第3話 つかさとの出会い

 大学時代の頃を思い出したのは、ちょうど仕事で、大学がある街に行った時のことだった。

 といっても、その場所は、出身大学ではなく、違う大学町なのだが、昭和の佇まいを残しているところがあることで、思い出したのだった。

「今までにも、このあたりに仕事できたことがあったのに、なんで今になって、急に思い出したりしたのだろう?」

 と思った。

 それが、一人の女の子との出会いを思わせるということだということに、その時は気づかなかった。

「まさか、予知能力があるわけでもあるまいし」

 と、苦笑いした晃弘だったのだ。

 その大学町には、営業先があるのだが、元々からの大学町なので、会社は元々少ない。だから、このあたりにくるのは、一月に、2,3度訪問できればいいくらいであろう。

「大学卒業してから、何年経っているのだろうか?」

 正直。もう、30年以上が経っている。しかし、意識の中では、

「数年前まで大学に通っていた気がする」

 と感じるのは、時系列が、曖昧になってきているからではないだろうか?

 時系列というのは、必ずしも、最優先ということではない。事実関係であれば、時系列以外は考えられないが、それ以外は曖昧だ。特に、記憶ともなると、怪しいもので、さらに、その間に人生におけるターニングポイントが挟まっていれば、その数が多ければ多いほど、曖昧になっていくといえるのではないだろうか?

 大学時代、特に卒業間際のことはよく思い出す。何といっても、

「卒業が危ない」

 というくらいだったのだ。

 ということは、就活にも大きな影響があり、

「卒業と、就活のダブルで、かなり苦労した」

 ということが、かなり記憶の中で印象として残ったのだった。

 卒業したら、ある程度、その時焦りは忘れてしまったが、なぜか、夢だけは、いつまで経っても見るのだった。何度も夢に見て、卒業もできずに、試験前なのに。何ら資料もないことで、

「留年確定」

 している自分が、どうすればいいのか、夢で焦るばかりだったのだ。

 焦るのは当たり前というもので、本人は卒業して仕事をしているのだから、資料がないのは当たり前で、そんな中途半端な状態だけが、夢の中での事実となるのだった。

「何て、都合のいい(いや、悪い)夢を見るのだろう?」

 と思うのだった。

 だから、これも、時系列が曖昧だから、夢見も少しおかしいのだ。

「夢を見るというのは、目が覚める寸前の数秒で見るものだ」

 というではないか。

 夢を見たその時に、時系列を重視していれば、そんな短い時間でさばけるわけはないということだ。

 夢の枠に合わせて、夢を見るということであれば、それこそ、

「時系列通りに見れば、曖昧な感覚はなくなるというものである」

 と言えるのではないだろうか?

 それにしても、自分だけ大学生だということも分かっている。頼れる友達はみんな卒業し、就職して新たな道を歩んでいるのだ。

 もし、逆の立場だったら、

「ああ、俺も、同じように大学生活を続けたかったな」

 と思うかも知れないが、卒業し、社会人一年目というのは、遅かれ早かれ、訪れるものではないだろうか?

 それを考えると、夢というのは、自分の気持ちをリアルに映し出すもので、

「記憶を整理している時よりも、曖昧ではあるが、時間の感覚は確かなのかも知れない」

 と感じるのだった。

 そんな夢を見たのは、ごく最近だったような気がする。少なくとも、2,3日前からこっちだったはずで、昨日だったかも知れない。

「これも一種の、予知能力なのかも知れない」

 と感じた。

 同じ大学ということではないが、大学のまわりの雰囲気は結構似ている。ある意味、数十年が経過しても、大学のまわりは、そんなに変わっていないということで、それだけ、

「元々が、発展していた」

 ということなのか、

「いいものは色褪せない」

 ということなのか、どちらにしてもいい意味に捉えることができるというものであろう。

 大学生ではないのに、大学の近くにいると、普通なら、

「懐かしい」

 と誰もが思うのだろう。

 晃弘も同じ思いだったはずなのだが、不安が募ってきて、次第に膨れ上がってくるのだ。

 それが、例の夢に見た、

「卒業できず、何度も留年を繰り返している」

 という夢であった。

 大学生活というのも、半永久的に続けられるものではない。確か、入学から8年が経過すれば、それ以上は学生であることができず、

「中退」

 ということになるのだ。

 そんな中退という恐ろしい二文字を経験せずに済んでよかったのだが、夢の中では、

「中退もやむなく」

 ということであった。

 何しろ、試験前の前日になって、まったく資料がそろっていないのだ。試験を受けるだけ、

「時間の無駄」

 といってもいいだろう。

 大学生の頃というと、確かに、勉強もせずに、試験前に慌てて資料をコピーさせてもらい、何とか試験に備えたものだ。

 その資料がまったくないということなので、弾を込めずに、戦争に行くようなものであった。

「ただ、大学時代も、実際に、卒業が危なかったのは確かである。ただ、何とか授業もしっかりと出席したことがよかったのか、卒業単位を大幅に上回るだけの単位も取れたのは、ありがたかった」

 そんな不気味な夢を見た直近で、大学のある街に赴くというのは、最初から予備知識が入っていたわけではない。

 元々、ここは、計画では、今日の訪問地に入っているわけではなかったはずだ。

 それなのに、この町に来たということは、それこそ、

「予知能力でもあったのではないか?」

 と言えるのではないだろうか?

 大学が違うとはいえ、やはり大学の街にくると、複雑な気持ちになる。

「卒業できないかも知れない」

 という、不安に感じる思いと、

「それでも、何とか卒業できた」

 という安堵の思い、交互にやってくるのだが、その思いは絶対的な優先順位がある。

 それは、

「必ず最後はハッピーエンドだ」

 ということであった。

 それを思うと、

「結果としては、安堵感が強いが、払拭できない不安感も共存している」

 という感覚だった。

 ただ、それでも、大学近くの喫茶店に立ち寄れば、卒業云々という感覚は消え去って、ただのなつかしさだけがこみ上げてきる。

 それを思うと、

「あの当時のような喫茶店が残っていてくれれば嬉しいのにな」

 と感じるのだ。

 さすがに昭和の喫茶店というのは、今の時代にありえるわけはない。ただ、リメイクして、

「昔懐かしの、昭和を思わせる、純喫茶」

 という店が増えてきていたのだ。

 もちろん、昔と同じ佇まいの店ができるわけもないが、模倣することはできる。店内であれば、ある程度思い出させる佇まいにはできるだろうが、いかんせん、その頃の喫茶店をしっている人が、客としてくるというのは、なかなか難しいことであろう。

 ただ、昔と明らかに違うものも、かなりある。昔であれば、当時のテーブル席には、卓上テレビゲームのテーブルというものが、いくつか置かれていた。100円玉を入れて、テーブルの少し下にあるコントローラーを使って、テーブルの上にあるモニターを前屈みで見ながら操作している姿を見ていると、何とも言えない光景を見ることができるようであった。

 そのかわり、今はスマホを携帯していることから、誰もが、スマホでゲームができる。

 昔の喫茶店では、ゲームをするか、入り口あたりに本棚があって、置いてあるマンガをテーブルに持っていって、そこで読むというのも、多かった。

 世紀末くらいから流行り出した、

「マンガ喫茶」

 というものとも違って、世紀末のマンガ喫茶というのは、

「オープン席か、個室で、基本は目の前にパソコンが置いてあり、マンガは、昔の喫茶店と比較するだけ無駄というくらいの蔵書の数が、まるで図書館のように、無数の本棚の中にこれでもかとばかりに置かれている」

 そこから自分の読みたい分だけ持ってきて読めばいいことになっている。

 昔の喫茶店であれば、

「ワンドリンク制」

 という形であったが、マンガ喫茶ともなれば、ドリンクはフリーで、取り放題だった。

 その代わり、場所代ということで、例えば、

「30分、500円」

 とかいう形で、

「時間で、その場所を買う」

 ということになる。

 そのあたりが、普通の喫茶店とは違うところであった。

 だからなのかも知れないが、その後に流行り出したものとして、

「コンセプトカフェ」

 というものがある、

 大きく分けると、

「メイドカフェ」

 のような、アイドル養成のような店であったり、

「病院をコンセプトにした、メイド喫茶」

 のようなお店もある。

 そして、あくまでも芸術を目的としたお店で、コンセプトとしては、芸術としては関係のないヲタクのような店にして、

「実際は、アマチュア芸術家が、作品発表を行う場所を提供する」

 というところもあるのだ。

 そういうお店の料金体系は、大体は、

「1時間ワンドリンク制」

 ということで、例えば、

「500円以上で、1時間その責を利用できる」

 という感じである。

 そのかわり、メイドカフェのように、女の子がお給仕をしてくれるというヲタク向けのお店だったりするのだ。

 そんな店など、まったくなかった昭和の頃というと、ちょうど、卓上型のテレビゲームの元祖と言ってもいい、

「インベーダーゲーム」

 から、数年が経った頃だったような気がする。

 ゲームの種類も結構あり、麻雀などのように、対戦型もあったりして、それも結構面白かったというものだ。

 ただ、卓上型テレビゲームの時代は、そんなに長くはなかった。

 それから、某メーカーの

「ファミコン」

 などというものが流行り出して、他の会社からも類似の、ゲーム機が発売された。

 テレビに繋いで、家庭でできるという意味で、流行ってきたのだが、実は、ファミコン系のゲームが流行り出したのには、もう一つ別の理由もあったのだ。

 というのも、問題となったのは、学校という現場の問題が、大きく影響していた。

 当時くらいに、社会問題となってきた、

「苛め」

 という問題。

 これが大きく影響してきたということであるが、

 この、

「苛め」

 というのは、昭和の頃からあるのはあったが、平成になると、自殺者が出たり、陰湿ないじめのために、トラウマが残ったりと、大きな社会問題となっていたのだ。

 そのために、学校に行かない生徒も増えてきて、いわゆる、

「不登校」

 から、

「引きこもり」

 となるというコースである。

「不登校」

 というのは、

「登校拒否」

 よりもたちが悪い。

 登校拒否は、学校に行こうと思えばいけるのに、サボりたいなどの場合も、登校拒否となるのだが、不登校は、トラウマが残ったり、

「必ず苛めに遭う」

 などという悲惨なことになってしまうことで、どうしても、学校にいけない人たちのことをいうのだった。

 学校では、苛めが陰湿であったり、大人に分からないようにしたりするということで、巧妙になってきたということもあって、本当の、

「不登校」

 ばかりが増えていくことになるのだ。

 だから、そんな子は、誰にも顔を合わせようとしない。

 家にいても、どこにも出かけず、トイレにいくくらいで、食事も、親が部屋の前に置いておくというくらいまでになってしまっていたのだ。

「どうすることもできない」

 と、まわりの大人は見守るばかり。

 そんな子供が爆発的に増えて、社会問題になっているのだ。

 皆、引きこもってしまえば、何をしているのかというと、一番は、ゲームであろう。

 最初の頃の引きこもりだった頃の子供は、それほど多機能ではなかっただろうが、今の子供のゲームとなると、オンラインで、ゲームの友達とバーチャルでできるという意味で、少しは、活発になってきたと言ってもいいかも知れない。

「ゲームの世界でのオンラインで友達ができてもね」

 という人もいるだろうが、

 まったく友達がいないというよりも、マシかも知れない。

 下手をすれば、完全に一人であれば、

「自殺をしてしまいそうな感情になってしまう」

 ということであれば、本当に自殺をするかも知れない。

 しかし、オンラインといっても、誰か友達や相談相手がいれば、

「自殺をしたい」

 と思ったとしても、何とか止めることができるかも知れない。

 そういう意味で、友達ができることは、マイナスということではないだろう。

 ただ、その友達も悪い奴だったら、下手をすれば、そいつに、洗脳されて、

「自殺をするつもりではなかったのに、自殺をしてしまう」

 という心境にされてしまって、死んでしまうということになってしまうかも知れない。

 それを思うと、

「自殺をしてしまうという心境は、どこから来るのか?」

 ということになるのだ。

 例えば、部屋の中で真っ暗な状態でゲームをしているのを、まわり、例えば親が見ると、それだけで、

「恐ろしい」

 と思うことだろう。

 それこそ、

「たった今からでも、自殺してしまわないか、緊急を要することだ」

 ということになるだろう。

「それこそ、警察に逮捕でもしてもらって、どこかに自殺しないように監禁してもらってもいいくらいだ」

 と考えるかも知れない。

 それよりも、精神病院に入院させて、治療を優先しようと考えるだろうか?

 普通はそれくらいあっても不思議ではないと思うことだろう。

 しかし、昭和の頃というと、ある意味、偏見があった。

「精神病院というところは、入ったら終わり」

 という感覚があり、

「自分の子供が精神的に病んでいたとしても、世間体を気にして、精神病院に入院させたりはしないだろう」

 と言える。

 しかし、実際にはもっと深刻であるということを知らないだけで、例えば、親に暴力をふるったり、殺されかかったりすれば、急に臆病になって、それまで言っていた言葉を一気に撤回し、

「何も言わずに、病院で隔離させる」

 ということになるのだ。

 要するに、自分に身の危険が迫ってくると、それまで、

「世間体が」

 などと言っていたくせに、一気に臆病になり、

「自分たちからなるべく遠ざけよう」

 とするに違いない。

 親といえども、そうなると、

「自分たちのことしか考えていない」

 ということであろう。

「もう、おかしくなってしまった子供は、自分の子供ではない」

 とばかりに、一気に突き放すような気分になるのであった。

 そんな時代だったからなのか、当時は、今ほど精神疾患の子供がいないような気がする。

 少なくとも、一定数は、前述のようなケースもあるだろう、

「大人が体裁を気にして、子供を表に出さないようにしている:

 という形である。

 それでも、自然治癒したということであろうか?

 それとも、子供と親とで、秘密裡のうちに、泥沼に嵌ってしまったことが、世間に知られないままに、処理されるという、何か恐ろしい力が働いているということなのかである。

 そんな恐ろしい状態において、それほど問題にならなかったというのは、ひょっとすると、表に出てきていない、

「何らかの組織」

 というのが暗躍をしていて、本当は今よりもひどかったのかも知れないものを、秘密裡に始末していたのかも知れない。

 今の時代であれば、コンプライアンスの問題などもあるので、そんな光らせている目をかいくぐって、暗躍できるほどの今の時代ではないだろう。

 そうなると、今は、ほとんど、

「オープンにすることが、一番の解決法だ」

 ということになるのではないだろうか?

「昭和の頃の昔と、令和の今とでは、どっちがいいというのだろうか?」

 ということを考えて、果たして簡単に答えが出るものであろうか?

 そんなことを考えていると、子供の問題も難しいことに気付く。

「令和の今がいいと思っている人は、意外と、昭和を知っている人なのではないか?」

 というほど、昔の体裁を気にしたり、コンプライアンスのまったくなかった時代から比べると、今の方が相当いいと思っているのかも知れない。

 コンプライアンスの話になると、比較されるのが、昭和の頃の同じシチュエーションの話だった。

「本当に昭和の頃というのは、仕組みが整っていなくても、よかった時代だ」

 という間違った考えを持っている人も多いのかも知れない。

 昭和の頃は確かに、いろいろと、おおざっぱだったこともあった。

 しかし、いろいろ、

「神話」

 と呼ばれるものがあり、それとは違う考えは、基本的に打ち消された。

 たとえば、

「銀行不敗神話」

 バブルの時期にいわれていたのだが、

「銀行は絶対に破綻しない」

 というものであった。

「破綻しかかっても、国が助けてくれる」

 というものであるが、まったくもって、デマであったということが、

「バブルの崩壊」

 で証明されることになるのだ。

 さらに、もう一つとして、

「高速道路神話」

 というのもあった。

「確か耐震構造は、鉄壁のようなことを言っていたのでは?」

 というはずだったのに、阪神大震災では、見事に横に倒れていたではないか?

 さらに、

「原発安全神話」

 というのもあった。

 福島県の原発が、東日本大震災にて、どのようなことになったか?

 ということである。

 ただ、震災に関しては、

「想定していた以上の災害だった」

 ということになるだろう。

 そういう意味では仕方がないというところもあるのだろうが、だからと言って、

「しょうがない」

 ということで済ませられるのだろうか?

 被災者が、必死で立ち直ろうとしているところ、さらに、次に何が起こるか分からないというのは、阪神大震災にて、耐震構造を再度見直しをしたにも関わらず、それから、数十年経っても、まったく変わっていないという、とんでもないところもあった。

 やはり、

「歴史に学ばない」

 というのは、

「時代を生き残っていけない」

 ということになるのではないだろうか?

 それを考えると、

「震災などの、災害に関しては、デリケートな部分を相当含んでいる」

 と言えなくもないだろう。

 そういう意味もあるが、昔から、神話として言われていたり、

「政府や企業が太鼓判を押すことに関しては、疑ってかかった方がいい」

 という場合も往々にしてあるというものだ。

 そんな神話の中で、確かに政府がいうのは、あてにならない場合も多い。

「年金や福祉は、100年大丈夫だ」

 などと言った、過去、自分の党を、

「ぶっ潰す」

 とかいうようなことを言っていた、ソーリの言葉を思い出せば、どれだけいい加減だったということか、よくわかるというものだ。

 結局、その時のソーリが残した傷跡が、今でも足枷のようになって、どうしようもなくなってしまっている。

「それが、今の世の中だ」

 と言えるのではないだろうか?

 余談になってしまったが、昭和の頃の喫茶店と、今とでは、相当な違いがあるということである。

 ただ、このお店は、

「古き良き時代」

 を思わせるものが残っていて、しかも、今も現役で動いている。

 それは何かというと、

「レコード」

 であった。

 平成に入ってから、少しして。CDというものが出てきてから、レコードや、昔のカセットテープというものが、徐々に姿を消していった。

 昭和の頃のラジカセというと、ラジオをカセット再生、録音ができる機会で、ダビング用に、ダブルカセット機能がついていたりした。

 レコードも、今でも、針を盤に落とした時の音が、心地いいと思っている人もいるくらいで、確かに音は、CDの方が、どれほどいいか分からないが、それを加味しても、ラジカセや、レコードプレイヤーというのは、実に懐かしいものである。

 何しろ、アンプやカセット、スピーカーまで普通にそろえると、安くても、20万円以上したものだった。

「まるで、今のパソコン並みではないか?」

 と言えるのではないだろうか?

 そんな店で、大学時代を懐かしく思っていると、またしても、ほのかのことが当た頭をよぎってきた。

 しかし、今度はほのかのことを想像しているのだが、登場する自分は、

「今の自分なのだ」

 これは、まるで、夢に何度も見る、

「大学を卒業できないでいる自分」

 というものを、思い浮べているようだ。

 夢を思い出してみると、

「俺は、卒業していて、仕事も持っているはずなのに、当たり前のように、大学の図書館で勉強をしているのだ。帰ろうとして、図書館の玄関を出ると、そこには、スーツ姿でキャンパスを歩いている、元同級生たちを見かけるのだ」

 という設定であった。

 そもそも、大学を卒業している同級生が、スーツ姿で大学内にいるのも、おかしなもののはずなのに、おかしいとは思いながら、必要以上に怪しむことはない。

 そんなことを考えていると、

「自分も、もう24歳なのに、まだ大学生」

 という意識からか、年齢だけは、明らかに取っているという思いからか、会社で仕事をしていることに違和感がないのだ。

 だから、50歳をとっくに過ぎている自分が、大学キャンパスにいても違和感がない。ただ頭の中では、

「大学はとっくの昔に卒業している」

 とは思うのだった。

 大学卒業したはずの、大学。しかもだ、卒業した大学でもないわけだ。

 実にツッコミどころ満載の状態で、いかに、や、どこを焦点とするのかということが、問題なのだ。

 年齢として、年寄りだから、大学生から、

「さぞや、おかしな目で見られるのではないか?」

 と思ったが、そんなことはない。

 むしろ、誰からも気にされないという感じだった。

 ただ、考えてみれば、それも当たり前のことで、大学だからと言って、

「大学生しかいない」

 というわけではない。

「先生もいれば、大学職員だっているわけだ」

 ということで、むしろ誰も気にしないのは、

「教授ではないか?」

 という目で見られている証拠なのだろう。

「ああ、なるほど」

 と思うと、晃弘は、何も気にしなくなった。

「それならば」

 ということで、背筋を伸ばして、前を向いて学生を気にすることなく歩いている。

 すると、見覚えのある図書館があった。

「ああ、夢の中に出てきた、あの図書館ではないか?」

 というわけだ。

 元々、夢の中の図書館を覚えているということの方がおかしな気がする。

 なぜなら、

「夢の中には、色もなければ、大きさも曖昧なものではないか」

 ということで、それは、

「目が覚めるにしたがって忘れていくものだ」

 と思ったからだった。

 そんなことを考えながら、図書館の入り口医入った瞬間、自分が、大学時代に戻った気がしたのだ。

「これから、試験勉強をしないと」

 と思うのだった。

 年齢は、21歳、

「卒業に向けての試験に臨まなければいけない」

 という感覚である。

 今回は、ちゃんと資料もあり、情報も揃っている。後は勉強するだけなのだが、

「この言い知れぬ不安はどこからくるのだ?」

 と感じるのだった。

 大学生を、何年もやっているという、そんなムダな不安がこみあげてくるのだった。

 そんな夢を半分見ているような感覚で、大学の図書館で、ボーっとしていると、急に、何かのデジャブが起こりそうな気がした。

 今までに何度かデジャブ的なことを感じたことがあったが、かなりの高い確率で、それが確証されるようになるのだった。

 そう思って、図書館のロビーの人の流れを見ていると、想像以上に、人の流れの多さに少しビックリしていた。

 大学時代から、図書館に来ると、ロビーのソファーに腰かけて、ロビー全体を見渡すくらいの気分になることが多かった。

 その様子を今になって見ていると、

「大学時代も、今のように、我に返ってみると、想像以上の人の流れだったのだろうか?」

 ということを感じてみた。

 きっとそうなのだろう。今感じていることを、その時も同じように思っていたに違いない。

 大学キャンパスでは、同じようなことを感じたことはあったが、図書館ではなかった。それだけ、この場所に座って佇んでいるという時は、本当にボケっとする時間帯を作りたいという思いがつよかったに違いない。

 それを思うと、大学時代というものが、どういう時だったのかというのが、どんどん思い出され、次第に、

「まるで昨日のことのようだ」

 と言った感覚になるのだった。

 大学時代というものを思い出してくると、社会人になりたての頃の方が、かなり昔だったような気がする。

 大学時代に、小学生の頃、中学生の頃と思い出した時、

「記憶の時系列」

 というものが、曖昧だという意識があったのだ。

 だが、それは、

「大学時代から見た、前の記憶」

 ということで、

「その間には大きなターニングポイントはなかった」

 ということであった。

 というのも、大きなターニングポイントの最初は、

「就職してからの半生」

 だと思ったからだ。

 しかし、子供時代でも、ターニングポイントは結構あったとお思う。

「思春期」

「高校受験」

「大学受験」

 とあり、さらに、高校時代までとはまったく違う大学時代。

 それぞれに、大きなターニングポイントがあったということであろう。

 ただ、大学時代から、就職となると、まったく違う。

 大学時代というと、最高学歴ということもあるし、

「専門に勉強するところだ」

 ということと同時に、友達を増やしたり、いろいろなことができる時代でもある。

 だから、就職するということで、かなりの制限があり、しかも、これまでの最高というところから、急に、

「一番下から」

 という、分かり切ってはいるが、なかなか納得できないような感覚に、ギャップを感じることであろう。

 そういう意味での、ターニングポイントなのだ。

 さて、大学に入学してからすぐであったり、就職してからすぐの時に、いわゆる、

「五月病」

 というものに掛かる人が多い。

 実際に、晃弘も五月病に掛かったものだ。

 最初に、

「卒業できない夢」

 というものを何度も頻繁に見たというのは、その頃だったのだ。

 卒業できない夢を何度も見ていると、五月病というのが、結構長かったかのように思えるのだ。

 ある意味、悪影響を及ぼしたという意味で、今度は、その

「卒業できないという夢」

 が、最悪の夢として認知される。

 しかも、

「目が覚めてから、よかったと思う」

 という夢の代表のようになっているのだった。

 ただ、夢を見ている時は、

「これは夢だ」

 という感覚がないわけでもないくせに、

「夢ではない」

 という意識も一緒に夢の中に存在しているのだった。

 そんなことを考えていると、人通りが多い中で、一瞬目に留まったその人から、今度は目を切ることができなくなってしまった。

 相手も最初はそんな晃弘の視線に気づいていないようだったが、さすがにこれだけ凝視しているからなのか、視線に気づいたようだ。

 気づかれたことが分かると、

「視線を切らなければいけない」

 と思いながらも、

「決して切ることができない」

 ということを再度確認するのだった。

 相手も、その視線に焦りを感じているのか、今度は、歩みが遅くなり、しまいには、動けなくなってしまったようだ。

 そして、まるで、晃弘の視線に吸い寄せられるように、こちらに向かって歩いてくる。

 晃弘もその状況を理解できずに、迫ってくる彼女に対して、

「どうすればいいんだ」

 と思い、目線をそらすこともできず、迫ってくる彼女を見つめるだけだった。

 実は、その時は金縛りに遭っていた状態からは脱却していたようで、

「目線をそらそう」

 と思えばできないわけでもなかったはずなのに、目線をそらさなかったのは、

「逸らしてしまうと何か怖い」

 という感覚があったからに違いない。

「あのすみません」

 と、ふいに彼女から声を掛けられた。

 その様子は、起こっているような雰囲気ではなかったので、一安心だったが、彼女が声をかけておきながら、戸惑っているのが分かるので、受け止める側も、正直、どうしていいのか、分からなくなっていた。

「あの、どうかしましたか?」

 と、自分から見つめたことが原因であるのを棚に上げて、まるで、何もなかったかのように、聞き返した。

 すると、戸惑っていた彼女は、何か吹っ切れたのか?

「私のことを知っているんですか?」

 と言って睨んでいるその顔を見ていると、またしても、金縛りに遭っているのを、晃弘は感じていた。

「あっ、いえ、そういうわけではないんですが、昔、よく似た人を知っていたものですからね」

 と、晃弘は正直に答えたが、相手はどう感じただろう。

「ナンパの言い訳」

 というように聞こえなくもない。

 却って、

「そう聞こえてくれた方が、この場合は都合がいいかも知れないな」

 と感じたのだ。

 彼女はそんなことを分かっているのかいないのか、

「それならいいんですが」

 と言って、言葉を呑んだ。

 その返答に、今度は、晃弘が拍子抜けしてしまった。

 まさか、そんな返答があるとは思ってもみなかったからで、

「どこか、彼女が天然ではないか?」

 と思ったのだ。

「天然というよりも天真爛漫」

 と言ったところなのかも知れない。

 晃弘は今まで何人もの女性と付き合ってきたが、こんな女性も珍しかった。それだけに、気が惹かれたといっても過言ではないだろう。

 彼女が誰かに似ていたというのは、最初こそ誰なのか、ハッキリしなかったが、すぐに分かった気がした。

「そうだ、ほのかに似ているんだ」

 と思って、今回の出会いが図書館のロビー前のソファーあということで、理屈が分かったかのような気がしたのだった。

「そういえば、ほのかにも、時々天然じゃないかと思うようなところがあったな」

 ということを思い出していた。

 ただ、ほのかの場合は、天然に見えても、その実、しっかりしたところがあり、とにかく性格は、精錬実直だったといってもいいだろう。

 だから、逆に、

「融通が利かない」

 ともいえるのであって、精神状態によって、

「腫れ物にでも触るようにしないといけない」

 と感じるのだった。

 それだけ、ほのかという女性は、扱いにくいともいえるが、一本筋が通っているだけに、「分かりやすい性格だ」

 と言ってもよかったであろう。

 それを思うと、

「大学時代、ずっと付き合えなかったのもしょうがないのかも知れない」

 と感じたのだ。

 そういえば、付き合い始める頃のことはよく覚えているのに、別れの時は、あまり覚えていない。

 これも、

「時系列の矛盾」

 なのか、別れた時の方が、さらに以前だったような気がするくらいであった。

 そんな思いを感じていると、

「別れは、お互いの感情がぶつかりあって、結局、気持ちが曖昧なまま別れることになったような気がする」

 ということを思い出していた。

 だから、もっと逆にいえば、

「俺はまだ、ほのかのことを好きなのかも知れないな」

 と思うようになった。

「終戦ではなく、休戦だ」

 という感覚である。

 そのほのかに似た女性が、目の前に現れた。

 しかも、大学時代を思い出させる、しかも、本当の大学の図書館という場所、まさしくその通りの出会いだったのだろう。

 だが、最初こそ、

「本当にそっくりだ」

 と思っていたほのかを、見つめるうちに、次第に違ってくるのを感じたのだった。

 思わず。

「ほのか」

 と声をかけてしまいそうになった自分が怖くなった晃弘だったが、口元はそう呟いていたのかも知れない。

 完全に声が出なかったのは助かったが、読唇術でも持っていれば、口元から、何を呟いたのかが分かるというものであろう。

 ただ、目の前の彼女が、晃弘の言葉をそのまま本当に、信じたかどうかは怪しいものだが、

「ああ、そうなんですね?」

 と嫌な気分になっているわけではないように見えたのは、安心できるところであった。

「ええ、そうなんですよ」

 と打つ相槌も、どこかぎこちなかった。

 二人の間に、若干の言葉の間というものがあったようだが、その時の晃弘には、

「このまま永遠に続くのではないか?」

 と思う程の、気まずい感覚が、相当に長く続いた。

 しかし、それは、ある意味仕方のないことだったような気がする。

「大丈夫ですか?」

 と聞かれたが、

「この子は、結構、人の気を遣うことができる人なんだ」

 と思うと、晃弘は金縛りが次第に解けていくことを感じたのだった。

 お互いに次第に緊張がほどけていくようだったが、

「ここまで来るのに、どれくらいの時間が経過したというのだろう?

 と考えた。

 だが、実際には、そんなに時間が掛かっていないような気がした。なぜなら、まわりの人の動きが、まるでスローでも見ているかのように、ゆっくりとした動きに感じられたからだった。

 その子は、またあどけない表情を、晃弘に見せる。

「ほのかによく似ている」

 と思ったが。このあどけない表情は、彼女独特のもので、ほのかにはなかった。

 ということは、

「ほのかも、同じような心境になれば、同じ顔をできたのかも知れない」

 と感じたのだ。

 ほのかのことは、こうなってしまうと、思い出したくないと思っても、嫌でも思い出す。それは、

「どうしようもないことだ」

 と思えば思うほど、この時のこの女の子との出会いが、センセーショナルだったということを示しているようだった。

「その私と似ているというその女性と、おじさんは、お付き合いしていたんですか?」

 と彼女に聞かれた。

 その表情は、ただの好奇心からであり、その好奇心が、さらに、気持ちをこちらに引き付けるだけのものがあると感じさせるのだった。

「うん、そうだね。お付き合いしていたかな?」

 というと、彼女はさらに好奇の目をギラギラさせているのだった。

「どんなお付き合いだったんですか?」

 と、好奇の質問としては、実に当たり前の質問であったが、晃弘としては、

「待てよ。そういえば、どういえばいいのかな?」

 と、思い浮かんでくるには来るのだが、それを言葉にしようとすると、迷ってしまうのだった。

 大学時代、文芸サークルにいて、

「文章にしたり」

「言葉に出したり」

 というのは、苦手ではなかったはずだ。

 しかし、今になって思い出そうとすると、

「なんといえばいいんだ?」

 と感じることだろう。

 しかし、それもまた一瞬のことで、ここが大学時代を彷彿される場所だったということで、彼女にその後、詳しく話すことができた。

 内容は割愛するが、一貫して、

「真面目で清楚な雰囲気が印象的な彼女だった」

 ということを、会話に組み込む形で話をするのだった。

 目の前の彼女に、自分たちの大学時代の付き合いを話すと、喜んでいた。

 その思い出を、大学時代の切ない思い出と一緒にするかのようにして、その時は自然と別れたのだ。

 だが、その彼女が、その後に寄った喫茶店にも表れたではないか。

「こちらいいですか?」

 とそう声をかけてきたのは、さっきの女の子だったのだ。

「あれ?」

 と思う間もなく。こちらが断ることなどないという確信犯的な感覚で、当たり前のように、前の席に腰を下ろしたのだ。

 そもそも、喫茶店では、今も昔も、

「相席」

 などというのはあり得なかった。

 それなのに、図々しいという言葉がそのままふさわしい状況であったが、悪い気はしなかった。

 先ほど別れた時も、

「ああ、これでお別れか」

 と、少し寂しい気持ちになっていた。

 だが、この感覚は彼女だけではない。だから、そんなに深く感じていなかった。

 後から思い返すと、まるで、

「最初に出会った時、別れたくないと、心の底から思った」

 というほどに感じていたのは、再会というサプライズがあったからに違いないだろう。

 一つ気になっていたのは、

「名前くらい聞きたかったな」

 という思いであった。

 しかし、この時代、初めて遭った人に、ちょっとだけ話をしたというだけで、名前を名乗るなど、普通ではありえないだろう。

 個人情報保護という観点から、ありえないといってもいい。

 それを思うと。

「再会したら、その時は聴きたいものだ」

 と、いかにも他力本願的な考え方であったが、

「その思いが通じたのではないか?」

 と思うと、嬉しかったといってもいいだろう。

「おじさん、さっきぶり」

 と、彼女は、ニッコリと笑って、こちらを見つめている。

 もう50歳を過ぎたのに、ドキッとさせられた。

 先ほどの個人情報保護の感覚が希薄だったのは、

「大学時代に戻った気がした」

 ということで、大学時代というと、かなり昔で、そんな個人情報保護の概念が、今から思えば、ないと言ってもいいくらいだったのだ。

 ドキッとした彼女の横顔を見ると、

「ああ、大学時代に感じた、ほのかに本当にソックリだわ」

 と感じたのだ。

 そんな、

「あっけにとられたかのような表情を自分がしている」

 というような感覚を味わっていると、今度は彼女の方から。

「おじさんどうしたの? 何か思い出しているの?」

 と、ほぼ核心に迫るかのような言い方をしているが、それ以上は何も言わないところから、

「この子はどこまで分かっているのだろう?」

 ということを感じさせた。

「あれ?」

 実はこの感覚も、デジャブだったのだ。

 ただ、このデジャブはかなり遠いもので、

「それこそ、大学時代だったのではないか?」

 と考えると、

「ああ、そうだ、ほのかに対してのことだった」

 というのが分かってくると、

「どんどん、彼女がほのかに見えてくる気がする」

 と感じた。

 しかし、その後少し世間話のような、他愛もない話になったが、その時々で、ゾッとするものを感じた。

 その都度、ほのかの思い出がよみがえり、本当に目の前にいるのが、ほのかだという感覚になるのだった。

「デジャブって本当にあるんだな」

 と、ここまで感じていると、彼女との再会という偶然も、

「必然だったのかも知れない」

 と感じさせられたのだった。

 さて、目の前の彼女に、

「名前は、何というんですか?」

 と聴けそうなタイミングはあったが、実際に聴けなかった。そういうのが何度か超えていくと、

「ああ、もう聞けなくなりそうだ」

 と思ったところで、

「ああ、私ね。花巻つかさっていうの。よろしくね」

 と、何と自分から名乗るではないか?

 そう思うとこちらも思わず、

「ああ、僕は河野晃弘といいます」

 と、答えていたのだ。

 その間、数秒だったはずなのに、かなりの時間が掛かったのではないかと感じたのであった。


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