第七章『謎の居住地区』編

 助手さんが運転する車はエンジンがつくとエレベーターのように垂直に高度を上げて行き、研究地区の街並みはみるみる間に小さくなっていく。僕は助手席に座るコスモの膝の上につま先で立って窓の外の様子を眺めていた。超巨大な観覧車の天辺から街を見下ろしている気分だった。


「そういえば都市の中って空を飛んでいる車がほとんどないですね」


 透明なトンネルの中を通っている車や車道に沿って十メートルくらいの高さを飛んでいる車はいくらでもあるけれど、自由に空高くを飛んでいる車は全然見かけない。


「高空自由運転許可証が必要なんでやんすよ。さっき博士から預かったでやんす。これを車に挿せば都市内での機体制限が解除されてスピードも高度も出し放題になるでやんす」


 助手さんは操縦桿のようなハンドルを操作して車の向きを変える。遥か遠くには環状高速道とその中を飛ぶ車の姿が薄らと見える。


「直接高空から奴らの後を追うと怪しまれる可能性が高いから環状高速道で一般車に紛れるでやんす。しっかり掴まっているでやんすよ!」


 そう力強く言って助手さんは操縦桿をレバーのように引いた。グウンと目の前の景色が加速していく。コスモに抱かれて膝の上に乗る僕はコスモの体に押し付けられたけれど、Gのようなものは感じなかった。今更だけど、今の僕にはやはり触覚がないらしい。


 僕らを乗せた車は少しガタガタと揺れると、突然静止したかのように静かになった。遠くに薄らと見えていた環状高速道はスマホのカメラをピンチアップするような凄まじい速度でズームアップされて、まるでワープをしている気分になった。


「は、はやっ!」


「この車は特別製でやんすからね。単純な重力車じゃなくて時空干渉システムが搭載されているでやんす。時空干渉システムはまだ実験段階で時空監理局の監視下でなきゃ使っちゃだめなんでやんすが、今日は特別でやんす。こういう時だからこそ使っちゃうでやんす!」


 僕たちの車はあっという間に環状高速道に到着し、巨大で透明なトンネルの側面に開いた穴からトンネルの内部に進入する。そこは右も左も上も下も車だらけだった。巨大な魚の群れのようにトンネルの中を整然と色とりどりの車が左方向に飛んでいる。僕たちが飛んでいるトンネルの外側には同じ巨大さのトンネルが隣接されていて、そちらでは逆方向に車が流れていた。


「ここからは自動運転でやんす。コスモ、レーダーを見せるでやんす」


「はい!」


 コスモは助手さんにレーダーを手渡す。


「やっぱり奴らは西エリアの居住地区にいるでやんすね。まだ移動中だから上手くいけば追いつけるかもしれないでやんす」


 そういって助手さんは「ちょっと一服でやんす」と言って操縦桿から手を離し窓を開けてタバコを吸い始めた。


「西エリアの居住地区ってやっぱりタワーハウスが立ち並んでいる感じなんですか?」


「そうでやんすよ。居住地区っていったら都市の外側半分のタワーハウスエリアを指すでやんす。まあ人なんてどこにでも住んでるでやんすけどね。タワーハウスと違ってお金がかかるでやんすが」


「あの、タワーハウスから個人を特定出来たりはしないですか?僕はアリサさんの……奴らのボスのタワーハウスに立ち寄ったことがあるんです」


「タワーハウスから個人の特定……それは難しいでやんすね。タワーハウスは個人に割り当てられるでやんすが勝手に交換とか売買がされている状態でやんす。まあタワーハウスはうちらネオトーキョー市民にとっては精神的な拠り所でやんすから、よっぽどの事がなきゃ売りはしないでやんすけどね。いざとなったらタワーハウスに住めばいいって考えが出来なくなるでやんすから。ただまあ、悪の組織は身元が特定されるようなタワーハウスは使わないでやんすよ」


「そうですよね……」


「それに一度寄っただけのタワーハウスの場所を藤森君は覚えているでやんすか?うちなら無理でやんす」


「う……考えてみたら僕も無理です……」


 何か役に立つ情報が提供できないかと思ったけど、そうは上手くはいかないみたいで僕は少ししゅんとなった。


「ああ、でもタワーハウスといえばこんな話があるでやんすよ」


 助手さんはタバコの煙をふうっと窓の外に吐いて続ける。


「都市の人口と使用されているタワーハウスの数が合っていないっていう、まあ一種の都市伝説でやんすね。働かずにタワーハウスで生活をしている人間でも毎月支給されるポイントを使って商業地区で買い物をしたり文化地区や医療地区、健康地区でサービスを受けたりするものでやんすが、どうもその予測利用者数がタワーハウスの利用人口よりもだいぶ少ないらしいでやんす」


「それってどういうことなんですか?」


「簡潔に言ってしまえば都市内部の人口管理が出来ていないってことでやんす。もっとはっきりいうと、死亡が確認されていない人間が沢山いるってことでやんす。まあでもそれはあり得ない話でやんすよ。タワーハウスでの孤独死は腐臭ですぐに感知されるでやんすし、下水やダストシュートに死体が流されてもヒトの遺伝子は感知される仕組みがあるでやんす。都市の内部で人の痕跡はそう簡単には消えないでやんすよ。所詮は信憑性のない都市伝説でやんす」


「なるほど」


「ああ、ただ……そういえば」


「なんですか?」


 助手さんはふと思い出したようにいう。


「この噂を聞いたのは西エリアの行政管理をしている友人からだったでやんすね」


 その言葉は薄気味悪い鐘の音のように、僕の小さな脳の中に響き渡った。


 高空の環状高速道から見下ろすタワーハウス群は、環状に都市の外側を覆う隙間だらけの屋根のようでありながら、より巨大な建造物の土台のようにも見えた。一律の高さで揃えられた平らな形をした居住スペース群が、高所から見ると建設途中の人工物の基礎部分にも見えるのだ。西エリアに着くと僕らの車は環状高速道を降りて下の道に進路を変えた。


「奴らのいるポイントにだいぶ近づいてきたよ」


 レーダーを見ながらコスモがいった。今僕たちはタワーハウスの隙間を縫って奴らのいるポイントを目指している。西エリアの居住地区は前に僕が訪れたアリサさんのタワーハウスがあった居住地区と同じく公園のように緑が溢れていて、人々が散歩したりベンチで読書をしたり、黄色い光に包まれてタワーハウスを登り降りしていたりと、まあなんら変哲のない居住地区のように見えた。違いがあるとすれば真っ直ぐに伸びる道の果てだ。アリサさんと一緒だった時は都市の中心方向に向かっていたから天に聳えるビル群が見えていたけれど、今回は都市を囲う青い外壁が道の先にある。しばらく過去の景色を思い出しながら窓の外を眺めていると、助手さんが呟いた。


「妙でやんすね」


「みょう?何がですか?」


「さっきから人の気配が妙に少ないでやんす」


「えっ」


 改めて窓の外を確認すると、確かに助手さんのいうようにいつの間にか人の姿がない。バケツをひっくり返したようなブリキの清掃ロボットは街を徘徊しているし、車の通りも少しはあるんだけれど、異様なまでに外を歩く人がいない。キョロキョロと目を馳せると遠くでタワーハウスを登り降りしている人は見えるが、この近辺から先の外壁の間では誰もいない。


「ちょっと一旦車を停めるでやんす」


 助手さんはそういって車を路肩に寄せる。妙に重々しい空気が車内に流れた。助手さんとコスモは窓の外の景色を眉を寄せて観察している。


「レーダーを見るに奴らがいるのは三百メートルくらい先でやんすが、ただの居住地区でやんす。おかしいでやんすね」


「とりあえず奴らのいるポイントまで車を走らせて見ませんか」


「……そうでやんすね。不気味でやんすが、わかったでやんす」


 助手さんは大きく呼吸して車を走らせた。何の変哲もない居住地区だ。右に左に立ち並ぶ巨大なタワーハウスを眺めながら僕はそう思った。ただ、確かに人だけが少ない。あまりにも少ない。というか、いるのはロボットだけでもはや廃墟のように誰の姿もなく……


「な、なんかやばいでやんすよ。明らかにここはおかしいでやんす」


「奴らがいるのはここです。この場所です。ほら、レーダーが重なって……あっ通り過ぎた。どうして……」


「……一旦この場所から離れるでやんす。コスモ、この車を追跡してくる奴がいるかもしれないでやんす。警戒して辺りを見ておくでやんす」


 助手さんは二回右折をして進行方向を都市の中心方面に変え、誰もいない居住地区を通り抜ける。徐々に視界に人の姿が見え始め、窓の外が通常の居住地区然とし始めると、助手さんとコスモの固い表情がほぐれ、車内の重い空気が和らいで行くのを僕は感じた。


「跡を追われてはいないみたいです」


「そうでやんすか……ふう。一体何なんでやんすかあのゴーストタウンは。あんな異様な雰囲気の居住地区は初めて見たでやんすよ」


 そういって助手さんはタバコを咥えて火をつける。


「もしかしたら……」


 僕は思い当たるふしがあってボソリと呟いた。


「何か心当たりがあるでやんすか?」


「はい。奴らは居住地区の地下にいるんじゃ……」


「そりゃあまあ、レーダーのポイント上に何もなかった以上地面の下しかないでやんすが……」


「……ですよね」


 助手さんはふう、と窓の外に煙を吐いた。空の方を見上げて何か考えているようだった。


「そういえば、さっき僕は助手さんに聞いたタワーハウスの都市伝説を思い出しました」


「ああ、あの話でやんすか」


「はい。タワーハウスを使用しているはずの人数が実態よりも少ないんじゃないかって話。まさにさっきの居住地区のことみたいじゃないですか?」


「……そうでやんすね。でもあのエリアがたまたま未使用のタワーハウスが固まったエリアなのかもしれないでやんすよ。居住地区の人口密度は均等に調整されてるはずだから妙でやんすが……」


 助手さんはそういってまた煙を吹かして考え込んでしまった。空気が重くなる中、コスモが口を開いた。


「地下に行くにはどうすればいいんです?」


「……うーん、どうすればいいでやんすかねぇ。普通は地面の下なんて人が立ち寄ることのない場所でやんすから……」


「それなら、マンホールから入ればいいんじゃないですか?」


「マンホール……って何でやんすか?」


「え……下水道への入口ですけど」


「そんなのどこにあるんでやんす?」


「どこにって……」


 僕はフロントガラスの向こうをC時の手で指していう。


「あれなんかそうですよ。あの道路の丸い部分です。あれが下水道への入り口になってるんですよ」


「へぇ。そうなんでやんすか。よく知ってるでやんすねぇ」


 助手さんは感心するようにいった。


「あの、ちょっと疑問なんですけど、逆にどうして知らないんですか?」


「え?どうしてって言われても……習ってないでやんすから」


「習ってない……」


 そう言えばマンホールなんて僕も習った記憶はないけれど、どうして知っているんだろう。親にでも教えてもらったのか、それとも知らないうちにどこかで習っていたのだろうか。でも……それにしても……


 僕はふと思い立った疑問を助手さんにぶつけてみた。


「あの、都市の地下ってどうなっているのかわかります?」


「え?そんなの知らないでやんすよ。そもそも都市の地下構造は秘匿情報でやんす」


「秘匿情報……ですか」


「そうでやんす。中枢の人間でもない限り知りようがないでやんすよ」


 当然のように語る助手さんの言葉を聞いて僕は……もしかして大きな勘違いをしていたんじゃないかとハッとなった。アリサさんが何でも知っていたからこの世界の人はこの世界のことを……この都市のことを何でも知っているような気になっていた。けれど違う。そうじゃないんだ。そうじゃなかったんだ。アリサさんが知りすぎていただけのことだったんだ。


(むしろ逆に……)


 僕はマンホールすら知らない助手さんを見て思った。


(知っていることの方が、少ないんじゃないのか?)


 何だか一気に助手さんが頼りなく感じてきた。


「あそこから地下に行けるのであれば、ちょっと様子見で行ってみるでやんすか」


 助手さんはそういって車を降りる。僕はコスモに抱かれてそれについていった。コスモがボソリと呟く。


「ショウタ君は今は人形のふりをしていた方がいいかもしれないね」


「確かに」


 今の僕はクリーチャーだから動いているところを人に見られたら悲鳴を上げられるかもしれない。僕はコスモの腕の中でじっと助手さんの様子をうかがった。


「これ開かないでやんすよ。溶接されてるんじゃないでやんすか」


「僕ならこじ開けられるかも」


 そういってコスモが助手さんの隣にしゃがむ。


「待つでやんす。破壊して警報が鳴ったら大変でやんすよ」


「そっか」


「あの、それなら……」


 僕はマンホールを見つめる二人に声をかける。


「いったん街の人に話を聞いてみるってのはどうですか?この辺りの人なら誰もいない居住地区のことを何か知っているかも」


 僕のその提案に、コスモと助手さんは互いに顔を見合わせて僕を指さして叫んだ。


「それだ!」

「それでやんす!」




 聞き込みをするにあたって、僕はコスモのお腹の収納スペースに隠れることになった。


「窮屈だと思うけれど我慢しておくれよ」


 そういってコスモは助手席でお腹をパカっと開き膝の上に乗っていた僕をそっと詰め込む。コスモのお腹の中には簡易手術室の茶色い箱がポツンとあって、僕はその上に座り腕と足をギュッと畳むように場所を取った。とはいえ今の僕には触覚がないから窮屈に感じることはない。


「あ、閉める前にちょっと待つでやんす」


 そういって助手さんはコスモのお腹を覗き込んで来て、僕と目が合う。


「ちょいと失礼」


そういって助手さんは僕の右の目玉を引っ張った。


「ケーブルが結構伸びるでやんす。こうしてこうして、着替えが確かここに……コスモ、これを着るでやんす。丁度いいからズボンも履くでやんすよ」


 助手さんに目玉を引っ張られて僕の視界はグルングルンとえらい事になったけれど、不思議と吐き気とかはなかった。三半規管がないからだろうか。そもそも口も胃もないから吐けないんだけど。


 パチっとコスモのお腹が閉じる音がして、僕の左目の視界が暗闇に閉じる。白いシャツとコスモの腕が右目の視界に映ったかと思うと、僕の視界には椅子に座ったままズボンを履こうとするコスモの下半身が映った。


「これでいいでやんす。藤森君、視界はどうでやんすか?今の君の右の目玉はコスモのシャツの襟元からちょろっと出てる状態でやんす」


 引っ張られた僕の目に視線を合わせて助手さんが言った。今の僕の視界はコスモの鎖骨の辺りから広がっている。僕はコスモのお腹の中から助手さんに答えた。


「よく見えます」


「それは良かったでやんす。両目だと調整が難しいから片目で勘弁しておくれでやんす。あ、コスモ、この白衣も羽織るでやんす。精巧な人型のロボットは珍しいでやんすから一応しっかりと役割を設定した方がいいでやんすね。コスモはうちの助手ロボットって事にするでやんす。うちの事は今から博士って呼ぶでやんすよ」


「はい、わかりました博士」


「よろしいでやんす。では、いくでやんす。早速あの子に話かけるでやんすよ」


 そういって助手さんは窓の外を指差した。三十メートルくらい先の植木の奥で、ベンチに座った茶色い髪の二十歳くらいの女性が読書をしているのが見えた。僕たちは車を降りて芝の上を進み茶色い髪の綺麗な女性に話しかける。


「ちょいと失礼でやんす」


「あら、どうしたの?」


 女性は読みかけの青いカバーの本に人差し指を挟んで閉じて僕らに顔を向ける。


「この先の居住地区についてちょっと質問があるでやんす」


「この先の居住地区?」


「そうでやんす。あっちの方向に進んで行ったら誰もいない不気味な居住地区があったでやんす。それについて何か知らないでやんすか?」


「知らないわ」


 女性は助手さんの目を見てきっぱりという。


「そんな事ないと思うでやんす。何かちょっとした噂でもいいから教えて欲しいでやんすよ」


「知らないっていっているでしょう。お話はそれだけかしら?」


 そういって女性は僕たちを拒絶するように本を開く。


「あの……」


「しつこいわねぇ!あっち行ってよ!」


「は、はいでやんすううう!」


 助手さんは大声を出されてそそくさと退散する。


「うーん、本当に知らないんでやんすかねぇ」


 腕を組んで考える助手さんに僕はいう。


「知らないなら知らないでもっと話に食いついてくると思いますけどね。だって気になるじゃないですか。自分が住んでいる近くにそんな奇妙な場所があったら」


「でやんすよねぇ」


「僕もそう思うな。博士、もう少し聞いて回ってみようよ」


「そ、そうでやんすね!」


 コスモに博士と呼ばれて機嫌が良くなったのか、助手さんの曇った顔が晴れる。


「次はあのご婦人に聞くでやんす」


 助手さんは茶色いモコモコした毛の小型犬の散歩をしている身なりのいいおばさんに声をかけた。


「誰もいない居住地区ですって?やあねぇ。そんなのあるわけがないじゃないの。気のせいよ。気のせい」


「そ、そうでやんすかねぇ」


「たまたまその辺りで出歩く人がいなかったのでしょう。あなただって家から出ない日くらいあるでしょう?あなたたちはたまたまみんなが家にこもっているところを目撃しただけなのよ」


「はあ……」


 と、おばさんはコスモと助手さんを撫でるように見て、


「あなたたちはどうしてこの辺りにやって来たの?」


「それは……たまたまでやんす。ドライブをしていたら偶然……」


「あら、もしかしてあの車の試運転かしら。見たことのないタイプで気になっていたのよ」


「そ、そうなんでやんすよ」


「そう、本当に偶然なのね。ウフフ。だったら尚のこと何も気にせずにここから立ち去ることね」


「え?」


「世の中には知らない方がいいことがあるということよ。ウフフ。でも、そうはいっても気になるわよねぇ」


 と、


「それ以上は言わない方がいいワン」


 女性の足元から、子供のような甲高い声がしたような気がした。でもそこには僕たちに尻尾を向けている小型犬がいるだけで子供の姿はない。


「そうよね。もうやめておくわ。ごめんなさいね。私の口からはこれ以上は言えないわ」


 そう囁いておばさんは犬と共に僕らの横を通り過ぎていった。


「ど、どういうことでやんすかね?」


「あのおばさんはまるで口止めをされているみたいでしたね」


「やっぱりあの居住地区には何か秘密があるんだ」


 そこで僕たちの会話が途切れる。僕はおそらく二人が気になっているであろうことを口に出した。


「あの、気のせいかもしれないんですけど、子供の声がしませんでしたか?小さな子供の……」


「藤森くんも聞こえたでやんすか」


「僕にも聞こえました。まるで犬が……犬が人間の言葉を喋ったような……」


「あはは。動物が人間の言葉を喋るわけないでやんすよ……でも……」


 僕たちは散歩をするおばさんの後ろ姿を眺めた。小型犬は何の変哲もない犬だ。ピッタリとおばさんの足元について歩いている。


「やっぱり気のせいでやんすよ」


「そ、そうですね。もう少し話を聞いて周りましょう」


 僕たちは近くの住民に手当たり次第に声をかけて無人の居住地区の情報を集めた。だけど住民の答えは決まって「知らない」「分からない」だった。ただ、あのおばさんがそうだったように「言いたくても言えない」という空気を醸し出している人は少なくなかった。


「ああ、もう日が暮れてきたでやんす。結局なんの手がかりも得られなかったでやんすねぇ」


「これ以上聞いても誰も秘密を喋ってはくれなそうですね。どうします?時間もないしマンホールをこじ開けて地下に降りてみましょうか」


「……それしかないでやんすね」


 助手さんは意を決したようにコスモに答えた。僕は浮かない顔の助手さんを見て二人に提案した。


「あの、助手さんは車の番をするっていうのはどうでしょうか」


「車の番でやんすか?」


「はい。体を取り戻した後のことを考えると車に一人はいた方がいいかなって思って」


「……それは一理あるでやんすね。地下が奴らの根城になっていた場合うちは足手纏いになるでやんすし」


 と、立ち話をしていると、


「君たちかい?無人の居住地区について聞いて回っているっていうのは」


 声をかけて来たのは紺のスーツを着た少しふくよかでニコニコと優しそうな顔をしたおじさんだった。


「あなたは……?」


 コスモの質問にスーツのおじさんは、


「僕は心当たりがあるものさ。君、ロボットだろう?よく出来ているね。あなたがお作りになったんですか?」


「そ、そうでやんす」


「おお、素晴らしい。これほどまでに精巧な人型ロボットはなかなかないですよ。見事なものだ」


「そ、そうでやんすか?ありがとうでやんす。って、それより!無人の居住地区に心当たりがあるってどういうことでやんすか?」


「それはここではちょっと。どうです?うちに寄っていきませんか?」


 おじさんのその提案に助手さんとコスモは目で合図を送り合い、神妙な顔で頷く。


「分かったでやんす。是非話を聞かせて欲しいでやんす」


「おお、それは良かった。実はそれとは別にあなたに聞いてほしい話があるんです。別とは言っても関係のある話なんですがね」


 僕たちは雑談しながらおじさんのタワーハウスに招かれ、小ざっぱりとしたオレンジ色のリビングで細長いテーブルの椅子に座らされた。タワーハウスの居住スペースの中はアリサさんのタワーハウスとは全く違う間取りだった。壁の位置や壁の枚数なんかはかなり自由にカスタマイズ出来るんだなと僕はコスモのお腹の中で息を潜めながら思った。


「早速でやんすが、聞かせて欲しいでやんす。あの無人の居住地区はなんなんでやんすか?」


 おじさんはマグカップに注いだホットコーヒーを飲みながら答える。


「その前に、質問させて欲しいんです。あなたは大金が欲しくはないですか?」


「え?大金でやんすか?」


「ええ」


 おじさんはニヤリと笑みを浮かべ、テーブルに肘を乗せ前のめりになって手を組んで続ける。


「単刀直入にいうと、そのロボットを売って欲しいのです」


「コスモを⁉︎」


「ええ。クマガイ博士、そのロボットは素晴らしい出来だ。きっといい値で売れる」


「いやいや、個人間での人型ロボットの売買は法律で禁止されているでやんすよ」


「そうですね。でも出来る場所があるんですよ」


「まさか……」


「……ふふふ。これ以上は言えませんね。あなたがイエスというまでは。どうです?実は僕は事業に失敗してしまいましてね。もう一度挑戦したいが借金のせいで首が回らないんだ。あなたはロボットを提供し、僕は売却場所を紹介する。どうです?取り分はあなたが三で私は七。なあに、私は営業が得意なんだ。きっといい値段で売り込んでみせますよ」


 人の良さそうだったおじさんは、一転して黒い顔を浮かべていた。助手さんは突然の取引にあわあわとパニックになっている。そんな中コスモが口を開いた。


「博士、僕を売ってください」


「え?な、何をいうでやんすか!」


「博士は研究資金が底をついたっていつも嘆いていたじゃないですか。僕を売れば少しは足しになるんでしょう?」


「え?そんなこと……」


 と、その助手さんの声をさえぎり、


「少しだなんてとんでもない。君ならきっと素晴らしい値段になる。君は博士を救うことが出来るよ」


「本当ですか⁉︎じゃあおじさん、僕を売って下さい。僕は博士の役に立ちたいんだ」

「ああ、勿論だとも!」


 おじさんは立ち上がってコスモの手を取り両手で握った。コスモは握手をしながら助手さんに笑顔でウインクをする。


「ではクマガイ博士、彼を売却するということでよろしいですね?」


「え……あ、はいでやんす」


 助手さんの答えを聞いておじさんはにっこりと顔を緩める。


「おお、良かった。これであなたも関係者だ。あの無人の居住地区の秘密を話すことが出来ますよ。そうそう、名乗り遅れていましたが私はミヤサカといいます」


 そういってミヤサカさんは助手さんに名刺を手渡した。


「それでミヤサカさん、あの居住地区の秘密はなんなんです?」


「ふふ。君はロボットなのに好奇心が旺盛なんだね。素晴らしい」


「お世辞はもういいですよ」


 ミヤサカさんは「ふふふ」と小さく笑って葉巻をふかして続ける。


「あそこの地下はね、闇の市場なのさ。都市に住むごく一部の人間とこの近隣の住民だけが知る秘密だ。謎の組織によって運営されていて、そこではあらゆるものが売買されている」


「あらゆるもの……でやんすか」


「ああそうさ。あなたもあの市場を見れば分かるはずだ。その言葉が少しも大袈裟ではないってことがね。当然の事だが市場の事は他言無用だ。もし誰かにその存在を漏らしたりしたら運営する組織に何をされるか分からない。あらゆるものとして店頭に並ぶことになるかもしれないよ?だからあなたを出品者として彼らに紹介するのは僕にとってはかなりのリスクがあるんだ。僕の取り分が七なのはこれが理由さ。でもこれだけのロボットを売りに出すんだ。きっと見逃してくれるはずだよ」


 ミヤサカさんはコスモを眺めながらうっとりと言った。


「それでミヤサカさん、その市場はいつ開かれているんですか?」


「市場はいつでも開かれているが、僕たち近隣の住民は夜の九時になると入場出来るようになるんだ。早速今日にでも行ってみるかい?ただ、コスモ君はその場で売りに出す取引をすることになるから、クマガイ博士とは今日でお別れってことになってしまうと思うが」


 コスモは少し考えた素ぶりを見せて、


「行きましょう。僕は少しでも早く博士の研究の足しになりたい」


「よし、決まりだ」


 そうして僕たちは無人の居住地区に向かうことになった。一体なぜ奴らは僕の体を闇の市場なんかに運んだのだろうか。もしかしたら脳みそが入っていないことがバレて、どうせなら体を売ってしまおうとでも考えたのだろうか。それとも無人の居住地区こそが奴らの真のアジトなのだろうか。


「だ、大丈夫でやんすかねぇ」


 僕があれやこれや考えていると、助手さんがミヤサカさんに聞こえないくらい小さなトーンで声を震わせた。よく見ると助手さんは腕も震わせていた。そうだ、これから助手さんは奴らのアジトかもしれない危険な場所に潜入しなければいけないんだ。しかも奴らはコスモのことを知っているわけだし……


(大丈夫かな……)


 不安になって僕は小さな声でコスモのお腹の中からコスモにいった。


「コスモ、もし何かあったら僕の体はどうなってもいいから助手さんだけは守ってあげてくれないかな。僕は助手さんに何かあったら、例え元の体に戻れても胸を張って生きていけないよ」


 その僕の言葉にコスモはトントンとお腹を指で叩いて「わかったよ」そう覚悟を決めたように小さく呟いた。


 僕たちはミヤサカさんのタワーハウスで夜が更けるのを待った。僕はコスモのお腹の中で助手さんとミヤサカさんが食事しながら会話するのをジッと聞いていたんだけれど、ふと思った。


(僕の栄養ってどうなっているんだろう)


 脳は体の中でも特に消費カロリーが多い器官だと聞いたことがある。今の僕は食事を取れないわけだから、何かエネルギーパックみたいなのが体のどこかに取り付けられていて、そこから栄養補給をしているのだろうか。水分補給とかは必要あるんだろうか。今の僕は衝撃吸収ジェルに覆われていて体から蒸発する水分がおそらくないわけだから、必要ないのかな?

 もしかしたら僕のこの脳みその体の裏側には何か生命維持用の機械が取り付けられているのかもしれない。今の僕がそれを確認するにはどうしたらいいのかな?鏡を合わせるとか?まあでもあんまり今の自分の姿を見たくはないな。脳みその化け物だし。水槽に映った姿でもショッキングだったのに鏡なんかで見たら気が狂っちゃうかもしれない。

 そんなことを考えてしまうくらいミヤサカさんの話は退屈だった。ミヤサカさんはこれから起こす事業の話をしていて、僕としてもこの世界の事業ってどんなんだろうって興味を持ったんだけど、宇宙観光とかスーパーフードとか、画期的なエネルギー技術だとか、何だかあちゃこちゃ話が飛ぶ割には具体的な話がなくて、この人は何が言いたいんだろうって思っているうちに興味が冷めてしまった。そんな話よりも無人の居住地区の話に話題を変えて欲しいけれど、助手さんは苦笑いをして相槌を打つだけだし、コスモもそんな二人の様子を黙って見守っているだけだ。


(まあ、ミヤサカさんの機嫌を損ねるわけにはいかないししょうがないか……)


「その技術が実用化されればさらに豊かになる。だから私はそれを支援しようと思うんですよ。あ、そうだ。どうせだったらクマガイ博士は僕と組みませんか?二人で事業を起こすんです。これだけの人型ロボットを作る技術があるなら何だって出来るんじゃないですか?何かありませんか?」


「い、いやあ。特にはないでやんすねぇ……」


「あはは。そうですよね。そう簡単には話せませんよね」


「あはは……別にそういうわけではないでやんすが……」


 そろそろ助手さんも相手をするのに辟易してそうだ。そんな感想を僕が抱いた時、


「じゃあ、そろそろ行きますか」


(来た!)


 ミヤサカさんがパッと切り替えるように放った言葉に、僕は待ってましたと高揚した。ようやく先に進むことができる。自分に残された時間がどれだけあるのかなんてわからないけれど、せっかく体を取り戻しても腐ってましたじゃ全部無意味だ。


「地下の市場まではどうやって行くでやんすか?」


「フフフ。それは勿論、秘密の入り口からですよ。ついてきて下さい」


 そういって席を立つミヤサカさんは、タワーハウスの中央部の柱のパネルを操作し始めた。すると柱が開き、狭い小部屋が現れる。


「狭いですがまあ、三人なら何とか乗れるでしょう」


「こ、これは?」


 助手さんが驚いたように目を丸めて尋ねる。


「エレベーターですよ。ここら一帯のタワーハウスは改造されていて、地下への入り口があるのです」


「な、何でやんすって⁉︎」


「ははは。驚くのも無理はない。私もこれを知った時はたまげましたよ。ここらの住民は自分のタワーハウスから、遠くから来る人間は無人の居住地区の指定されたタワーハウスから地下へと降りるのです」


 僕たちはエレベーターに乗って地下へと降りる。エレベーターはとても狭く、三人の肩が密着するほどだった。エレベーターの扉が閉じてから三十秒くらいが経過した時。助手さんがミヤサカさんに尋ねた。


「このエレベーター、水平方向にも移動してないでやんすか?」


「ええ。その通りです。私も詳しくは知らないのですが、どうやらこのエレベーターは都市の配送システムを転用して作られているようなのです。どのタワーハウスから地下に降りても同じ場所に辿り着くってわけですよ」


「と……都市システムを転用って……そ、それが本当なら、市場を運営しているのはとんでもない組織でやんす……想像していたよりも遥かに……遥かにやばい組織でやんすよおおお」


 助手さんはガタガタと肩を震わせた。その振動がコスモの肩から伝わってきて、僕の視界がブルブルと震える。


「ははは。安心して下さい。違法な組織に違いありませんが、みんな凄く優しくていい人たちですよ。でなければ私はあなたを紹介したりはしませんよ」


 正直僕には震える助手さんの気持ちがよくわからなかった。だって僕はアリサさんの組織ならそれくらいはやるだろうなって思っていたから。僕はアリサさんと侵入した地下工場や研究地区の秘密の通路を思い浮かべた。アリサさんの組織は都市の地下をアリのように侵食していた。


 ただ、今になって思う。僕はアリサさんの組織を、悪の組織を過小評価していたんじゃないのかって。それくらいはやるだろうのそれくらいって、実はとんでもないことだったんじゃないのかって。例えばだけど、奴らはその気になったら食品工場に毒を盛ることだって簡単に出来るんだ。僕はなんだか恐ろしくなった。奴らは僕が思っていたよりもずっと壮大で、巨大な組織なのかもしれない。


エレベーターがついた先は駅のホームのような所だった。僕はコスモにひっそりと尋ねる。


「ねぇコスモ、僕の体はこの近くにあるの?」


「うん。もう目と鼻の先にあるよ」


「そっか、ありがとう」


 少し汚れの滲んだ灰色のホームの両側には線路と電車の代わりに朱色のドアが整列してあり、そこにエレベーターで人が運ばれてくる。天井から下げられた緑の看板の白い矢印が向く先には、ホームと同じ幅で上に続くエスカレーターが見えた。ホームにはちらほらと人の影があって、その中には昼間僕たちが無人の居住地区の情報を尋ねた人の顔もあった。


「あら、あなたたち、ここに来られたのね」


 僕たちに声をかけて来たのは昼間犬を連れて散歩していたおばさんだった。おばさんは昼間と同じく手首にリードを絡ませて茶色くモコモコとした毛並みの小型犬を連れている。


「おや、お二人はお知り合いですか?」


「ええ、昼間うちが声をかけたご婦人でやんす」


「ああ、なるほど」と、ミヤサカさんは納得したように頷く。


「ミヤサカさんがこの人たちを連れて来たのね。どういうつもりかしら?この場所に外部の人間を連れてくるのは禁じられているはずよ」


「まあまあ、訳がありまして」


 ミヤサカさんはおばさんをなだめるように手のひらを向ける。


「どんなわけだか知らないけれど、あまり勝手なことはしないで下さらないかしら。わたくしたち住民は彼らと一蓮托生なのですから。あなたのことは彼らに報告しておきますよ」


「まあ待って下さいマダム。このロボットを見て下さい」


「ロボット?」


 ミヤサカさんはコスモの背中に手を回しておばさんの前に出す。


「あら、この子ロボットだったの?」


「はいそうです。僕は人型ロボットのコスモ。よろしくね、おばさん」


「まあ。よく見れば確かにロボットだけれど……よく出来たロボットねぇ」


「でしょう。実は今日はこのロボットを彼らに売り込みに来たんですよ。この人がロボットを開発した博士なんですが、資金が欲しいから売ってもいいというのでね。ならば彼らに紹介しようと」


「あらまあ」


 と、


「勝手なことはしない方がいいワン」


 その声はおばさんの足元からだった。聞き間違いではなく、確かにおばさんが連れている小型犬から発せられたものだった。


「い、犬が喋ったでやんす!」


「あら、ダメよユリちゃん外の人の前で喋っちゃ」


「ここまで来てるのに外の人も何もないワン」


「ウフフ。それもそうね」


 驚愕して目を丸くさせている助手さんにミヤサカさんがいう。


「チャイプードルですよ。チャイルドプードル。人間の子供くらいの知能と声帯を持った人工の犬です。この先の市場ではこういった地上ではお目にかかれない珍しいものが沢山取引されていましてね」


「ち、地上ではお目にかかれないものって……こ、こんな犬、品種改良の域を超えているでやんす。犯罪でやんすよ!そもそもどうやって犬にこんな知能を……」


 と、


「深く考える必要はないワン。ここに来てしまった以上あなたはもうこちら側の人間だワン。もしそうなれなかったら……」


「な、なれなかったらなんでやんすか……」


「……行こう。おばさん。この人たちにはあまり関わらない方がいいワン」


 チャイプードルのユリちゃんはそういっておばさんの顔を見上げる。


「そうね。ユリちゃんがそういうならそうするわ。では、あなたたち、ごきげんよう」


 おばさんは指を広げて上品に別れの挨拶をし、立ち尽くす僕たちを置いてチャイプードルのユリちゃんと階段の方へと歩いて行った。助手さんの顔が完全に青ざめているのが僕の視界に映った。


「大丈夫ですよクマガイ博士。さあ、私たちも行きましょう」


「で、でも……」


 怯える助手さんにミヤサカさんは語気を強めていう。


「クマガイ博士、今更引き返せないんですよ。あなたはこの居住区の秘密を知ったどころか、実際に秘密の市場の入り口にまで来てしまった。ここまで来たらもうコスモ君を彼らに売り込んで彼らに認められなければ生きては行けないんだ。それは私だって同じだ。私だって怖いんだ。さあ行きましょう。もう我々には前に進むしか道はないんです」


 そして僕たちはホームを歩き、エスカレーターを登って細長い通路を通る。すると今度は少し開けた改札口のような場所についた。そこには四台の自動改札機のような機械が並んでいて、通行人は機械にパスポートを読み込ませて通り抜けているようだった。

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