第一章『郊外』編

「う……うぅ……」


 ぐるぐるとお腹のなかで渦が巻いているような気持ち悪さに僕は支配されていた。頭が、脳が直接揺さぶられているような感覚もあり、とても目を開けない。僕は……そうだ。僕は紫色の球体に……その光に、喰われるように飲み込まれたのだ。そして僕は……気を失っていたのだろうか。わからないけれど、自分がいつの間にか地面に横たわっているのはわかる。


 ワイシャツの半袖から出た腕がチクチクとした淡い刺激を柔らかな地面から感じる。まるで芝生の上にでも寝転んでいるみたいだ。目を開けて確認したいけれど、瞼を開ける元気が出ない。これほど急激な体調の変化を僕は経験したことがない。行程を省き一気に乗り物酔いをした気分だ。ズキズキと頭が痛んで、こめかみを押さえて僕は深く息を吸った。すると路地裏の煮詰まった空気とは違う、スゥッと爽やかな空気に肺が満たされるのを感じた。


 僕は何度も何度も大きく息を吸って吐いた。身体中の酸素を全て入れ換えるように、目を瞑りひたすら呼吸に集中した。そうしていると徐々にぐるぐるした不快さが薄れていき、奥歯を噛み締めていた顎の力みも緩んでいった。僕はゆっくりと体を起こしながら目を開ける。


「何だ……これ」


 そこに広がっていたのは路地裏の景色ではなかった。一面の緑の中に僕は寝転んでいた。芝生で埋め尽くされた地面に、等間隔で植えられた青々とした木々。まるでしっかりと手入れされた公園のようだった。僕のすぐ側では、舗装された灰色の道が遥か彼方の青い壁まで一直線に伸びている。その道の長さは、僕には見当もつかない。これほどまでに長く見通しのいい一直線の道を僕は人生で見たことがなかったからだ。十キロ?二十キロ?あるいはもっと?


 道の先にある青い壁も相当な巨大さだ。遠目にみる山のように空気の層の奥にそびえ立って見えて、ただただ大きいとしか表現しようがない。青い壁は緩やかに円をえがいているようで、壁はその先にある都市をおおっているみたいだった。


 都市。そう、都市だ。その青い壁の向こうには都市が見えるのだ。あの青い壁が膝ほどの高さにしか感じられないくらい、天空に突き抜けた目も眩むほど巨大な建物が群生した都市が青い壁の向こう側に存在しているのだ。


 どこなんだ。ここは?

 どうして路地裏にいた僕がこんな開けた場所にいるんだ?

 ここは東京なのか?そもそも日本なのか?


(夢だ。夢に決まってる……)


 僕は辺りを見渡しながらそう自分に言い聞かせた。そしてふと後ろに回した首をそのまま空の方に向けた。前方にだけではなく、僕の背中側にも巨大な青い壁があった。壁までの距離はそう遠くはないように感じるが、それは壁の巨大さが思わせる錯覚なのかもしれない。


 よく見るとその背後の壁は、僕の目に映る一帯全てを取り囲んでいるようだった。そしてその壁の上では、おそろしく巨大な透明の半球体がうっすらと空に蓋をしていることがわかった。ここは屋外ではない。巨大なドーム型建造物の内部だったのだ。


 僕は透明な膜の上に広がる青空を見ながらしばらくのあいだ立ち尽くした。白いワイシャツと制服の黒いズボン姿でポツンと立っている自分だけが世界から浮いている気分になった。


 こんなドームは聞いたことがない。日本はおろか世界中のどこにだって存在していないはずだ。これが夢じゃないのだとしたら、僕は紫色の光に飲み込まれ、どこか違う世界に迷い込んでしまったのだろうか。突っ立っていても仕方がないので、僕は遠くに見える都市を目指すことにした。歩き始めて不意に思う。当てのない荒野に放り出されるよりはマシだったのかもしれないと。


(あ、そうだ。スマホは!)


 そうハッとしたとき、僕は鞄を失っていることに気がついた。


(紫色の光に飲み込まれたときだ……)


 おそらくあのときに僕はびっくりして鞄を地面に落としてしまったのだ。きっと鞄は僕が元いた路地裏で置いてけぼりにされているのだろう。スマホは鞄のサイドポケットの中だ。スマホさえあれば電話で助けを呼んだりインターネットやGPSで今の自分の状況をもっと把握できていたかもしれないのに。


 (全部'スマホは鞄に入れて持ち運ぶこと'なんて校則のせいだ)


 校則を守ことが習慣化されてしまっていたせいで僕は塾に行くときにまで律儀に鞄にスマホを入れてしまっていたのだ。あんな校則さえなければっ。


(はあ。校則に八つ当たりしてどうなるってんだ)


 分かっている。どうせスマホなんて持っていても電波なんて入らない。ここはきっとそういう場所だ。GPSだって機能しなくて、ここが地球上じゃない場所だってことが明らかになるだけなんだ。そんな絶望を突きつけられるくらいなら、逆にスマホなんてなくてよかったのかもしれない。僕はしばらく無心で歩いた。遠くに見える都市には一向に近付いている気配がない。そりゃそうだ。まだ歩き出して二十分も経っていないだろう。背中に目を向けると、外壁との距離が少しだけ遠くなっているようには感じられた。


 一体あの都市までどれだけの距離があるのだろうか。仮に三十キロだとしたら、時速三キロで十時間か。でもそもそも僕の歩行速度ってどれくらいなんだろう。計ったことがないから見当もつかない。そうだ。いったん走った場合の時速を出してみよう。僕はニキロを大体八分、つまり一キロを四分で走れるわけだから、六十分だと……十五キロ!二キロのペース配分で走ると一時間で十五キロも進むわけか。うーん、何となくだけど歩いても時速三キロくらいは出てる気がする。そう考えると三十キロってそんなに大したことないな。一日歩けば簡単にたどり着く距離だ。


(でもあの都市までの距離が分からなければこんな計算何の意味もないんだよな……)


 もしかしたら三十キロじゃなくて三百キロあるのかもしれないし。


(いや、東京から富士山までがだいたい百キロって小学校の時に何かの授業で習ったことがあるぞ)


 あの都市がいくら巨大とはいえ、富士山ほどではないだろう。てことは、これだけ鮮明に見えているのだから三百キロどころか百キロよりも遥かに近いのかな?富士山なんて静岡の方に相当移動しないとはっきりとは見えなかったはずだ。だとすると、あの都市までは三十キロどころか案外十キロくらいの可能性も?


 僕はなんだか気が楽になって、体がすぅっと軽くなったよう気がした。とはいっても長い道のりだ。前を見ながら歩いていては気が滅入ってしまいそうなので僕は背中を丸めて足元だけを見て歩いた。心を無にし、ロボットになって突き進むのだ。


 しばらくしてふと視線を上げると、都市の方から何かが迫っていることに気づいた。よくみるとそれは車のようだった。丸みのある白の乗用車。パッと浮かんだ印象はそれだったけれど、その車と僕の知る車とでは決定的な違いがあった。タイヤがなく、空に浮かんでいるのだ。下部に少し丸みを感じるその乗り物は、地上から二十メートルくらいの高さを何か謎の力で一直線に飛んで僕の元に迫って来ている。それに気づいてからはすぐだった。空飛ぶ白い車が高度を下げながら僕のそばに停車すると、運転席から白いヘルメットを被った男の人が現れた。


「そう警戒しないでくれたまえ。僕は時空監理局捜索部隊員のホシノミノル。時空震に巻き込まれてこの時空にやってきた君を保護しに来たんだ」


 ホシノと名乗る男性はそういってヘルメットを脱いだ。ブルーのサンバイザーの奥からあらわれたのは太い眉と精悍な目。黒い髪の毛を七三に分けたたくましいその男性は、上下ともにベージュの服を来ていて、服の胸の辺りには赤い下向きの矢印のような大きな模様が入っている。ガッシリとした体型で、首に巻かれた赤いスカーフが印象的だった。


 変わったファッションだと僕は思った。なんというか、古いアニメか何かのコスプレをしているような……そんな失礼とも言えかねない印象を僕が初対面の男性に抱いたのは、日本語で話しかけられたことで安心したせいかもしれない。


「あ、あの……僕は……」

そう声を出したその時。


——助かった——


 そんな気持ちがお腹の底から湧き上がってきて、


「あ、あれ……」


自己紹介をしようとした僕の目に自然と涙が溢れてきて、僕は自分が制御出来なくなって、


「う、うわあああん」


 喉の奥から溢れ出す声が止まらなくなってしまった。不安だったんだ。何が起きたのか全然わからなくて、知らない場所で、どうすればいいのかも自信がなくて。堰を切ったように溢れ出した感情が落ち着くまで、僕は赤ん坊のように泣きじゃくった。


「辛かったね。不安だったろう。でももう大丈夫さ。よかったら君の名前を聞かせてくれるかい?」


 僕は手渡されたハンカチで涙を拭いホシノさんに答える。


「ふ、ふじもり、藤森ショウタです。あの、ホシノさん。ここって、どこなんですか?東京……なわけはないですよね。こんな場所、僕には全然心当たりがなくて」


 ホシノさんは僕を落ち着かせるようににこやかな顔で言う。


「フフ。その質問に答える前に僕から質問だ。藤森くん、今が西暦何年だかわかるかい?」


「……西暦?……そりゃ二〇二四年ですけど……」


「なるほど、君は二〇二四年の人間なんだね」


「えっ」


 声を漏らす僕にホシノさんは少し間を置いておもむろに口を開いた。


「いいかい藤森くん、驚かないて聞いてくれたまえ。確かにここは君がさっき口にした場所、東京だ。ただし二一二四年。君のいた時代から百年後の未来の東京。ネオトーキョーなのだ」


「え……えええええ⁉︎」


「二十一世紀の人間ならタイムトラベルという言葉くらいは聞いたことがあるだろう。君は時空の歪みに巻き込まれ、未来の世界に来てしまったのさ」


「……タイムトラベル……こ、ここが……未来の東京だって……?」


 驚きはしたものの、それは僕にとって意外と腑に落ちる答えだった。だってこんな巨大なドーム型の都市の存在なんて聞いたことがなかったし、空飛ぶ車だって僕の時代では実用化されていない。タイムトラベルしたという話の荒唐無稽さも、目の前に広がる存在するはずのない景色の前には霞むというものだ。あの路地裏の紫色の光が時空の歪みだったのだろうか。あんなものに興味を持ったせいで大変なことになってしまったものだ。


(それにしても……)


 僕は改めて周りの景色を見渡して思う。百年。長い年月だとは思う。だけど、たった百年でここまで変わるものだろうか。僕は未来の東京の姿を見て、ここが未来の東京だと知って、驚きとともに何か得たいの知れない恐怖を感じていた。乱立する薄汚れたコンクリートのビルの群れは影も形もなくて、蛇のように都市に絡み付いていた首都高速道路の面影もない。ごみごみとした街並みがまるで元々存在していなかったような、もしくは全てが洗い流されてしまったかのような、そんな釈然としない恐怖が僕の中に渦巻いていた。ここが、この場所がどこだか理解しても、なんだか納得できない。僕の本能に、感覚に、違和感が募っている。


「君のように時空の歪みに巻き込まれて別の時代からやって来る人間を我々は漂流者と呼んでいてね、僕の所属する時空監理局は漂流者を保護し、元いた時空に送り返すための組織なのさ」


「元いた時空に?ってことは、僕は元の時代に帰れるんですか?」


「もちろんだとも。時空にとって漂流者の存在はあまりいいものではなくてね。理論上の話だが、漂流者の存在はタイムパラドックスによる歪みを生じさせ、その歪みが大きくなると時空間に亀裂が走り、最終的に宇宙の崩壊を引き起こす恐れがあるのさ。だから君を元の居場所に返すことは必要なことなんだ」


 タイムパラドックスだとか、宇宙の崩壊だとか、なんだか話の規模が大きくなりすぎて僕は思わず息を飲んだ。


「さて、だいたい説明も済んだことだし、そろそろ行くとしよう」


 そういってホシノさんはグーに握ったこぶしの親指で車を差し、僕に乗車するよう誘った。その時だった。


「騙されないで!その男は悪の組織の手先よ!」


 声の主は空を駆ける赤いオープンカーに乗った女性だった。大きなサングラスをかけたその女性は真っ赤な車体を真横にスライドさせながら速度と高度を落とし、僕とホシノさんとの間に車ごと割って入ってきた。轢かれそうになったホシノさんは慌てて飛び退きドデンと尻餅をつく。


「ば、馬鹿野郎!」


 ホシノさんの怒声を無視し、サングラスの女性は僕に横付けした助手席のドアを開けて叫ぶ。


「早く乗って!あなたその男に、殺されるところだったのよ!」


「え、えええ⁉︎」


 殺されるところだった⁉︎


「どういうことですか?」


「後で話すわ。急いで!さあ早く!早くなさい!死にたいの⁉︎」


 戸惑いながらも僕はサングラスの女性の鬼気迫る様子に圧倒され、伸ばされた手を掴み赤い車に乗りこんだ。


「ま、待つんだ藤森くん!」


「お黙りなさい!」


 女性は運転席からドライヤーみたいな道具を銃を撃つように構え、トリガーを引く。


「わっ!」


 その道具の先端から飛び出したのは光の線だった。光り輝く白い光線がぐるぐるとコイルのように渦巻きながら直進し、ホシノさんの顔をかすめて彼の白い車をピカピカピカーと電気がまとわりつくように直撃する。プスプスと車が焼け焦げる音と臭いが辺りに漂うなか、サングラスの女性はハンドルとレバーを握って声を張る。


「飛ばすわよ!しっかり掴まって!」


 僕は言われた通りにドアについた取っ手をギュッと握り、ホシノさんの方にそっと顔を向けた。


「ま、待て!待つんだ!」


 ホシノさんは尻餅をつきながら腕を伸ばして僕らを呼び止める。


「……くそっ!」


 だけどその言葉が僕を乗せた車の主に届くことはなかった。ふわりと浮かんだ真っ赤な車体は瞬く間に加速し、振動のない不思議な乗り心地でホシノさんの元からぐんぐん遠ざかっていく。


「危ないことろだったわね。でももう大丈夫。私はアリサ。本物の時空監理局員よ。よろしくね藤森くん」


「ほ、本物の……?」


「ええ。あなたとあの男との会話はそこの集音メカで全て聞いていたわ。あの男はあなたを騙し、誘拐しようとした悪の組織の手先よ」


 アリサさんがグッと握ったこぶしの親指を向けた後部座席には、茶色いレコード再生機の上にラッパが取り付けられたような機械がある。


「あの男の話は大体は本当のことだったけれど、あの男が時空監理局の人間だというのは真っ赤な嘘っぱちよ。あんな男、見たことも聞いたこともないわ」


「そ、そんな……いい人そうだったのに」


「誘拐犯は優しく声をかけるものよ」


 そういってアリサさんはタバコを咥え重そうな金属製のライターに親指をかけシュボッと火をつける。アリサさんは二十代半ばくらいの大人の女性だった。胸元の少し開いた黒のライダースーツを着ていて、ルージュの口元に咥えたタバコのにおいとは別に、香水の甘い匂いもまとっている。軽くパーマのかかった黒髪を風になびかせてアリサさんは言う。


「あなたにはハッキリと言っておいた方がいいわね。いい藤森くん。あなたはね、狙われているのよ」


「狙われている?って、なんで⁉︎」


「あなたが別の時空からやってきた漂流者だからよ。あなたのその体にはね、計り知れない価値があるの」


「そんな……僕にそんな価値なんて……」


「フフフ。あなたが当たり前に持っているその体を喉から手が出るほど欲しがっている組織がたくさんあるのよ。それくらい別の時空からやってきた人間というのは貴重なの。だから絶対に知らない人間に付いていっちゃダメよ。私だけを信じなさい」


「はあ」


 アリサさんは真っ直ぐ前を見たまま僕に忠告した。車は凄まじい速度で空を飛んでいき、みるみる間に巨大な都市……ネオトーキョーが近づいてくる。


(それにしても……)


 あれが未来の東京の姿だとしたら、周辺の都市はどうしたのだろうか。神奈川や埼玉は?そもそも関東平野にこんな広大な空き地は存在しない。全て更地にしたのだろうか。この百年の間に一体何があったんだ?都市が近づくとアリサさんは車の高度を落とし、街道から逸れた道のない場所を地面ギリギリの高さで走り始めた。


「正面から都市に向かうと悪の組織の見張りがいるかもしれないから、秘密のルートで都市に向かうわ」


 しばらくすると広葉樹が密集する森が現れた。そこでは何か金属製の物体が動いている。近くを通り過ぎるときに目を凝らしたらそれはロボットだった。二足歩行のロボットが落ち葉の掃除をしているのだ。ただそのロボットは、なんていうか、とても野暮ったい見た目をしたロボットだった。金属製のバケツとドラム缶を組み合わせたようなデザインで、丸い目に三角の鼻、四角い口。僕はテレビの鑑定番組に登場するような昭和の時代のブリキのオモチャを連想した。そんなロボットがチリトリと箒を持って森の中を掃除しているのだ。


「降りるわよ」


 アリサさんは森の中の開けた場所に車を停める。ドアを開けて地面に降り立つと、森の中は雑草一つ生えてなくてとても整備されている。少しのあいだ僕はアリサさんの後ろを付いて歩いた。森の中の空気はとても芳醇な緑の匂いがした。


「追っ手はいないようね。まあ、この速さであなたの存在を感知できる組織はそうそうないから、今のところはあの男の組織くらいしか警戒する必要はなさそうだけれど」


「アリサさんはホシノさんの組織のことを知っているんですか?」


「ええ、まあね。有名な悪の組織よ」


 歩いた先で、ひときわ大きな木の元に僕たちはたどり着く。


「ここよ。少し下がって。」


 そう言ってアリサさんは木の後ろにまわり、木の幹を触り始めた。すると木の前の地面が盛り上がり、機械仕掛けの秘密の入り口が姿を現す。アリサさんが青く光沢のある両開きのドアの横に備わった認証装置にカードキーを通すと、赤く光っていたドアのランプが緑に変わり、キンコーンと明るい音が鳴る。


「さあ、行きましょう」


 スライドして開いたドアの先はオレンジ色の壁に囲まれた小部屋で、エレベーターになっていた。アリサさんがドアの横のボタンを押すと、入り口のドアがスライドして締まりふわりと体が浮くような感覚に包まれる。僕たちは地下へ地下へとエレベーターで降りて行く。再びキンコーンと音が鳴り動きを止めたエレベーターから出ると、頭上の蛍光灯が僕たちを出迎えるようにピカピカと点滅し通路を照らし始めた。


 床も天井も壁も薄い青色の素材で出来た学校の廊下くらいの広さの通路は眩暈がするほど一直線に伸びている。まるで目的地に向かって真っ直ぐに掘った秘密のトンネルのようだ。壁に触れてみるとひんやりと冷たく、軽く握った指の節を当ててみると、カンカンと音が響く。通路の青い壁は金属で出来ているようだった。


「地上にはあなたの敵がたくさんいるわ。まずはあなたのその服装をなんとかしなきゃね」


 アリサさんは僕の制服を見ていう。半袖の白いワイシャツに、黒いズボン。ありきたりな夏服だ。大体の中学校がこんな制服じゃないだろうか。


「この格好って、そんなに目立つんですか?」


「ええ。まるで大昔の人間に仮装しているみたいだわ」


(大昔……?)


 たったの百年後の人に中学の制服が大昔の人の仮装扱いされるだなんて、なんだかおかしな気持ちになった。学生服は二〇二四年から何年か後には法律で廃止されて無くなるのだろうか。制服がそんなに簡単に無くなるとは思えないけど……


(でも、そんなものなのかなあ)


 よく考えてみたら制服がなくなるとかそういうことじゃなくて、時代が違うってそんなものなのかもしれない。僕は五十年前の映像をテレビで見た時のことを思い出す。僕にとっての五十年前といったら一九七〇年代だけど、映像で見たその時代の男子学生はみんなダボダボのズボンを履いていてリーゼントだった。学校でタバコを吸うのは当たり前で、盗んだバイクで走り出すなんて歌詞が非難されるどころか共感されていた。あの時代の学生の格好を二〇二四年にしていたら、それは仮装だ。アリサさんがいっているのはそういうことなのかも。五十年ですらそれくらい隔たりを感じるんだから、百年も違えば相当なのだろう。


「ジェネレーションギャップってやつですね」


「何それ。おかしなことをいうのね」


 しばらく歩くと、アリサさんが腰に下げたポーチから厚い板状の機械を取り出す。


「そろそろだったはずだけど」


「なんですかそれ」


「都市の地下マップが登録されたメカよ。ここから先は道が複雑になるわ。工場の中を通ったりもするから、周りに気を取られ過ぎないで私についてきてね。あ、あそこのドアだわ」


 アリサさんは通路の壁に現れたドアを指差した。どうやらこの狭い通路は突き当たりまで進むわけではないらしい。


「ちょっと待って、少しマップを確認するわ」


 そういってアリサさんは両手で持った青くて分厚い板状の機械と睨めっこする。背を伸ばして少し覗いてみると、板の上半分には白黒の画面が、下半分には上下左右を指す灰色の三角のボタンと赤くて丸いボタンが四つずつついている。なんだかもの凄く古い携帯ゲーム機みたいだ。ゲームボーイだったっけ。僕は家族で行ったゲームの歴史展で見たそれを思い出した。白黒の画面上では棒の組み合わせでできた見取り図の中で丸いアイコンがピコンピコンと点滅している。なんとなくマップらしさは感じるけれど、こんなので道なんてわかるのだろうか。そもそも画面も小さくて見にくいし。


「タブレットとか使わないんですか?」


「タブレット?」


「なんで専用っぽい機械を使ってるのかなあと。それもなんていうか、ずいぶん古そうな機械だし」


「……このメカは新品だけど?」


「いえ、古そうっていうのはそういう意味じゃなくて、時代的に古そうっていうか」


「あら、あなたにはこれがそう見えるのね」


 アリサさんはうっすらと笑みを浮かべて続ける。


「ウフフ。今から楽しみだわ。行きましょう」


 そういってアリサさんはスライド式のドアを開けた。なぜだか僕は、背筋に冷たいものが這うのを感じていた。ドアの先には二畳ほどの何もない小部屋があった。物置みたいなその小さな部屋の突き当たりは、膝丈くらいまでの壁の一部が青い金属ではなくてステンレスのような銀白色の素材で出来ている。アリサさんはしゃがんでその壁に触れると、ポーチから懐中電灯のようなライトを取り出し銀白色の壁を取り外した。


「ここから先に進むわ。狭いから頭をぶつけないように気をつけてね」


「は、はい」


 空調ダクトの中みたいな暗く狭い通路を四つん這いになって進むアリサさんの大きなお尻を僕も四つん這いになって追いかける。ライダースーツでピチッとした女性のお尻をこんな直近で見るのはなんだか照れくさくて、いけないことをしているような背徳感があって僕は落ち着かない気持ちになった。でもそれなのにチラチラと顔を上げて苦しい姿勢で進んでしまうのは男のサガなのだろうか。残念なことにすぐに小部屋から差し込んでいた光は届かなくなって僕はアリサさんの持つライトの光だけを頼りに這い進むようになった。


 視覚があまり役に立たない場所だからか、触覚が鋭敏になっているのを僕は感じた。通路は金属製だけど、ベコベコとしていて、手首や膝をつくたびに床の薄さが伝わって来ていた。


(てかここは本当に空調ダクトの中なのでは?)


 なんだかステルスアクションの世界を体験しているみたいな気持ちになった。だってどう考えてもこの道はまともな道じゃない。まるで侵入経路だ。僕の中で犯罪行為をしているような気持ちがもの凄く高まってきて心臓がドキドキ鳴り始める。地上からまともに都市に入ろうとすると僕を狙っている人たちに見つかる危険があるらしいけれど、こっちは……大丈夫なんだろうか。セキュリティーマシンに射殺されたりなんてことは……ないのだろうか。


「ここね」


 考え事をして進んでいるとアリサさんが急に止まり、僕の顔がぽにょんとアリサさんのお尻に追突する。ほんのりと暖かくて、肉まんのように柔らかかった。


「きゃん!」


「あ、ご、ごめんなさい」


「もう!エッチなんだから!」


「わざとじゃないんです。ごめんなさい」


 アリサさんはお尻を手でパッパと払うと、コツンコツンと床を叩き、腰のポーチから電動ドライバーみたいな工具を取り出した。床に置かれたライトに照らされたその何気ない動作を見て、僕はふと疑問を口にしていた。


「それどうやって入ってたんですか?」


「え、これ?」


 アリサさんは体を狭い通路の端に寄せ僕の顔を見て聞き返した。


「そのポーチって、さっきのぶ厚い機械も入ってますよね。大きさ的に入るわけがないと思うんですけど」


 茶色い革製のポーチは、あのゲームボーイみたいな機械だけでもギチギチなはずだ。とても電動ドライバーみたいに大きな工具が入る隙間があったとは思えない。というか、今アリサさんが持っているライトだって元々ポーチに入っていたんだ。どう考えても容量的におかしい。僕がそんな疑問を浮かべて質問すると、


「これは四次元ポーチよ。このポーチの中は四次元空間になっているから、いくらでも入るわ」


(ええ……)


 さも当然のようにアリサさんは答えた。ドラえもんの四次元ポケットならば日本人なら誰でも知っているけれど、ようはそれのポーチ版ってことなのだろうか。まさか四次元ポケットと同じ技術がたったの百年後には実用化されているだなんて。


(いやでもそんなことあり得るのか……?たった百年で……?)


 科学の進歩のスピードは僕の頭の理解を超えていて、僕は目の前で見てもそれが信じられなかった。ただ、僕は今更だけど深く思う。空飛ぶ車といい、四次元ポーチといい、やっぱりここは未来の世界なんだ。


 アリサさんはギュイーンと音を立ててドライバーを回していた。あの工具は見た目通り電動ドライバーだったみたいだ。どうやらネジは百年後の世界でも現役らしい。アリサさんが床板を外すと、暗い通路の下から黄色い明かりが溢れ出した。アリサさんは四次元ポーチから今度は縄梯子と杭、ハンマーを取り出し、カンカンカンと壁に杭を打ち込んで縄梯子を固定する。


 四次元ポーチって、どんな仕掛けで物を取り出すんだろう。自分が思い描いたものが取り出せるのだろうか。質問したかったけれど、作業しているアリサさんの邪魔になるかと思って僕は口をつぐんだ。アリサさんは縄梯子を引っ張り、「よし」と強度を確認する。


「大丈夫そうね。ちょっと高いから、気をつけて降りてきてね」


 そういってアリサさんは垂らした縄梯子を降りて行った。僕は狭い通路に開いた穴から下を覗き込む。高いとはいっても五メートルくらいで、びっくりするほどの高さではなかった。とはいえ落ちたら骨折しかねない高さだ。僕は最初の一歩を縄梯子に踏み出すのが怖かった。なにしろこの通路は狭く、手で掴めるようなものが細い杭くらいしか周りにないのだ。杭に体重をかけて抜けたりしたら大変なことになるから、出来るだけ縄梯子の低いところに足をかけて縄を手で掴みたいところだけど、それがなかなか難しかった。アリサさんが縄梯子を降り切った後に梯子を少し引き上げて足をかけることでどうにかこうにか縄梯子にうまく体重を移し、僕は暗く狭い通路から降りることが出来た。

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