第36話 盟約



 とても、ヒマだ。


 正月はおばあちゃんの家に行くのが決まりではある。でも、お年玉をもらったあとは何もすることがない。お父さんは町のえらい人に挨拶をしに行き、お母さんはごちそうの準備で大忙しだ。だけど、ぼくは何もしなくていいらしい。


 夏休みであれば、虫かごを持って山を探検する。てきとうに町へ出かければ、一緒に遊んでくれる子どもがいると思う。


 しかし、正月の彼女たちはぼくと違って、ヒマじゃないようだ。彼女たちのお父さんやお母さんにくっついてお手伝いをしたり、山の神様の番をするのだと聞いた。


 ぼくも行きたいなぁ。


 大きな焚き火を囲んで、前の年に収穫したお米や野菜を神様に捧げるのだとか。


 その儀式が終われば、家に帰ってごちそうを食べたり、お酒を飲んだり、わいわい騒ぐ。騒いで騒いで、夜は眠らずに過ごす。とても楽しそうだと思った。実際、その様子を話してくれた女の子たちは面白おかしい感じだったみたいだ。


 ぼくが普段暮らしている町ではむしろ男の子の方が多いのだけど、この辺りは女の子ばかりだ。でも、虫取りを好む子、チャンバラごっこが好きな子、少年漫画について詳しい子ばかりだ。彼女たちはおままごとを嫌い、少女漫画に苦手意識を持ち、かわいらしい服を着るのを避けている。


 どうしてかは分からないけど。


 なんだか眠い。


 ヒマな時間であるよりは寝ていた方がマシなのかもしれない。冬であっても日差しが当たり、暖かい部屋がある。そこへ行こう。あ、お母さんにもらったジュースを忘れるところだった。いままで飲んだことが無い不思議な味で、なんだか飲めば飲むほど、頭の中が真っ白になって、心地良くなる。


 部屋の中でゴロンと横になる。なんだか、良い匂いがする。少しずつ意識がぼんやりとしてきた。ふすまが開く音がして、お母さんの声が聞こえた。お昼ごはんも食べずに二度寝するなんてダメだって怒られるのかもしれない。でも、そんなことが気にならないくらい、眠くて心地良かった。ここって天国なのかも。そう思った。





 ぎち。



「あれ」



 目が覚めると目の前に大きな焚き火があった。ここはどこだろう。ぼくはおばあちゃんの家の中で寝ていたはずだ。立ちあがろうとしたが、足が動かない。手も動かない。


 よく見えないが、手も足も縛られていた。何が起きているのか分からない。



「ふふふ……」



 幼い女の子の声がした。ぼくは周りを見渡すが、誰もいない。バチバチと燃える焚き火とすっかり夜になった空。枯れた木々と石造りの地面が見える。ここは確か財武たからぶ神社? 前に遊びに来たことがある気がする。でも、なんか変だ。こんな視点から、ここを見たことはない。



「ふふふ……いいのお。いいのお。いいのお」


「誰? なんでぼくを縛ってるの? お母さんはどこ? きみは誰? 答えてよ」


「察しが悪いところもいいのお。おれの好みだよ。今代の富臣とみおみもいい子を育てた」



 富臣。ぼくのおばあちゃんの苗字だ。ごうごうと薪が燃える音が響く。


 逃げなきゃ。でも、体が動かない。縄で縛られるているのもそうだが、そもそも全身に力が入らない。


 がち。がちがち。がちがちがち。


 炎の中に何かいる。ススみたいな黒いもやもやが炎の中からぼくを見ている。石と石がぶつかっているような鈍い音を立てて、何かは少しずつ体を大きくしていた。焚き火のすぐ横にごちそうやお酒が並んでいる。炎は広がって、それらを飲み込む。まるで食事をしているみたいだ。



「うむ。美味そうな声じゃなあ。言っておくが、逃げ出そうなんぞ、思わぬ方がいいぞ。おまえの母が薬を盛っておるだろうし、そもそもどこへ逃げるというのだ? この町のすべての者はおまえがここで死ぬことを望んでいる」


「え。……うそだ。お母さんとお父さんが、ぼくに死んでほしいなんて思うはずがない!」


「大事にされて来たのだろう。そりゃあそうさ。おまえは今日、この日におれに捧げられるために育てられた。どうでもいい子をもらっても、おれは嬉しくない。富臣の者たちはそれはもう悲しそうな声をしておった」


「きみは……山の神様?」


「ふふふ……。そうだ」


「ぼくを、食べるの?」


「声が震えておるのお。おまえの思った通りだが、安心せよ。牙を突き立て血を啜るような野蛮な真似はおれはしない。それよりも苦しい最期をおまえは迎える。楽しみだろう?」


「……いやだ。いやだ。なんで、ぼくが? この町で暮らしていたわけでもないのに」


「おまえが幼い男であること。そして、富臣の血を受け継いでいること。この2つだけがおれにとっては重要なのだ。しかし、腹が減っているのお。食事のときにしか目を覚まさぬ盟約を結んでいるとは言え、こんなにも空腹なのは何十年ぶりか。……おい、今は何年だ?」



 ススは大きくなり、黒い炎になっていた。その炎が喋る。もしかして。



「ねぇ、きみはもしかして。目が見えないの」


「ほお。頭は良いようだな。しかし、それは賢い振る舞いではない。おれの質問に答えろ」


「平成12年だよ」


「……ヘイセイ? 知らんな。おれが前に目覚めたときは明治33年の頃であったか。何年経っているのだ。いや、おまえのような子どもには分からぬ話か。まあ、良い。おまえを喰ったあとに富臣の者らに聞けばいいことだ」



 なあんだ。そういうことか。



「きみ、騙されてるよ」


「なんだと?」


可笑おかしいね。神様なのに」


「おれを愚弄するのか?」


「そりゃあ、笑いもするよ。だって、きみはこの町の人たち、みんなに馬鹿にされてるんだもの。明治、大正、昭和、平成。最後にきみが人間を食べてから、たぶん100年くらい経ってるよ。神様にとっての100年がどれだけ長いのか、ぼくには分からない。でも、そりゃあ、お腹が空いてもおかしくない年月が経ってる」



 黒い炎が揺れ、空気が震える。月を隠している雲が割れるのではないかと思うほど。



「ふふふ……ははは……はははははは!! そうか、そうか。おれはたばかられていたか。良いことを聞いた。おれは何よりも食事が好きなのだと長年思い込んで来たのだが、違うようだ。おい、おまえ。名前を聞かせよ」


遥本はるもと白夜びゃくや


「白夜、少しばかりの氣を与える。体を動かし、縄を我が炎で燃やせ。なに、おまえを焼かぬように熱は調節してやるさ」



 この神様が今から何をしようとしているのか、ぼくは理解した。けれど、それでもいいや。じんわりと熱のように広がる力を使って、神様の言う通りにした。焚き火に縄を近付けるとじわじわと溶けて、黒いススになった。


 黒炎が燃え立つ。広がる。大きく、大きく、大きく、空を覆い尽くすような巨大な炎へと変わっていく。その中心にいるはずなのに、ぼくはまったく熱くなかった。太陽に照らされているような暖かさがあるだけだった。



「ねぇ、神様」


「なんだ」


「ぼく、この町が嫌いだ。ずっと好きだと思ってたのに。お父さんもお母さんもおばあちゃんも友達も。大好きだったはずなのに。いまは心が燃えるように痛いんだ」


「……何が望みだ?」


「焼き尽くして」


「ほお」


「ススも残らないくらいに全部、焼き尽くしてほしい。その光景を見たあとだったら、ぼくは何回だって、きみに食べられてもいいよ」



 本心だった。こんな気持ちになるのは生まれて初めてだ。痛い思いをして死んでもいい。でも、ぼくが死んだあと、みんながこの先の人生で笑う姿を想像して、強い怒りを覚えた。みんなはぼくを裏切ったんだ。


 炎の中。ススのひとつが丸くなる。丸くなったものが開く。赤い瞳が見えた。その目がぼくを見る。初めて光を見たように眩しそうだ。



「ふむ。モノを見るというのは案外悪くないな。白夜はおれの思った通り、いい顔をしている。おれの婿にしてやってもいいぞ」


「え? む、婿? それって……」


「ははは……謀られていたというのに、とても愉快だ。白夜、おまえの望みを叶えよう。この町を灰にする。そう美味くはないが、男も女もすべて喰い尽くしてやろう。おれの腹はそれで膨らむ。そのあとはおれの望みを叶えよ」


「うん。食べていいよ」



 がちがちがち。がちがち。がち。



「違う。おれと共に生きよ」


「……どういう意味?」


「そのままの意味よ。まぁ、いい。焦土と化すこの町を一望しながら、考えてくれたらいい。あと。おれは神様ではないよ。20年ごとに生贄を貰う代わりにこの地に豊作をもたらすという盟約で縛られていた怪異に過ぎぬ。名なぞ無い」


「そうなんだ。じゃあ、ぼくがきみの名前を考えてあげるよ。きみの本体はススなんだよね。じゃあ、黒いっていう意味と炎を組み合わせて、玄火げんかってのはどう?」


「よいのお。遥本玄火。いい響きだ。では、白夜よ。おまえの怒りがこの地を焼き尽くす。二度と植物が生えることもなく、誰かが命を育むこともない、死の地へ。楽しみだろう?」


「うん。とっても」





 山火事が思わぬ広がり方をして、この町に暮らすすべての人が死亡。死体は誰が誰だか判別出来ないほどに炭化しており、子どもがひとり居なくなったことに気付く者はいなかった。


 ぼくは旅に出た。真っ黒なロングヘアと宝石のように深い紅の瞳。ぼくより、少し小柄な可憐な少女と一緒に。




 この日、遥本白夜と玄火は夫婦になり、盟約を交わした。玄火が死ぬまで白夜もまた生き続ける。玄火が死ぬ前になったら、白夜を喰う。


 その盟約はきっと果たされることはないだろう。誰にも知られず祝福されず、ふたりは歩き出した。雲が晴れて月の光が白夜と玄火を静かに照らしていた。


♦︎♦︎♦︎


 どうでしたか、ぼっちゃま。


 途中で風向きが変わって驚いたよ。


 そうですね。


 元々の盟約を人間の方が破ったから、玄火さんは巨大な力を振るえたんだね。お世話になってきた神様を騙すくらいだったら、なんで100年間もの間、食事を与えなかったんだろ。


 理由は2つございます。1つ目はこの町で子供を出産した場合、女の子のみが取り上げられるのです。男の子は例外無く殺されます。ただし、この町の神職を務めていた富臣家だけは男の子を産んでもいいのです。山の神様に捧げられるだけの命です。


 ひどい。


 2つめ。この100年間、富臣から男の子は産まれませんでした。ようやく、白夜くんが産まれたので、生贄にしたというところでしょう。人間たちは神を騙す意図は無かった。けれど、生贄を用意出来なければ、恵みは与えられない。このまま誤魔化されてくれたら、それでいいと思っていたでしょう。


 町の女の子たちがなんか男まさりな感じだったのはどうして?


 そう育てられて来たからです。いつ、身代わりとして生贄になってもいいように、女の子らしさからは外れなければならなかった。


 でも、玄火さんが騙されてくれるかなあ。


 微妙ですね。そんなことをするくらいなら、普通の男の子を連れて来た方がいいでしょう。100年と言う歳月は長い。人が怪異と上手くコミュニケーションをする機会を失い続けて来たのだから、この破綻はいずれ、今回の件が無くても訪れていたでしょう。


 今回は人間の方に非があった。ふたりには仲良く過ごしてほしいな。名前が無いって言ってたけど、玄火さんは怪異としては何?


 迷いますが、“煤主すすぬし”でしょうね。怪異としての歴史が古いため、有する神秘の力は群を抜いている。人型にもなれるし、巨大な炎の巨人となることも出来る。そして、何より盟約を好んだ。他の“煤主”もこの盟約の穴を突かれて騙されていたようですね。


 人間の醜さにはイヤになっちゃうよ。


 ですね。


 眠くなってきたよ。おやすみ、ばあや。


 おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る