レトロフューチャー・オンデマンド
まる〜
プロローグ
理科の井出先生の授業が脱線するのはいつもの事だけれど、井出先生はそれがどれほど健全な男子中学生に悪影響を与えるのかを考えた方がいいと思う。この前は幽霊、その前はタイムトラベル。さらに前は宇宙の大きさについてだったっけ。そして今日は平行世界……パラレルワールドについてときたもんだ。そんな話を朝から聞かされては妄想が捗ってしまいその後の授業がてんで頭に入ってこない。
「例えば、私が教師になろうと思わなければ諸君と出会うことはなかったわけだ。選択の数だけ違う未来が待っているというわけだな。さて、諸君はあと二年もすれば進路を選択することになるわけだが、その前から大きな選択は始まっている。それは勉強を頑張るか頑張らないかという選択だ。想像してみろ。勉強を頑張った自分と頑張らなかった自分では選べる進路の幅が違うぞ。何かを選ぶときにはもう、選べるものしか残っていないのだ」
だいぶ説教くさい締めかたをされて僕の中に勉強を頑張らなければという気持ちが芽生えたものの、やはりそれよりも平行世界について妄想している方が楽しい。
争いのない理想の世界はあるのだろうか。そもそも理想の世界ってなんだろう。争いがないことはそもそも正しいことなのか?争いが人類を発展させたなんて話を聞いたことがあるぞ。争いがなかったら人類は発展しなかったのかな?
(ああ……止まらない……)
きっとクラスの中には僕と同じように妄想を膨らませている奴が何人もいる。もしくは、井出先生の言葉を真摯に受け止めて授業に集中している奴もいるだろう。
(ああ、僕はそっち側になるべきなのに)
わかってはいるのに、なぜなれないのだろう。
なぜ人は正しいとわかっている選択が出来ないのだろう。
なぜ人は、生きているのだろうか。
「じゃあな藤森!」
「うん、バイバーイ」
結局だらだらと妄想したまま一日は過ぎていき、僕の脳は平行世界なんて仮にあったとしても観測しようがないわけだから、考えてもしょうがないやと大分いい加減に締めくくった。 こういうのっていつもそうだ。宇宙の大きさに思いをはせたり、生きる意味を探ってみたり、タイムパラドックスの矛盾を解決してみようとしてみたり、そういうのって結局最後には「どうでもいいや」で終わる。自分のちっちゃな脳では扱いきれるわけがないのになぜだか扱いきれるように感じてしまう錯覚に名前でもつけようか。
そんなくだらない事を考えながら一度家に帰り駅前の学習塾に向かう最中だった。ちらりと目を向けた雑居ビルの隙間の路地の奥を、何か紫色の光がぱあっと照らしたような気がして僕は誘われるように路地に入った。
黒ずんだビルの壁に挟まれた路地にはオレンジ色の夕日は届いてなくて、夜よりひと足先に暗がりが支配する影の道を僕はゆっくりと歩く。表通りとは一転した静けさがそこにはあった。そっと歩く僕の小さな足音を、壁を這う配管の先の室外機から響く低い唸りだけが控えめに盛り立てる。さっきの紫色の光はなんだったのだろう。確かそこの角を曲がった奥だ。確かにそこから紫色の光が溢れて、この辺りを照らして見えた。僕は恐る恐る曲がり角の奥を覗く。すると袋小路の奥が、紫色の淡い光にぼおっと照らされている。
(なんだ……あれは)
その光源は、宙に浮かんだ紫色の球体だった。バスケットボールくらいの大きさの球体が、紫色の淡い光を放ちながら僕の顔の高さで浮かんでいる。
僕はゆっくりとその球体に近づいた。手を伸ばせば届きそうなところにまで近寄ると、木星のように斑に濃淡のある紫色の球体はカパッと口を開くように縦長に地面にまで膨らんで、僕がまずいと直感したときにはすでに時遅く、僕はその紫色の光の中に飲み込まれてしまっていたんだ。
【時空監理局モニター室】
「大規模な時空震を確認!」
「震度は?」
「計測中……出ました。震度六です!」
「震度六だと⁉︎緊急事態だ。君はそのまま震源の特定を。君は各部署に連絡を。君は都市全体の平均質量変化の推移を確認してくれたまえ!」
「はい!」
椅子に座ったオペレーターの女性たちが、無数に取り付けられたアナログメーターの針とにらみ合いながら金属製のコンソールボックスの大小様々なボタンをせわしく操作し始める。
ピコピコと音律のない軽快な電子音が鳴り響く艦橋然としたモニター室の中央席から一通りの指示を終えた室長のムロイは、ぐるぐる巻きのコードが繋がった受話器を耳に当てダイヤルを回す。
「局長、時空震です。震度六の時空震が計測されました」
「震度六だと?漂流物は?」
「現在有無を確認中」
「室長!都市の平均質量に五十キログラムほどの増加があります!」
「……局長、どうやら漂流物は存在するもよう。震源が特定出来しだい隊員を派遣します」
「わかった……迅速にな。他の組織に出し抜かれるような事があってはならんぞ。中央には私から伝えておく」
「はっ」
ムロイは受話器を置くと、前方の巨大モニターに映し出された暴虐な波形を睨み付ける。
「五十キロの漂流物か。何事もなければいいが……」
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