第五章『研究地区』編

 エレベーターの先は塀に囲まれた敷地の中だった。その四隅の一角に僕たちの乗ってきたエレベーターは顔を出していた。


「こっちよ。ついて来て」


「あの、アリサさん」


「なあに?」


「ここが、時空監理局なんですか?」


「ええ、そうよ」


 そこにあったのは、青い金属質の壁で出来た大きな建物。なんとなくグランドピアノを連想させる変わった形の建物だった。大きい。確かに大きい。僕の自宅の何倍もあるだろう。でも、僕が想像した時空監理局とはあまりにもかけ離れたスケールの小ささだった。小さな工場……大きな邸宅レベルだ。本当にここが時空監理局なのだろうか。こんな小さな建物で本当に時空を管理しているのだろうか。僕はアリサさんを信じていいのだろうか。


「どうしたの?藤森くん。帰りたくないの?」


「あの、本当にここが時空監理局なんですか?」


「えっ?」


「なんか、時空を管理するってわりには規模が小さく見えるというか……」


「……藤森くんは私を疑っているの?」


「そういうわけじゃ……」


 いや、二度も聞いたら疑っていると白状したようなものだ。僕はバツの悪さにいたたまれなくなる。アリサさんは十分に面倒を見てくれた。悪の組織の手先から僕を守ってくれて、右も左も分からない僕をここまで連れてきてくれた。ここが時空監理局なら、僕はなんて失礼な男なんだ。アリサさんはそんな僕を見て「ウフフ」と笑った。


「この建物はね、地下に伸びているのよ」


「地下に?」


「ええ。藤森くんも見たでしょう?都市の地下世界を。時空監理局のような重要施設は都市の上部にではなくて地下にあるのよ」


「……あっ!」


 それはあまりにも腑に落ちる答えだった。僕の頭の中に都市の地下工場を巡った記憶が鮮明に再生される。そうか。重要施設は地下にあるんだ。目の前の建物は地下鉄の入り口みたいなもので、極々一部に過ぎないのだ。だとしたら大きすぎるくらいだ。


 僕が心の中でなるほどなるほどと納得していると、建物の中から全身を黒いタイツで覆った二人組の男がやってくる。一人は背が高く彫りの深い髭面の男。もう一人は背は低いけれど肩幅が広くがっしりとした片目を黒い眼帯で塞いだ男だ。眼帯の男はヒラヒラとした白い布のようなものを手に持っている。二人はズコズコと足音を立てて僕たちの方にやって来て、眼帯の男がアリサさんに白い布を渡す。


「お疲れ様でしたボス」


 アリサさんは手渡された白い布をライダースーツの上から羽織る。それは白衣だった。研究者のようにひらりと白衣を纏ったアリサさんがタバコを取り出し口に咥えると、髭面の男がライターの火を差し出す。僕はそれをただ眺めていた。何も考えることが出来ず、ただ眺めていた。


「時空監理局の男に顔を見られたわ。そう簡単にここに辿り着けるとは思わないけれど、念の為この子は地下の隠し倉庫に入れておきなさい」


「アイアイサー!」


 全身黒タイツの男たちは揃って返事をすると両脇から挟むように僕ににじり寄る。


「あ、あの、僕は元の時代に帰れるんですよね?ここは時空監理局なんですよね?」


 と、


「全く間抜けなガキだぜ。まだボスを時空監理局員だと信じてやがる。時空監理局があるのは中央地区だ。研究地区にあるわけがねーだろうが」


 髭面の男はそういって僕の左腕をがっしりと掴む。そして僕は同じように右腕も眼帯の男に掴まれた。


「冗談ですよね!アリサさんは時空監理局員なんですよね⁉︎」


 僕は心の底から叫んだ。そうであってくれと懇願して叫んだ。心臓がバクバクと鼓動を早めた。


「冗談ですよね!答えてください!アリサさん!」


「……冗談よ」


「えっ」


 アリサさんはふぅ、と煙を吐いて小さく言った。


「私が時空監理局員だなんて、悪い冗談だわ」


「っ⁉︎」


 クスリと自嘲するアリサさんを見て僕の体は硬直し、自分の意思とは無関係にスッと空気を肺に送り込む。


「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だああああああああ!」


 嘲笑いながらアリサさんは語る。


「アハハ。オホホホホホ。連中は漂流者にどれほどの価値があるのかをまるで分かっていないのよ。漂流者を元の時空に送り返すだなんてとんでもない愚行だわ。いい藤森くん、本物の時空監理局員はホシノとかいうあの男の方よ。あなたは元の時代に帰る機会を自らふいにしたのよ!」


「嘘だっていってよおおおおおおおおお!」


 どれだけ泣いて叫んで暴れても黒タイツの男たちの力が強くて手を振り払えない。そんな僕を愉快そうに眺めてアリサさんはいう。


「嘘じゃないわ。私は悪の科学者ドクターアリサ。あなたは生きたままズタズタに体を切り裂かれ、薬品で肉を溶かされ、脳みそを取り出され、その記憶の隅々までを私に差し出す運命なのよ!」


「うわあああああああ!」


 頭が真っ白になって、僕は叫んで暴れた。人生で一番声を出した。視界が滲むほど涙を流した。気づいたら僕は、暗い物置の中で横たわっていた。





(……ああ、僕はこれから殺されるんだ)


 固く冷たい床に寝転び僕は思った。


 僕はこれから死ぬんだ。僕は元の時代には帰れないんだ。僕はもう家族に会えないんだ。元の時代じゃ僕は神隠しにあったように忽然と消えていて、行方不明扱いになるのだろうか。テレビニュースになったりするのだろうか。それとも何の話題にもならないのだろうか。


 体がぐったりとしていて、もう起きる気力も湧かなかった。頬に触れる固く冷たい床の感触がいっそ気持ちよかった。小玉の電気よりも暗い倉庫の照明が少し心地よかった。少し湿った空気の臭いがなんだか嫌じゃなかった。ずっとこのまま寝っ転がっていて、気づいたら死んでいたい。眠るように死んでいたい。どうせ死ぬなら。どうせ……


「う……うう……」


 駄目だ。受け入れられない。なんで僕が死ななきゃいけないんだ。どうして。


「どうして僕が死ななきゃいけないんだ。どうして僕なんだ。なんで!どうして!」

 少しずつ声が荒くなっていく。僕が悪かったのか?あの時アリサさんじゃなくてホシノさんの方を信じていれば僕は今頃元の時代に帰れていたのか?


「無理だよそんなの!あんな状況でどっちを信じるかなんて運じゃないか!」


 ああ、でもその時にもっと深く考えていれば。運なんだから、一人は間違いなく悪人なんだから、もっとアリサさんを疑っていれば。そもそも都市に入る時だって怪しかったじゃないか。時空監理局ってくらいの組織なら護衛なんていくらでも呼べるはずだ。悪の組織に見張られているかもなんていってあんなコソコソこと地下から侵入する必要なんてないじゃないか。


 僕がもっとしっかり疑っていればこんなことにならなかったんじゃないか?僕はアリサさんに言われたことを鵜呑みにして全然疑わなかった。アリサさんが本物の時空監理局員でホシノさんが悪の組織の手先だって全然疑わなかった。どうしてもっとちゃんと考えなかったんだ。そうしていれば……


「うう、うわあああああん」


 何とか出来ていたのかもしれないと思うと悔しかった。僕にはアリサさんから逃げ出すチャンスがあったんだ。怪しむ機会はいくらでもあったんだ。それを何も考えずにただノコノコとついて来て僕が台無しにしたんだ。


「……君、ちょっといいかい?」


「え?」


 床でダンゴムシみたいに丸まって泣いていた僕に少年の声が届いた。僕は上体を起こして暗い部屋の中を見渡す。倉庫の中にはスカスカのラックが立ち並び、巨大なバネなどのスクラップの入った箱が乱雑しているのが暗がりの中でも薄らと見える。


「こっちだよ。こっち」


 声がするのは鉄のラックの方からだった。一体なんだろうと僕は立ち上がってラックに近づいた。そして僕は、心臓が飛び出しそうになる。


「やあ。君も奴らに捕まったんだね」


 それは男の子の生首だった。ラックに置かれた僕と同年代のかしこそうな少年の生首が、丸くて大きな目をパチパチさせて僕に語りかけている。


「う、うわああああああ!」


 僕はびっくりして尻餅をついた。床に手をついて見上げると、少年の生首はラックの上から僕を見て笑う。


「あはははは。びっくりさせてごめんよ。僕はコスモ。ヒト型のロボットさ」


「ロ、ロボットだって?」


「ああそうさ」


 僕は立ち上がってコスモと名乗る生首を見る。近くでよく見てみると、暗闇の中でもその肌の質感が人間とは少し異なることがすぐに分かった。プラスチックのようにつるつるしていて凹凸が全くない。それでいて目や口は流れるように動くから不思議だった。


「君の名前は?」


「僕は……ショウタ。藤森ショウタ」


「ショウタ君か。いい名前だね。ねぇショウタ君、君に頼みがあるんだ」


「僕に頼み?」


「ああそうさ。実は僕は奴らの悪事を暴こうとして逆に捕まってしまってね。体のパーツをバラバラにされてこの部屋に放置されてしまったんだ。だから君にはこの部屋にある僕の体のパーツを集めて組み立て直して欲しいんだ」


「パーツを組み立てるって……そんな難しそうなこと無理だよ」


「簡単さ。差し込むだけでいいんだ。胴体のパーツと手足のパーツはこの物置のどこかにあるはずだからよろしく頼むよ」


「…………しょうがないなあ」


 僕はコスモというロボットに言われるがままに彼のパーツを探し始めた。じっとしていてもネガティブな思考に陥って悲しくなるだけだから、気が紛れてちょうどいいと思った。一種の現実逃避だった。


「どこにあるんだい?」


「スクラップの箱の中だと思うけれど……よくわからないんだ。この状態じゃあ首を回すことも出来なくてね」


「確かにそうだね」


 僕はクスリと笑って部屋を見渡し、スクラップの積まれた箱の中をゴソゴソと漁る。散々泣いたおかげか、僕の心は空っぽになったみたいに穏やかになっていた。


「あ、これかな」


 僕が見つけたのは人の腕の形のパーツだった。先っぽには手のひらが付いていて、反対側の肩に繋がるであろう丸い断面からは機械の内部構造がうかがえる。


「それだ!ナイスだよショウタ君。その調子で他のパーツも集めておくれ。あと言いにくいんだけど、出来れば急いで欲しいんだ。奴らがいつ戻って来るかわからないからさ」


「分かったよ」


 僕は速度を上げてテキパキとスクラップの箱を漁り始める。パーツは思いのほか簡単に見つかり、裸の手足と鋼鉄のパンツを履いた胴体がコスモのいるラックの前に集まった。


「組み立てってどうすればいいの?道具とかは?」


「いらないよ。少し力を入れて差し込んでいくだけでいいのさ。あ、右と左を間違えないでおくれよ」


 コスモのいうように腕のパーツを胴体に合わせて両手に体重を乗せて力一杯押し込むと、パチっと音がして肩が胴体にはまる。


「その調子その調子」


 パチっパチっと一つ一つ体のパーツをはめていく。残すはコスモの頭のパーツのみになった。


「ここまで来ればもう大丈夫。後は僕がやるよ」


「えっ……わっ!」


 すると床に横たわっていたコスモの体が勢いよく上体を起こして手をついて立ち上がる。そして自分の頭のパーツをラックから持ち上げ、体のテッペンに乗せてクルリと一回転半させカチンとはめた。


「やった!元に戻ったぞ!ありがとうショウタ君!君のおかげだよ!」


 コスモはそういって両手で僕の手を掴んでぶんぶんと振った。僕はなんだか、悪くない気分だった。


「最後に役に立ててよかったよ。奴らが来ても、見つからないように隠れてやり過ごすんだよ」


 どうせ死ぬなら、僕はいい人で死のうと思った。もう僕に出来ることなんて何もないんだから。ロボット相手とはいえ、最後に感謝されることが出来て良かった。


「何を言っているんだいショウタ君」


「え?」


「君は僕と一緒にここから脱出するのさ」


「そんなこと、出来るわけーー」


「出来るさ!」


 僕の言葉をさえぎり、コスモは言葉を強めた。


「僕はコスモ。世界の平和を守る、正義のロボットなんだ!」


「正義の……ロボット……?」


 僕は眉を寄せて聞き返した。正義のとか、悪のとか、そういう前置きに僕は不信感を持ってしまう。それは少し態度に出てしまったかもしれないけれど、でもそんなことを意にも介さずコスモは明るく元気にいう。


「ああそうさ。こう見えて僕には重機並みのパワーがあってね、その力で都市の平和を守っているのさ」


 そういってコスモは横幅が五メートルはありそうな引き出し付きの金属の棚の端っこを片手で掴むと、ヒョイっと軽々しく持ち上げて見せた。


「す、すごい!」


「フフフ。この前はヘマをして捕まっちゃったけどね。でももうそんなヘマはしないさ。ところで君はどうして奴らに捕まったんだい?」


「それは……」


 僕はこれまでの経緯をコスモに話した。僕が時空震に巻き込まれて百年後の世界にやってきた過去の人間だということ。アリサさんに騙されてここまで連れてこられたこと。一つ一つ振り返りながら話をすることで僕は少し自分の今の状況を見つめ直す事ができた。


「どうして僕なんかをそんなに欲しがるんだろう。僕なんてなんの取り柄もないただの学生なのに」


「……さあ。僕には分からないけれど、でももしかしたら博士なら何か分かるかも」

「博士?」


「ああ。僕を作った正義の博士さ。都市の平和に貢献しているって表彰されたこともある凄い博士なんだ」


「へぇ」


「博士にならきっと時空監理局とのツテがあるはずさ。ここを脱出したら博士のところに行こう。僕も博士に会いたいしね」


「あ、うん……」


 僕は少し返事を濁した。また騙されているんじゃないかっていう不安が頭をよぎった。


(って、馬鹿か僕は!)


 この状況で騙されるもクソもあるか!このままここにいてもどうせ死んでしまうんだ。なら一か八かコスモに全てを託すべきだ。もう後がないし頼れるのはコスモしかいないんだ。アリサさんに騙されたあの時とは状況が違うんだ。僕はもう何かを選べる状況じゃないんだ。


 僕は顔を振って思考をリセットして、スウっと息を吸った。


「コスモ!」


 僕は彼の名前を強く叫んで彼の手をギュッと握った。


「よろしく頼むよ。僕を助けて!」


「ああ!任せておくれ!……さて、でもどうしたもんかな」


 そういってコスモは部屋の壁を見る。金属で出来た壁の一部が隠し扉になっていて僕たちはこの倉庫に閉じ込められている。隠し扉は完全に壁の一部と化していて、継ぎ目すら見えない。


「コスモの力で壁を破壊出来ないの?」


「出来るけど……うーん、それは最後の手段にしたいかな。せめてここが奴らのアジトのどの辺りにあるのかが分かれば少しはマシな作戦が立てられるんだけど」


「ここがどの辺りか、か……あ!それなら、アリサさんは僕を地下の隠し倉庫に閉じ込めておけって命令してたよ!」


「何だって?じゃあ、ここは地面の下ってことか。奴らめ、都市の地下を利用しているなんて……」


 コスモは難しそうな顔で少し考え、


「でもだとしたらやっぱり壁を壊して無理矢理脱出するのは難しいかも。壁を破壊して警報が鳴ったら地上への道が封鎖されて袋の鼠になってしまうよ」


「じゃあどうすれば……」


 僕たちはうーん、と頭を悩ませた。


「コスモって強いんだよね?」


「ああ。強いさ。普通の人間なら束になっても僕には敵わないよ」


「なら、奴らが僕を迎えに来た時にコスモが物影から襲いかかるっていうのはどうかな?」


 我ながら物騒で他力本願な提案だと思った。だけど、今はそんなこと思ってる場合じゃない。死ぬか生きるかなんだ。コスモは僕の提案に「うーん」と考えて、


「アリなんだけど、奴らが大勢で来ていた場合は倒し切る前に連絡されて道が封鎖されるかも」


「大勢?そんなにこの研究所には沢山人がいるの?」


「僕が調査した限りでは五十人以上がこの研究所で働いているよ」


「そんなに……⁉︎」


「それに奴らは違法に作られた強力なメカを多数持っているんだ。出来るだけ強硬手段は取りたくないのが本音だよ」


「そっか……」


 考えてみたらコスモは奴らに捕えられてここにいるんだ。僕は馬鹿だ。正面から無理矢理突破するのは厳しいからコスモは作戦を考えていたんだ。もっと本気で、真剣に考えなきゃ。


「ごめん。もっとちゃんと考えてみるよ」


「謝る必要なんてないさ。どんどん意見を言っておくれ。何かいい作戦が立つかもしれないからね」


 そう言って微笑むコスモに勇気づけられて、僕は必死に脳を働かせた。いつの間にか僕の内側からネガティブな感情は消えていて、代わりに希望の火が灯っていた。




 コスモがいうには倉庫の壁は可変式壁面ドアというタイプの壁で、壁に備わった複雑な機構で出入り口の大きさを自在に調節できるらしい。物資の搬入口に使われるのが主だそうで、こうして隠し部屋の壁に使われているのは初めて見たそうだ。


「このタイプの壁は隙間がピッタリと塞がっているだけでロックされているわけじゃないんだ。だから例えば壁が閉鎖する瞬間に細い板を挟むとかして継ぎ目の位置に僅かな隙間を作り出すことが出来れば僕ならそこからこじ開けられるはずだよ。幸いここにはちょうど良さげなスクラップが沢山ある」


「じゃあ……」


「うん。君の考えた作戦で行こう。大丈夫、きっと上手くいくさ」


 暗い倉庫の中で僕たちは壁を見つめながら決意を固めた。作戦は決まった。後は勇気を出して実行するだけだ。僕たちは準備を済ませてひっそりと静かに奴らが僕を迎えに来る時を待った。


「ねぇコスモ」


「なんだいショウタ君」


「もし脱出できたら、僕と友達になってくれる?」


「何を言っているんだいショウタ君、僕たちはもうとっくに友達じゃないか」


 床に座る僕の隣で、生首状態になったコスモは笑みを浮かべていった。


「コスモ……うん、そうだね。絶対一緒にここを出よう!」


「ああ!」


 しばらくすると、壁の外から足音が聞こえてきた。僕は目を瞑って重なって響く足音から壁の向こう側を想像する。一人や二人ではなさそうだ。五、六人くらいはいるかも。足音は廊下の壁の真ん中で止まり、少しすると壁がウィイイイイインと音を立てて人一人分ほどのスペースの出入り口を形成する。ドアの向こう側には全身黒タイツの髭面の男と眼帯の男が立っていて、その背後では部下らしき茶タイツの男たちが電動ドライバーのような形の機械を構えている。


「だいぶ大人しくなったようだな。迎えにきたぞ。立て……と、ん?なんだそりゃあ」


 髭面の男は僕が腕に抱くコスモの生首を見て驚く。


「ああ、前に捕らえたロボットだな。バラして置いといたんだが」


「おいガキ、その気持ち悪い首を置いてこっちに来い。素直にいうことを聞けば手荒なマネはしねぇ」


「いやだ!友達なんだ!離れたくない!」


 僕はコスモの頭部をギュッと抱きしめる。


「ああん?おいおいこのガキ、頭がおかしくなっちまったんじゃねーのか?」


「無理もねぇさ。これから殺すってボスに宣言されてんだ。ボスもいちいち言わなくてもいいのによぉ」


「ちげぇねぇ。おいガキ。じゃあそれ持ったままでいいからおじちゃんたちについて来な。ついて来ないっていうならお友達をどこかに捨てて来ちゃうぞお」


「いやだ!」


「だったらさっさと立ちやがれ!」


 僕はその大声にビクリと肩を震わせてコスモの頭部を抱いて立ち上がる。


「おう、いい子だ。いいか、逃げようなんてするんじゃねーぞ。そんなのは不可能だし、痛い目に合うだけだからなぁ!」


 僕は倉庫から連れ出され、黒タイツの男に両脇を挟まれ、茶タイツの男たちに前後を囲まれて通路を歩く。


(大丈夫?上手くいきそう?)


 僕は小声でコスモに尋ねた。コスモは返事をせず、目を瞑ったまま。つまり今の所上手くいっているわけだ。上手くいっていれば僕の呼びかけにコスモは反応しないという取り決めを僕らはしていた。


「うわ、気持ちわりぃ。こいつロボットの生首に話しかけてやがるぜ」


「完全にイカれてやがるな。まあ大人しくしてる分には願ったりだ」


(危なッ!)


 こっそりと話しかけたつもりだったのに奴らに声を聞かれていて僕の心臓は跳ね上がった。でも、とりあえず事なきを得たみたいだ。もっと慎重に行動しなきゃ。僕は自分を戒めて通路を歩いた。途中でエレベーターに乗せられ上の階へと移動した際にはコスモの頭をギュッと抱いて狭い室内で奴らと目を合わせないようにした。エレベーターはかなりの階数を昇ったようだった。もし強行策に出てエレベーターを止められていたらコスモの言っていた通りに僕らは袋の鼠になっていただろう。


「降りろ」


 髭面の男に言われるがままに通路を歩く。


(やっぱりコスモの言っていた通り警備ロボとか警備の人間とかはいないみたいだ)


 コスモがいうには、奴らがこの研究所の中をわざわざ警備する意味はないということだった。存在が明るみになっていない秘密の研究所だし、仮に警備するにしても建物の中ではなくて外側だろうと。全くもってその通りだと思ったけれど、僕の中で敵のアジトってものは隅々まで物々しく警備されている印象があった。ゲームのやりすぎだったのかもしれない。


「ついたぞ。入れ」


 通路の突き当たりには重々しい鉄の扉があった。両開きで、扉の上には【Operating Room】という文字が掲げられている。


(オペレーティングルーム?)


 なんだろう。と僕は考える。オペレーティング……ルーム……部屋。オペレーティングって聞き覚えはあるけれどどういう意味だっけ。オペレーティング部屋。オペ部屋。オペ室。ん?オペ室?あっ……


(手術室……ってこと……?)


 僕の背中を冷たい汗が伝った。アリサさんの放った言葉が脳をよぎった。


『嘘じゃないわ。私は悪の科学者ドクターアリサ。あなたは生きたままズタズタに体を切り裂かれ、薬品で肉を溶かされ、脳みそを取り出され、その記憶の隅々までを私に差し出す運命なのよ!』


 運命なのよ!運命なのよ!運命なのよ!と僕の頭の中でエコーがかってアリサさんの声が再生される。


「おら、ボケっとしてんじゃねぇ」


 僕の前で鉄の扉は開かれていた。この先で僕は殺されるのかもしれない。怖い。死にたくない。でもここで取り乱したら全部台無しだ。僕は勇気を持って手術室に足を踏み入れた。


「待ちわびたわよ。藤森くん」


 二重の扉の奥にある一面が青白い壁に囲まれた手術室にはスウっとした薬液のにおいが充満していて、緑色の手術服に着替えたアリサさんが足を組んで手術台に腰掛けて待ち構えていた。手術帽をかぶり、両手には手袋をし、口元はマスクで覆っている。ただそのキツネのように細まった双眸からは、ニンマリと笑みを携えた口元が容易に想像できた。


「あら、それは何かしら」


 アリサさんは僕が両腕で抱くコスモの頭部を見ていう。


「友達です」


「友達?」


 と、眼帯の男が、


「このガキ、イカれちまったんでさぁ。倉庫にバラして置いといたロボの首を持ち出して友達だとか言い出しやがって」


「あら、いかにも子供らしい防衛反応だこと。よっぽど私に裏切られたのがショックだったのね。ねぇ藤森くん、お友達の名前はなんていうの?」


 優しく尋ねるアリサさんに僕はぼそっと呟く。


「……コスモ」


 僕はコスモをギュッと抱く。僕の仕事は時間を稼ぐことだ。そのためにはおかしくなった振りでもなんでもやってやるさ。と、


「どうしてあなたがそのロボットの名前を知っているのかしら?」


(あっ!)


 眉を顰めたアリサさんが低いトーンで投げた問いに僕の心臓は鷲掴みにされる。マズイと認識するよりも早く僕の背筋は凍りつき体が硬直した。どうしよう。このままだとコスモが目覚めていることがバレてしまう。


(どうしよう。どう答えよう)


 アリサさんは僕を睨みつけて答えを待っていた。


「それは僕が教えたからさ」


 答えたのは僕の腕の中にいるコスモだった。それに動転した髭面の男と眼帯の男はのけ反って悲鳴をあげる。


「ヒイ!こいつ、意識があったのか!」


「この!び、びびらせやがって!」


「お黙り!」


 アリサさんの声に二人の男は姿勢を正してピタリと黙る。


「悪巧みでもしているのかしら?」


「悪巧みだって?それはお前たち悪の組織がすることだろう。僕はただ、ショウタ君が可哀想だから寄り添ってあげているだけさ。こんなバラバラな姿じゃあそれくらいしか出来ることがないからね」


「今からその子はあなたみたいにバラバラにされて死ぬのよ?いえ、それよりももっと酷い目に遭うんじゃないかしら。そんなのを見て楽しい?物好きなロボットがいたものね」


 と、僕の腕の中でコスモが声を荒らげて反論する。


「楽しいわけがないだろうこの悪魔め!僕はただ、ショウタ君が少しでも寂しくないように側にいてあげるだけだ!」


「お優しいロボットだこと。まあ、そこまで言うなら見学させてあげようじゃないの。お友達が切り刻まれる姿を見て泣き喚くロボットを見るのも楽しそうだわ。ただ、あんまり煩いと部屋から追い出すわよ」


 手術台の上に座っていたアリサさんはそう言って交差した足をほどき台から腰を上げる。


「じゃあ藤森くん、ソレはそこの台にでも置いてこっちにいらっしゃい。安心して。麻酔はするから痛みは感じないわ。朦朧としている間に天国に行けているわよ」


(冗談じゃない!)


 何が天国だって言い返したくなる気持ちを抑えて、僕はアリサさんに尋ねる。


「アリサさんは……どうして僕なんかの体を欲しがるんですか?僕なんてただの中学生なのに」


「ただの中学生じゃないわ。別の時空の中学生よ」


「たかが百年前の人間がそんなに珍しいんですか?」


「ウフフ。まだ気づいていないのね。きっととてもよく似ている世界なのね。さあ、あんたたち!」


 アリサさんの号令で髭面の男と眼帯の男が僕の両脇に腕を入れがっちりと掴む。


「やめろ!離せ!」


「へへ。無駄だ。大人しく観念しろ!」


(まずい!このままだと僕は!)


 僕は必死に力を入れるが、二人の力は強くびくともしない。


「ショウタ君!お前たちこんなことをしてただで済むと思っているのか!」


「はっ!ロボットふぜいが人間様相手に粋がりやがって。テメェはそこで黙って見学でもしてろ!」


 男たちは僕の服を無理矢理脱がせて大の字にして手術台に寝かせる。背中が金属の手術台に触れてヒヤッとしたのも束の間、男たちの太い指が手術台に備わった手錠のような金具で僕の手首足首、肘や膝の関節を一箇所ずつ拘束していく。マズイ。このままだと僕は奴らにバラバラにされてしまう。そうなったらもうお終いだ。


「やめろ!やめてくれ!お願いだから!助けて!」


 僕は必死に叫ぶ。こんな言葉が届く相手じゃないのはもうわかっているけれど、言葉を発する以外に何もできることがなかった。


 ああ、作戦は失敗だ。間に合わなかったんだ。僕はバラバラにされて殺されてしまうんだ。わけのわからぬ間にこの未来で死んでしまうんだ。


(僕はここで死ぬんだ……)


 僕が絶望に打ちひしがれて顔を横に倒すと、台座の上に置かれたコスモと目が合った。


(あっ……)


 コスモの目は死んじゃいなかった。彼は力強い目で僕の目を見ていた。


(そうだ……まだだ。まだ諦めるな!まだ諦めちゃだめだ!)


 僕は自分に言い聞かせる。時間さえ稼げれば僕にはまだチャンスがあるんだ。諦めなければ、僕にはまだ可能性がある。生き延びられる可能性がある。コスモと二人でここを脱出できる可能性がある!


(何か……何かアリサさんの興味を引くことが言えれば……)


 アリサさんは手術台の横のボックス型のコントロールパネルを操作している。ボタンやつまみ、アナログメーターが付いていて、白黒のモニターに謎の波形が映し出されている。パネルから生えた先端が丸くて赤いレバーをアリサさんが引くと、パカンと天井が割れてメスやハサミ、注射器やロボットアームなどがタコの足のようにゴチャゴチャとついたおぞましい円形の機械が僕のお腹の真上に姿を現した。アリサさんが大きな赤いボタンを押すとそれらは握った指を開くようにぐわっと広がり、僕は今からアレにお腹の中をまさぐられる未来を想像して顔が引き攣った。でも怯えている場合じゃない。何か、何か気を引けるようなことを言わなければ……何か……


『ウフフ。まだ気づいていないのね。きっととてもよく似ている世界なのね』


 脳に浮かんだのは、さっきアリサさんが言った言葉だった。そう、僕はその言葉を聞いた瞬間、何かが引っかかった。気づいていない何かに気づいたような。いや、そうではなくて、やっぱりそうだったのか?っていう感覚があった。そう、僕は感覚的にはもうとっくに気づいていたんだ。この未来は、おかしいんだ。この未来は、きっと地続きじゃない。ここは僕のいた時代から続いている未来じゃない。


 ウィイイインと音を立ててゆっくりと僕の腹部を目指して降りてくる解剖用の器具を眺めながら、僕は息を吸ってゆっくりと、はっきりと声を出した。


「……パラレルワールド」


 と、器具の降下がピタリと止まる。


「何かいったかしら」


「僕のいた世界とこの世界は、パラレルワールド……つまり、並行世界なんじゃないですか?」


 アリサさんは手をパネルから離し、黙って僕に体を向けた。


 パラレルワールド、並行世界とは、ある時点から分岐した異なる世界のことだ。一説ではそういった世界はそれこそ無数にあるとされている。例えば僕が中学生になったのを切っ掛けに勉強を頑張り出した世界。または頑張らない世界。頑張らない世界でも、途中から頑張り出した世界や、やっぱり頑張らずにダラダラ過ごす世界など、とにかく時間と選択肢の数だけ無数に分岐して存在する似て異なる世界だ。


「この世界はきっと僕が生まれるよりもずっと前に僕の世界と枝分かれした並行世界なんだ。全く違う歴史を歩んできた世界なんだ。枝分かれした結果、インターネットやスマートフォンみたいな僕にとって当たり前のものが存在していなくて、全く別のものが発達した世界。そうなんでしょう?」


アリサさんは「へぇ」と目を丸める。


「そういう考え方は藤森くんの世界にも存在しているのね。そうよ。この世界はあなたのいた世界とは別の世界。どこかの時点で枝分かれした並行世界……その百年後の未来の世界なのよ。最後に疑問が解けてよかったわね」


 アリサさんはそういって再びコントロールパネルと向き合う。天井から吊り下がってロボットダンスのように始動と静止を繰り返して蠢く医療用器具が、徐々に僕の腹部に降りてくる。ピッとお腹に冷たい液体が掛かるのを感じた。それは僕に迫る注射針から出た薬液だった。


「待って!話をしましょうよアリサさん!なんでも答えますから!僕の世界にしかない技術に興味があるんでしょ!?教えますから!なんでも正直に答えますから!」


「ウフフ。あなたに教えてもらう必要はないの。脳を覗けばいいのだから」


(あ……ああ……)


 仰向けになった右腕の上腕部に注射針がゆっくりと近づいてくる。針が触れるか触れないかまで近づくと、ウィィィィンと甲高くかすれた音を立てて液体の入った透明な円筒を納める金属のフレームが回転を始める。


「あ、ああ……」


 もうだめだ。この注射器はきっと麻酔で、これを打ち込まれたら僕は意識を失い、そのまま知らぬ間にバラバラに解剖されて死んでしまうんだ。もうほんのわずかで僕の人生は終わってしまうんだ。


 最後まで諦めないって心に決めたけれど、無理だった。僕はもう死ぬことを受け入れた。やれるだけのことはやったという思いがあった。それに……


 僕は最後に台座の上のコスモの顔を見た。


「うぐ……ひっく……ゴズモ……ありがとう」


 僕は未来の世界で出来た友達に感謝の気持ちを伝えて目を閉じた。死にたくないと泣き喚く姿を見せて苦しませたくはなかったけれど、完全には無理だった。どれだけ声を飲み込んでも、きっと僕は今、それを顔に出してしまっている。


 二の腕の腹に注射針の先端がチクリと触れる。


 その時だった。手術室の入り口からドゴオオオオオオンという轟音が響く。


「なにごと⁉︎」


 目を向けると、穴の開いた入口に首のない裸人間の姿があった。


「ヒイイ!首なし人間だァ!」


「バカ!よく見なロボットだよ!お前たち!早くそいつを倒しな!」


「ア、アイサー!」


 首のないロボットに詰め寄るの黒タイツの男たちを視界に入れながら、僕は台座の上のコスモの顔を見る。コスモはニコリと笑って言う。


「ショウタ君、お礼を言われるにはまだ早いよ」


「……間に合ったんだね!コスモ!」


 コスモは体を遠隔操作出来る。だから僕たちはコスモの体だけを一旦倉庫に留まらせてからひっそりと僕たちのいる場所に来させる作戦を立てたんだ。僕がコスモの頭部を持ち歩くことでコスモは研究所内の様子を知ることが出来て、僕の居場所もわかるって寸法だ。奴らもさすがに頭部だけのコスモは警戒しないんじゃないかっていう期待混じりの作戦だったけれど、どうやら上手くいったみたいだ。


「うわあああああ!」


 黒タイツの男たちは頭部のないコスモの体にジャイアントスイングされて壁に激突し、そのままガックリと気を失う。コスモの体は彼の頭部が置かれた台座に駆け寄り、首から上を体の上に置いてくるっと一回転半させ叫ぶ。


「ドクターアリサ!今すぐにショウタ君を解放しろ!」


 体と頭部が合体して一つになったコスモがアリサさんを指差して睨んだ。アリサさんは舌打ちして声を荒くして叫んだ。


「調子に乗るなポンコツが!」


 アリサさんは手元のコントロールパネルを操作する。すると僕の真上で動きを止めていた医療器具たちがコスモに向きを変えて蛸足を伸ばすように襲いかかる。


「こんなもの効くか!」


「クッ!」


 コスモは襲いかかるメスやハサミを片腕で弾き飛ばした。そしてそのまま床を蹴って天井に飛び上がり、医療器具の群れから天井に繋がっているケーブルが結束した根本を引きちぎる。


「な、なんて馬力なの!」


 コスモは驚愕するアリサさんに近寄る。


「クッ!よ、よるな!」


 コスモはアリサさんの言葉を無視し、後ずさるアリサさんの腕を掴んで引きちぎったケーブルを使いアリサさんの体をぐるぐる巻きにして拘束する。


「き、貴様あ!」


 鬼のような形相で睨みつけるアリサさんに目もくれず、コスモは僕の体を拘束する金具を指でつまんでバキバキ破壊していく。


「すごい力だ……」


「フフフ。いったろう?僕には重機並みのパワーがあるのさ」


 手術台から解放された僕はとりあえず無理矢理脱がされた服を着る。今になって心臓がバクバクと音を立て始めた。助かったんだという実感がケーブルに巻かれて床から悔しそうに睨むアリサさんを見おろしてようやく湧いてきたんだ。


「これからどうする?」


「ひとまずはここを出よう。騒ぎに気づいたドクターアリサの部下たちがここに向かって来ているはずさ」


「アリサさんは?放っておくの?」


「仕方がないさ。今は君と無事に逃げることが先決だ」


「分かった」


 コスモはアリサさんを睨んで言葉を放つ。


「ドクターアリサ、お前はいつか絶対に僕が捕まえて見せる」


 そういってコスモは腕を振りかぶって窓のある壁にパンチした。ドゴオオオオオオンと音が響くと、崩れ落ちる壁から外の景色が見えた。遠くには都市が、高々としたビルが立ち並ぶ都市の中央地区の姿が見えた。


(時空監理局はあそこにあるんだ……)


「さあ、いくよ!しっかり捕まって」


「わっ」


 コスモは僕の膝の裏と背中に腕を回して僕を抱きかかえ、壁に開けた穴から建物を囲む塀に向かってぐっと膝を曲げ勢いよく飛び出した。

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