第5話 アサヒナさん
「ねぇ、知ってる? “アサヒナさん”」
「この町で暮らしてて知らないわけないよ」
朝比奈真次。この町で生まれ育ち、東京で6人もの少女を殺害した稀代の殺人鬼。かれこれ30年は前の話だが、親世代・祖父祖母世代はつい昨日起きたことのように話す。だからこそ、例え子供であっても知っている。
「じゃあ、これも知ってる? “アサヒナさん”にお願いすると自分の嫌いな人を殺してくれる。それも、最悪な死に方をするんだって」
「ええ? 朝比奈って自分よりも弱い女の子ばっか狙って殺したんでしょ。しかも、すごく残忍な方法で。そんな悪い人が願いを聞いてくれるとは思えないな。盛ってない?」
「それは殺人鬼の朝比奈真次であって、“アサヒナさん”ではないよ。ふふふ、
「こんな狭い町で人が死んだら大騒ぎになる。その“アサヒナさん”にお願いしただけで死んじゃうんだったら、他の人も知ってるでしょ」
普通だったら、それは科学的に有り得ないだとか呪いなんて無いだとか、そういう風に反論するものなのだろう。でも、私たちの間では呪いは確実にあるものだと確信していた。
中学校からの帰り。赤縁のメガネをかけた少女……友人である
「それが騒ぎにはならないんだよね。2組にさぁ、
「……はぁ。趣味悪いよ、鈴鹿。そんな陰謀論めいたこと言われても、根拠になってない」
「まあまあ。歌輪がゴシップ嫌いなのは知っておりますとも。でもさ、実際そうやってこの町で自然死した人たちを調べてたんだけど、去年だけでも15人死んでるんだよ。どう考えても老衰とかじゃない若者ばかり!」
「ふぅん。確かにそれは多いかも。病院で死んでるわけじゃないんだよね」
「そうだよ。わたしは絶対、裏には何かあると思ってるんだ。もしかしたら尋咲は関係無いかもしれないけど。でも、土壌を作ったのはその人たちだ。“アサヒナさん”信仰は……何というか、それにタダ乗りしている感じ」
「本物なのかな。だとしたら」
だとしたら。私には殺してほしい人がいる。どうしようもないクズの父親。借金ばっかり作って、私が高校に行けないのはコイツのせいだ。ずっと叶わぬ夢を見続けて、母さんと私と妹を苦しませ続けている。外面は優しいけど、どこまでも自分勝手な男だ。
「……朝比奈真次はさ、どう考えても悪人じゃん。でも、実は裁判は死刑になったり無罪になったり終身刑になったりと、二転三転したみたいなんだよね」
「そうなの? あぁ、でも、みんなが噂してるのは過去の朝比奈真次だもんね。小学生のときから近所の猫を殺しただの、中学生では下着泥棒をしただの。……確度の低そうな情報」
「うんうん。真実かどうかっていうのは大事だよね。それを踏まえているのか、“アサヒナさん”は擬似裁判みたいのをその人にかけて殺すらしいよ。本当に殺されるだけの悪を成したのか、あるいは冤罪なのか」
「でも、さすがに冤罪なんてことは無いでしょ。警察も威信をかけて捜査しただろうし。鈴鹿が言う尋咲一族はあくまでこの町限定の権力。それに。アイツはクソだ。間違いなく」
しばし無言が続く。泥臭い川で子供たちがザリガニを釣って遊んでいる声が聞こえる。のどやかで退屈な田舎の風景だ。でも、ここを出ていきたいとまでは思わない。どうせ、私はこの町で緩やかに死んでいくのだろうし。身の程を弁えて生きていれば問題は無いんだ。
「わたしさ、試してみようと思うんだ」
「“アサヒナさん”を? そもそも、どうやってお願いするの」
「朝比奈真次の実家の前にあるお地蔵さんに頼むんだよ。この人を殺してくださいって。そして、代償として自分の血液を前掛けに垂らす」
確かに朝比奈真次の家の前には地蔵がある。家自体は廃墟となって年数が経っている。すぐ近くにはバス停があったから、覚えていた。
「鈴鹿は死んでほしい人がいるの?」
「いるよ。どういう風に死ぬのか楽しみだね」
そんな不穏な気配を滲ませつつ、私たちは別れた。カビ臭い家に帰ってきた。靴を見るに母さんはまだ仕事中だろう。妹は。家に居る。
冷蔵庫の中からグレープフルーツジュースの紙パックを取り出し、飲みながら階段を上がる。すると、妹の部屋の前にカピカピになった食事が置かれていた。何も食べてなさそうだ。たぶん、ゲームに集中しているのだと思う。
中学に上がる前は明るい子だったのにな。
自分の部屋の扉を開くと、中に父親がいた。どこか照れくさそうに笑っている。何も考えていない頭空っぽの笑みだ。年頃の娘の部屋で何をしているのかと思えば、アルバムを見ていたようだ。くだらない。そんなに見たければ、いくらでも貸してやるが、1階で読め。
「おかえりー! いやあ、この頃の歌輪はかわいかったなぁ。あ、もちろん、今の歌輪もかわいいぞ。もっと自信を持っていい!」
「うざ」
「反抗期の娘……。いやあ、こんな体験が出来るのは父親冥利に尽きるなあ!
「部屋から出ろ」
「えー! やだ。もっと娘のかほりを感じたい」
「……っ。キモいんだよ、クソ親父!」
「しょうがないなぁ」
父親は役者を目指している。かれこれ30年以上、抱え続けている夢だ。しばしば、オーディションのために都会へ出かけるが、まともな結果を出した試しが無い。どれだけ蔑んだ顔で罵っても、全く堪えない。メンタルは図太いけど、それが何にも繋がっていないのだから、無意味だ。
「あ、そう言えばさ」
「何?」
「鈴鹿ちゃんとは仲良くしてるかい? あの子、とても良い子だね。もしかしたら、将来は売れっ子モデルにでもなるかもな。今のうちにサイン貰っとこーかなぁ」
「……ち」
「退散しますよーっと」
父親は……
それにしても、鈴鹿がモデル? そんなわけない。確かに彼女はかわいい。メガネで損をしているだけだ。だけど、何よりも目立つのが嫌いな子だ。父親は本当に何も分かっていない。
少しウトウトしていた。いつの間にか夜になっている。母さんは……まだ? 珍しいな。冷蔵庫の中に冷凍食品がいくつかあったはずだ。それを食べて、何品か、茉論の部屋の前に置いておこう。階段を降りる。……あれは何?
リビングの前に何か置いてある。よく見えない。花がいっぱい挿さって……。え。
「茉論……? 何やってるの」
この問いかけは激しく見当違いだ。そんなのは分かっている。でも、そう言わざるを得なかった。妹が死んでいた。その辺りの草むらで千切ったような名も知らぬ花たちを全身に生やして。この死に様は……知っている。
釘打ち機で全身に穴を開けられ、その穴に花を挿す。猟奇殺人鬼として、日本中を震撼させた朝比奈真次のやり口だ。“アサヒナさん”? ウチが狙われた? でも、茉論は引きこもりだ。この町の誰にも恨まれてなどいない。
「ひ。ひぃっ。あ、母さん!? ね、ねぇ! 誰か居るよね! クソ親父、返事しろ!」
父親は夜にパチンコへ出かけることもある。こんなときに居ないなんて、本当に最悪。リビングの扉を開けた。血溜まりが広がっている。
「あ、あ……母さん……どうして」
母さんが死んでいた。妹と同じように。あれだけ苦労して生きてきたのに何の甲斐もなく、報われることなく、無惨な死を迎えていた。
「なんで。どういうこと? 裁判は? 悪を成した人だけが殺されるんじゃないの? “アサヒナさん”は何でウチを? 分からないよ」
救急車は……既に手遅れだ。警察……。鈴鹿の言葉を思い出す。尋咲一族。いくらなんでも、こんな死に方を自然死に出来るわけがない。そんな当然の理論は分かっているはずなのに。私は何も出来ず、何も言えず、家を出た。クソ親父は居なかった。絶望が押し寄せる。
鈴鹿と喋りたい。“アサヒナさん”の凶行を共有したい。呪い。これは誰かの呪いなのだろうか。本当に? でも、だとしたら、私が死んでいないのは何故? グレープフルーツジュース。あれを飲んだあと、不自然に眠くなった。睡眠薬?
だとしたら、犯人はクソ親父ってこと? ……有り得ない。いくらなんでも、それは飛躍し過ぎている。何もメリットが無いじゃないか。そんな異常な精神を持っているのならば、私が気付かないはずが無い。……それに。それに。アイツは。クソ親父は。……私を。
「愛していたじゃないか……って?」
泥臭い川の道で。私は鈴鹿と出会った。野暮ったいメガネを外し、どこか妖艶な表情をして彼女は立っていた。見たこともない凶悪な笑みを浮かべている。……どうして。
「わたしさぁ……歌輪のそういうとこ大嫌い。さんざん、わたしに自分の父親はクソだって言ってたくせにちゃっかり剣弥さんと寝てた。高校に行けないのって、妊娠しちゃったからでしょ。無理矢理されたのなら、同情するけどさ。違うでしょ? 何の見栄なわけ?」
「……なんで、それを。す、鈴鹿……。あんた、もしかして。クソ親父のことが」
「だって、剣弥さん、かっこいいじゃん。あ、でも、尻軽の歌輪とは違って、まだわたしは告白してないんだ。家族を惨殺されて……あぁ、まぁ、自然死扱いになるわけだけど、傷心の剣弥さんを落とす。……良い作戦でしょう」
「そんな。鈴鹿が死んでほしい相手って、クソ親父の家族ってこと? ムカつくなら私だけ殺せばいいじゃない。何で、母さんを。茉論を」
激情。だけど、親友だと信じていたはずの彼女の変身に。その笑みで。私は真実を悟る。僅かな電灯しかない道に
「私を……絶望に落とすため?」
「正解。だって、わたし歌輪のこと嫌いなんだもん。何もかも分かってますって顔しながらさ、実のところ何も理解していない。その馬鹿さ加減がこの田舎の人間が凝縮されてるみたいで。どうしようもなく、ムカつくんだよ」
「…………」
「わたしの将来の夢、知ってる? モデルになること。今もさ、読者モデルやってるんだよ」
「はぁ、はぁ、はぁ…………うっ」
「アハハ、
死ぬ。死ぬ。殺される。私も、母さんみたいに。茉論みたいに。呆気なく死ぬんだ。最悪な死に方をするんだ。……死にたくない。
「うっ。うえええっ! は。は? 何で?」
「え?」
鈴鹿が倒れていた。口から血を吐いている。闇の中に鮮烈な赤さが見えた。どういうこと?
「ハァハァ、なんで。“アサヒナさん”? なんでわたしを殺すの? わたしが呪いを……」
影が立つ。影は目の前に立っているはずだ。それなのに、何か分からない。誰か分からない。闇を
「馬鹿だなー。“アサヒナさん”の情報は誰に聞いたんだっけ? 鈴鹿ちゃん。“アサヒナさん”ってのはこの町の隠語なの。朝比奈真次……アサシンを示している。地蔵にはカメラが仕掛けてあって、その依頼を聞く。殺したあとはそいつを信者にして金を巻き上げるのさ」
影からは聞いたことのある声がした。
「……嘘でしょう。剣弥さん?」
「僕も“アサヒナさん”としては鳴らした方だからさ。でも、50手前になって、まだ引退出来ないとは思ってなかったけどね」
「は……うっ……げぇぇ……あ。あ……」
「すべてを知って絶望して死んでくれ、鈴鹿ちゃん。何せきみは僕のかわいい愛娘を呪ったんだからね。毒で殺すだけ、温情がある方さ」
そのまま、バッタリと鈴鹿は伏した。死んだ。何も分かっていないと私を
「本当に、クソ親父なの?」
「おいおい、ここには誰もいないんだ。いつも通り、剣弥と呼んでくれよ、歌輪。だけど、そうだね。役者にもなれるくらい、荒牧剣弥という人間を模しているだろう? きみも15年間、騙され続けた。なかなかの演技派だろう」
理解が及ばないことだらけだ。それでも、聞きたいことがあった。もう、鈴鹿のことなんてどうでも良かった。あんな女は知らない。
「どうして母さんを殺したの? 茉論は私と同じ剣弥の愛娘でしょ? 何で殺したの」
「きみが母さんと呼ぶ彼女はかつて僕の先代に呪いを願った人でね。教団のためにずっと罪を犯し続けている協力者なのさ。茉論はなぁ。僕の子供を孕めなかったから、もう用済みだ」
「え……。あ、あ、あ……そんな」
茉論は突然引きこもりになった。昔はあんなに明るい子だったのに。何があったのか私にも話してくれなかった。その理由は。剣弥は。私を愛していない。父親としても、男としても。私はただの道具だった。きっと、次の“アサヒナさん”を産み出すための、ただそれだけの存在。
「さぁ、家に帰ろう……! と言いたいところだけど、無理かな。まぁ、僕と歌輪の仲じゃないか。新しい家で幸せに暮らそうよ」
影はそうして笑った。私はもう、何もかもがどうでもよくなって。……そのあとのことは何も覚えていないし、語る気も起きない。
ごめんね。
♦︎♦︎♦︎
ねぇ、ばあや。このお話、最後の切り方が他と違うね。ごめんねって、誰に言ってるの。
申し訳ありません、ぼっちゃま。ばあやとしたことが間違えてしまいました。忘れてください。少しダークでディープな話でしたが、意味は伝わりましたでしょうか。
…………うん。それにしても、朝比奈真次って、ぼく聞いたこと無いよ。本当にそんな人いるの。
おりません。
え。嘘ってこと?
だとしたら、さすがにばあやの精神が疑われてしまいます。こんな作り話をしたとなれば、父君に叱られてしまうでしょう。
じゃあ、どういうこと?
現実に差し障りのある話は名称を変えてお伝えする……それが怪談のマナーでございます。ぼっちゃまもよく覚えていてくださいませ。
うん。分かった。
眠くなってきましたか?
……うん。おやすみ。
おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。
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