第11話 ……もしかして、生のおっぱい見るの初めてなの?

「……はぁ。ああいう人間、私苦手。でも、特に理由はないから、きっと根本的に波長が合わないのかも。あなた、よくやっていけてるわね」

「まあ、よくは、やってないけどな」

 全裸の稲荷野と二人きりになって、再度横目で盗み見する。間違いのない美女の裸を確認して、乾燥した喉にうんと唾を飲み下す。

「あのさ、さっきから気になってたけど、なんでビキニ脱いでんの?」

「暑かったから」

 稲荷野は迷いなく即答する。

「いや、対して変わらないだろ……」

「ずっと同じ格好していると、普段着として慣れてくるもんよ」

「ビキニが普段着? ……ってことは、稲荷野の職場ってビキニが制服だったりして? イカれたクールビズだな」

 諸田は冗談混じりで言ったつもりだったが、

「なわけないでしょ。馬鹿じゃないの?」

 と、本気の侮蔑を食らったので、せっかく気を利かせたおふざけ調子も、ものの見事に真ん中からへし折られる。ジョークをジョークとして受け取れない方が馬鹿だろと、諸田も内心で反抗する。

「さて、そろそろお部屋の方に案内してくれないかしら? もし車から出たらたちまち石になって死んでしまうっていうくらい車中泊好きなら、仕方なく付き合うけど。ちなみに、私は狭苦しいところが苦手なタイプってのは、あらかじめ伝えておくわ」

「そうか。あいにくだが、俺の部屋も割と狭いぞ」

「それは別にいいの。私はあなたの部屋を楽しみにしているから」

「……暖を取るのが目的だったはずでは? てか、暑苦しいならその不満は解消されているはず」

 そう諸田が論破仕掛けると、突如視界に一本の腕が切り込んで、ハンドルの中央部を拳で叩きつけた。

 夜間の住宅地に喧々と響くクラクション。

 前方の道路を歩く、仕事帰りらしい一人の若い男性が、その音源に振り向く。それでも見春は手をどかそうとしないから、諸田は強引に引き剥がす。

「おい馬鹿っ! 人に知られたくないって、何度も言ってるだろっ!」

 と、募る怒りをそのままぶつけるつもりで稲荷野を睨みつける。しかし、その真剣な眼差しは、少しも反省の色を見せない太々しい稲荷野の面を逸れて、いつしか豊満に膨らむ乳房の全貌を捉えていた。

「おっ、おっ、おぉっ……」

 瞬発的に稲荷野の腕を放り出して、ドアに退き寄りかかる。諸田の視界は、滑らかな球面体とその先端から突き出す薄桃色の突起物へと限りなく狭まれていた。

「何? 何度も言って、それで?」

 しかし稲荷野は気づかないフリでもしているのか、胸部の露出後も頰を赤らめることなく平然としている。失態を誤魔化そうとしているのか真偽のほどはわからぬが、もし本当に火消しに必死になっているならば、それはそれで興奮の極みである。

「い、いや、あの、そ、それ、お、お乳房ちぶさ……」

 震えながら指を向ける。稲荷野は指先の直線上に目を滑らせて、最終地点へ辿り着く。

「私のおっぱいに何かついてるの?」

 稲荷野の顔色に何ら変化は見られない。

「は、恥ずかしくないのかよっ。初対面の男に、その、おっぱいを見せびらかすなんて」

「何を今更動揺してるのよ。散々私の体を見尽くしてきたくせに」

「ビキニと裸はまた別物だろ。普段着として慣れているなら、なおさらその違いはわかるだろうが」

「わからないわね。乳首が見えるか見えないかだけの違いじゃない」

「それを言ったら全部そうだろ」

 諸田は目のやり場に難渋していた。満を持してご開帳となった乳首であるが、ガン見するのも憚られるから、努めてよそ見する。しかし、せっかく視界の隅におさえたおっぱいの、燦然たる魅惑に抗いきれず、結局目ん玉は乳首の先端へと戻ってしまう。

 とめどない紅潮を感じる。稲荷野は、そんな諸田を観察するように、前のめりになってまじまじと眺める。

「……もしかして、生のおっぱい見るの初めてなの?」

 核心を突かれた。猛烈に鼓動していた心臓が一瞬止まりそうになる。

「っつ! そ、そうだよ! 母さん以外はなっ! は、初めてで何か悪いかっ! ま、まあ、ネットとか、雑誌では見たことあるけど、生の乳首は、はじめましてこんばんはだっ」

 たじろぎながら認めるのは弱々しいから、無理に意地を張って声を張る。しかし、そんな短絡な意図は容易に見透かされているようで、稲荷野はドアに頬杖をついて、余裕の風格を見せつける。

「ふんっ、乳首に向かってこんばんは? 乳首の穴は母乳を出すためにあって、話すための穴じゃないわ。それでも話したいなら、腹話術ならぬちち話術で会話してあげる。……こんばんわ諸田功介。私、稲荷野見春のおっぱいよ」

 稲荷野は、自分の胸を揉みながら、おどけた声を発する。

 生の巨乳を目前にして猛々たけだけしい興奮をみなぎらせた諸田であったが、「乳話術」という、とてつもなく愚鈍なやりとりで一瞬の内に性欲の熱波は消失した。

「……うるせえ。とっとと車から降りろ」

 無愛想に言い放って、ドアを強く閉める。

 外に出ると、雨上がりの蒸し暑い外気に一気に包まれる。雨雲は今も夜空に広がって、星の光もことごとく隠れ消えている。

 一向に開かない助手席のドア。車中を覗くと、稲荷野はビキニを着直している途中であった。普段着と豪語するくらい着替えは手早く、下は既に履き終えていた。

 そうか、こいつは下すらも履いていなかったのか。

 ビキニ姿で改めてその事実に気が付かされて、熱い興奮がまた蘇ってくる。

 晴れて元の姿に戻った稲荷野は、いよいよ下車する。

「さすがの見春でも、全裸で外は歩かないんだな」

「私だって、社会通念は気にしている方よ。捕まりたくないし、今の稼ぎがなくなるのはもっと嫌だ」

「……住宅街のビキニもどうかと思うけどな」

 人の目が二人をとらえないうちに、恥知らずの稲荷野を急かして、すたすたとアパートに逃げ込んだ。

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