第8話 ベイリー伯爵家

 ベイリー伯爵家は数十年前まではパッとしない男爵家であったらしい。出世する契機となったのは前当主、オルゲン・ベイリーの死亡後からだ。

 一応、後継者はいたらしいが若干十歳の少年にその座は重荷だった。その為、オルゲンの妻であったメアリーが当主代行として幼い息子を支えていく事になる。

 しかし、悪い事は重なるようで、オルゲンの死を知った隣国のカーソル子爵がちょっかいをかけてきた。

 元々、領地が接しているせいで事あるごとに領土問題で両家はもめていたが、ベイリー家の弱体化につけこみ、ベイリー領内の村々で放火や強盗、誘拐を繰り返した。

 亡き当主オルゲンは質実剛健な男で、武勇にも優れていた。戦争にも陣頭に立って率いる指揮官タイプで、カリスマ性もあった。しかし、そのオルゲンはもういない。家臣一同、どうするべきかと弱腰な態度を見かねたメアリーは、檄を飛ばす。


 ならば私についてこいと。

 これが女傑、メアリー・ベイリーの伝説の始まりであった。


 メアリーは魔力持ちであり、その才能も豊かだった。特に火属性の自然魔法の使い手として近隣諸国で並ぶ者がいないほどで、立ち塞がる敵を悉(ことごと)く焼き殺した。

 略奪に勤しむカーソル子爵の私兵もその例にもれず、ベイリー領内に侵入した私兵は命からがら逃げかえっていった。そのあまりにも見事な指揮能力に、家臣たちはひれ伏した。そして確信したに違いない。オルゲン亡きベイリー家は今後も安泰だと。

 だが、メアリーはこの程度で満足するような女傑ではなかった。逃げかえる私兵たちを追撃し、逆にカーソル子爵の領地を荒らしに荒らした。その内容は倍返しどころではない程に苛烈を極めたらしい。


 火を、血をまき散らす悪魔と畏怖され、ついた仇名が紅蓮鬼。そんな風に敵からは恐れられた当主代行であるメアリーを、領民はオルゲン同様に褒め称え、尊敬した。それに応えるようにメアリーは内政にも励み、幾つもの改革を掲げ、新たな産業を生み出し、領地を発展させた。

 武力と金、更にはその才覚で瞬く間にメアリーは伯爵へと出世し、ベイリー家の黄金期を築き上げた。そんなベイリー家が、クラリスの買い取り先らしい。


 正式な売買はクラリスを直接、確認してかららしいが、ほぼ決まったようなものだと奴隷商人は確信している様子。・・・さて、メアリー・ベイリーは本当に噂通りの人物なのだろうか?

 十歳だった幼い当主も今や三十歳になったと聞く。ならば既に名高き女傑も五十は超えるくらいか。当主代行の座も退いたと聞くが、その影響力は現当主を凌ぐとされ、未だにメアリーを信望する領民も多いらしい。

 貴族社会でもベイリー家といえばメアリーのことを示唆すると言われており、現当主はそんな周囲に辟易している・・・そんなまことしやかな噂が囁かれているのを小耳にはさんだ。なんだか聞けば聞くほど厄介そうな環境である。

 肝心なのはクラリスを買うと決めたのはベイリー家の誰だという事。女傑と名高いメアリーか?それとも平凡な現当主と噂されるトーマスか?はたまた別の一族衆の誰かか・・・どれにしてもあまりいい予感はしないな。まあ、どうなるにせよオイラはただ成り行きを見守るのみなんだけど。



 そして遂にクラリスは取引の為、ベイリー伯爵の屋敷へと連れてこられた。本人は何も知らないので、馬鹿でかい屋敷に突然連れてこられて落ち着きがない。キョロキョロと周囲を見回し、周囲の人々の一挙手一投足にびくびくしている。・・・気のせいでなければ、奴隷商人も緊張しているようだ。膝がわずかに震えている。使用人が出したお茶も喉を通らないのか、一口も飲んでいない。

 そんなやや緊迫した商談の場に一人の女がふらりと現れた。女傑と名高いメアリーか?それにしては若そうだ。当主トーマスの妻か?

 オイラはその女の立ち振る舞いを影から見つつ、只者じゃないと感じた。



 「待たせたわね。その幼児がアンタご自慢の商品?」



 「はい、魔力持ちである貴女様ならばその価値もわかっていただけるかと」



 デカいソファーに座るなり早速本題とばかりに奴隷商人に話しかける女貴族・・・会話内容から察するにクラリスの全身を見定めるように見つめるこの人物こそが、女傑メアリーその人であるらしい。女傑と呼ばれるのがしっくりくる程、凛とした佇まいだ。

 外見も、五十代にはとても見えない。三十台と言われても違和感がない。それほどまでに若々しい。一つ一つの仕草においても品がある。これが本当に巷で紅蓮鬼と恐れられる女傑なのか?



 「アンタの父親には色々と助けたり、助けられたりしている間柄だ。その息子が金貨百枚の価値があると豪語するから屋敷にも招いた。・・・その幼児に、本当にその価値があると?」



 女傑に気圧されるように奴隷商人がごくりと唾を飲み込む。幾つもの修羅場を乗り越えてきた彼にとっても、この女傑は一筋縄ではいかない様子。うん、オイラも認識を改めるべきだな。



 「はい、それは間違いなく」



 気圧されはしたが、何とか持ち直そうと若き奴隷商人は営業スマイルを浮かべる。・・・ややひきつっているが、女傑は見ないフリをして話を続ける。



 「ふむ・・・魔力は微弱にしか感じないけどねえ」



メアリーの疑いの言葉に、奴隷商人は怯まない。何せ、彼には切り札があるのだから。それもとっておきの。



 「きっと、お客様には気に入っていただけるものと確信しております」



 「自信満々ね。その源は何かしら?」



 奴隷商人は努めて笑顔を維持しつつ、告げる。その自信の根拠を。



 「今、この少女には魔封じの腕輪を付けています」



 「・・・今、なんと?」



 ギロリと音がするくらい、女傑が奴隷商人を睨みつけると同時に問いただす。おいおい、本当に齢五十を超えているのか?影に潜むオイラの肌がひりつくほどの威圧感だ。直接、晒されたらこの十倍くらいはキツそうだ。・・・置物と化しているクラリスなんか腰を抜かしているしな。



 「ま、魔封じの腕輪を、付けております。そ、それも二つ」



 辛うじて、言いよどみながらも再度の商品説明をする奴隷商人。うん、こんな時だけど感心したわ。この若旦那は商人の鑑だな。並の商人なら、眼前の女傑の威圧感にのまれて言葉を一言も発せなかっただろうに。



 「二つ?・・・それでなおも微弱ながら魔力が漏れ出ていると」



 「は、はい」



 「外して」



 「はい?」



 「腕輪を外しなさい。二つとも」



 「・・・よ、よろしいのですか?魔力持ちの方々には、不愉快な感覚だと聞いておりますが」



 恐る恐る奴隷商人が確認する。誰だって地雷は踏みたくない。相手が大貴族なら尚更だ。魔力圧を受けて愉快な気分になる人間はそういまい。そういうものだ。



 「構わないからさっさと外して」



 「で、では」



 客の要望に応えるのが商人の常。奴隷商人は躊躇いつつも、未だに腰を抜かしているクラリスの腕輪を外す。



 「・・・むっ」



 一つ外しただけで、メアリーは顔をしかめた。だが、止めはしない。奴隷商人は魔力持ちではないのでその僅かな差異にも気付かない。なので続けて二つ目を外す。



 「・・・・・・・・・」



 二つ目を外した時には言葉も出ない。魔法の才能に恵まれたメアリーでさえ・・・いや、だからこそか。クラリスの異常なまでの魔力量に絶句している。



 「い、いかがでしょう。ご満足していただける商品だと自負しておりますが・・・」



 魔力を持たない常人である奴隷商人には伝わらない。だが、オイラにはわかる。わかってしまう。メアリーはこれ以上ない程に満足していることを。その証拠に



 「くくっ・・・ははははははははっ!愉快愉快!!」



 メアリーは面白くてたまらないとばかりに笑った。



 「正直、想像以上だ!商人の子倅!」



 「は、はい!」



 興奮しているメアリーに気後れしつつ、返事する奴隷商人。



 「この幼児、私が買うぞ!色を付けて金貨二百枚で買う!」



 「・・・・・・はい?」



 「なんだ、不満なのか?希望価格は金貨百枚だろう?」



 「い、いえ決して不満などは!・・・むしろそんなに上乗せしていただいて恐縮しております、はい」



 そんな恐縮しきりの奴隷商人を一瞥したメアリーは



 「ふん、後になっていちゃもんつけたりはしないよ。私をカーソルのクソボケと一緒にするな」



 どこか不機嫌そうに吐き捨てた。この態度に奴隷商人は勘気に触れたと思ったのか平身低頭で話を進める。



 「め、めっそうもありません!では、正式な手続きを・・・」



 「契約の細かい話は家令としろ。・・・子倅、また今回みたいな自慢できる商品があったらうちに持ってきな。他所よりは色をつけて買ってやる」



 「は、はい!」



 おいおい、興奮しているせいか口調が荒いな。それとも、こっちが素の女傑か?

 場の状況について行けず、呆然と腰を抜かして床に座り込むクラリスを、メアリーがジッと見下ろす。



 「私はついてるねえ、まさかこんな逸材に出会えるとは。・・・アンタ、名前はあるのかい?」



 「・・・ク、クラリス、です」



 「ほう、いい名前だ。さて、クラリス。アンタには色々と覚悟してもらうよ。この老人の余生の暇つぶしにとことん付き合ってもらうからね」



 カカカッと上機嫌に笑う女傑。・・・余生の暇つぶし相手だと?なんだか不穏な発言だ。もうしばらくはクラリスを影から見守るとするか。



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