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 私が学校でイジメられるようになったのは小学校高学年の頃からだ。

 直接的なきっかけは覚えていない。ただ物心付いた頃から人付き合いが苦手で、あまり笑ったりはしゃいだりしない暗い子だったからかなと思う。

 仲良くする友達もおらず女子のグループにも入らず、いつも孤立している私を周囲はやがて『地蔵』だとか『黒子』だとか呼んで馬鹿にするようになった。

 中学生になるとイジメはエスカレートし、一年のときから同じクラスの戒田、横地、宮野の三人の女子から毎日のように意地悪されるようになる。教科書や上履きを隠されるのはよくあることで、体育の授業で私だけ更衣室を使わせてもらえずトイレで着替えたりした。

 三人はヤンキーっぽくて声も大きくて私は抵抗することなどできず、ただ彼女らの言いなりになるばかり。担任の先生も同級生も誰も助けてくれない。

 私は中学二年生の今まで学校を休んだこともない良い子だから、恐らく両親は私が学校でイジメられている事実を知らない。知らせるつもりもない。どうせ無駄だって分かっているから。

 大人はいつだって「何かあれば相談してね」と言う。だが、いざ相談するとあれこれ余計なことまで詮索してきて、何がどうあっても「お前が悪い」という結論に導こうとする。きっとそのほうが楽なのだろう。自分が動かなくて済むから。

「考え過ぎなんじゃないの?」

「もっと自分の気持ちはハッキリ言わなきゃダメだぞ」

「あなたにも何か問題はあったんじゃないかな?」

「相手もきっと悪気はないんだから」

 そういう、繰り返し繰り返し聞かされてきた呪詛の言葉。その度に私の心はより窮屈に、よりいびつになっていった。まるで世界に人間は自分ひとりしかいないような孤独感に支配され、ますます世界が遠いものとなる。

 大人が言う「困ったことがあれば頼ってね」というのは、レストランの店員が言う「ごゆっくりどうぞ」と同じ。その通りにしたら迷惑がられる。結局そういったものは名分なのだ。何か問題が起こったとき、「言ってくれればよかったのに……」などとカメラの前で涙ながらにうそぶき責任回避するための。

 だから私は誰にも告げず、独りで死ぬことにした。両親も担任もきっと泣きながら突然のことに困惑した風を装うことだろう。学校に行きたくないと訴えた私を怒鳴りつけた過去を忘れて。昼食時、いつもひとりでご飯を食べている私を見なかったことにして。

 私が遺書も書かずに鎮守の森で自殺しようとしたのは、ふたつの復讐のためなのだ。もちろんひとつは私をイジメていた連中に対するもの。もうひとつは、私の苦しみも悲しみも知ろうとしなかった大人たちに対するもの。

 私はひとりぼっちでも、報われなくてもいい。だけど、私を追い詰めた人間が当たり前のように幸せを享受することが許せなかった。私の願いといったら、ただそれだけなのだ……。


 ベッドに腰掛け、先ほどから髪の毛を弄っていた由羅が大きなため息を吐いた。勉強机の椅子に座り、涙まじりに小一時間ほど事情説明していた私は思わず顔を上げる。

「……それで?」

「えっ?」

 衝撃だった。

 私が死まで決意した長年の苦しみを初めて打ち明けたというのに、目の前の美少女はこれみよがしに欠伸などをしている。

「なんでお前は言い返さないの? やり返さないの?」

「だって……。相手は三人だし、勝てっこないし、もっと酷いことされたら嫌だし……」

 急に責められてしどろもどろになる。あれ私、説教されてる? 妖怪に?

 次第に胸奥が黒く淀んでいく。

「勝ち負けの問題なの? 勝てないから死のうと? お前の命ってそんなものなの?」

「そういうわけじゃ……。そもそも私、別に戦いたいわけじゃないもん。ただ毎日平穏に暮らしていたいだけだし」

「何もせず平穏が与えられるものかしら? そんなに人間界って容易いものなの?」

「ちょっと、そんなに言わなくてもいいじゃない! 私だって分かってるよ。こんなの間違ってるって。だけど仕方ないじゃない。他に方法なんて無かったんだもん!」

 感情が爆発し、両目から止めどなく涙が溢れてくる。

 強い者はいつだってそう。なんでなんでと弱者を責める。なぜできないの? なぜやらないの? なぜみんなと同じにしないの?

 そんなセリフ腐るほど聞いてきた。そうしようと努力した。だけどできない。できないからイジメられるんじゃない。白鳥が家鴨あひるに「なぜ飛ばないの?」と聞いたって仕方ないだろうに。

 だが由羅は動揺する素振りすら見せず、着物の裾をまくって太ももを掻きながら言った。

「別に責めているわけじゃないわ。単純に知りたいのよ。正直言って、神であるアタシにはお前のような苦しみがよく分からないの」

「…………」

 何か言おうとしたけど言葉が出てこない。要するにこの女は私の悩みなんて大したことではないと言っているのだ。最低。

 重苦しい沈黙が流れる。壁掛け時計の秒針の音がやたら大きく聞こえる。

 黙ったままの私に焦れたのか、由羅はスクっと立ち上がって私の正面に向き直った。

「封印される前、アタシに願い事をしてきた人間は大勢いたわ。だけど、そうした者たちは飢饉で餓死寸前だったり野盗に襲われ全てを失ったり、あるいは強大な政敵と殺すか殺されるかの争いをしていたわ。だけど――」

 そこで由羅が私の顔面を指さす。

「お前はそういった連中とは異質に見えるわ。復讐が望みと言っていたけれど、果たしてそれが本当の願いなのかしらね?」

 私は唇を噛み、俯いた。いつもそうだ。言い合いになると私は何も言えなくなってしまう。無意識に争いを避けて不満だけを内に溜め込む。

 確かに私は世間的に見たら恵まれているほうなのだと思う。大して広くはないけれど一般的なマンションの部屋に両親と共に暮らし、誕生日やクリスマスにはささやかなプレゼントを貰う程度には普通の生活を送れている。少なくとも世界の紛争地の子供たちよりは幸運だと万人が言うだろう。

 だけど、幸せの尺度ってそんなことでは測れないはずだ。資産家に自殺者はいないのか? 貧乏人は皆不幸なのか? 様々な反論は浮かんでくるがうまく言葉にならない。そもそも、それを言ったところでその倍も再反論されることは目に見えている。

 由羅は再び泣きだしそうな私を憐れむような蔑むようなどうでもよさそうな顔で見つめた後、ふっと息を零した。

「まあいいわ。とりあえずそいつらに会わせてちょうだい。話はそれからよ」

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