第六章『脳みそ人間』編
研究地区の景色は居住地区とも商業地区ともまた異なるものだった。そこら中にあるピラミッド型や壺型などの色んな形をした研究所らしきヘンテコな建物はどれも塀に囲まれていて、敷地面積が広い代わりに高さ自体はあまり高くない。高くても四階建てくらいだ。ただ、それを超える高さの電波塔のような骨組みの塔だったり、巨大なパラボナアンテナだったり、細長い棒のような塔だったりといった巨大な建造物は至る所に存在していた。
街路樹が植えられた通りや芝生が茂っている広場が点在している様子はどこか居住区に似ているけれど、居住区に比べると車の通りは少なく道を行く人の姿もあまりない。ただ、人がいないわけではなくて、白衣を着た人たちがそこら中の広場で機械をいじっている姿は見受けられた。リモコンで人型のロボットを操縦していたり、竹馬のような機械に乗って歩道をぴょんぴょん飛び跳ねていたり、飛行機のラジコンを操縦していたり、なんだかこの地区は僕の目には楽しそうな場所に映った。彼らは目の前の機械に夢中で、僕とコスモにはまるで関心を払わなかった。
「研究地区にいる人たちは変わり者ばかりさ。彼らはいったん目の前のことに夢中になると他のことが目に入らなくなるんだ。そうなってしまうと話しかけても上の空さ」
「なんだか実感がこもってるね」
「僕はここの出身だからね。とは言ってもこの地区は広いから、ここから博士の研究所まではかなりの距離があるけれど」
僕たちは大通りをひたすら進んだ。歩道は動く歩道になっていて、結構速い。僕は時折振り返り、追っ手がいないかを確認する。
「そんなに気にしなくても平気さ。奴らは秘密組織なんだ。今頃は足が付かないように大急ぎてアジトを引き上げて別のアジトに向かっているはずさ」
「別のアジト?」
「ああ。奴らは全貌が掴めないほど巨大な悪の組織なんだ。さっきの研究所は奴らの組織が持つ拠点の一つに過ぎないのさ」
「そうだったんだ……ごめんね。僕がいなきゃアリサさんを捕まえることが出来たのに」
「気にしないでおくれよ。そもそもショウタ君がいなきゃ僕は倉庫でバラバラにされていたままさ。君には感謝しているくらいなんだ」
そういってコスモはニコリと笑った。日が暮れかけ、道行く僕らの影は伸び、街はオレンジ色に染まっていた。広場では機械いじりに励む大人たちの数が減り、通りには車の交通量が増えていった。
研究地区では商業地区とは一味違う変わった形の車が地面の上を走っていた。商業区でよく見たフロートカーが一番多いけれど、車輪で走っている車やキャタピラで走っている車、ムカデのように沢山の小さな脚を複雑に動かして走っている車など色んな種類の車があった。上空を飛ぶ車がないのは何か規制があるのだろうか。そんなことを考えていた時、僕たちの後方からやってきた後部に翼の生えた白いフロートカーが僕たちに併走し、運転席の窓が開く。
「コスモ?コスモじゃないでやんすか!」
「助手さん!」
窓からの声に反応してコスモが動く歩道を降りたので、僕もコスモに続いて歩道から降りる。コスモに助手さんと呼ばれた二十代半ばくらいの白衣の男の人は路肩に車を停め、ドアを開けて飛び出してきた。クリクリとした小さな目と、広いおでこが特徴的な背の小さな人だった。
「心配したでやんすよ!一体どこに行ってたでやんす!」
「それが、悪の組織の尻尾を掴んだと思って調査をしていたら捕まっちゃって」
「えええ!」
助手さんは僕に気付き、ハッと口を開けて尋ねる。
「こちらの方は?」
「彼は藤森ショウタ君。僕の友人さ」
「へぇ、コスモの友人?」
「藤森ショウタです。その、コスモにはお世話になりました」
「クマガイでやんす。気軽に助手さんとでも呼んでくれでやんす。コスモを作ったカザマツリ博士の助手をしているでやんすよ。ところで藤森君とコスモはどういう経緯で知り合ったでやんすか?」
「詳しくは車の中で話しますよ。博士のところまで送っていってもらえませんか?」
「がってんでやんすよ。ちょうど今から博士の研究所に行くところだったでやんす」
僕たちは助手さんの車の後部座席に乗り込んだ。車の中にはタバコの苦い臭いが漂っていた。
コスモは僕たちが出会った経緯とあの研究所での出来事をかいつまんで説明する。
「藤森君は漂流者だったでやんか。初めて見たでやんすよ。よかったら少し調べさせて欲しいでやんす」
「え、ええ⁉︎」
「ちょっと助手さん、ショウタ君はさっきまで奴らに解剖されかけていたんだ。そういう冗談は無しで頼むよ」
「あはは。解剖まではしないでやんすよ」
(この人冗談で言っている訳じゃないような……白衣恐怖症になりそうだ)
日が完全に暮れて空に星々が輝き出した頃、僕たちはカザマツリ博士の研究所に辿り着いた。アリサさんの研究所の倍くらいの敷地が塀に囲まれていて、その中には横に長い角ばったガラス張りの建物があった。木々が植えられ芝生が茂る手入れされた公園のような敷地の道をゆっくりと徐行してフロートカーは進む。
「お疲れ様。さあ、ついたでやんすよ」
建物の周囲はガラスの奥から溢れる光で明るく照らされていた。僕は車を降りて芝生の上を歩き、コスモと助手さんに続いてカザマツリ博士の研究所に足を踏み入れた。
「ただいま!」
金属製の大きなドアをくぐると、コスモが元気一杯に叫んだ。建物の中は研究所というよりも立派な邸宅のように思えた。広々とした玄関には大きな靴箱があり、鉄の敷台の先にはスリッパが並んでいる。広々とした廊下には観葉植物の鉢が並んでいて、絵画や高価そうな壺も置かれている。
「靴はその辺に脱いで、このスリッパを履くでやんす」
助手さんの案内に従って僕は靴を脱いでスリッパを履く。
「なんだか研究所っていうよりも家みたいですね」
「実際博士の自宅兼研究所でやんす。研究所は裏手にあるでやんすよ。ちょっくら博士を呼んでくるでやんすから、二人はリビングでくつろいでいてくれでやんす」
そういって助手さんはそそくさと廊下の先に駆けていく。
「僕たちはこっちだよ」
コスモに案内されて広々としたリビングルームに入ると、部屋の中央にある大きな木のテーブルと、それをコの字型に囲む茶色いソファーが目についた。
「まあ適当に座ってよ」
僕はコスモの横に座り、部屋を見渡した。コの字型のソファーは一面のガラス窓の方を向いていて、窓の外には広々とした庭と塀の入り口が正面に見える。なんだかこのリビングからは、とても未来的な印象を受けつつもどこか僕の時代にありそうな温かみを感じた。なぜだろうと思いながらキョロキョロと部屋の中を見渡すと、その理由に気づいた。
(そうか、木材を使った家具が多いんだ)
テーブルはまんま木だし、ソファの肘掛けにも木が使われている。壁の本棚も木で出来ているし、グラスの置かれた食器棚も木製だ。居住地区で過ごしたアリサさんのタワーハウスにはこういう木製の家具はなかった気がする。なんだか僕は知らない家なのに少し落ち着いた気分になっているのを感じた。
「おお、コスモ!無事だったか!」
「カザマツリ博士!」
廊下から現れた白衣を着た老人にコスモは駆け寄って抱きついた。カザマツリ博士は少し太っちょな白髪の優しそうな顔をしたおじいちゃんだった。博士はコスモの頭を撫でて「よしよし」と嬉しそうに笑った。
「心配したんじゃぞ。それにしてもお前が捕まるなんて一体何があったんじゃ」
「それが、上手くつけ回していたのに何故か奴らにバレてしまっていて……僕は電気系統が麻痺する電子トラップに嵌められてしまったんです」
「なんじゃと⁉︎むむむむむ……」
腕を組んで考え込む博士。それを黙って見ていると、ふと僕とカザマツリ博士の目が合う。
「あ!そうじゃった!」
そう言ってカザマツリ博士は僕に駆け寄り、
「すまんのう挨拶が先じゃったわ。ワシはカザマツリ博士じゃ。コスモの産みの親で、まあ色んな研究をしておる。君のことは助手に聞いたよ。コスモを助けてくれたそうじゃな。ありがとう藤森君。本当にありがとう」
博士は僕の手を両手で握って何度も何度も深々と頭を下げた。
「そんな、助けてくれたなんてとんでもない。助けられたのは僕の方なんです。コスモがいなければ僕は今頃どうなっていたか」
そんなこと考えるまでもない。バラバラにされて殺されていたんだ。でもそれをはっきりと口に出すのはなんだか大袈裟な気がして僕は言葉を薄めた。
「お互い手を取り合ったってことさ。聞いてよ博士。ショウタ君は僕のことを友達だって言ってくれたんだ」
「……おお、コスモに人間の友達が出来るとは……なんて日じゃ。コスモは帰ってくるし、友達まで連れてきよった」
そう言ってカザマツリ博士はオイオイと涙を流した。僕はなんだか照れ臭くて、苦笑いをした。
「そうだ。藤森君、お腹が空いているんじゃないのか?」
「あ、そういえば」
もうずっと何も食べていない気がする。それに気づいたらなんだか急激にお腹が減ってきて僕の胃はグルルルルと悲鳴をあげた。
「ほっほっほ。体は正直じゃな。よし夕飯を準備しよう。わしは料理が趣味でな。今日は玉ねぎとじゃがいもがたっぷりと入ったシチューなんじゃ。藤森君には苦手なものやアレルギーはあるかね?」
「いえ、ないです。なんでも大丈夫です」
「ほっほっほ。それはよかった。じゃあ早速支度をするかの」
博士の作ってくれたシチューは絶品だった。クリーミーな香りのとろりとしたスープに、しっとりほくほくのじゃがいもとトロッととろけそうな甘い玉ねぎが沢山入っていて、他にもニンジンとブロッコリー、コーンが浮かんでいた。大きな木のスプーンですくって食べると、体が芯から温まった。肉も入っていたけれど、何の肉かは聞かなかった。食べた感じでは鶏のもも肉のように思えたから、鶏もも肉だと思って僕は食べた。
食事をしながらカザマツリ博士とは色々な話をした。最初は僕とコスモの脱出劇だったけれど、だんだん話は変わっていって、僕が過ごしていた世界の話になった。
「ほう、インターネット」
「はい。パソコンやスマートフォンを使って世界中の人が蜘蛛の糸のように繋がるんです。そうやって情報を共有するから何かを調べようと思ったら一瞬で調べられたりして」
「ホホーウ。興味深いのう。スマートフォンとはどういうモノなのかのぅ」
「これぐらいの薄い板状の携帯型の電話器です。ほとんどが画面になっていて、画面を直接指で触れて操作するんです」
「ちょっと待ってくれ。電話器?インターネットを使うための機械のはずじゃろ?」
「色んな機能がついているんです。電話やインターネットはその機能の一部です」
「ほーう。上手く想像ができんのぅ」
博士に自分の世界の話をしていて、僕はこの世界にきて初めて誰かの役に立っているって感じた。
(コスモを組み立てたときはそんなことをしみじみ感じてる余裕なんてなかったもんなぁ)
博士はすごい聞き上手で、僕は得意げになって自分の世界の話をした。助手さんもコスモも博士と一緒になって楽しそうに僕に質問してくれて、僕の心は凄く満たされていった。
「そろそろ遅い時間じゃしお開きにするかの。藤森君、時空監理局にはツテがあるから明日連絡しよう。きっと君を安全に元の世界に帰すことが出来るはずじゃ。だから今日は安心してゆっくり休むといい。助手よ、藤森君に部屋を案内してあげてくれ。コスモはわしと一緒にメンテナンスじゃ」
僕は助手さんに案内された客室でベッドに寝っ転がった。部屋にはお風呂がついているから温まるといいって言われたけど、ベッドに転がると急に疲れが来てヘトヘトになって起き上がる気力がなくなってしまい、僕はそのまま目を閉じた。
ああ。僕はようやく元の世界に帰れるんだ。柔らかい枕に顔をうずめて、僕は期待を抱いて意識を落とした。
「…………ッ!」
「…………………ッ!」
極稀にだけれど、夢の中だと気づくことがある。
空に浮かぶような気持ちよさと、ハーブで香り付けされた水に浸かっているような清涼感があった。スウっと鼻抜けのいいにおいがする心地良い夢の中で、誰かが言い争いをしている。
近くでする声は遠く、モワモワとぼやけていてちっとも聞き取ることが出来ない。ただ音のイントネーションだとか、雰囲気だとか。そういうのだけは感じることが出来て、僕はそばで誰かが言い争っていることをぼんやりと理解する。
何もかもが不確かで、揺蕩っていて、ふわふわとしているのに、絆創膏みたいなスッと引き締まったにおいがする不思議な夢だった。
目を閉じているのに浮かんでくる映像。耳を澄まさずとも届いてくる物音。妄想のように不確かな映像。残響のように遠い声。だんだんとそれらが明瞭になっていくのを僕は感じた。
「あん……り……ッ!ウ……アアアア……ザッザザザザザ」
ピッチが歪んだ誰かの声が、ノイズでかき消される。セピア色に浮かんだ脳の中の景色が色味を帯びていく。その映像はなぜか監視カメラでのぞいているような丸みを帯びていた。監視カメラのように僕の背よりもずっと高い位置から見下ろされる三人の姿が頭に浮かんだ。それは嘆くコスモと、肩を落として俯くカザマツリ博士と、あわあわと口元を押さえる助手さん。どうしてこんな景色が頭に浮かぶのだろうか。まんまるの視界。魚眼レンズで見たように歪んだ景色。どこかの部屋。あそこに似ている。あそこに。どこだっけ。機械が沢山あって、人が寝る台があって……
僕は視界が動かせることに気づいた。僕が部屋を見渡すと、近くでウィィィィンという小さな機械音が鳴る。右を見て、左を見て、正面を見て、視界が動いている間だけ、ウィィィィンと音が鳴って何だか面白かった。
「あっ……め、目覚めたでやんす!」
声がはっきりと聞こえた。僕は声の主の助手さんと、そしてカザマツリ博士とコスモと順番に目が合う。いやこれは目が合うというのだろうか。夢の中の僕の視界が三人に見つめられている。不思議な気持ちになった。僕はそこにいないのに。僕の目はそこにはないのに。僕の顔はそんな位置にはないのに。
(じゃあどこにあるんだろう?)
それは……ベッドの中だ。僕は眠りについていて、これは夢の中なのだから……って、どうしてこの夢はいつまで経っても覚めないのだろうか。夢の中で夢だと気づいた時は大抵すぐに目が覚めるものだ。でもこの夢は一向に覚めない。
「ああ、ショウタ君、なんてことだ。どうしてこんなことに……あんまりだ。あなたは悪魔だ!」
コスモが涙を流していた。コスモは床に四つん這いになってうずくまり、床をダンダンと叩いている。
「し、仕方がなかったんじゃコスモ……わしは……わしの中から溢れ出る知的好奇心を、抑えることが出来なかったんじゃ」
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
「ド、ドウシタノ」
僕が尋ねた疑問が、ロボットの声のような合成した抑揚のない声で聞こえてくる。
「エ?ナニコレ?」
僕が口に出した疑問が、ロボットの声のような合成した抑揚のない声で聞こえてくる。
「エ……ドウイウコト?」
僕は何だか、とてつもなく悪い予感がした。僕は体を動かそうと思った。だけど体が動かなかった。動かないというよりも、体がどこにあるのだかわからなかった。腕がどこにあるのかがわからなかった。体の感覚が何もない。ただ視界を動かすことだけは出来て、声を出すことも出来る。ただし僕の喉を使って発声した声ではない。ただ、僕が声に出そうとしたことが、僕とは別の場所から聞こえてくる。二メートルくらい左から聞こえてくる。これが夢なら、そろそろ覚めなきゃおかしい。こんな不気味な夢、早く覚めてくれ。僕の体がわからない。
「ドコ……僕ノ体、ドコ……?」
僕は視線を落とした。いつも当たり前のように映っているはずの腕がない。体もない。足もない。視界には、体の代わりに四角い水槽の角が映った。視界の隅で、ボコボコと泡の浮かぶ水槽の中には灰色の塊が浮かんでいる。僕の視界は一定以上は動かせなかった。角度が厳しくてその塊を視界の中心に捉えることが出来ない。僕は一体何を見ているんだ。僕は一体何を見せられているんだ?僕の体はどこに行ってしまったんだ。
その全ての疑問に、喚くようにコスモが答えた。
「ああ、ショウタ君!今の君は脳みそだ!君は脳みそ人間になってしまったんだ!」
「脳ミソ……人間ダッテ……?」
三人の顔は、僕とは別の場所に向いていた。それは水槽の中だった。僕の視界のずっと左下に顔を向けてコスモは話しかけている。
「君は眠っている間に博士に体をいじられて、脳みそを取り出されてしまったんだ」
「エ……冗談ダヨネ?」
僕のその疑問には誰もすぐには答えてくれなかった。重苦しい沈黙があって、カザマツリ博士が苦い顔をして悔いるように口を開いた。
「……すまん藤森君。わしは溢れ出る好奇心を、抑える事が出来なかったんじゃ……」
(それはさっきも聞いた)
僕は苛立っていた。これはきっと夢の中の出来事なのに、そうに決まっているのに、イライラしてしょうがなかった。ふざけるなよって言葉が口から出かかっていた。
「……僕ハ今ドウイウ状態ナンデスカ」
僕は絞るように声を出した。それは不気味な合成音声で部屋に響いた。
「今の藤森君は、水槽に浮かんだ脳みそでやんす。それに電極を繋げてカメラとスピーカーと聴嗅覚センサーに接続した状態でやんす」
「……ナンダヨ……ソレ」
僕は三人の目から見る今の自分の姿を想像した。
四角い水槽の手前側の隅っこの上部に、監視カメラのような目と音を聞いたりにおいを感じたりするセンサーがついていて、反対側の角には僕の言葉を伝えるためのスピーカーがついている。そして真ん中……水の入った水槽の中には脳みそが浮かんでいるんだ。その脳みそからは線が伸びていて、スピーカーやカメラ、センサーに繋がっている。
(化け物じゃないか……)
僕はそんなおぞましいモノになってしまったのか?そんな化け物みたいな姿になってしまったっていうのか?
「フザケルナアアア!!!!」
僕は心の底から叫んだ。その叫び声はキーンと響いてカザマツリ博士と助手さんは肩をビクリと震わせた。
「戻セ!戻シテヨ!戻シテ下サイヨ!脳ヲ取リ出シタノナラ戻セルハズデショ⁉︎」
「そ、それが、最初はそのつもりだったんじゃ。ほんのちょっとだけ藤森君の脳みそを覗くだけのつもりで、君が睡眠から覚める頃には元に戻すつもりだったんじゃ。じゃが……」
カザマツリ博士は言いにくそうに小さく言った。
「盗まれてしまったのじゃ」
「何ヲ?」
「藤森君の体を……」
「ハ……?」
「少し休憩をしている間に悪の組織の連中に忍び込まれて、君の体は奴らに盗まれてしまったのじゃ」
「ハアアアアア!?」
「すまん藤森君。せめてコスモがメンテナンス中でさえなければ……」
「ソウイウ問題ジャナイダロオオオオオ!」
発狂しそうだった。僕には元に戻るための体がないのだ!
「僕ハ一生コノママダッテコト!?コンナ格好ジャ元ノ世界二ナンテ帰レナイジャナイカ!盗マレタンナラ取リ返シテヨ!」
「も、勿論だとも!君の体には密かに発信機をつけていたから、奴らの足跡は追えるはずじゃ。じゃが……」
「マダ何カアルノ?」
「時間がないのじゃ。君の体は今脳を積んでいない状態で、仮死状態にある。奴らはそれに気づいておらん。早く君を体に戻さねば体が壊死して腐ってしまう」
「ジャア急イデヨ!」
「勿論だとも!そのための準備を超特急でしていたのじゃ。藤森君、わしらは今から君が自由に動けるように仮の体を与える。君にはその体を使って、コスモと共に奴らの行方を追って欲しいんじゃ」
「仮ノ体?奴ラノ行方ヲ追エッテ……ドウシテ僕ガ」
「コスモには開頭手術の仕方をインプットしておいた。君は体を取り戻したらその場でこの簡易手術室を使って元の体に戻るのじゃ。そうすることで体が腐るまでの時間的猶予を稼ぐ事が出来るって寸法じゃ」
カザマツリ博士は白衣のポケットから茶色いルービックキューブくらいの大きさの箱を取り出して僕のカメラの方に見せた。
「これは忘れないうちにコスモに預けておこう」
カザマツリ博士はコスモのお腹をパカっと開きその中に茶色い箱を入れる。
「藤森君、今から一旦君に繋がったケーブルを抜く。君は外界から隔絶され、何も見えず、何も聞こえなくなるじゃろう。だが少しの辛抱じゃ。次に目が覚めたら君は自由に動き回れる」
その博士の言葉を最後に、僕の視界はブツンと切れた。音も、においも、何もかもが僕の周りからなくなった。真っ暗闇の中で、体の感覚がなくて、今自分が目覚めているのか寝ているのかもわからなくて、意識が連続しているのかすらわからなくなった。宇宙の中で、暗闇の中で、ちっぽけな意識だけが点滅しているようなイメージが浮かんだ。
どれだけ時間が経過したのかは分からない。暗く深い意識の海の中に突然一本の線が走った。ギザギザと波打つ線は膨張していき、光になり、閃光に照らされたような白と黒の眩しい景色が僕の意識の中に広がった。そこに浮かんだ景色はカメラの光量が自動で調節されるように一瞬暗みがかった後で適切な明るさに固定され、次第に彩りを持っていった。
「どうじゃ藤森君。わしの声が聞こえるかね?」
目の前の巨人が僕を見下ろして言った。僕の目の前には三体の巨人が立っていた。それはカザマツリ博士とコスモと助手さんだった。僕は訳が分からずに周囲を確認するために顔を動かそうとしたが、動かない。上下には多少動かせても左右に顔が動かせない。そもそも首がないのだ。僕は眼球だけを動かして周囲を見た。僕はどうやら台の上にいる。三人が巨人に見えたのは台の上の箱から伸びたティッシュペーパーみたいな高さから三人を見上げているからだろう。
(な、なんだ……これは)
腕の代わりに、僕の視界にはロボットアームみたいな、Cの字型の手がついた鉄の腕が映っていて、僕はそれを自在に動かせた。上げたり下げたり、C字の手を閉じたり開いたり。そして僕には足もあるようだった。下を向くと、スリッパを少し膨らませたみたいなぺちゃんこの足がついているのが見えて、前後左右にペタペタと動くことが出来た。
「お、おお。腕も足も正常に機能しているようじゃ。きっと目も問題ないじゃろう。問題は耳か、それとも口か」
「あ、あの……」
それは僕の声だった。ロボットのような合成音声ではなく、正真正銘僕の声が僕の口のあたりから発せられた。
(口のあたりってなんだ?)
そうだ。さっきとは感覚が違う。音がしっかりと両耳から聞こえて、視界も魚眼レンズのように歪んでいなくて、ちゃんと目と口のあいだから油の混じったような部屋のにおいを感じて、自分の声が自分とは別の場所から聞こえたりもしない。正しい位置で、顔の配置で音や景色、においを把握できているのを僕は感じた。
「これは一体……」
と、
「おお、口はきけるようじゃな。わしの声は聞こえているかね?」
パアッと顔を明るくしていうカザマツリ博士に僕は答える。
「……ええ。はっきりと」
「それは良かった。手術は成功じゃ」
「成功って……」
(仮の体って、これって……)
僕は改めて今の自分の体を想像した。ロボットアームと足首が直接顔から生えた化け物。そんなイメージだった。ふと三人の奥にある水槽が目についた。水槽にはうっすらと何かが映っている。その何かは僕が手を挙げると手を挙げて、左右に動くと合わせてぴょこぴょこと動いた。それはまん丸の目と楕円形の耳がついた脳みそだった。脳みそから機械の腕と靴のような足が直接生えた化け物だった。
「これが僕の……体だって……?」
「ああそうじゃ。安心してくれ藤森君。君の脳みそは衝撃吸収ジェルで覆っているから見た目に反して頑丈じゃぞい」
「が……」
僕は一瞬言葉を失って唖然としたが、すぐに言葉を拾い直して叫んだ。
「頑丈じゃぞいじゃないよ!もう少しマシな体はできなかったの⁉︎」
「贅沢をいうでない。時間効率的にそれがベストだったのじゃ。時間がないことは君にも説明したじゃろう」
「それは……そうだけど」
釈然としない気持ちで一杯になったけれど、僕はぐっとその気持ちを抑え込んだ。
(ここで博士と言い争いをして何になるんだ)
そうだ。僕は自分の体を取り戻すんだ。僕にはもうそれしかないんだ。今更うだうだ文句を言っても体は返って来ないんだから。
「コスモ、これを持っていきなさい」
「これは?」
「藤森君の体につけておいた発信機からの電波を探知するメカじゃ。レーダーに反応のある方向へ向かえば奴らの居場所に辿り着くはずじゃ」
カザマツリ博士がコスモに渡したのは四角い箱に半球が合体したような機械だった。半球はレーダーになっているようで、一定の速度で回転する時計の針のような白線がピコンピコンと点滅する点をとらえていて、奴らのいる方向を示しているようだった。
「奴らは西のエリアにいるようでやんすね」
「じゃがこれは相当外壁寄りの方向じゃぞ。居住地区の方じゃ……なぜそんな場所に……」
「考えていても仕方ないよ!一刻も早く奴らに追いつかなきゃ!」
うーんと腕を組むカザマツリ博士をコスモが急かす。
「……それもそうじゃな。助手よ、二人を頼んだぞ。わしは時空監理局と連絡を取る」
「え……自分も行くでやんすか⁉︎」
「当然じゃ。二人より三人の方がいいに決まっておる」
「えええ⁉︎悪の組織となんか関わりたくないでやんす!」
「泣き言をいうでない!修羅場の一つも潜らんでわしの助手が務まるか!これを持って早よいけ!」
僕たちは博士に何かを渡されて部屋から追い出された助手さんと共に研究所の庭に停めてある車に向かった。道中僕はふと思う。
(この体……)
思ったよりも動きやすい。このペチャンコの足がどういうふうに僕の脳と繋がっているのかは鏡でもなきゃ知ることが出来ないけれど、ぴょこぴょことなかなかの素早さで移動できる。しかも視線があまりぶれない。
てかこれ、体を動かしている感覚がないから一人称視点のゲームをしている感覚だ。ただ、目線が低すぎるのがどうにも慣れない。だって僕の目線って前を歩くコスモの膝の高さと同じくらいなんだもの。二人の後に続いて廊下を歩いていても普段は当たり前に見えている台の上が見えない。棚の中身が見えない。
他人の背の高さを羨んだことはなかったけれど、背が高いと得られる情報量が増えるんだなって知って背が高いのは徳なんだなって思った。まあ今僕が見ているネズミみたいな景色の情報は背が高い人には見えていないんだけど。棚の下とか。台の裏側とか。って言っても背が高い分にはしゃがめばいつでも見れるんだ。
(なんで僕はこんなに落ち着いているんだろう)
色々ありすぎて感覚がおかしくなっちゃったのだろうか。なんかもう、この世界では僕が怒ったり取り乱したりしてもどうにもならない事しかなくて、慣れちゃったのだろうか。それとも僕はまだこれが現実だって受け入れることが出来なくて、夢を見ているつもりでいるのかな。別に夢を見ているつもりはもうないんだけれど。
(それとも、修羅場を潜ったってやつなのかな)
殺されかけたり脳みそ人間にされたりしたわけだから、大抵の事には動じない精神を手に入れてはいるかも。っていうか、
(……こんな体じゃな……)
僕はC字の手を閉じて開いてカチカチと鳴らした。透明なジェルで覆われているとはいえ見た目的には剥き出しの脳みそに機械の顔と手足がついた異形だ。
(クリーチャーじゃないか今の僕は。ゲームに出てくる序盤の雑魚敵だよ)
いや、もしかしたら後半に出てくる悪の研究所のいやらしい雑魚敵かもしれないぞ。超能力で主人公パーティーの誰かを操ったりしてプレイヤーに嫌われるタイプの。そういうの出来ないのかな。なんか今のクリーチャーみたいな姿なら出来る気がしなくもないぞ。脳みそが剥き出しなぶん邪悪な脳波が伝わるんじゃないだろうか。そんな事を考えていると、僕はコスモにひょいっと持ち上げられた。
「ごめんよショウタ君。まさか博士が君をこんなふうにしちゃうなんて……」
コスモは申し訳なさそうな顔でいった。
「気にしないで。君が悪いんじゃないんだから。それに君がいなかったら僕はアリサさんに殺されていたんだし」
僕は思ったままの事をいった。コスモは何も悪くない。コスモは僕の友達で、命の恩人だ。そもそもこんな体にされたのは今思えば僕にも原因はあるんだ。カザマツリ博士に得意げに自分の世界の話をして博士の好奇心を刺激した僕が悪かったんだ。僕はいつだって軽率だ。気づいた時には手遅れな事ばかりだ。
(その挙げ句がこの体なんだ。脳みそ人間なんだ)
「……絶対に君の体を取り戻して見せるから。だから、希望を捨てないでおくれ」
「え……」
コスモは悲しそうな顔で僕を見つめた。コスモには今の僕がどう見えていたのだろうか。それは見た目の問題ではなくて……僕は……自分でも気付かないうちに希望を失っていたのだろうか。僕は精神的に強くなったわけじゃなくて、諦めてしまっていただけだったのだろうか。
希望を捨てないでおくれというコスモの言葉に、僕は小さく「うん」と頷いた。僕の心には体を取り戻したところでどうせまた嫌なことが起きるに違いないっていう思いが根底にあって、嫌な未来しか想像できなくて、僕は未来のことを、体を取り戻すっていう目の前のことすらをも直視できずに絶望的な状況をすげ替えた妄想をして希望から目を逸らしていたのかもしれない。
「希望……か」
「うん。君は元の時代に帰るんだろう?」
「……うん。そうだね。体を取り戻さなくちゃ」
そうだ。諦めるのは最後の最後だって、僕は学んだばかりじゃないか。少なくともアリサさんの研究所で最後まで諦めなかったから僕は今もこうして生きているんだ。
「なんだか僕たち、あの時と逆だね」
「逆?何がだい?」
「ほら、奴らの研究所では僕が君の頭を抱えていたじゃないか」
「え?ああ、そういうことか。あはは。確かに」
僕はコスモの腕の中から彼の顔を見上げた。コスモはパアッと顔を明るくして笑っていた。
(コスモ、ありがとう)
僕たちは助手さんの車に乗り込み、奴らの追跡を開始した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます