02.095:バウルムーブメント伯爵家の密談(インドールなし、ゲストあり)<第3者視点>
インドールが去ったバウルムーブメント家の応接間では、少しの間沈黙が流れていた。気分は恐らく、台風一過であろう。
父ジャックシーは一つ息を吐いてから口を開いた。
「行ったか」
「ええ。それより良いのですか? あの子自身にあの子の側用人を探させるなんて」
母ダイアリアは不安そうな面持ちで、夫にそう訊ねた。彼女にとってインドールは、優秀で可愛い息子ではあるものの、それと同時に不安の種でもあった。何をするのだろう、何をしてしまうのだろうかと。
ジャックシーのとってもそれは同じだったが、ジャックシーはそれでもと言った。
「これはアイツに人を見る目があるのか、たまたまなのか、運が良かっただけなのかは分からぬが、インドールは意外と良い人材を連れてくる。我が領で下水道関連を取り纏めている者達はどうだ? アレ、半数以上は元々スラムに居た者共だぞ」
「確かに。今ではきちんとした挨拶もしますし、職務にも真面目に取り組んでいますものね」
ダイアリアは下水道関連で働いている人達のことを思い浮かべた。最初は汚い風体の連中が多かったのだが、今では普通の平民のように身奇麗にしていて、そこら辺の庶民と何ら変わらない。それどころかきちんと挨拶が出来る分、良家の人間に見えなくもないくらいだった。
クリスターもそんな彼等を思い浮かべ、その上でジャックシーに訊いた。
「じゃあ、インドに確認してみれば良かったんじゃないですか?」
「あ、あやつに確認だと? 儂にはもう、あやつが『俺の慧眼で人材の良し悪しなんか、くるっとぱるっとお見通しなのです』などとぬかす姿が思い浮かぶんだが、気のせいか?」
「き、気のせいじゃ……なさそうですね」
「あの子はそう言いますよ。例え違っていても。その正誤の区別、つくかしら? 私には無理ですわよ? 例え母であっても」
「儂にも無理だな。父ではあるが」
「え、インドは両親であってもその嘘を見抜けない程の、巧みな嘘つきなのですか?」
クリスターは恐る恐る訊いた。自分の弟がそんな性悪な嘘吐きでなければいいなと願いながら。
ダイアリアは少し考えてから答えた。
「嘘吐きって訳じゃないのよ、あの子は。ただ、本当かどうか分からないままその場のノリだけで答える傾向がありますからね。そのくせ、それを良い結果に導いてしまうのだから優秀な子だというのに間違いはないのしょうけど」
「言動はある意味間違いだらけなんだがな。と言うことで、今日はさらにもう1人の客がいる。さあ、入れてくれ」
「畏まりました」
タウンハウスのは応接間のドアの外でハキハキとした声で返事をし、それから一拍置いてからドアを開けた。
ドアの外には1人の男が立っていた。20代半ばくらいの美丈夫だ。
「お呼びに預かり、参上致しました。バウルムーブメント伯爵領下水処理場所長代理、ルイ・バキュームでございます!」
ペコリ。ルイは綺麗なお辞儀をした。その様は、まるで王家に仕える騎士のようだった。
ダイアリアとクリスターが驚いた顔をしているのを横目に、ジャックシーはルイに話し掛けた。
「今日君に来てもらったのは、我が息子インドールについて訊きたかったからだ。インドールのこと、君はどう思っておる? 世辞無しに聞かせてほしい」
「インドール様、あの方は私にとって一番の恩人です。あの方がいなければ、今の私は絶対に存在しませんでした」
おおおお。クリスターはそんな唸り声を上げながら、とても驚いた顔をした。こんな心酔しているとは思いもしなかったのだろう。
その一方でジャックシーは眉一つ動かさず、話を促した。
「続けてくれ」
「はい。バウルムーブメント伯爵家の領都に下水道を造ろうとされた6年前まで、私は領都のスラムでただ生き長らえているだけの卑しい存在でした。そんな私の前に、立派な馬車に乗って使用人を連れて堂々とやって来た幼児、それがインドール様でした。インドール様は仰いました。下水処理場を造るから、そこで働かないかと」
「それで、君は働くことを決心したのかい?」
クリスターはそう訊いたが、ルイは静かに首を横に振った。そう簡単ではないと。
「いいえ、いいえ。その頃の私は腐っておりましたから、働かないかと誘われたから、給金が貰えるからと言って、簡単に乗ることは出来なかったのです。拒むだけでなく、その時の私はとても酷い言葉をぶつけてしまっておりました。運良く貴族の家に生まれたお前に俺の何が分かるんだとか、スラム生まれの俺の人生はどうせ死ぬまでこんなもんだとか、お前のような貴族が搾取しているから俺達はずっと苦しいんだとか、言っても意味の無い八つ当たりをたくさん。インドール様はそんな私の話を最後まで黙って聞いてから、私に訊ねたのです。満足かと」
「満足?」
ダイアリアは首を傾げた。どういうことなのかと。だが、ルイはそのダイアリアにチラッと目を向けつつも静かに首を縦に振った。
「はい。そう問われました。生きるのが大変だとか、苦しいとか思っている者は古今東西ありふれている。庶民だけでなく、王侯貴族もそう。人間だけでなく動物や魔物、小さい虫けらだってそう。皆が生きるのは大変で、苦しくて、それでも死ぬのが怖いから生き続けているのだと。そんな当たり前のことをさも特別のことのように言い、糞尿のようにただ愚痴を垂れ流し続けながら年老い、不満気な顔のまま死んでいったものもありふれている。そのありふれた一つになって、それで満足かと」
「そう、言ったのか? あやつが」
「はい、まだ3歳の幼児が」
少し信じられないものを見たような顔をしたジャックシーの問いに、ルイは静かに首を縦に振った。
ルイは目を閉じれば、今でもあの時の光景を思い浮かべることが出来た。あの出会いはこれまでのルイの人生で最も印象的で、ずっと曇っていた彼の視界の靄を全て吹き飛ばすものとなった。
「インドール様との出会いは、私にとって天啓だったのです。インドール様はさらに仰いました。生きるのが苦しいのは、生きることそれすなわち戦いであるからと。そのように性悪な神が創ったからだと。それならば、どうせ戦いであるならば、少しでも楽しんだ方が良いのではと。楽しく戦い、楽しかったと思いながら死んでいくのが良いのではと、そう仰いました」
「「「ああああ…………」」」
ジャックシー、ダイアリア、クリスターはそれぞれインドールの姿を思い浮かべた。その姿はすぐにイメージ出来た。
歌って、踊っていた。クマムシ音頭、モーモー体操第一、王都へ行こう、浮かんだ曲は各々異なってはいたけれど。
ルイは言った。
「だから、私は今も下水処理場で働き、此処にいるのです。楽しさを感じ、そして伝えながら」
「では、最後に君の考えを教えてくれ。インドールには人の良し悪しを見分ける力があると思うか?」
「いいえ、ないと思います。あの方に出会った時の私は正真正銘のクズでしたから。でも、良い人へ変える何かはあると思います」
ルイは即答で断言した。そのようなものはないと。そもそも、そのようなことを気にする方ではないと。
その回答を聞いて、ダイアリアは前にルイを何故採用し、要職を任せるようにしたのかインドールに訊いたことを思い出していた。
採用した訳はただ一つ、暇そうだったから。要職を任せるようにしたのは、雇ってみたら誰よりも優秀で、結果を残してくれたから。それだけだった。良くも悪くもああだこうだ細かいことを気にしない。それもまた、インドールだった。
「……そうか、話をありがとう。ルイ君、戻ってくれ給え」
「畏まりました」
ジャックシーに退室を言われたルイは、また綺麗な礼をして応接間から出て行った。
ルイがいなくなってから少しの間、応接間に沈黙が流れたが、ジャックシーが家長として言葉を発した。
「インドールの側用人、あやつの望んだ人物をつけるのが最良そうであるな」
「そうですわね」
「そうですね」
そうして、第何回目かのインドール抜きのバウルムーブメント伯爵家の密談は幕を閉じた。
そんな彼等は知らない。その頃インドールは暇を持て余し、新しい歌『側用人のテーマ』とステップを創ろうとしていたことに。
そ、そ、側用人♪ 側用人♪ 側用人♪
そ、そ、側用人♪ 側用人♪ 側用人♪
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