはいえ、奴隷は奴隷だ。あのやり取りも愛玩動物と遊んでいる延長線上だ」
「そう、ですね。まあ、母上の退屈を紛らわしてくれる都合の良い相手と捉えましょう」
そう、所詮は奴隷。貴族である我々とは根本から違うとトーマスは断ずる。
どれだけ魔力に優れようと、行きつくところは私兵が関の山。それも使い捨ての。しかし・・・
「・・・随分と寛容な精神状態だな、レンド。十五年前は魔女狩りに精力的だった裁判官とは思えん変貌ぶりだ」
トーマスの指摘に、レンドは苦々し気な表情を浮かべた。
「あれは・・・若さゆえの過ちというやつです。ですが、身内である私があれほどまでに苛烈だったからこそ、一時期は危うかった母上も聖神教会から見逃してもらえたのですよ。それをお忘れなく」
レンドの反論には一理あったのも事実。実際、当時は政敵だったとある貴族が母に対して色々と仕掛けてきた。
幸い、その全てを何事もなく処理し、目障りだった政敵の一人も消せた。結果的には万々歳。だが、あの時一つでも対応を誤っていれば・・・ベイリー家がそんな政敵と同じ末路を辿る未来もあったのだ。
レンドはそれに多少は貢献している。・・・レンド本人は正義感のままに行動していたとしても、だ。
「忘れてなどいないさ。お前のおかげで聖神教会とも繋がりが出来た。・・・昔ほどの権勢はないが、奴らの使い道は幾らでもある」
母であるメアリーは毛嫌いしている聖神教会だが、魔女狩りでやらかして以降も一定の影響力は保持している。
中身は腐っていても、表面上が綺麗ならまだ利用価値はある。精々、表面に出るまでは良い隣人の皮をかぶろう。
その為、ある程度の額の寄付は投資と割り切る。大事なのは損切りのタイミング。聖神教会と共に沈むのだけは避けなければと打算する。
「当主殿、悪巧みしようとしているのが顔に出ていますよ」
レンドの指摘を、トーマスは鼻で笑い飛ばす。
「貴族とは謀(はかりごと)を巡らすのが性分だ。それをしない貴族は貴族と言わん。裁判官の仕事ばかりにかまけて、それを忘れたのか?」
「・・・私はそれが嫌で裁判官を志したのです」
「ふん、司法ですら貴族が領民を統治する為の仕組みに過ぎない。・・・レンド、お前は生まれた時から貴族だ。そして死ぬまで。幾らお前がそれを否定しようと、それは永遠不変の事実だ」
「・・・・・・・・・」
「お前が平民だったら、裁判官にすらなれなかった。司法もまた貴族の特権だからだ。お前の同僚を見ろ。平民など、一人もいないはずだぞ」
「それは・・・」
レンドも分かってはいる。だからこそ反論できない。
「それが現実だ。いくら慈悲深い聖神教会でも口しか出さん。我々貴族があらゆる手段を使って統治しなければ、この世は無法だ。弱肉強食の獣の世界に逆戻りだ。そうならないように、我々が民衆を律し、初めて人は人として生活できる。聖神教会にそれが出来るか?・・・例えそれが血で自身の手を汚すことになっても、誰かがしなければならんのだ。いい加減、自覚しろ」
「・・・だから無実の人間でも裁けと?自分たちにとって都合が悪いから?」
「・・・・・・無実ではない。人々に不安の種をまき、治安を悪化させている」
「事実を口にしているだけなのに?」
「それが事実だと誰が保証する?お前か?それとも聖神か?」
「・・・・・・」
「事実など、人の数だけ存在する。そして多くの人間が客観的に精査し、判断する。それが事実であると」
レンドは悪あがきと分かっていながらも、当主である長兄を睨む。
「精査し、判断を下すのは貴族だけだ。そこには貴族にとって都合の良い事実しか残らない!」
「ならばどうする?この世界の仕組みから作り変えるか?だとしたらまずは革命か?一人の裁判官がどうやって?・・・貴族である私は悉くお前の邪魔をするぞ。私だけではない、お前を目障りだと判断した他の貴族は命すら狙ってくる。どうやって身を守る気だ?前提として、私の力を当てには出来んぞ」
当主であるトーマスはただ冷静に切り返す。
「・・・・・・」
「お前一人の力で、世界は何も変わらんよ。現実とは無慈悲で、容赦がない。貴族の統治は終わらん。未来永劫な」
わかったら出ていけとトーマスに促され、レンドは部屋の外へと出て、扉を閉める。
その際、自分を論破した兄は得意げな表情を浮かべていたのを目にして、レンドは歯を食いしばった。
「・・・・・・それでも、いつかは・・・」
レンドの呟きは、誰にも聞こえない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます