1-7

 昼食を食べそびれたことで、戒田、横地、宮野の三人は相当気が立っていることが予想された。

 私は余計な難詰をされないよう、授業が始まる直前にこっそり教室内に入ることにした。そしてドアを開けて足を一歩踏み入れた瞬間、いつもと違う光景に頭が硬直する。

 なんと私の机は派手に倒されており、教科書やノートがそこら中に散らばっていた。さながらそこだけピンポイントで大地震に見舞われたようだ。床に落ちた弁当箱に胸がチクリと痛む。

 犯人は分かっている。もちろんただじゃいられないことは予見していたから驚きはない。むしろ、こう来たかという妙な納得感はあった。

 お腹が減って暴れるなんて、まるで猿みたいだな。そんなことを考えながら黙って机を直す。

 周りのクラスメイトは横目でちらちら様子を窺っているが、特に声を掛けたり手伝ってくれたりはしない。まあ、誰とも話したことないから当然だけど。私が由羅みたいに美人だったら、男子がこぞって助けてくれるのかなとふと考える。

 その代わりと言ってはなんだが、少し離れた前方や横の席から複数の刺すような視線を感じた。こちらは周りの連中と違って露骨に私の視線を要求する威圧感があったが、決して目を向けなかった。言いたいことは分かっているから。

 ちょうど床に散乱した教科書類を全てしまい終えたところで先生が教室内にやって来た。運が良いのか悪いのか自分でもよく分からない。ただハッキリしているのは、私はこの光景を大人たちに見られたくないということ。見た瞬間の、大人たちの「めんどくさいなぁ」という困惑の顔が嫌いだから。

「起立。礼」

 日直の号令と共に前を向いた瞬間、鬼のような形相でこちらを振り返っている戒田と目が合ってしまう。ドクンと心臓が脈打ち、全身が強張る。分かってはいたけれど、やっぱり怖いものは怖い。

 ちらりと振り返り、すっかり指定席となった鞄置き場に腰掛けた由羅を見る。彼女は何も言わず、どこか不敵な笑みを私とも戒田とも付かぬ方向に向けていた。

 所詮は他人事なのか楽しんでいるのか定かでないが、その笑顔は悪を懲らしめるヒーローにも、姫を守り通すナイトにも似つかわしくない冷たいものであった。

 窓外の空はいつの間にか鈍色の雲に包まれており、心なしか空気も淀んでいるように感じる。

 私はため息を吐き、黒板の文字のみに集中した。もうどうでもいい。なるようになれ、だ。


 授業が終わって先生が教室から出ていくや否や、戒田、横地、宮野の三人組がツカツカとやって来て私の席を取り囲んだ。席に座ったままの私は顔を上げることもできず、ただ自分の机のみを見ていた。

 バンッ。

 その机を唐突に叩かれ、飛び上がりそうになる。……やっぱり怒ってますよね。

 逃げ出したい気持ちを抑えつつ、不承不承顔を上げる。

「おい、テメー。なんで昼飯買ってこなかったんだよ。お陰でうちら、誰もお昼食べらんなかったんだけど?」

 戒田がほとんど毛のない眉を寄せ、こちらを睨んでくる。

 「クラスメイトがご飯買ってこないと何も食べられないって、親鳥の餌を待つ雛ですか?」 とは言えない。

 その視線から逃れるように目を逸らすと、さながらイラついたプロレスラーの横地が調子を合わせるように続けた。

「どう落とし前付けてくれんだよ」

 まるでヤクザのような台詞だ。

 こういうとき、どういう反応すればいいのか分からない。愛想笑いしたらキレられそうだし、謝ったらその場は収まってもエスカレートするだろう。それに、もう謝るのは嫌だった。

「なんとか言えよぉ」

 黙ったままの私に焦れたのか、宮野が肩を押してきた。彼女は背も低く腕も細いので、私を押した拍子に逆によろめいていたのが少し面白かった。

 周りのクラスメイト達は一切無反応だ。不良娘三人が先ほどから大声で何か喚き散らしているのに、誰も止めようとはしない。ただみんな素知らぬふりで聞き耳だけ立てていることは分かる。だから私はここでは何も言いたくなかった。無料でゴシップのネタを与えてやるのは癪だし。

「もういいや。お前ちょっと来いよ」

 そう言うと、戒田が私の腕を掴んで強引に教室外に引っ張っていく。

 短い休み時間で人のまばらな廊下。肩を怒らせた三人に囲まれ、強制連行されていく私。

 これから何をされるのか想像したら恐ろしくて仕方ない。だけど、胸を支配しているのは今までのように恐怖心だけではなかった。

 姿は見えないけれど、きっと近くにいるのだろう。私は気まぐれな『ご主人様』に向かって「どうかお願いします」と強く念じておいた。希望と呼ぶには程遠いけれど、それだけで私の心は幾分楽になった。

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