第4話 顔無しの怪



 戦に勝とうが負けようが、死体となってしまえば辿る結末は同じ。元亀げんき元年。姉川の戦いで舞台となった川の色は赤く濁っていた。戦が終わり、近くの寺院が埋葬するまでまだ時間はある。俺は死体に触る。兜も具足も刀も鋳潰してしまえば、同じモノ。


 死体という不浄なモノに触るのは卑しい。けれど、生きていくためにはどんなことでもしなくちゃいけないんだ。死体は携行食や値打ちのある代物を身に付けている場合がある。


 それを探すため、こんな夜に俺は死体を漁る。運良く、換金すれば1ヶ月は暮らせるぐらいの金を手に入れた。どうせ、次の日に死んでもおかしくない命。美味いモンたらふく食ってそれで終いだ。


 大柄な男が近付いてくる。どう見ても山賊。こいつはたまに酒と仕事をくれる、見た目に反して良いやつだ。



藤波ふじなみ、盗んだ金で食うメシは美味いか?」


市丸いちまるか。何の用だ。美味い酒でもあるのか」


「仕事の話だ。顔が無い死体の化け物がこの辺をうろついてるらしいぜ。所詮、噂話だけどよ。でも、仲間の話によると、その化け物、綺麗な服来て宝珠の類まで持ってるらしいぜ。不気味だけどよお、おれと一緒にそいつを討伐しねーか。報酬は山分けだ」


「乗った」



 そんなことを言いながらも、俺はその顔無し死体の装備を剥いだあと、市丸を殺すつもりだった。そうすれば、報酬は全部俺のもの。あるいは市丸も同じようなことを思っていてもおかしくない。


 この世界で信じられるのは自分だけだ。金は偉大だが、すぐ裏切る。金でさえ、その有り様なんだから、人なんて余計にだ。市丸は良いやつだったんが、殺すのをためらう程ではない。


 墓地を掘り返す音が聞こえる。顔は真っ黒だった。夜よりも濃く、それは闇に似ていた。打ち合わせ通り、市丸が注意を引きつけて、俺が後ろから頭をかち割った。だらりと垂れ下がった手は灰色でくすんでおり、死者だというのは間違いない。なによりこの鼻を突くような悪臭。


 動けなくなった顔無しが持つ金品を漁り始めた市丸の首を短刀で突き刺した。市丸は恨めしそうな目をして事切れた。こいつの血のせいで値段が落ちてしまっては意味が無い。拭き取り、汚い手の中にあった金の輪っかを見つける。これは高く売れそうだ。


 しめしめ。なんて思っていたら羽交い締めにされた。とんでもない力だ。顔無しの死体の化け物。まだ動けるのか。あれぐらいで死ぬような未練では無かったということか。組み伏せられ、刀を遠くに放り投げられる。ゆっくりと顔無しの顔が近付いてきた。


 目も鼻も口も髭も耳も髪も無い。赤黒い肉の顔面だ。顔無しは喉を震わせ、声を放った。



「胆力がお有りなのですね」


「これくらいの図々しさが無けりゃ、生き残れないんでね。で、おまえはどうしたい?」



 顔無しは墓を荒らしていた。その目的までは分からない。屍肉を喰っていたという可能性はあるが、人間の生肉の方が美味であれば、俺は殺され、こいつの夜食になっていたに違いない。そうでないということは。



「顔を探しているのです」


「探すったって、埋まってんのは骨だけだろ」


「ぼくには婚約者がいたのです。完全なる政略結婚で、ぼくは彼女の顔も知りません。向こうも同じでしょう。ぼくはこんな体になってしまって。でも、ふみでのやり取りは上手くいっています。顔さえあれば。顔さえあれば、縁談は上手くいくはずなのです。ご助力を賜りたく」


「あのなあ。おまえは既に死んでいるんだ。生きてる女を娶るなんてもう出来ない。諦めた方が賢明だぜ。それに好みの顔を見つけられたとしても、自分の肉剥き出しの顔面にどうやって移植するつもりだ?」


「構わぬのです。彼女ならば、きっと分かってくれる。優しい字です。ぼくには分かるのです。あの人は事情を理解出来るはずなのです」



 この顔無し。どうやら、相当な名門の生まれなのだろう。耳障りの良いことばかり、並べやがって。むしゃくしゃする。



「けれど、これがもはや叶わぬ夢だというのは理解しております。ところで貴方は?」


「藤波だ。その日暮らしの悪党さ」


「家族はいますか?」


「いねぇよ」


「家はありますか?」


「んなモンあるわけねぇだろ」


「……ふむ。ちょうどいい。その指輪を嵌めてくだされぬか。藤波殿によく似合うであろう」


「あん? 指に輪っかなんか着けて何の意味があるんだよ……。まぁ、いい。はいはい」



 顔無しは俺に何かを仕掛けようとしている。それは分かっていた。だが、乗ってやるのも一興。化け物に遭遇し、丸腰の今、抵抗しても死ぬだけのはずだ。

 俺は煌びやかな金色の輪っかを人差し指に嵌める。

 すると。違和感。


 じゅうううっ。じゅうううっ。


 何かが燃えている。小さな火ではない。大きな炎が肉を炙っているような。……指だ。輪っかが蠢動しゅんどうしている。そのとき肉体の中を何かが走っていく感触がした。気持ち悪い。虫の卵でも仕込まれてたのか!? だが、痛くない。



「藤波殿。指輪には字が刻まれているであろう。何と読むのかお分かりになられるかな?」


「何言ってやがる。俺は字の読み書きなんて出来ね……あ? 八の者に至りてそうろう……」



 知っている。頭蓋を揺るがすような地響き。いや、それは俺の頭の中で起こった。俺は藤波だ。間違いない。でも、それと同時に水無瀬みなせ春知はるともであった。奔流のように流れるのは春知としての記憶。読み書きはもちろん算学、和歌、琴。こいつが今日ここに至るまでの記憶があった。



「貴殿は水無瀬春知である。けれど、同時に八の者の藤波殿でもある。何をすればいいのか。理解したでしょう。その格好ではまずい。ぼくの着物を差し上げます。では、ぼくはここまで。確かに繋ぎ申した」



 顔の無い死体の化け物は土塊つちくれのように崩れ、やがて完全に消えてしまっていた。俺は彼の着物(血が付いているが仕方ない)に着替えると、屋敷に帰る。


 浅井・朝倉軍と織田・徳川軍が大戦を起こして間もないというのに、京の本家から、わざわざ戦を見物しに来た変わり者。それが水無瀬春知であった。……いや、違う。春知は奇矯な振る舞いこそすれ、そこまで野蛮ではない。すべては手紙の主、華緒はなお殿の言いつけであった。


 華緒殿との婚姻は必ず成功させねばならぬ。そうでなければ、水無瀬家は終わりだ。華緒殿は公家には珍しく、武芸が達者な者こそ素晴らしいと考えている。戦に出ずとも良いが、男子おのこたるもの、人のひとりやふたり己が刀で斬り殺すようでなければならぬ。そういうお方だ。


 あぁ。ちょうどいい。俺は悪党の藤波だ。10人殺して、それ以降は数えていないが、条件に合う。婚姻が成功すれば、俺の生涯は意味あるものとなる。もう惨めな思いなんてしなくていいんだ。いつでも肉を……肉は食えないのか。魚と米をたらふく食える。それで良しとしよう。


 ただ、気になるのは。あいつは何故、顔を剥がれたのだろう? あいつは何故、死んだのだ? この指輪は何だ? すべての記憶があると思った。だが、あいつの最後は華緒殿と会う日を決めようとした最中であった。……いや、いい。まずは文を書かねばならぬ。



 ひと月ほど立った日の夜。清潔な布団の中に入ろうとしたとき、庭の方で物音が聞こえた。野盗か? ならば殺そう。華緒殿への良い土産話になる。刀を持って庭へ急ぐ。そこには女がいた。……幽鬼だ。そう思わざるを得ない白装束に鬼の面。だが、ひとりではない。後ろに3人ほど控えている。



「誰ぞ」


「失礼しました。わたしは華緒と申します。ええ、あなたがよくご存知の女でございます」


「なっ……」



 女が面を外した。月の光が神々しく彼女の美しい顔立ちを照らす。洗練した立ち振る舞いと言い、供の者の立派な装備といい。本物だ。



「驚かせてしまってごめんなさいね。貴方の顔を見に来たのです。夜這いのようなものですよ」



 公家の女子おなごが夜這いなどするわけが無い。華緒殿とは婚姻を結ばなければならぬ。それが春知の意志だ。だが、他ならぬ藤波が警戒している。この者は明らかにおかしい……。


 ふと、華緒殿の手に目が行く。指輪をしている。俺の物と同じ? 遠いが、悪党として夜には慣れている。……十二の者に至りてそうろう


 まさか、こいつも?



「……ダメですわね」


「あ?」


「野蛮が過ぎます、この方。鷹司たかつかさ家には相応しくありません。人のひとりやふたりどころか、多くの者を虐げて殺していらっしゃる。それに何より嫌らしい顔! わたしの好みではありませぬ」


「何を、申される」


「顔を剥いで殺しなさい」


「まさか、てめぇが!?」


「あら、お里が知れますわ」



 刀を振るう。しかし、供の者たちはおそらく武士だ。とうてい敵わぬ。俺の屋敷の中にも騒ぎは伝わっているはずだが、誰も出てこない。刃が顔に迫る。俺は今から顔を剥がれる。


 そこから先はきっとあの顔無しと同じだ。同じ結末を辿る。死ぬ前の記憶を失い、愚直に華緒を信じ続ける。それが春知の意志だ。俺の、藤波としての魂は消える。自分が何者か分からぬまま顔無しとして顔を探すのだ。



「やめろ、やめろ、やめろ!!」


「では、九の者に至りしとき、またお会いしましょう。水無瀬春知殿。そのとき、このわたしであるかどうかは分かりませんが。これもお家の為。すべては定められておりますゆえ」



 刃が顔に入る。激烈な痛みだ。



「あ、あ、あぁぁぁ!!」



 俺の生涯に意味は無かった。ただただ、繋ぎ繋がれた。これから先も俺たちはきっと。



♦︎♦︎♦︎


 どうでしょうか、ぼっちゃま。


 ……ねぇ、もしかしてだけど、ばあや。ぼくの婚約者が決まったからってこんなお話をしたの? だとしたら、やり過ぎだよ。


 申し訳ありません。しかし、このようなこともあるのです。特に高貴な血を持つ方々には。


 無いと思うけどなぁ。あの指輪は何?


 様々な呼び名がございますが、わたくしは“襷鬼たすき”と呼んでおります。この前、孫に同じ話をしたら、それはリセマラだと言われました。わたくしも孫も同じくマラソンが好きなはずなのですが、やはり時代によって価値観は異なっていくのでしょうね。


 眠くなってきたかも。ばあやは指輪はしてないよね。ばあやはばあや以外の何者でもないでしょ? そうだよね? ぼくは他の誰よりもばあやがいいよ。ばあやはURだ。


 こら。人に価値を付けてはなりません。


 ごめんなさい。ぼくはばあやが好きなんだ。


 そう言っていただければ良いのですよ。


 おやすみ、ばあや。


 おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。

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