2-6

 正直、宮野と一緒の時間は苦痛とまではいかないが、終始ぎこちないものであった。

 まずはお昼時ということもあり、三階のフードコートで食事しようということになった。

 人でごった返しているフロアには、和洋中合わせて十店舗ほどの飲食店が軒を連ねている。宮野がハンバーガーを食べたいといって順番待ちの列に加わったので、私は少し離れたラーメン屋の列に並ぶ。

 こういうとき、「私もそれがいーい!」とか言って、一緒に並んでお喋りなどするのが女子の嗜みなのかもしれない。だけど、私はそういう社交的なものが不毛な儀式のように思えて苦手。無意識に避けてしまう。

 思えば、私が周囲からイジメられるのはそういう他人に合わせない性格も原因なのかもしれない。普段誰とも一緒に行動しないから気付かなかったけれど、知らぬ間に嫌な思いをさせてきた人は大勢いるのだろうか。

 そんなことを考えていたら、気持ちが自然と沈んでしまう。窓際のテーブル席で宮野と向かい合いながらも、黙々と醤油ラーメンをすする私。対する彼女はほとんど手が進まず、先ほどからひたすら喋ってばかりだ。

 戒田や横地の悪口やら小学生のとき付き合っていた彼氏のことやら、妹がいることやら芸能人の誰それがカッコいいやら、どうしたらそんなに次々と話題が浮かんでくるのか不思議なほどよく喋る。

 口だけでなく、表情も話題に合わせて驚いたり嘆いたりおどけたり忙しない。彼女は何か話す度に「そっちは?」と振ってくるけれど、早口で内容の半分も理解できない私は曖昧な表情で「そうだね」と「別に」を繰り返すしかなかった。それでも大して話の流れに変化が生じないあたり、たぶん私の答えなんてどうでもいいのだろう。

 気まずさを紛らわすため何度か隣に座る由羅に目を向けると、彼女は終始無言のまま私のラーメンセットのデザートである杏仁豆腐を見つめていた。

 ――食べたいのかな?

 宮野が目を離した隙を見計らって、スプーンですくって由羅の口元に差し出す。すると、目にも留まらぬ速さでシュパッと口に入れ、幸せそうに咀嚼している。

 一瞬呆気にとられたが、漫画みたいなその動きが可愛らしくて思わず顔がほころぶ。そういえば彼女が物を食べているところを初めて見た気がする。

「あれ、何かおかしかった?」

 先ほどから喋り続けている宮野がこちらの変化に気付いたのか、話を止めて聞いてきた。

「あ、いや、なんでもない」

 曖昧に笑ってごまかす。


 その後、フードコートを後にした私たちは、どうしようかと言いながら当てもなくふらふらとモール内を歩く。由羅は初の大型複合施設に興奮しきりで、一人であちこち見て回っている。

 こういうとき、同世代の女子はどういうことして遊ぶのかよく分からない。宮野はなんとなく服が見たいようで、目にした服屋に吸い寄せられるように片っ端から入っていく。

 私も後に続いて入りつつ、ファッションなんて分からないし興味ないし、正直何も楽しくなかった。宮野が色々と商品を手に取って、「伊田ってこういう系似合いそう」と押し付けてくるけれど、自分ではしっくりこなかった。

 何店舗目かで宮野が今着ているのと似た感じの服を購入するのを遠目に見つつ、何が違うのか内心首を傾げる。でも、女の子はそういうちょっとした違いに気付いてほしいものなのだろう。私は女の子じゃないらしい。

 会計を終え、こちらを振り返った宮野が「ちょっとトイレ」と言って離れていく。

 無言で見送りつつ、私もせっかくだし何か買おうかと思って店内を見回す。そこでマネキンが着ている、白地に涼しげな青い波模様の入ったワンピースが目に付いた。値札を見ると、四千九百八十円が閉店セールで半額になるそうだ。

 うーん、結構高い。けれど……。

 しばし悩んでいると、目ざとく見付けた綺麗な女性店員がススっと近寄って来た。

「お客さん、御目が高いですねー。それって今年流行のデザインで、細身で可愛らしいお客さんにはピッタリだと思いますよー」

「えっ、あ、はい」

 私は店員の顔を直視することができず、ただワンピースの値札だけをぼんやり眺めていた。

 笑顔全開で売り込みをしてくるその様は、なんだかクラス内カースト上位の女子を思わせた。開けっ広げで押しつけがましく、世の中のことを分かってる風に見せている感じ。

 そうか、私はファッションに興味がないのではなく、こういう連中と関わるのが嫌なだけなんだ。隣で流暢にトレンドやらマストアイテムやら、耳馴染みない異国語を話す店員の口元を見ながらふと気付く。

「よかったら試着してみますか?」

 ふいに言われ、慌てて首を横に振る。

「いっ、いいですいいですっ。あ、これください!」

 異常に焦ってしまい、たまらず目星を付けていたサイズの同じワンピースを取って店員に差し出す。

「えっと……ありがとうございます。でもこれ、ひょっとしたらお客さんには一回り大きいかもしれないので――」

「いいです、これでっ。これをください」

 食い気味に答え、一瞬気まずい空気が流れる。

「……かしこまりました。では、こちらでお会計をお願いしますね」

 店員は怪訝な表情をしていたが、それ以上何も言わずレジへと向かった。それでいい。もし試着しているところを宮野に見られでもしたら、色々と面倒くさい。

 こうして私はなけなしのお小遣いをはたいて、自腹で衣服を購入するという人生初体験をする。これで私も女の子の仲間入りだ。

 ちょうど支払い終えたところで宮野が戻って来た。

「あれ、伊田も何か買ったの?」

「うん、まあ。せっかくだから」

 宮野が近寄って来て買い物袋を覗き込もうとするが、やんわりと遠ざける。

 別に見られて困るわけじゃないけれど、なんだかセンスを問われそうで気恥ずかしかった。それに、また会う機会があったときにそれを着ていないと変に思われないかとか。自意識過剰かもしれないけれど。

 まあいいかといった感じで宮野が時計を見て、「もう三時だね」と半ば独り言のように呟く。

「そろそろ帰る?」

 こちらを見て改めて問いかける彼女に対し、「うん」と頷く私。

 こういうところは自分でも薄情だと自覚している。普通はもっと別れを惜しまないまでも、何か用事とか家の都合とか理由を挙げて「仕方なく」という演出をすべきなのかもしれない。

 でも単純に今の私は早く帰りたいと思っていて、そういう提案を向こうからしてくれて嬉しいとしか思わなかった。恐らく一般的にコミュ障と揶揄される人間は正直者なのだ。馬鹿正直。だから嘘の上手な人と軋轢が生じるのだろう。

 エントランスまで宮野と並んで歩きながら互いに終始無言。私はそれでいいと思うが、お喋りな彼女はそうではないはずだ。

 そんな空気にしてしまい申し訳ないと思わなくもないけれど、私はそういう人間だと開き直るしかない。別に宮野が嫌いだからとかではなく、たぶん誰に対してもこういう態度だから。

 ガラス張りの自動ドアを出て外に出ると、高い空はほんの少し陰って日差しも和らいでいた。それでも、もうじき本格的な夏を迎えようとする時節。まだまだ日は沈まない。

「……それじゃあね」

 どちらからともなく手を振り、宮野が背を向けてゆっくりと歩いていく。おそらく彼女は家から徒歩で来たのだろうか。そんなことすら聞かなかった自分の関心の薄さに今更気付く。

 彼女は結局、なんのために私を誘ったのだろう? ただ一緒に遊ぶため? 暇だから?

 そんなことはないだろう。宮野がどんな性格であれ、わざわざ今までイジメていた相手に謝罪してふたりで会おうと誘ったのだ。彼女なりに思うところがあったに違いないのだ。

「行かなくていいの?」

 宮野の背中を見つめたまま動けずにいる私の横で、由羅がそんなことを言った。

「……行くって?」

 あえてはぐらかすと、由羅がそっけなく続ける。

「なんだか、追いかけたそうな顔していたから」

「え? 嘘」

 自分でも気付かぬ深層心理を見透かされた気がして、咄嗟に顔を覆う。

 追いかけてどうする? 何も言うことなんてないはずだ。だって私は誘われただけで、ただ一緒に遊んで時間になったから別れるだけ。それだけのことなのに――。

 考えているうちに自然と駆け出していた。

 少しずつ離れていく距離を埋めるように、必死で後を追いかける。

「宮野!」

 手を伸ばせば届きそうな距離まできて近付いたところで立ち止まり、名を呼ぶ。

 彼女は驚いたように振り返り、目を丸くしている。

「なに? どうしたのぉ?」

「宮野、あの……」

 呼び止めておいてなんだが、何を話すかなんてまったく考えていなかった。

「また会おう」とか「今日は楽しかった」なんて言えばいいのか? でも、それはどちらも本当の気持ちとは違う、薄っぺらい社交辞令だ。

 次の句を告げず立ち尽くす私に困惑するでもなく、宮野がにっこり微笑んで手を握ってきた。

 今度は私のほうが驚いてしまい、呆然と握られた手を見つめる。

「伊田ぁ、今日はありがとう。ぶっちゃけ、あたしに付き合うのが面倒なのは分かってたけど、ちゃんと一度会って話したかったんだぁ。今日はそれだけで十分だから。ごめんねぇ」

 意外だった。宮野は私のことなんて本当は嫌いで、何も考えていないんじゃないかって思っていた。でも、今日会ったとき服装のことを褒めてくれたり、終始反応の薄い私に怒ることもなかった。

 そんな彼女の良い部分を知ってしまうと、必然的に自分の嫌な部分、罪と向き合う羽目になる。私はそれに内心抵抗しつつ、でも良心が抗拒しきれず白旗を揚げる。

「謝るのは私のほうだよ。私もぶっちゃけるけど、本当は宮野のこと、ずっと大嫌いだった。死んでほしいと思ってた。でも、今はよく分からない。ごめんね」

 宮野の手を握り返し、手が震えないよう奥歯を噛みしめながら伝える。目頭が熱くなり、自然と涙が浮かぶ。

 反応を窺うのが怖かったが、霞んだ視界に助けられてまっすぐ宮野の目を見つめる。気持ちが高揚しているため、たぶんいきなり引っ叩かれてもしばらくは気付かないかもしれない。

 だが、宮野は怒るでも呆れるでもなく、「ぷっ」と吹き出した。そして、腹を抱えて笑い出した。

「あっははは。伊田ぁ、お前正直過ぎぃ! やっぱりお前、面白いわ」

 私は困惑したまま、その場で笑い転げるクラスメイトをぼんやりと眺める。死んでほしかったと告げて笑われたのは初めてだ。そもそもそんなこと言ったことないけれど。

 しばらくしてようやく笑いの収まった宮野は、涙を拭きながら改めて手を振ってきた。

「伊田ぁ、今日はありがとなぁ。よかったらまた今度遊びに行こうよぉ」

「うん。また今度ね」

 私も手を振りつつ、果たして次なんてあるのかとぼんやりと考えた。

 でも、不思議と今は嫌な気はしない。心の奥底に溜まったわだかまりをぶつけることができて、すっきり軽くなっているみたいだ。

 今度は軽やかな足取りで去っていく級友の背を見送りつつ、すぐ後ろにやって来た由羅に目を向ける。

「よかったじゃない。お友達ができて」

 またからかうように言われ、肩を竦めて見せる。

「別に――」

 友達ではない。と言いかけて口を噤む。

 誰かと友達になることに、そこまで抵抗する必要もないのだ。宮野のことはずっと嫌いだったし、でも今日は良い面も知ることができた。

 友達だから全てを許したり合わせたりする必要もないし、私は私でいいんだ。そう考えると、宮野は『友達』ということでいいのかもしれない。

 初めて出来た友達に少し気恥ずかしさを覚えつつ、気持ちを切り替えるように由羅に向き直る。

「帰ろっか」

 ついその場のノリで由羅に対しても友達のように声を掛けてしまったが、特に気にしていない様子だった。彼女ともいずれ友達になれるのだろうか。

「帰りはもっと飛ばしてちょうだい」

 無茶を言う由羅に苦笑いを返しつつ、なれたらいいなと心の中で呟いた。

 自転車に跨り、家に向かって漕ぎ出す刹那、少し離れたモールの入り口からこちらをじっと見つめる何者かの視線を感じた。

 走り出しながらなんとなく振り返ると、夏場だというのに黒のスーツを着た赤髪の男が目に留まる。長身でスマートな体型をした彼は、離れていく私たちに刺すような視線を向けていた。

 ――なんだろう?

 気にはなったが、なんだか怖いのでそのまま走り去ることにした。スーツは着ていても、髪色からしてとてもビジネスマンには見えない。ホストか何かだろうか。

 由羅も気付いたらしく、後ろを振り返りながらなにやら考えこんでいる。

 とりあえず今日は疲れたから、余計なことを考えるのはやめよう。私は様々な懸案から逃れるようにスピードを上げ、商店の立ち並ぶ国道を進んでいった。


 最後に少し不穏な空気になったが、無事に家に帰り着いた。

 夕飯まではまだ時間があったので、まっすぐ部屋に入ってそこで由羅に紙袋を手渡す。

「はい。よかったらどうぞ」

 ベッドで向かい合って座った由羅は受け取りつつ、眉をひそめる。

「なにこれ?」

「今日ショップで買ったワンピース。由羅に似合うかなって思って」

 私の至極簡単な説明に訝しげな表情を崩さぬまま、由羅が袋を開けて中身を取り出す。白地に青の波模様の入ったワンピースが姿を現す。

「……これを、アタシに?」

「うん。その……嫌かな?」

 表情が固まったままの由羅を前にして、途端に後悔めいたものが込み上げてくる。

 考えてみたら、いきなりプレゼントなんて重過ぎただろうか。でも、彼女には色々と感謝というか、お礼がしたかった。そういう気持ちを表すためには良い機会だったし、服が丁度いいかなと思ったのだ。

 なんだか悪いことした子供のようにビクビクしていると、突然由羅が手を広げて身体を寄せてきた。

 驚いて咄嗟にのけぞったところ、腕を背に回され抱きしめられる。

「ありがとう茜。すごく嬉しいわ」

 自分からプレゼントしておいてなんだが、こういう反応は予想外だった。にべもなく「要らないわ」と突き返されるか、せいぜい「一応貰っておくわ」くらいの言葉しか期待していなかった。

 だが、由羅の声はとても優しく、感動すら感じさせるものであった。彼女が今着ている着物に比べたら明らかに安物なのだが、本当にいいのかとこちらが焦ってしまうほどに。

「さっそく着てみようかしら?」

「うん。着てみて」

 言うが早いか、由羅はピョンとベッドから飛び降りると、その場で帯を外し始めた。そのまま、ためらう様子もなく着物を脱ぎ捨てる――。

「ちょへっ!」

 思わず変な声を上げてしまった。

 なんと、着物を脱いだ由羅は下着を着けていなかった。要するに全裸だ。

 以前一緒に風呂に入ったときはどうだったか。よく覚えていない。あのときは半分のぼせたようになってしまい、後半の記憶が曖昧なのだ。

 というか、今まで由羅はずっと下に何も着けず外に出ていたのか。それで今日、私の自転車の後ろに乗ったのか。かなりのスピードで走り、裾も何度かめくれていたと思うが……。

 着物の裾をまくし上げて自転車に跨る由羅の後ろ姿を想像し、鼻の奥が熱くなる。これ以上続けると鼻血まで噴き出してしまいそうだ。

 あらぬ妄想でひとり悶絶している私をよそに、淡々と着替えを終えた由羅が振り返る。

「どう? 似合うかしら?」

 右手を腰に添え、小首を傾げてポーズを取る由羅。素直に可愛いと思った。

「に、似合うよ! すごく可愛い」

 先ほどまでとは違う興奮が込み上げてきて、少し前のめりで答える。

 ずっと赤を基調とした派手な着物姿だったから、青系統の洋服を着ているだけで別人のように印象が変わる。その新鮮な佇まいに自然と見とれてしまう。

 目見当だったのでサイズを若干間違えたのか、膝まであると思っていた丈が膝上までしかなかった。ノースリーブなのも相まって、幼さが増した印象だ。妖艶なお姉さんから可憐な乙女になった感じ。どちらもいけるなんて、なんかズルい。

 私の買った服に袖を通してくれた達成感。それを喜んでくれた安心感。自分の行動が報われたという満足感。それら全てが心地良い波となって胸を震わす。

「そう? ありがと」

 そう言ってにっこり微笑む由羅を見つめながら、やはり自分にとって彼女は特別な存在なのだと実感した。奪われるばかりだった私に、初めて光を与えてくれた。与える喜びを教えてくれた。

 ……とりあえず、彼女にはまず下着を贈らないといけないな。それから靴も。

 私は由羅のたわわな胸元をぼんやりと眺めながら、さっそく次の買い物の予定を立てる。

 生きている限り悩みは尽きない。でも、この悩みは着せ替え人形のコーデを考えるような幸せな悩みだった。

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