第十一章『帰還』編

 キンコーンと音が鳴りポーターがたどり着いた先は地底とは一変して色とりどりの景色で、眩しさの中に人が溢れていた。どうやらポーターはどこかの商業施設のエレベーターの中に繋がっていたみたいだ。買い物客で溢れる平和な景色がそこには広がっていた。


(ここは……商業地区なのか?)


僕が状況を把握しようと頭を捻らせていると、


「あらボク、変わった服装をしているのね。どこのブランドかしら?」


 声の主は二十歳くらいのお姉さんだった。彼女は僕の着ている地底人用の白い服を見て首を傾げる。


「あ、これは……その」


「支給の服ではないわよねぇ。最近はシンプルなデザインが流行りだけれど、そこまで行くとちょっとやりすぎじゃないかしら。それに何だか汚れているし。別の服の方がいいわよ。じゃあねボク」


 そう言ってお姉さんは手をヒラヒラさせて人混みに紛れていった。この囚人服のように地味な白無地の服は地上では逆に目立つのかもしれない。


(とは言えどうにもならないしなあ。とりあえず、時空監理局への道を聞こう)


 僕はひとまずデパートのような商業施設を出た。ここが商業地区なら僕には当てがあった。養殖人間たちが街中で道案内をしていることを僕は知っているからだ。辺りを見渡すとすぐに巡回中の養殖人間の顔を見つけることが出来た。その顔はやはりゼロさんを想起させるものだった。髭は生えていないし表情にも彼特有の険しさがなく、ただただ硬い。年齢もずっと若く皺だって無い。だけどやっぱりゼロさんの顔なんだ。そのせいか僕の中から養殖人間を不気味に感じる気持ちが不思議なほどなくなっていた。僕は養殖人間に駆け寄り、時空監理局への道を尋ねた。


「それなら遠いので乗り物を使いましょう。こっちです。案内しますよ」


 僕は同じ型の車が沢山停まった駐車場まで案内され、そこでベージュのフロートカーの助手席に乗る。僕の胸は、徐々に徐々に高鳴っていった。僕はついに時空監理局に辿り着けるのかもしれない。紆余曲折あったけれど、元の世界に帰れるのかもしれない。


(お父さん……お母さん……)


 僕の頭には両親の顔が浮かんでいた。家族で食卓を囲んだり、ゲームをしたりした当たり前の日常が僕の脳の中を埋め尽くした。僕は車から街の様子をうかがった。街は驚くほど平穏だった。この街の遥か地下深くでは今も都市の命運を賭けた戦いが繰り広げられているというのに、まるでそれが夢であるかのように地上では平穏な時が流れている。


(ゼロさん……)


 僕には祈ることしか出来ない。もしかしたらゼロさんはマスターブレインの書き換えに失敗し、この世界は何も変わらないのかもしれない。でも、僕は信じている。きっとゼロさんは上手くやる。


「ここです。着きましたよ」


 僕は養殖人間の声に反応して車を降りて、養殖人間の指し示す巨大なビルを見た。


(あれ?)


 僕はふと周囲を見る。ここはまだ商業地区の一角だ。時空監理局は中央地区のはずじゃ……


「さあさあ入って入って」


 養殖人間は背後から僕の肩を掴んでビルの入り口に向かってグイグイと力を込め押す。僕はその力に逆らって足を踏ん張り、声を荒くした。


「ちょっと待って。ここって商業地区だよね⁉︎時空監理局は中央地区のはずじゃ……!」


 しかしその言葉も虚しく、僕の体は養殖人間の強い力でガラスの自動ドアの先に無理矢理押し込められる。僕はその先の光景に血の気が引いた。


「ようこそ、藤森君」


 ビルのエントランスでは、おびただしい数の養殖人間たちが僕を待ち構えていた。彼らはスッと退路を塞ぎ僕を取り囲む。


「どういうこと……?これは一体……」


 僕は何か間違えたのか?落ち着け。状況を把握しろ。僕は必死で脳を回転させた。でも分からない。分からないんだ。どうしてこんなことになった。養殖人間を頼ったせいなのか?でもなんで……養殖人間はロボットじゃ無いはずだ。マスターブレインの急な指令が彼らに伝わっているとは考えにくい。どうして……なんで……


「驚かせてしまってすまない。僕たちは君にお願いがあるんだ」


「……お願い?」


 僕は僕の真正面で他の養殖人間たちの一歩前に立つ彼らの代表のような個体に聞き返した。養殖人間の代表は、「ああ」と頷いて僕にいう。


「実は君が異世界の人間だということを僕たちはとある女性に聞いて知っていてね。彼女は僕たち養殖人間の苦しみを知っている数少ない人間の一人で、このビルは昔彼女が僕たちに提供してくれたものなんだ。僕たちはこのビルの中でだけ人間として自由に振る舞える。ほんのわずかな自由だけれど、全て彼女のおかげだ。そんな彼女が言ったんだ。近い将来時空監理局への道を尋ねる少年が現れるだろう。その少年は僕たちの願いを叶えてくれる存在なんだってね」


 その前置きから一体どんな「お願い」が飛び出してくるのかと僕は心を身構えた。そして、


(その女性って、もしかして……)


 僕の脳裏に浮かんだのは、ドクターアリサだった。彼女が養殖人間と喋っている場面が僕の脳に鮮明に浮かんだ。養殖人間の代表は感情の乏しい顔で語る。


「なあ、君は僕たちのことをどう思う?」


「え?」


「この世界で奴隷のような生き方を強制されている僕たちのことをさ。異世界から来た君にとってもそれは普通のことなのかい?自由がなく虐げられるだけの僕たちのことを可哀想だと君は思うのかい?」


(……お願いってなんなんだよ)


 そうジリジリと苛立ちながらも僕は答える。


「……そんなの……可哀想だって思うに決まっているじゃないか」


 僕はただ、感じているままを答えた。僕にはまるで養殖人間たちの真意が分からなかった。どれだけ頭を回転させても、彼らがどんな「お願い」をしてくるのか見当がつかない。ただ、僕をこうして取り囲んだ彼らは僕にそのお願いを強要してくるのではないか。そんな予感だけは沸々と湧き立っていた。養殖人間の代表は言う。


「君が優しい人間で良かった。単刀直入に言おう。僕たちは君のその体が欲しいんだ」


「……なんだって?」


 僕は自分でも分かるくらい嫌悪感で顔を歪めた。またそれか。今度は脳みそではなくて体だけれど、またそれなのか!


「僕たちはこんなビルの中だけじゃなくて、街の中でも自由を味わいたいんだ。自由に振る舞いたいんだ。だけどこの体でそれは叶わない。僕たちは街に出ると奴隷だからだ。この顔とこの体は、奴隷として人々の頭に刻み込まれていて逃れられないんだ。だから君の体が欲しいんだ。あの女性は言ったんだ。僕たちは人間を傷つけることが出来ないように脳を改造されているけれど、異世界の人間に対しては別だってね。君は僕たちにとって例外な人間なんだ。だから僕たちは君のその体を手にいれ、頭を開いて脳みそを取り出し、肉体をシェアしようと思ったんだ。君の頭に脳みそを詰め替えて、日替わりで街に遊びに繰り出すのさ。どうだい藤森君。もちろん君には僕たちの肉体のうちの一つを提供するよ。君の見た目は僕たち養殖人間と同じになってしまうけれど、元の世界に帰れば気にならないだろう?」


「気にならないわけがないだろう!」


 僕は力一杯叫んだ。


「悪いけれど僕は君たちの力にはなれない。僕の体は僕のものだから」


「そうかい。君も彼女と同じように僕たちのことを理解してくれる心優しい人間であって欲しいと思ったけれど、どうやら違ったようだ。残念だよ」


 養殖人間の代表は肩を落として、吐き捨てるように続けた。


「この世界は僕たちにとっては地獄だ。逃れられない地獄なんだよ藤森君。僕たちは死にたくても死ねないんだ。自由に死ぬ権利すらないんだ。奴隷として生をまっとうするしか無いんだ。それどころか、僕たちは奴隷としての任期を終えるとどうなると思う?」


「そんなの……知らないよ」


 僕は冷たく言い放った。僕は彼らにどうすることも出来ないんだ。同情しても体を渡すつもりなんて無い。なら、同情するのは、逆に非情だ。僕はそう考えたんだ。


「あえて言うよ藤森君。僕たちは君に手荒な真似はしたく無いから。あくまで合意の上で君の体が欲しいから言うんだ。誰にも知られたくない僕たちの秘密をだ」


「秘密だって?」


「ああ」と彼は険しい顔をして、ぎりりと歯を噛み鳴らして言う。


「いいかい藤森君、僕たちは奴隷として地上で過ごした後は地下の工場でバラバラにされて、その肉を培養され、調理され、最後には人間たちの食卓に並ぶんだ!それが養殖人間の一生なんだ!」


「なんだって……⁉︎」


「僕たちは奴隷以下の存在なんだ。僕らは奴ら人間にとって実はただの食い物なのさ!奴らは僕たちの肉が美味しく育つまでの間に奴隷としてこき使っているに過ぎないんだ!」


「そんなバカな……!」


 僕の頭には地下工場で見たピンク色のブヨブヨの人造肉の映像が浮かんでいた。あれが養殖人間の最後の姿だって言うのか?じゃあ僕は……養殖人間で出来たハンバーグを食べていたってことなのか……?僕の心臓がドクンと跳ねる。


(僕は人間を食べていたのか?)


 僕の頭がグルングルンと揺れた。


(いや、そんなはずはない。だって彼らはゼロさんの遺伝子から出来ているゼロさんのコピー人間なはずだ。食用目的で作られた存在じゃない。人肉なんてそんな美味しいものじゃ無いはずだ。僕がたべた人造肉は……普通に美味しかった。彼ら養殖人間たちはあくまでゼロさんの持つ優れた知能の利用先として造られた存在なはずだ。この話はきっとデタラメなはずだ)


 僕は彼らに尋ねる。


「どうして君たちは……そんな秘密を知っているんだ。君たちはそんなことまでインプットされて生きているのか?」


 養殖人間の代表は言う。


「まさか。このビルを僕たちに提供してくれた女性が教えてくれたのさ。彼女は僕たちの人権について真剣に考えて秘密裏に活動してくれている女性で、この都市の秘密に詳しいのさ。僕たちは色々教えてもらったんだ。僕たちがどれほど哀れな存在であるかをとても具体的に……君には言えないことまで色々とね」


 僕は拳をギチギチと強く握りしめた。僕の怒りはマスターブレインに向かっていた。


 そいつは……その女性って奴は間違いなくドクターアリサだ。人間に扮したマスターブレインだ。奴は養殖人間を思い通りに動くよう手籠にして、裏で利用していたのだ。


「言っておくがここから逃げようだなんて思わない方がいいぜ。僕たちは養殖人間同士で情報を共有できるように脳を改造されているんだ。ようはテレパシーさ。街の中で奴隷として働いている同胞たちの目を掻い潜って君が時空監理局に逃げ込むのは不可能なんだ。素直に体を提供してくれ」


「……出来ないよ。僕は諦めるわけには行かないんだ。君たちの元になった人を知っているから。彼はどんなに過酷な状況に置かれても諦めなかった。諦めずに道を紡ぎ続けていた。だから僕も絶対に諦めない。絶対にだ。僕の体は僕のものだ」


「……僕たちの……元になった人間だと?」


 今の僕は袋のネズミだ。こうも囲まれてしまってはこのビルから逃げ出すことすら不可能だろう。でも僕は諦めない。僕は絶対にこの体で元の世界に帰るんだ。怪訝な顔で問う彼に僕は「ああ」と頷いて言葉を返す。


「君たちの話は聞いた。今度は僕の番だ。君たちは知らなければならないんだ。この都市の真実を。そして君たちの元になった人間の……影の英雄の物語を」


 そして僕はエントランスの床に腰を下ろして語り始める。この都市を裏で支配する強大な存在と、今もたった一人で戦い続けている英雄の生き様を。





 ビルのエントランスで僕を取り囲む養殖人間たちの顔は困惑に満ちていた。彼らは入れ替わり立ち替わりながら僕の話をじっと聞いてくれた。奴隷である彼らには時間的な制約が強くあるのだろう。おそらく今僕を囲っている養殖人間たちの中に初めから僕の話を聞いている者は一人もいない。養殖人間たちの代表として僕と話をしていた個体も途中でスッとこのビルから出て行ってしまった。彼らにはほんの数十分程度の自由すらないのだ。ただ、彼ら特有のテレパシー能力で僕の語る話は養殖人間たちの中で共有されているようだった。後からビルにやってくる個体はじっと僕に目を向け、僕の話に耳を傾けていた。


「僕は断言する。君たちを支援している女性というのは間違いなくマスターブレインだ。今もこの都市の地下深くで君たちの元となったゼロさんと戦いを繰り広げている、人類の敵だ。そして君たちを創り出し、都市の人々に奴隷のように扱わせている黒幕こそ、そのマスターブレインなんだ!」


 僕が全てを語り終えると、養殖人間たちは困惑したように互いに顔を見合わせた。

「その話を信じろと言うのか?」


 養殖人間たちの新たな代表が僕に問う。


「そうさ。僕は嘘なんて一つも言っていない」


 養殖人間たちは黙り込み、目を瞑った。ビルのエントランスを数分ほどの沈黙が包む。彼らは今、テレパシーを使い養殖人間同士のネットワーク上で会議をしているのだろうか。彼らが僕の話を聞いて何を思い、どんな結論を出すのかはわからないけれど、僕の中には少しだけ胸の荷が降りた思いがあった。相手が養殖人間とはいえ、ひとまず僕はゼロさんの生き様を地上の人間に伝えることが出来たのだ。もちろんこれで満足したわけじゃない。養殖人間相手ではなく、都市で暮らす人々にこそこの話を伝えなきゃいけないと僕は思っている。ただ、このビルで養殖人間たちに囲まれたとき、僕はゼロさんのことを誰にも伝えることが出来ずに殺されるかもしれないって少しだけ思ったんだ。そうならなくてホッとしたんだ。


 養殖人間たちの代表が目を開くと、それに続き周囲の養殖人間たちも目を開いて僕に視線を飛ばした。


「藤森君、僕らは君の話を信じることにしたよ」


 それは僕にとって意外な答えだった。僕は彼に言葉を返す。


「……そう。それは良かった」


「あまり嬉しそうじゃないね」


「いや、そんなことはないさ。ただ……」


 彼らが僕の話を信じることと彼らが僕の体を諦めることはイコールではない。まるで別の話なのだ。だから僕は心を身構えた。養殖人間の代表は優しい顔で言う。


「安心してくれ。君の体を奪うつもりなんて僕たちには元々ないんだ。元々ね。というか、不可能なのさ。そんなおぞましいこと、出来ないんだよ。だって僕らはこんなんでも心は人間なんだ。植え付けられた倫理観なのかもしれないけれど、そんな非道なことはとても人間の僕たちには出来ないんだ」


 苦しそうに話す養殖人間に僕は聞く。


「じゃあなぜあんなことを……」


「君に選択を迫るためさ」


「選択?」


「ああ。僕たちは君に、殺して欲しかったんだ。君にこのビルに集まってくる養殖人間の全てを、皆殺しにして欲しかったのさ。奴隷として人間たちにこき使われている僕らの大半は死んだ方がマシだと思って生きているんだ。だけど死ぬ自由がないんだ。だから僕たちは君に、体を明け渡すのを拒むのならば僕たちを殺せと迫るつもりだったんだ。僕たちは倫理的に君を傷つけることが出来なくても、異世界人である君には殺害を依頼することが出来るって気づいたのさ」


「そんな……」


「でも、もういいんだ。ほんの少しだけど、希望って奴を僕たちは感じることが出来たんだ。なあ藤森君、そのゼロって男はマスターブレインを書き換えて僕たちを救ってくれるだろうか。こんな養殖人間なんて奴隷がいない社会を、いつか実現してくれるのだろうか」


 その懇願するような問いに、「うん。きっと」と僕は強く頷いた。それは僕にとっても懇願するような思いだった。だってゼロさんが養殖人間という奴隷システムをどうするのかって答えを僕は知らない。ただ、ゼロさんならきっとこんなシステムは廃止するはずだ。ゼロさんならきっと、やってくれるはずだ。


「ショウタ君!」


 不意に名前を呼ばれて僕はビルの入り口の方を振り返った。聞き馴染みのある声だった。僕の視界は彼の姿をとらえて、コスモの姿を見つけてパアッと明るくなる。


「コスモ!」


「ショウタ君、無事だったんだね!」


「ひ、ヒエエ!なんでやんすかここは!養殖人間が一杯でやんすうううう!」


 コスモの影には助手さんの姿もあった。コスモは養殖人間たちの姿を見て入り口で立ち止まり、警戒するように辺りを見渡す。


「これは一体……どういう状況なんだ……?」


 そのコスモの疑問に養殖人間の代表が答えた。


「安心してくれ正義のロボットよ。僕たちは彼の話を聞いていただけさ。さあ、藤森君、行くんだ。君は時空監理局に向かい、元の世界に帰るんだろう?」


「あ……うん」


 僕が床から立ち上がると、彼は続けた。


「僕たちは君に会えて良かった」


 僕は彼に言葉を返そうとしたけれど、言葉に詰まった。僕は彼の名前すら知らない。そもそも彼に名前があるのかどうかすら知らない。彼の存在をどう呼べばいいのか、彼個人を示す言葉が養殖人間意外に浮かばなかったのだ。


「僕も君たちにゼロさんのことを伝えることが出来て良かった。さようなら!」


 彼らは悲しい現実の中で生きている。僕は彼らの中に芽生えた希望がいつか花開くことを祈って養殖人間たちのビルを後にした。


「ショウタ君、良かった。また会えるなんて!」


 ビルの外でコスモに抱きしめられながら僕はコスモに質問した。


「僕も二人が無事でいてくれて嬉しいよ。でもどうして僕の居場所がわかったの?」


「君の体から発せられている信号さ!レーダーで君の位置がずっと動いていたから、僕たちはその動きを追っていたんだ」


「そうなんだ。ありがとう二人とも」


「すごい勢いで動き出した時はびっくりしたでやんすよ。ところでどうやって元の体に戻ったでやんす?」


「それは……後で話します。まずは僕を時空監理局まで連れて行ってくれませんか」

「もちろんでやんす。ささ、車に乗り込むでやんすよ」


 僕は路肩に停めてあった助手さんの車に乗り込んだ。そしてついに僕は時空監理局に辿り着いた。




 時空監理局。それはこの都市に数ある建物の中でも四番目の高さを誇る、ビルとドームが合体した恐ろしく巨大で広大な建物だった。芝の敷かれた敷地内を歩き、透明な自動ドアを抜けると、広々としたエントランスが僕たちを迎えた。


「手続きをしてくるでやんす」


 そういって助手さんは受付に駆けていき、僕とコスモは細長いベンチに座る。


(ああ、疲れた……)


 コスモと話をしよう。僕たちが離れ離れになっていた間の話を。地底には実は人間が奴隷として使役される世界があって、そこに落ちた僕の体と脳みそはゼロさんに拾われて元の僕に戻されて……



「………………あれ?」


「あ、ショウタ君!気づいたんだね」


「ここは……?」


 そこは病室のような個室だった。僕はベッドの上で布団にくるまって横になっていた。


「よっぽど疲れていたんだろうね、君はエントランスでベンチに座った途端に眠ってしまったのさ」


「そうだったんだ」


 と、


「おお、気づいたのかい?」


「あなたは……!」


 扉を開けて部屋に入ってきたがっしりとした体型のスーツの男性は見覚えのある人だった。そう、それは僕がこの世界に来てまだまもない頃に出会った―


「ホシノさん!」


「良かった。覚えていてくれたんだね」


 ホシノさんはそう言って爽やかな笑顔を向ける。


「体調は平気かい?君には本当に申し訳ないことをした。僕がもっとしっかりしていれば君は危険な目に遭わずに済んだのに」


「いえそんな。僕が悪いんです。僕が簡単に騙されてしまったから」


「あの状況では仕方がないさ。僕のやり方が悪かったんだ。立ち話なんてしていないで早く君を車に乗せていれば……」


 と、


「はいはい責任の負い合いはそこまで。もう終わったことでしょ?それよりもショウタ君、僕と別れてからの話を聞かせておくれよ。気になってしょうがなくてさ」


「あ、うん」


 ウインクして笑うコスモに僕は頷いて笑顔を返した。


「あ、ごめんその前に。ホシノさん、僕って元の世界に帰れるんですよね……?」


「勿論だとも。今職員たちがその作業を急ピッチで進めているのさ。藤森君には申し訳ないが、実は君はこの世界にあまり長居出来ない。君がこの時空に存在しているだけで世界に負荷がかかってしまうからだ。だから今日中には君は元の世界に帰ることになるだろう」


「ええ⁉︎今日中ですか?」


「コスモ君たちとの別れが惜しいだろうが、世界のためなんだ。理解してくれたらありがたい」


「いえ、大丈夫です。急すぎてびっくりしたけれど、元の世界に早く帰れるのは嬉しいですし」


 僕の鼓動が途端に早まった。コスモとの別れは残念だけれど、僕はついに、ようやく元の世界に帰れるんだ。僕は飛び上がりそうになる程嬉しかった。でも僕はすぐに自分の使命を思い出し、気を引き締める。そうだ。まだ終わっていないんだ。僕にはこの世界に別れを告げる前にやるべきことが残っているんだ。


「コスモ、それにホシノさん。僕はみんなに聞いて欲しいことがあるんです」


「聞いて欲しいこと?なんだいあらたまって」


 僕はコスモの顔を見つめて言う。


「うん。この都市に隠された真実さ。僕は元の世界に帰る前にどうしてもそれだけは伝えなきゃならないんだ」


 そして僕はホシノさんにお願いして演説の場を設けてもらった。演説といっても狭い会議室の中で相手は十人程度だったけれど、そこには時空監理局の管理職の人たちや、別の組織の役員の人たちも名を連ねていた。少人数とはいえ大人の人たちの前であらたまって喋るのなんて緊張するかと思ったけれど、そんなことはなかった。いつの間にか僕には度胸がついていたのかもしれない。


「……そんな話を……信じろと言うのかね?君は」


「はい。これは事実であり、実際に僕がこの目で見た現実です。この都市は機械によって支配されていたのです。皆さんがこの都市の地下について何も知らないのがその証拠です。地上の人たちはみんなマスターブレインによって情報統制されていて、地下について興味を抱くことすら出来なくさせられていたのです」


「馬鹿な」


「流石に子供の妄想としか言えませんな。異世界の子供の話というから興味があったが」


「機械に支配されている、か。ファンタジーとしても古典的な話だ。君の世界ではそういうのが流行っていたのかね?」


(どうして……)


 そこで待っていたのは無情な現実だった。僕の話を……誰も聞き入れてはくれなかったのだ。


「もういいかね。まあそれなりには楽しめたよ。どうやら異世界の人間は作り話が好きなようだ」


「待ってください!実際にショウタ君は脳みそになって地下に落とされたんだ!それがこうして自分の体に戻って今ここにいるんだ!」


「ふん。そもそも彼の話では君は彼が地下に落ちるところを見ていないじゃあないか。おおかた悪の組織とやらに体に戻され、隙を見て逃げ出したのだろう。この子供はこの世界で嫌な目にあったから復讐したがっているのだ。我々の世界を混乱させようと企んだのだ」


「そんな!」


「もういいだろう。ではムロイ君、我々は失礼するよ」


 そういって大人たちはずらずらと会議室を後にして行った。会議室には、僕とコスモと助手さん、そしてホシノさんと時空監理局のモニター室長のムロイさんの姿だけが残った。


「まあ、そういうことだ。時間が押している。君を元の世界に送り返す時間がだ。別れの挨拶を済ませておきなさい」


 ムロイさんはそう言って部屋を出る。


「すまん藤森君。君の話を信じたいのは山々だが、さすがに……」


 ホシノさんはそう言って罰の悪そうな顔を浮かべた。


「あ、あはは……そうですか」


 僕は強がるように笑った。僕の話は……通じなかった。信じて貰えなかった。僕はゼロさんを……英雄にすることが出来なかった…………打ちひしがれて立ち尽くすしかなくなった僕は、グッタリと落とした肩を背後からそっと叩かれる。


「ショウタ君、僕は君の話を信じるよ」


「ウチも信じるでやんす」


「コスモ……助手さん……」


 二人だけが、僕の話を信じてくれたみたいだった。彼らの目は、僕を微塵も疑っているようには見えなかった。でも、それじゃあダメなんだ。足りないんだ。僕はみんなに知って欲しかったのに。もっと大勢の人たちに伝えたかったのに。


「藤森君、そろそろ行こう。君が元の世界に帰る準備は整っている」


「でも!僕は伝えなきゃいけないんです。ゼロさんの生き様を!この都市の真実を!」


「藤森君!」


 ホシノさんは僕の手を強く掴んで言う。


「誰も君の話を信じる人間などいない……いないのだ……!」


「そんな……」


 失意の底で、僕はロボットのように手足を動かして歩いた。


「この超時空テレポーターで君は元の世界に帰るんだよ」


 青い壁で囲われた広い部屋の中に、リングに囲まれた半径二メートルくらいの円形の足場があった。上部にも足場と同じような青い円形の装置があり、職員の手で僕はその中心へと誘導される。


「ショウタ君、君のことは絶対に忘れないよ」


 僕の手をギュッと握るコスモの声と体温が、虚な僕に最後の気力を取り戻させた。僕は、叫ばずにはいられなかった。


「コスモ!僕は……伝えられなかった!僕は……目の前で見てたのに!僕は……!」


「おい、離れるんだ!」


 涙で滲んだ視界の先で職員によって引き剥がされたコスモは言う。


「僕が伝えるさ!君が伝えられなかった真実を、僕が!だから君は安心して元の世界に帰るんだ!そしていつかまた会おう!ショウタ君!いつかまた!きっとだ」


「コスモ!」


「超時空転送!開始!」


 そうして僕は黄色く眩い光の中に包まれた。僕の耳にはいつまでもコスモの優しい声が響いていた。

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