02.145:変人主人とその家族<ルア視点>
「……綺麗な天井」
スズメの鳴き声で朝、穏やかに目を覚ましました。此処は何処? そう思うことはありませんが、起きてもまだ夢を見ているようではありました。
それ程にまで、今日の目覚めは昨日までのそれとは異なるものでした。昨日までは目が覚めたならばアークとお互いの無事を確認し、無事を知って安心しつつも、今日もこんな日々が続くのかと絶望する、そんな日々でした。それがこんな穏やかな目覚めを得られるとは。
「アーク!」
僕は隣で今も寝続けている弟の様子を見ました。弟は穏やかな寝息で、この思いかけず訪れた幸運を、奇跡を満喫しておりました。
ええ、これは幸運であり、奇跡なのでしょう。例えこれが貴族令息の気まぐれで、一晩で出されるのだとしても。
そう思ったその時でした。ノックと共に1人の、私達の母親と同年代くらいに見える女性が入ってきました。
「おはようございます。お目覚めのようですね。私は当家、バウルムーブメント伯爵家のメイド長を務めさせて頂いております、リプリと申します。よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします」
僕はつられるように頭を下げました。これで良かったのだろうかと不安を抱きながら。ただ、リプリ様は不満を持ったような表情はされなかったので、ひとまず一安心ではありました。
リプリ様は僕に言いました。
「弟さん、アークさんはまだお休みのようですね」
「あ、申し訳ありません。今、起こしま」
「いえ、起こさないで結構です。まずはお体を回復させることに専念して下さい」
信じられないことを!
嗚呼、やはり僕は夢を見ているのでは? などと思いはしましたが、頬をつねっても痛いだけで、別の現実に目覚めるということなさそうでした。
リプリ様は少し苦笑い気味に訊いてきました。
「ルアさん、アナタはお体大丈夫そうですか?」
「は、はい。僕は元気いっぱいです。ありがとうございます」
良い食事と良い睡眠、それが得られたのはいつ振りなのか、もう見当もつきません。それを下さったなんて。ありがとうございます。ありがとうございます。
僕はまた、頭を下げました。リプリ様は淡々とした口調で僕に言いました。
「それは重畳。では、顔を洗い、着替え、朝食を取ったならば、ダイアリア様の私室へ行って下さい。アナタからお話を聞きたいそうですので」
「か、畏まりました」
僕はまたまた頭を下げました。
感謝を伝えなければ。感謝を伝えなければ。その思いで、出会う前から緊張してしまいそうでした。
「わざわざ来てくれてありがとう。朝早くから悪いわね」
「い、いえ。いいえ! 滅相もございません!」
僕はガバッと頭を下げました。このお方はバウルムーブメント伯爵家という天上人達のご当主様の奥方様、つまり2番目にお偉い方。失礼があってはならない。失礼があってはならない。
そう思っていた僕は緊張で体はガチガチになり、頭もグルグルになりました。もう、自分が何を言い、なのか、もうしているのかさえも分からないくらいでした。
そんな僕に、ダイアリア様は優しく声をかけて下さいました。
「ちょっと話を聞きたいだけだから、そんな緊張しなくていいわよ? さあ、そこの椅子に腰掛けて頂戴」
「……し、失礼します」
本当に座っていいのでしょうか? 座るべきなのでしょうか?
少し考えてから、僕はダイアリア様指した椅子に腰掛けました。指示に従わないのもまた、無礼ではないかと考えたからです。
「まだちょっと緊張しているみたいね。じゃあ、深呼吸してみましょうか。吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー」
「すー、はー、すー、はー……」
ダイアリア様の仰った通りに深呼吸してみますと、確かに心が少し落ち着けたような気がしました。
ダイアリア様はそんな僕を見て微笑まれました。
「良い子ね、アナタ」
「め、滅相もございません」
「その丁寧な対応、何処で身につけたの? 差し支えなければ教えてもらえるかしら?」
「だ、大丈夫です。ただ、大した話ではないですよ?」
「構わないわ。教えて」
「畏まりました。僕とアークは双子なんですけれど、幼少期に父母と暮らしていた家のすぐ近くに教会があったのです。その神父様がとても素晴らしい人でして、僕とアーク2人共神父様のような大人になるーって言っていたのです。僕達の話し方は、その神父様の話し方の影響ですね」
「その神父様は今では?」
「3年くらい前に亡くなりました。お年を召した方でしたし、持病もあったようでした」
その神父様のことは今でも明確に思い浮かべることが出来ます。あの頃まで、僕達の暮らしはとても恵まれたものでした。
ダイアリア様はゆっくり長く息を吐かれますと、僕へ一言仰いました。
「やっぱり良い子ね、アナタ。あの子の側用人にはもったいくらい。本当に、あの子の側用人でいいの?」
「え?」
その時の僕には、ダイアリア様の言った意図が分かりませんでした。餓死寸前だった僕達を救ってもらえたことは、間違いなく救いだったからです。
そう思い、驚いた顔をした僕に、ダイアリア様は少し慌てた顔をして仰いました。
「ああ、あの子が良い子なのは間違いないわよ? 私の自慢の息子だもの。良い子で、そしてとても優秀でもあるわ」
「そ、そうですか。それは凄いですね」
僕はそう相槌を打ちましたが、若干棒読みだったかもしれません。その時の僕はまだ、インドール様の異常性を知らずにいたから、よくある親のセリフとしか思えなかったのです。
そう思った僕に、ダイアリア様はサックリ仰いました。
「でも、とても変な子でもあるのよね。親である私の目で見ても」
それから聞かされたインドール様のエピソードはとても奇妙奇天烈で、にわかには信じられないものばかりでした。領都が綺麗ではないという理由で幼児が下水道なんてものを企画し、造り上げ、運用させ、今では王様の命を受けて王都にもそれを造らせているなんて、お伽話だとしても信じ難いものでした。
そんな話の合間に出された珍妙な歌を歌って踊るエピソードは実に子供らしいものではありましたが、それ故に奇妙な違和感がありました。その時は子供だというアピールなのか、とチラッと思ったりもしましたが、後日に思い返しますと即座に分かることでした。
何も考えていないなと。
ただ、インドール様の周りには楽しそうな笑顔が溢れています。それはずっと変わらず、出会ったばかりの頃でも分かりうることでした。それ故、インドール様の為に働くことに迷いはありませんでした。
そんな僕に、ダイアリア様は微笑んで下さいました。その後仰ることは、幼心にも予想が出来ました。
「親の目で見ても変な子で申し訳ないけれど、あの子をよろしくね」
「畏まりました」
ダイアリア様の予想通りの言葉に、僕は笑顔で応えました。ダイアリア様とのお話はこれでお終い。そう思ったのですが。
ああ、そうそう……とダイアリア様が追加で訊いてきました。
「執事のようなスーツでピシッとしていて良くはあるのだけど、ルアちゃんとしてはそのカッコウでいいの?」
「ハイ、身が引き締まるような気がしますので」
僕のその言葉に嘘はありませんでした。白いワイシャツに黒のスラックス、黒のネクタイとベスト、いくつか用意して頂いた服装の中で僕が選んだのはそれでした。
それが一番しっくり来るものだったからでしたが、ダイアリア様は訊いてきました。
「でも貴女、女の子でしょう?」
「!」
ああ、やっぱり気付かれていたのですね。
僕は驚きませんでした。そのくらいのチェックくらいはされて当然だからです。
「そうですね。もう男と偽装する必要もないのですが、ずっとそうしていたせいで男装の方に慣れてしまったのです」
「そう、貴女がそう望むなら好きにしていいわよ? ただ、可愛いカッコウをしたくなったら遠慮なく言ってね。全力で可愛くしてあげるから♪」
「か、畏まりました」
そうは言ったが、そんな日は来ないだろうと僕は思っていました。ダイアリア様の目は本気で、そのようなことを申し出ようものならば、本当に妖精やお姫様のような変身をさせられそうだったからです。
と、それはそれとして僕は確認の意味で訊きました。
「僕が女だということを、もう皆さんご存知なのですか?」
「リプリは知っているわね。ただ、あの子は恐らく気付いてないわね。あの子、貴女達姉弟のことをネコミミ・ボーイズなんて言っていて、その意味は私には分からなかったのだけど、アークちゃんと一緒にしている時点でもう、女の子って意味合いじゃないでしょうしね」
「あの、インドール様に申し出た方が良いのでしょうか? 僕は女ですと」
「言わなくていいわ。あの子は気付くべきなの。そして、そうやって人を見る目を鍛えるべきなのよね」
「畏まりました」
「さあ、それより最初のお仕事よ。あの子を起こして頂戴」
ダイアリア様がそう仰ったことで、僕ははたと気付かされました。ご当主様はもうお仕事されています。クリスター様もお勉学に励んでおられます。執事やメイドの皆様も働いておられます。そんな中、インドール様はいらっしゃらないなと。
ダイアリア様は軽く溜め息をついてから仰いました。
「あの子、良いことや楽しみなことがたくさん出て来ると、ワクワクが止まらないのか寝付きが悪くなるのよね。そんな次の日の朝はこうなってしまう訳よ」
「はぁ」
子供ですか。嗚呼、子供でしたね。
僕はその時、ちょっとだけ愉快な気持ちになり笑いそうになりました。そして、インドール様の側用人というのは、そんなお子様の世話だろうと高を括っていました。
「では、起こしに参ります」
そう言って、意気揚々とインドール様の部屋へ向かった、そんなあの日あの時の自分を叱り飛ばしたいです。
インドール様の部屋に僕が着いた時、インドール様は既に起きていました。しかし……
「オッケィ! モーモー体操第一! モーモーモモッモモモ、モーモーモモッモモモ、モモモモモモモ……ハイッ!」
そこにいたのは朝からハイテンションで、アークを運ばせたこげ茶色のゴーレムと共に珍妙な歌と踊りをしている新しいご主人様でした。嗚呼、これからこの人に振り回されて大変になる。
本当に、あの子の側用人でいいの? ダイアリア様がそう仰った、その意図を僕はようやく理解したのでした。
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