2-5

 着替えて朝食を終え、朝の準備を一通り終えた頃にはそろそろ出かける時間となっていた。

 中学生になってからプライベートでクラスメイトに会うのは初めてだ。なので、服装は大いに迷った。迷うこと自体が張り切っている感じがして癪だったが、経験値が絶対的に不足しているのだから仕方ない。

 とりあえず無難に薄紫色のTシャツと、白のスカートにした。由羅が「素足を見せるとはやるわね」などとからかってきたが無視した。どうせ宮野はお洒落な格好してくるに決まっているから、あまりにダサい格好していったら晒し者にされる。

 待ち合わせ場所のショッピングモールは少し離れた郊外にあり、そこにはいつも自転車で出かける。学校は近いので通学は徒歩だが、一応自分用の自転車は中学進学を機に親から買ってもらったのだ。

 とはいえ休日に出かけることはほとんどないし、遠い所へはバスや電車を利用するので実際使う機会はあまりない。鎮守の森へもバスで行ったし。

 問題なのは由羅だ。

 さすがに今回は一緒に歩いては行けない。少し不安ではあるが、今日一日くらい留守番してもらったほうがよいだろうか。考えあぐねて家を出るとき尋ねたら、当たり前のように「付いていく」と言って聞かなかった。

「それじゃ、バスで行きますか?」

 モールへは駅から無料のシャトルバスが出ているが、反対方向なのでやや面倒くさい。でも、もう一台の自転車なんて無いし仕方ないかと思っていると。

「それには及ばないわ」

 急に由羅がしたり顔で言い、なぜか胸を張っている。

「自転車にしなさい。アタシは後ろに乗っているから」

「ええ?」

 二人乗りはまずいと思う。法的な問題はまあ他の人に見られないからいいとして、主に私の運転技術と体力面で危険である。たまにしか乗らないから、後ろに誰か乗っけたりしたら確実に途中で転ぶ。

 躊躇する私をよそに「いいから、いいから」と強引に背中を押す由羅。なんでそんなにはしゃいでいるのか分からない。

 釈然とせぬままマンション入口脇にある駐輪場まで赴き、鍵を外してまだほとんど汚れていない自分用の紺の自転車を引っ張り出す。

 サドルに跨りおずおずと振り返ると、由羅が楽しそうに私の肩に手を乗せ自転車の後ろに飛び乗ってきた。そのまま拳を振り上げて号令を発する。

「れっつ、ごー!」

 ――今どきレッツゴーって……。

 その小学生じみた由羅の態度が可笑しくて、思わず声を上げて笑ってしまう。

「あはははは」

「どうしたの? なぜ笑っているの?」

 由羅が肩越しに不思議そうに顔を覗き込んでくる。

「いや、なんでもないです。それじゃあ、レッツゴー」

 なんだか楽しくなってきて私も掛け声と同時にペダルを踏み込んだ。

 初夏の生暖かい空気を切り裂き、どんどん加速していく自転車。汗ばんだ肌に心地よい風を感じる。

 危惧していた二人乗りだが、実際はなんの問題もなかった。むしろ、本当に後ろに乗っているのか不安になるほど由羅は軽かった。ただ、両肩に乗せられた手の温もりは確かに感じられたし、彼女のはしゃぐ声が街の喧騒に消えることもなかった。

 たぶん由羅の能力なのだろう。私は深く考えず、慣れない自転車を必死に漕いだ。郵便局を越えて角のコンビニを曲がり、国道に出て真っすぐ先にある目的地まで全力で飛ばす。

 髪をなびかせてご満悦な由羅。彼女がなんだか愛おしく思えて、もっと喜んでほしくて。何度か赤信号で立ち止まるのすらもどかしく思えた。

 そうして体感的にいつもの半分ほどの時間で、ショッピングモールへと辿り着いた。

 さっそく店内入り口手前にある駐輪場に自転車を停め、大きく息を吐いて額の汗を拭う。息が乱れて全身に汗が滲んでいるが、心地よい疲労感である。ひとりではただの移動時間も、誰かと一緒ならそれなりに楽しい。

「ご苦労様。なかなか刺激的な体験だったわ」

 由羅が遊園地のアトラクションを終えたかのように言い、労いのつもりか私の肩を揉んだ。

 いや、別に肩は凝っていないけれど。苦笑を返しつつ、周囲を見回す。

 平日昼間とはいえ、広々とした駐車場はすでに六割ほど埋まっていた。ここはいつ来ても人がいっぱいである。人混み嫌いの自分が好んで訪れるような場所ではない。

 とりあえず今日は宮野と会うことが目的なので、すぐ側の待ち合わせ場所である小広場に向かった。ここは鉄骨で組まれた巨大なキリンのオブジェが佇む、ちょっとした植樹スペースとなっている。一応、ぐるりと回って確認したが、私たち以外他に誰の姿もなかった。

 スマホを見てみると、時刻はまだ十一時半。さすがに少し早かったか。

 私は近くのベンチに腰掛け、どうしようか思案する。

 店内で少し涼もうか。だが、涼んでる間に宮野が来てしまったら、なんだか自分から声を掛けるのが気まずい。私は誘われただけなんだから、最初は向こうから呼びかけるのが筋のような気がする。いや、別にいいんだけど、なんとなく。

 まあいいか。どうせすぐ一緒に店内に入るのだから少し我慢していればいい。

 結論に至って顔を手のひらでパタパタと扇いでいると、隣に由羅が腰掛けてきた。

「暑い?」

「そりゃまあ。夏ですし」

 答えつつ目を向けると、彼女は涼しい顔で汗一つかいていない。まあ、運転していたのは私だから疲れていないのは当然だけど、常に暑さとか寒さとかに対して超然としている感じがする。

「由羅は? 暑くないんですか?」

 一応同じ質問を返してみると、予想通り首を横に振った。

「あまり感じないわねえ。森の中よりはだいぶ暑いとは思うけれど」

 着物の袖をひらひらさせながら、どうでもよさそうに答える。そういえばいつも同じ服装だなとふと思った。

「あの、由羅。他に服持ってないんですか?」

「服? 無いわ。どこかおかしい?」

 由羅が自分の袖や帯を見回しながら尋ねてくる。

 まあ、おかしいと言えばおかしい。毎日同じ服、しかも和服を着ている若い女性は現代ではほぼいない。恐らく特殊な力で劣化したり汚れたりしないのだろうけど、私と違って綺麗なんだからもっとお洒落すべきだとは思う。

 じーっと見ていると、由羅が怪訝そうな表情を浮かべた。

「何よう。さっきから」

「いや、別に。由羅もここで何か買ってみたらどうかなって」

「お金なんかあるわけないでしょう?」

「ですよねー」

 そんな会話を続けているうちに、遠くから駆け寄って来る宮野の姿が見えた。

 彼女は白いフリル袖のシャツにデニムのホットパンツ、白地にピンクのラインの入ったスニーカーという出で立ち。ファッションに疎い私にはそれがお洒落かどうか分からなかったが、露出の多い格好が漠然と抱いていたイメージ通りだなと思った。

「ごめぇん、待ったぁ?」

 宮野は目の前まで来ると、肩で息をしながら尋ねてきた。

 そんなに急がなくていいのに。時計を見たら、まだ十一時五十分。意外というか、時間には正確らしい。

「うん、平気。私も今来たところ」

 言いながら、なんで友達みたいなやり取りしているんだと思ってしまう。

 改めて宮野を前にすると複雑な気分である。学校より更にバッチリメイクをしている彼女は、付けまつ毛にピンクのリップまでしていて、傍から見たら高校生みたいだ。

 私とは住む世界というか、人種が違うとすら思える。どちらが上とかではなく、別世界の生き物みたいな。

 そんなモヤモヤした感情が自然と湧き上がってくるが、宮野の次の一言が突風のようにそれらを吹き払った。

「伊田の格好、超可愛いじゃん」

「えっ?」

 いきなり言われて顔が熱くなる。先ほどまでとは違う熱だ。

 可愛い? 私が? あ、格好がか。でも、初めて言われた。可愛いって……。

 内心の焦りを気取られぬよう、慌てて目を逸らして言葉を返す。

「宮野も、その……。お洒落だと思う」

 そういえば私は宮野のことをなんて呼んでいたか分からない。たぶん呼んだことがない。でも、向こうがこちらを呼び捨てにしているんだし、こちらも呼び捨てで返せばいいかと思った。同級生なんだし。

 宮野はこちらの葛藤を知る由もなく、満面の笑顔で「ありがとっ」とお礼を言った。

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