第8話 聖女の受難

 神奈川ダンジョン中層――第19階層


 今は誰も居なくなった階層に、突如として轟音が響き渡る。

 それは18階層とを隔てる天井に大穴が空いた音であり、そこから人が一人降って来た。

 深刻な表情をしているその人物は、落下中でありながらも誰かと会話をしているようだ。


「まだマスターとは連絡が取れないのですか?」

『申し訳ありません…先程から試してはいるのですが、一向に返答がなく……。ですが、他に良い知らせと悪い知らせが』


 着地の際に巻き上がった砂煙の中から姿を現したのは、豊満な肉体をローブに押し込めた、腰まで届くプラチナブロンドの女性。

 ――巷で聖女と呼ばれ畏怖される、マーナガルムのサブマスター。葛城アレクシア、その人。

 現在彼女は、22階層で二つの異常事態に見舞われたセシルを助けるために全力で駆けつけている最中だった。


「良い知らせから先にお願いします」

『はい。セシルのマネージャーが彼女らへの交渉に成功しました。20階層で待っているとのことです』


 20階層に続く階段へと走り出しながら返答するアレクシア。

 それに対するインカムからの答えは、凡そ朗報と呼べるものだった。


「……対価はなんですか?あの状態のセシルちゃんを延命させたのです。並大抵のものではないでしょう」


 しかし、アレクシアは分かっていた。本来であれば、セシルは助からなかったと。

 そもそもあの異常個体に敗北して命を取られていた筈なのはもちろん、限界を超えた力の行使の代償。

 身体を蝕む魔力毒に対する対処法は数少なく、更には、見た限りでもセシルの肉体は致死量を超えていた。

 それに加えて使ってはならない力まで使ったのだ。死神の鎌が二つ首筋に突き付けられたようなものである。


 しかし、何をしたのかは分からないが、彼女たちは鎌を一つ取り除いたばかりか、もう片方の鎌までをも凍らせた。その対価は、推して知るべきだろう。


『それが……』

 インカムから届く歯切れの悪い声。

 それを聞くと否応にも良くない想像をしてしまうが――


「…はっきりとお願いします」

『はい。……特に何もいらない、とのことです』

「…………は?」


 あまりにも荒唐無稽な答えに、アレクシアは鳩が豆鉄砲を食ったような、彼女を聖女と呼ぶ者からは凡そ想像できない表情を浮かべた。

 予想に反して帰って来た答えは良いもの…いや、良すぎる程だ。明らかに不自然極まる。これならば、法外な対価を求められた方がまだ心情的に楽だったかもしれない。


「………取り敢えず分かりました。それで悪い報告は?」


 とはいえ、その真意は今考えても答えは出るはずもなく。

 20階層で待ってくれているというのであれば、実際に確かめる他ないだろう。

 そう判断したアレクシアは、思考を切り替えて続きを促した。


『はい。まず、イブ氏を除く三名の身元に関してですが…何も分かりませんでした』

「そうですか…………。それでイブさんの方は…」

『そちらはある程度判明しました。結論から申し上げますと、黒寄りの善人…と言ったところですね』

 それを聞いたアレクシアは、苦虫を嚙み潰したような顔をする。


 黎明が探している三名。『シャクティ』『R・フィーニス』『Y・フィーニス』。内二名に至ってはフィーニス性。つまり”の血縁者。…本当かどうかは疑わしいが、何れにしろ超重要人物であることは間違いない。


 当初は誘拐の可能性も考えたが、それだとダンジョンの下層で一緒に行動しているのは明らかにおかしい。その上、下層の異常個体を二人で狩れると云う事実。

 これらの事から、何らかの事情で唯一普通の手配書であるイブが匿っている可能性が高いと見ていた。

 そして、調査の結果では少し怪しいものの本質は善人。到底国家転覆など企まないであろう人物だった……こうなると、手配書が本物かどうかすら怪しくなってくる。


 つまり、何らかの事情で黎明と敵対している推定”深層探索者相当”の四人組。

 アレクシアは、ギルドを代表して彼女たちと正面から相対しなければならないということ。

 この状況で取れる選択肢は厳しいものばかりが残る。


 敵対は割とマシかもしれない。アレクシアとセシルの命を対価に、ギルドが黎明と完全に敵対することは避けられる。

 ……が、セシルの命が懸かっている上に、彼女たちが友好的に接してくれている以上はアレクシアもマーナガルムもこれは絶対に選ばない。


 不干渉も悪くはない。セシルを受け取ってそれ以降は関わらない。信憑性の疑わしい国際手配書は無視できるから問題ないし、世界から孤立する事もない。

 しかし、仮に名目上だけであったとしても黎明主教の血縁者を名乗る以上、それを見逃したとあっては黎明に喧嘩を売るも同然。

 ……マーナガルムにとってはこれが最善とも言える。黎明との溝がより深まるのは避けられないが、元々険悪だったし大した問題ではない。


 そして…最悪であり、同時に最高でもある最後の選択肢は――


「…………分かりました、ありがとうございます。もう直ぐ到着するので、それまでにマスターから連絡が無い場合、私が判断して対処します。…場合によっては黎明と完全に敵対することになるかもしれません」

『……そのように通達しておきます』


 ――四名を取り込むことによる、黎明との完全なる敵対。


 黎明は、世界最大の宗教でありながらも世界最強の武力を擁する組織。更には世界屈指の技術力をも有している。

 そしてその起源は、嘗て世界を救った二柱の神、その神使達にまつわるもの。世界の救世主たる七柱の神を崇めるだけに、真っ白な組織だ。……表向きは。


 対して、アレクシアがサブマスターを務める世界屈指のギルド『マーナガルム』は、ダンジョン深層の完全攻略を目標に掲げた少数精鋭。

 深層探索者こそ今は二名だが、それ以外の者たちも一騎当千の勇士。深層に片足を突っ込んでいるような人物ばかりで構成される。

 ……そして、二年前から黎明との間に決定的な確執が生じ、反逆のために着々と準備を進めていた。


 ――その計画は、今日この日をもって大幅な前倒しになるかもしれないが。


 その重い決断は、音信不通のギルドマスターに代わってサブマスターの彼女…アレクシアに委ねられていた。


「はぁ……今日は厄日ですね」


 つい漏れ出てしまったという様子のその愚痴は、轢き殺された地竜の骸が散らばる荒涼とした荒野に消えていった……



 ♢ ♢ ♢



「ふぅ……そろそろですね」

 階段を下って20階層に足を踏み入れた私は、溜息と共に呟く。

 安全地帯とそれ以外を隔てる迷宮壁は、特別強固で破壊困難。全力で走ったとはいえ流石に時間がかかってしまった。


 ……正直、事ここに至っても未だ決断を下せていません。――黎明と敵対するか否か。


 奴らがセシルちゃんにした事は絶対に許せない。必ず報いを受けさせる。…ですが、黎明が途轍もなく強大で、なにより底が知れないのもまた事実。

 私個人の心情としては、少なくない筈の対価を払ってセシルちゃんを助けてくれた彼女たちを助けたい。


 けれど私はマーナガルムのサブマスター。

 ギルドとして、どうするべきか……

 これから行われる対話…その結末次第では世界の運命すら捻じ曲げてしまうでしょう。

 それほどまでに、深層探索者四名というのは大きな意味を持っている。


 幾ら悩んでも答えの出ない、あまりにも重いその選択に、答えを出せぬまま目的地に着いてしまった。


 そして林を抜け、広がった視界に件の四人が映った瞬間――


「ッ…………!!!」

 冷汗が噴き出し、呼吸が、心臓が、…時が止まった。


 ――甘かった。いや、そんな言葉では到底足りない。筆舌に尽くし難いほど私は愚かだった。何故その可能性を考慮していなかったのか……無意識に考えないようにしていただけかもしれない。

 一度だけ見た黎明の最高戦力。規格外と云われる深層探索者の中の更に規格外。


 ――世界最強。それと同列の人間がこの世に存在しないなんて保証など、何処にもないのに。


 そんな人の形をした化物と同等以上だと一目で分かる…理解させされる存在が、…単騎でマーナガルム総戦力を相手取れる怪物が、――二つも其処には在った。


 片や灰色の髪の少女。彼女は殆ど一糸纏わぬ姿にもかかわらず、腕を組み、目を瞑っていた。その立ち姿には一切隙が無い。寝ているようにも見えるけれど、それは偽り。私が妙な真似をしたらその瞬間には………


 片や9歳程度に見える金髪碧眼の幼女。彼女はボーっとセシルちゃんを眺めていた。――そして、その姿からは恐ろしいほど何も感じない。まるで彼岸の住人のような……

 でも一つだけ分かる。一度ひとたび彼女と戦いになれば、私が生き残る結末は一つも存在しない。


 そんな二人には及ばないまでも、深層探索者として十二分な戦闘力を持っていると自負する私と同等以上に見える少女が二人…此方に剣呑な目を向けていた。


 ……加えて、ドローンが停止していない。

 これでは私が取れる選択肢が大幅に削られると共に、配信したまま黎明に対する踏み入った話など、当然できるはずもない。

 こちら側で強制的に止める事もできるけれど、それをしたらやましいことがあると公言するようなもの。

 平然と恐ろしい一手を打ってくる……これは踏み絵。私たちがどちらに恭順するのか、見定めるための。

 なにが対価は特に何もいらない、だ…根こそぎ奪っていく気じゃない。


 ドローンを止めたら、世界と黎明にマーナガルムは犯罪者に屈したと見做される。

 彼女は…イブさんは求めている。今此処で、どちらに付くか決めろと。

 あくまで主導権は私たちが握っている…と、そう言外に告げている。


 ――そして、選択肢はもう一つだけ用意されていた。それは甘く、あまりにも甘く…けれど途轍もなく遠い。


 それは……彼女たちの防御をすり抜け、その上でカメラに写らずにドローンを破壊すること。

 今、此処で、私の…マーナガルムの価値を証明する。支配ではなく手を組むに値する存在だと、実力で以て示す。


 ……聖女だなんて持て囃されても、私も所詮は探索者。圧倒的強者から期待されて応えないなんて選択肢は存在しない。

 恨まないでくださいよマスター。全て彼女の掌の上だった…後は私がそこでどれだけ舞えるかです。


 二年前から巡りだしてしまった残酷な運命。セシルちゃんの悲願を叶えるためにも…必ず認めさせてみせる。



 私の覚悟を待っていたのか、イブさんが目を開けて私を射抜いた。その顔には疲れたような表情が浮かんでおり、まるで私たちには期待していないとでも言われているようで……


 私はタイミングを図るため、世界と黎明に誤認させるため、そして、私の選択を彼女に知らしめるために口を開き――


「……武器を捨てて、セシルちゃんと3人の少女をこちらに引き渡しなさい。そうすれば命までは取らないわ」


 ――一世一代の喜劇を始めた。

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